(クロス)


 ユグラルド大陸全土を巻き込んだ解放戦争は、セリス皇子率いる解放軍の勝利によって、終結した。
 勇者セティが、その時全員に忠告した。
「終戦とは、戦勝国が、戦勝気分を無くして初めて終戦と言えます」
 その一言にセリス皇子……いや、セリス王が納得し、解放戦争における祝勝会も、戦争裁判も、よほどの大物を残して、素早く終らせ、本当の終戦を迎えた。
 それぞれの解放軍の英雄達は、自分の納める国へ、愛する人の国へ、またある者は傷心のまま祖国へと帰っていく者もいる。
 その解放軍の主戦力として活躍してきた英雄の中でも、異彩を放つ活躍をした英雄も存在し、その双璧を上げろと言われれば、イザーク王国、スカサハ・ク・ソファラ大公と、グランベル帝国、ユングヴィ公国、ファバル・ユングヴィ大公の名が上がるであろう。
 何しろ二人は、『常識外』の存在であった。
 スカサハは、斬竜刀と呼ばれる重量が一〇〇kgもある巨大な剣を武器とし、その一振りで、敵の騎士を馬ごと三騎ぶった切った記録が残っている。
 ファバルも、神々の武器である『神弓イチイバル』で威力を発揮したが、鋼鉄製の巨大な弓を愛用する事が多く、その大弓に相応しい槍としか思えぬ様な弓矢を武器に戦い、その強弓の一撃は、装甲兵を二人貫いた記録が残っている。
 そして二人は、その記録通りの、異様な怪力を所有する二人であった。
 スカサハは、大地に根をはった若木を素手で引っこ抜くほどの怪力であったし、ファバルも猪を素手で殴り殺した事のあるほどの怪力を所有している。
 普段は真面目だが、その余裕のある態度と口調は、人に誤解を招く事があったものの、決してその態度を改めようともしなかったスカサハ。
 普段は頼りになる兄貴肌だが、面倒臭がり屋で、口と態度の悪さが目立ったファバル。
 そんな二人が妙に気が合ったのはどうしてかと尋ねられた時に二人は、
「勝気な妹に悩まされている者同士」
 と答えたらしい。

 だが、その二人が初めて交差(クロス)した時、それは、敵同士であった。
 これは、解放軍最高軍師として、解放戦記を記録していたレヴィンは、その戦いを抹消しているが、解放軍の誰もが覚えている戦いであった。
 ただ、戦いの幕切れが余りにもあっけなかったので、二人はどちらも死なずに、そしてファバルが解放軍に入って二人の死闘は幕を閉じた。

 今から語ろう。
 つまらない理由で、歴史の闇に消えたスカサハとファバルの交差(クロス)を!

 

 強敵、イシュタルを撃破したが、彼女はまだ生きている。
 その事実が、イシュタルを叩いた双子の剣士に、寒気を走らせる。
 ラクチェは、ラナから治療を受け、溜息まじりに呟く。
 凛々しい顔をした精悍な美貌の少女で、全身から生気を発散し、若々しい逞しい美に溢れている。
「……イシュタルが生きているとなると、また戦わなければならない可能性があるって事だな」
 巨大な剣を背中にかつぎ、次にラナの治癒魔法を受け、全身に激痛が走った後に、生命力が回復していくスカサハ。
「まいったな、次はラクチェ。君一人でやってくれないか?」
「シャナン様と組んでなら楽勝だっただろうに、不甲斐ない兄に足を引っ張られた」
 冷静な顔で、突き放つような口調でラナに話し掛けるラクチェ。
 ラナは、優しい顔を苦笑させ、スカサハは、腐った牛乳でも飲んだ様な顔をした。
 だが、この二人がイシュタルを撃破した後、シャナンとアレスの二人が、陣形の乱れ、指揮官を失った敵陣に突入し、敵は一気に総崩れとなった。
 だが、敵の第二陣が迫りつつある。
 こちらも、レンスターへ援軍に向かった騎馬を中心とした部隊と合流し、戦線を建て直す準備をしている。
「ヨハン。前線の騎士団の防御体制を整えて迎撃体勢を取ってくれ!右翼は君に任せる。中央はオイフェに頼む。左翼は、そのままフィンの指揮下に入ってくれ!」
 セリス皇子が、全軍に指示を与える中、その傍に再びスカサハが付いた。
 解放軍セリス皇子親衛隊隊長。
 それが彼の本来の任務である。前線に出る事の多いセリスは危険が多い。
 そこで、セリスと気心の知れた幼馴染みであり、解放軍でもトップクラスの強さを誇る彼が、セリスの護衛隊長に任命されているのだ。
 双子の妹のラクチェも、すぐに、シャナン王子率いる剣士隊に合流した。
 動きの早い騎士団を先陣に立たせ、敵の攻撃を受け止める。
 その後、左翼右翼の部隊が疾走し、敵を包囲し、第二陣に構えていたシャナン、アレス、ラクチェ等の攻撃力の高い部隊が、敵陣に突入し、殲滅を図る。
 オイフェの最も得意とする包囲網作戦である。

