R計画第19弾  「ゆ」
作成者:小田原 峻祐

 

 

       記録は消せる

    どれほどの記録を残しても いつかは消えてしまう運命

 

       記憶は消せない

    忘れることはできても 完全に記憶を消去することはできない

 

   初期化のできないフロッピー

   それが 人間に与えられた  記憶       

 

 

 

許されない


「なぁ、八田」

「何ですか、係長」

 デスクの上に両足を乗せ、行儀悪くタバコをふかせている男に、スーツ姿の若者が怪訝な目を向けた。

 男の方は何を気にするでもなくタバコの煙を吐き出すと、若者に向かって灰皿を要求する。

「そこの灰皿、中身捨てて取ってくれ」

「……わかりましたよ」

 若者が仕事の手を止めて、灰皿の中身をゴミ箱へと捨てる。

 禁煙が言い付けられているにもかかわらず、部屋の中にはタバコの煙が充満していた。

 まだかすかに灰の残る灰皿を、八田青年は男の前に置いた。

「これでよろしかったですか」

「あぁ、ありがとー」

「いいえ」

 まるっきり気持ちのこもっていない感謝の言葉にも、八田は小さく首を横に振った。

 男の咥えていたタバコが灰皿の中へ落とされ、男はギシギシと椅子を揺らした。

「イス、壊れますよ」

 若者の言葉に答えずに、男はデスクの上から足を下ろす。

 スリッパを履いた、床の擦れる音をさせて、男は椅子を回転させた。

 部屋の電話が鳴り、遠くの方にいた女性が、電話にでる。

「なぁ、八田」

「何ですか? タバコなら、自分で買いに行って下さいよ」

 男がスリッパを履いたことを、外出のためと捉えた八田青年が、先に釘をさす。

 男は小さくかぶりを振って、ため息をつく。

「お前さぁ、俺たちの仕事って何だと思う?」

「警官ですから、市民の平和と安全を……」

「優等生だねぇ」

 八田の言葉を遮るように、男はそう言った。

 解答を中断させられて、八田が眉をしかめる。

 その間に、男は次の質問に移っていた。

「殺人犯を追いかけるのが仕事じゃない、俺たちは。事件がおきてから動く、怠慢警察官」

「……仕方ないですよ。誰かが被害者の仇をとらないことには、浮かばれませんから」

「でもさぁ、仇討ちっていうのはさ、随分昔に禁じられてるんだよねぇ」

 男はそう言うと、スリッパを履いて立ち上がる。

 男の視線の先では、女性が受話器を置いたところだった。

「犯人捕まえるのが仕事だよ、俺たちは。平和と安全を守るために、犯人に後悔させるために」

「係長、お電話入りました」

 男の言葉に口を開きかけた八田を手で遮り、男は女性からの口頭伝言を聞いた。

 隣で聞いていた八田にも、その伝言は伝わった。

「……以上です。既に先遣は出ています」

「あ、そう」

 男はそう答えると、再びタバコを咥えた。

 女性が厭そうな顔をするのも気に止めず、男はタバコに火をつけた。

 紫煙をくゆらせ、男の顔から生気が失われていく。

「係長、ここは禁煙ですが」

「知ってるよ」

 女性が鼻を鳴らして、自分の席へと戻っていく。

 二人がやり取りをしている間に外出の支度を整えた八田が、男を急かす。

「係長、行きますよ」

「無駄だよ。科警の連中に任せとけばいい。足を使うのはそれからでいい」

「ですが」

 さすがに職務怠慢だと感じた八田が男の首に縄をかけようとすると、男は初めて素早い動きを見せた。

 伸ばされた八田の手を振り払い、咥えていたタバコを灰皿へと投げ捨てたのだ。

「俺たちの仕事は記録に残る。いや、犯罪を記録に残す仕事だよ」

「……係長、現場へ」

「でもなぁ、記録ってのは消せるんだよ」

 男の言葉に、八田は背を向けた。

 その背中を追いかけるでもなく、同じ口調で男の言葉が続く。

「記録は消える。紙に残されるだけだ。誰の記録ですら、いつかは消えていくもんだ」

「ユミちゃん、現場の担当官の名前」

「加賀さんです。係長、連れて行って下さいよ」

「だがなぁ、記憶は消えないんだ。忘れることは出来ても、記憶は消せないんだよ」

 そこまで言うと、男は先に歩き出していた八田の肩に手を伸ばした。

 その動きは素早く、歩き出していた八田が、驚いて足を止めた。

「記録は消せても、記憶は消せない。それが生きている人間なんだ」

「は、はい」

 思わず頷いてしまった八田に満足したのか、男は小さく口許を歪めた。

「記録に残る仕事は、市民のためじゃない。記憶に残る仕事だけが、市民のためになるんだ」

「……怠慢は、記憶に残りませんか」

 それでも、すぐに言葉を返せるほどには、八田は優秀だった。

「組織全体としては、怠慢じゃないだろう。誰かは行ってるからな」

「そう、ですか」

「俺たちはな、被害者の記憶に残っちゃいけないんだ。加害者の記憶にだけ残ればいい」

「それは、被害者をないがしろにする行為ですよ」

「被害者の関係者は、事件を忘れるべきなんだ。記憶を引き出す回線に、俺たちはなるべきじゃない」

 いつの間にか、男は八田を追い抜いていた。

 まるで男の呟きを聞き逃さないようにしているかのように、八田が男の後に続く。

「だが、加害者の記憶をつなぐ糸にはならなきゃならん。連中が、後悔を乗り越えるために」

「車、まわします」

「俺も行くよ。俺たちはな、記録を残すだけじゃダメだ。永久に残る記憶を相手に戦え。いいな?」

「現場までは三十分です。灯、つけますか?」

 そう言って、八田は回転灯に伸ばした手を止めた。

 男が不思議そうに、その動きを見つめていた。

「どうした?」

「いえ。ここでこれを回せば、関係ない人の記憶に残るかなって……」

「記憶は永久保存のフロッピーだ。作っちまったフロッピーは、隠すしかない」

 八田の手が、イグニッションキーをまわす。

 軽いエンジン音を立てて、回転灯の点いていないパトカーが動き出した。

「でもな、地味なフロッピーに保存させるか、派手なフロッピーに保存させるかは、他人が決められる」

「シートベルト、お願いします」

「俺たちは、コイツのように地味な色のフロッピーに保存させる手伝いをするのが仕事なんだよ」

 そこまで言うと、男は黙ってシートベルトを付け、背もたれに背を預けた。

 八田のハンドルさばきは、丁寧なものだった。

 流れに乗り、無意味な渋滞を引き起こさずに、パトカーが現場へと向かう。

「係長、俺、頑張りますよ」

「あぁ、頑張ってくれや」

 車内の灰皿にタバコとライターを乗せて、男はガムをかみ始めた。

 ミントの匂いが、車内の芳香剤と混じりあい、八田は小さく窓を開けた。

 

<了>