 

「何?イシュタルが倒された?!」
 コノート軍の最高指揮官、ブルームは愕然とした。
 ムハマド、オーヴォ、ヴァンパの軍勢を次々と撃破され、そしてイシュタルまでも!
 ブルームは戦慄した。
 神経質そうな顔をした学者風の印象を与えるが、彼は決して無能ではない。
 有能な将軍であり、恐妻家ではあるが、帝国でも有数の将軍なのだ。
 対シャナン用の戦略も立てていたし、数々の波状攻撃を仕掛けたのだが、全て破られてしまい、残るは、コノート城に残った自分の部隊と、傭兵部隊だけであった。
「……シャナンやアレスに対抗する戦力を整えていたはずだ!それなのに、イシュタルも、イシュトーも、ライザの軍団も全滅させられたのか!?」
 伝令兵が恭しく頭を下げて、すこし興奮しながら、
「予想外の強さを誇る死神兄妹に食い破られているのです」
「……死神兄妹?……シャナンの甥達か?」
「はい、しかも、ダナン様の御子息であるヨハン、そして、ティニー様までも裏切り…」
「もう良い!こうなったら、徹底抗戦する!全軍に覚悟を決めよと言っておけ!」
 ブルームは叫ぶと同時に、最愛の姪であるティニーの裏切りに頭を悩ませていた。
(……やはり、我が妻の事で怒っているのだろうか?)
 彼の知る限り、ティニーは優しい、本来は戦争に向かない少女である。だが時代と彼女の魔法の才能が、その事に対して許されなかった。
 彼は彼なりにティニーを大切にしていた。いや、むしろイシュトーやイシュタルと同様に自分の子供だとも思って育てていた。
 だが、彼女の血筋と、妻のヒルダの存在が、それらを壊してしまったのだろう。
 裏切り後に、自分の前に現れた時、罵声を浴びせたものの、やはり彼女に攻撃する事は出来なかったし、またティニーも自分に攻撃出来なかったのだ。
(……だが、私には最後の切札がある!傭兵部隊の最強の弓兵、ファバル!)
 ブルームは、最後の切札に、逆転の望みをかけた。

 

 包囲網作戦は実行された。
 ヨハン、オイフェ、フィンの軍勢は見事に敵の攻撃を受け止め、瞬時にヨハン、フィンの部隊が、疾走し、敵を包囲していく。
 その中、オイフェと左翼、右翼の軍勢の間から、セリスの本隊が、シャナン、ラクチェ、アレスの軍勢が敵陣に突入した!
 更にフィンの部隊の背後から更にデルムット率いる軽装騎士団が、疾走し、敵の後方を囲み出す。
 騎士団の機動力をフルに利用したこの戦法は、功を成し、敵を完全に包囲していく。
 セリス自身が敵陣に斬り込み、最近ようやく、亡父シグルトの天才的な剣技を思わせる戦いを敵に見せつけた。
 敵の傭兵部隊も、セリスを見るなり、敵の総大将の出現に欲を剥き出しにした。
 セリスの首をとれば、報酬は思いのまま!
 敵は、その瞬間我先とばかりにセリスに襲いかかった!
 ……だが、セリスの剣技は、彼等の想像を越える強さであった。
 そして、何よりも、彼の傍で戦う巨大で無骨な大剣を、小枝の様に振り回し、一振りで四人の傭兵をグロテスクな肉の塊に変える破壊力に戦慄した。
 長身のスカサハ並みの長さと、彼の逞しい肩幅に匹敵する幅のある巨大な剣の形をした鋼鉄の塊が、万有引力の法則と、慣性の法則を全く無視した動きによって敵を粉砕していくのだ。
 あきらかにスカサハの剣より一〇分の一は軽い剣を持っている剣士達が、彼より早く攻撃しても、スカサハの巨大な剣が、先に彼等を粉砕するのだ!
 その圧倒的な大きさと、圧倒的な質量の化物じみた剣が、化物じみた怪力の男によって扱われる時、そこは鋼鉄の竜巻と化する。
 強引に吸い込まれ、破壊された後に吹き飛ばされる!
 まさしくスカサハは、生物と化した巨大な竜巻であった!
 騎兵が!剣士が!斧士が!槍士が!
 次々と彼に立ち向かうが、人間の背丈もあろうか巨大な斬竜刀が、竜巻の如くスカサハを中心に激しく動き、次々と鮮血の雨が、大量の肉片が飛び散っていく!
 彼の父親である、シグルト軍の斬り込み隊長であったホリンは、この斬竜刀の最初の所有者であり、彼はこの斬竜刀で文字通り、トラキアの竜騎士を一刀両断で、竜と鎧姿の竜騎士を叩き潰したのだ!
 その伝説は徐々に甦りつつある。そのホリンの息子、スカサハの手によって!

 

 この包囲網作戦の離れた場所の森の中で、その戦いを見守る若者がいた。
 くすんだ野性的な金髪の髪を所有し、肩幅と胸板の厚い屈強な青年であるが、ゴツゴツした印象はなく、精悍な大型の犬科の肉食獣を思わせる身体である。
 顔は、やぼったい印象を与えるが、それでも若々しさに漲っている精悍さがある。
 彼はあぐらをかいで座り、面倒臭そうに戦いを見ながら溜息をついた。
「…面倒臭ぇ……」
 そう呟きながら、神々しく輝く弓を背中に回し、巨大な弓を手にした。
 それは、彼の身長程ある黒光りする弓で、鋼鉄で作られている。
 そしてその弦は、鋼線で作られ、背中に矢筒を二筒用意しているが、ひとつは、普通の矢が入っているが、もうひとつには、まるで投擲用の槍が入っているのではと思う程の長くて太い矢が入っていた。
 彼はその投槍と思われるような弓矢を抜き、その巨大な強弓にセットする。
 しかし、鋼鉄と鋼線の弓である。常識では引っ張る事は出来ない。
 ……だが、巨大な剣を振り回す常識破りの人間は、彼一人ではなかったのだ。
 その男の逞しい太い腕は弓矢をセットした強弓をなんと強引に引っ張り、なんと弓はしなり、弦は引っ張られた!
 そして彼は解放軍の騎士の一人に狙いを定めた。
 その騎士は黒衣のマントに、黒い甲冑、漆黒の美しい戦馬に跨り、魔剣ミストルティンを武器にするアレスであった。

 

 魔剣ミストルティンが、『魔剣』の異名を持つのは、黒騎士へズルの正統血統者に恐るべき力を与えるからである。
 その力とは、確実に急所を狙う力。
 ただでさえ破壊力のあるミストルティンにこの力が加わる時、『魔剣』と呼ぶ以外、何と呼ぶべきであろう!
 アレスは、騎士として解放軍の中でもトップクラスの強さを誇る。
 最初はセリスを敵対視していたのだが、複雑な事情で解放軍に参加していく内に、敵対感情は徐々に消え失せていった。
 今ではセリスの公私に渡って親密な友人の一人と言える。
 兜で顔を隠しているとはいえ、その兜の裾から流れる黄金を溶かしたような金髪は、この世に完璧な金髪があるとしたら、まさしくこの髪であろうと思われる程、野性的でありながら見事に輝いている。
 そしてその兜と黄金の髪の下にある素顔も、野性的な魅力と、貴公子的な魅力を見事なまで融合させている。
 そのアレスが部下達の先頭に立ち、敵陣を貫き、敵の陣形を分断させつつある。
 敵を分断させるのが彼の仕事である。
 もうすぐ敵陣を真っ二つに分断させる!
 そう思いながらミストルティンを振りかざし、馬を疾走させていると、突如ミストルティンが震えた!
(何?!)
 敵陣を貫き、真っ二つに分断した瞬間、アレスはミストルティンを盾に自分の前にかざす!
 その瞬間、投擲の槍が、恐ろしい程の速さで一直線に彼の心臓を貫きに襲ってきたのだ!
 アレスは、ミストルティンにその危機を教えられ、両手でミストルティンを盾にして構えた瞬間、両手に激しい振動と重みが襲った!
 槍がミストルティンに猛速度で当たったのだ!
 もし、ミストルティンでなかったら、剣は折れ、心臓を貫かれていた程の破壊力は、彼を吹き飛ばし落馬させる。
 だが、アレスは並みの騎士ではない。黒騎士へズルの正統血統者だ。
 落馬しながらも、見事な受身を取り、瞬時に立ち上がる。落馬したとは思えぬ速さだ。
 彼の愛馬、『黒風』も主人の下に直ぐに戻って来る。
「気を付けろ!森の中に投擲車がいるぞ!」
 槍をこんな猛速度で一直線に飛ばしてくるのは、機械仕掛けの投擲車(ロング・アーチ)だと、アレスは思った。
 いや、普通の人間ならそう思う。アレスの判断は正しい。
 だが、次の猛速度の槍は、部下の騎士に襲い掛かった!
 その一撃は、騎士にダメージは無かったが、馬の身体を貫通し、背後を走っていた騎士の左肩に突き刺さった。
「!」
 その貫通力にアレスは驚きながらも、ミストルティンを構え、『黒風』に乗る。
「ミストルティン?」 
 アレスは、独り言を呟いた。
 先程ミストルティンは震えた。
 あれはもしかして、俺の危険を知らせたのではなく、イシュタルやブルームと出会った時の様に、同じ神々の武器と共鳴したのでは……。
 そう思った瞬間、三度目の槍が自分に襲い掛かった。
 アレスは躱そうとした瞬間、自分の目の前に巨大な鋼鉄が割り込んだ。
 激しい金属音が周囲の人間の耳に不快感を与える。
 そのアレスの間に入った巨大な鋼鉄は、斬竜刀であった。
 スカサハが、両手で持ち上げ、猛速度の槍を、斬竜刀を盾にして弾いたのだ。
「スカサハ!」
「アレス様!セリス様の護衛を頼む!この弓矢を撃った奴は、俺と同類らしい」
「弓矢?」
 槍だと思っていたが、スカサハは弓矢だと言った。
 しかも、俺が弾き飛ばされた程の衝撃を与える一撃を、簡単に弾いたのだ。

 

「……俺の弓矢を弾いた?」
 若者は森の中で初めての出来事に驚いていた。
「面倒臭ぇ野郎が敵にいるな……」
 しかも、その黒髪の巨大な剣を持った若者が、こちらに気付き近付いてくる。
「…人間と思っちゃ駄目だ。……野獣狩りだな……」
 若者は、槍の様な巨大な二本の弓矢を片手で抜き、二本の弓矢を強弓にセットし、鋼線の弦を引いた。
 二本の槍の様な弓矢は同時にスカサハに向かって猛速度で発射された。
 空間を引き裂き二本の槍が猛速度でスカサハに襲い掛かった!
 スカサハは、二本飛んできたのにさすがに驚き、再び斬竜刀を斜めに構え盾にする。
 激しい衝撃が斬竜刀からスカサハに伝わり、彼は珍しくよろめいた。
(俺がよろめくだと!?)
 強靭な足腰が自慢のスカサハには信じられぬ出来事であった。
 だが、再び槍が襲ってきた!
 だが、斬竜刀を大きく振りかざし、槍を地面に叩き落としたのだ!
(何?! 落としただと?!!)
 今度は弓兵の若者が驚愕した。
 この強弓から放たれた槍の様に大きな弓矢は、今まで躱された事はあっても、叩き落された事はなかったのだ!
(あの巨大な剣が、噂に聞く斬竜刀だとしたら、奴が死神兄妹の兄貴か!)
 若者は突如目の前に現れた好敵手に、面倒臭さと、興奮という両極端な感情を強烈に感じた。
「……面白れぇ、だが俺だってその辺のチンピラ傭兵とは違うぜ。このファバル様の強さを見せてやる!」
 ファバルと名乗った若者は再び強弓を構えた。
 そして迫り来るスカサハに狙いを定め、彼を引きつける。
(近距離で撃つ! 逃げられねぇ距離でだ!)
 スカサハは、超重量級の巨剣を持っているとは思えぬ速度でファバルに接近する。
 二人は黙視で敵を確認する。
 スカサハは、強弓を構えているファバルに恐れず突進する。
 ファバルは、斬竜刀を振りかざし迫り来るスカサハに、冷静に狙いを定める。
(まだだ、引きつけろ!)
(恐れるな! 間合いに入らなきゃ意味がねぇ!)
  二人の距離が縮まる。スカサハは強引に踏み込み、一気に間合いを詰めてきた。
 その瞬間、ファバルが槍の様な大きな弓矢を放った!
 鋼線が鈍い音を立て、弓矢が空を貫き轟音を立てた。
 この近距離なら間違いなくスカサハの胸を貫く!
 その瞬間、斬竜刀が、その巨大な質量と、スカサハの常識を超えた怪力と合体し、ファバルに向かって振り下ろされた!

 

 天空と大地が斬り裂かれた……。
 それは、スカサハの斬竜刀が大地を叩きつけたため、巨大な振動が起こったのだ。
 ファバルは、身体を反らして、その一撃を躱した。
 だが、左腕の一部が抉られるように皮膚はボロボロになり、肉は反り返り、大量の血が流れた。
 弓を持ち突き出していた腕の一部は、斬竜刀を躱せず、『かすった』のだ。
(かすって、これかよ……)
 左腕に激しい痛みを感じながら、大粒の汗を額に滲ませるファバル。
 一方、スカサハは、斬竜刀を振り下ろし、刀身の三割を地面に食い込ませ、微動すらせず、涼しげな瞳を彼に向け、不敵な笑みを浮かべている。
 だが、左脇腹から血が噴出している。
 それは、腹だけではなく、背中の方からもである。
 あの槍の様な弓矢が、スカサハの身体を貫通したのだ。
 ……だが、スカサハは、不敵な笑みを浮かべ、地面に突き刺さった斬竜刀を抜き、再び構えるが、貫通した右脇腹から再び血が噴出した。
「……驚いた……何故死なない?」
 当たり前の質問を、スカサハにすると、彼は汗を全く浮かべず涼しげな瞳を彼に向けたまま、
「生まれつき不死身なんだよ、俺は」
 たしかに、心臓を貫くはずだったが、彼は躱した。
「心臓と内臓を貫かれない限り、大した事にはならない様になっているんだぜ、人間の身体は」
 医学的にはそうだが、普通の人間では行動出来ない事を平気で言ってのけ、ファバルは思わずこの男に恐怖を感じた………訳がない。
 そう、ファバルは満身の笑みを浮かべ、一気に後方に飛び去った。
「逃がさぬ!」
 スカサハが追いかけようとしたが、なんとファバルは強弓を地面に突き刺し、それがスカサハの追撃を邪魔した。
 その遅れを逃すファバルではない。右手にナイフを抜き、スカサハの咽喉元に向かって投げつける。
 ファバルの投擲は、正確であり、疾く、重い!
 普通の人間なら咽喉下を貫かれ即死しているだろう。
 そう、普通の人間ならだ。
 スカサハは、そのカテゴリーに入らない生物だ。
 身をかがめて躱し、そのまま転がり、一気に間合いを詰めて、彼の足元を払ったのだが、ファバルは跳躍し、木の枝に捕まり、そのまま身をよじらせて反動をつけて、間合いを開ける。
 そして再び右腕の手甲に付けられたグローブを弄ると、三日月型の小型の弓が現れ、小型の弓をセットし、狙いを定めて放った。
 小型の弓矢だが、小さい分威力はないが、躱されにくい。
 スカサハはそれをあえて左腕に受け止めて反撃に出た。
 強力な一振りが、ファバルに襲い掛かるが、彼は回避し、彼の背後にあった樹木は、斬竜刀の一撃で倒壊した。
 地響きを響かせ倒れた樹木の上にファバルが乗り、背中の神々しく輝く弓を手にする。
「テメェは、野獣だな」
「お褒めに預かり光栄だね。パツキン野郎。こんな小さな弓矢で俺を倒せるとでも思ったのか?」
 左腕に刺さった弓矢を抜き、スカサハは不敵に笑うが、してやったりとばかりにファバルも笑う。
「ああ、人間にはきかねぇが、野獣のテメェには効くシロモノだぜ」
「何?」
「俺と同じタフが売物らしいな、だから、小さい弓矢なら受けると思った」
 ファバルが笑う。スカサハが、突然驚く。
 彼の左腕が、徐々に回復していくのに気付いたのだ。
「それは、強力な睡眠薬が塗られている」
 それを効くとスカサハが今度笑った。
 そしてナイフで自らの肩の部分を深く刺し、血を流したのだ!
「何!?」
「自分の作戦をばらすのは、間抜けのする事だ。それを得意そうに語るのは、更に愚か者だ」
 スカサハは肩と脇腹の流血を気にせずに、巨大な剣を構える。
 肩の血を流す事により、全身に回る睡眠薬を体外へ放出したのだ。
「弓野郎。貴様、面白い奴だな。気に入ったぜ」
 スカサハが、涼しげな瞳に、獲物を見つけた肉食獣の様に輝かせる。
 また、ファバルも、神々しい輝きを放つ弓、『神弓イチイバル』を手にし、豪快だが、押えた迫力のある笑顔を浮かべる。
「気が合うな、デタラメ野郎。俺もお前を気に入った。俺の手で殺してやる」
「同感だ。俺達本当に気が合うな」

 

 その頃、包囲網作戦で敵をほぼ壊滅させつつある解放軍で、パティが、小柄だが、素早い動きで敵の間を抜けている時、アレスの前で立ち止まった。
「アレス!こっちはもういいから、デルムットの援護に向かって……」
 パティの言葉が途切れた。何故なら、アレスの傍にある槍に気付いたからだ。
「あれ、これは?」
 パティが首をかしげていると、アレスが、
「敵の槍だ。投擲器で撃って来たんだろう」
 普通ならそう考えるのが、常識である。
 パティはこの槍……、いや、弓矢に見覚えが充分にあった。
「……あの馬鹿、なにやってんのよ!」
 パティが急に叫び、童顔の顔を怒りに包みその弓矢を手に立ち上がった。

 

 ファバルは強敵だとスカサハは確信した。
 俺と同じ巨大な武器を好む奴等は、化物の部類に入るのだな。
 一六歳の時に、巨大な斧を持った中年の熊の様な男を思い出しながらも、斬竜刀を構える。
 こいつは、馬鹿力なだけじゃねぇ。小技も中々だ。
 それに、睡眠薬も全部出し切れなかった為か、頭が少しふらついた。

 スカサハは化物だと、ファバルは確信した。
 俺の巨大な弓矢が急所を外したとはいえ、太い矢が、身体を貫通したのだ。
 だが、この人間とは思えぬ生物は、戦闘能力が全く落ちていないのだ。
 先程からその脇腹の背中と腹、左肩から流血しているのに、平然としている。

「出血が酷いのに何故動ける?」
「血が流れりゃ、身体が軽くなるだろう。早く動けて当然だ」
 理論上はそうだが、生物学的なことを完全に無視した発言に、ファバルは苦虫を噛み潰した顔をしながら、神々しい輝きを放つ、『神弓イチイバル』を構え、弓矢を抜いた。
「こいつは、シャナンやセリスに使おうと思ってたんだが……」
 刹那!スカサハが間合いを詰め、一気に斬竜刀の間合いに入った。
 その瞬間、ファバルは身をかがめてこの超近距離から弓矢を放った!
 その放った瞬間、矢先が眩しく輝き、スカサハに襲い掛かった!

 

 帝国軍の傭兵部隊は、ヨハンの情けで作られた右翼の守りを空けた場所から、逃げていく。
「窮鼠、猫を噛むだ。逃げる敵を追うな!」
 ヨハンは部下に指示を出した後、スカサハが敵を求めて入っていった森に異変が起こったのに気付いた。
 その異変とは、手前の木々が次々と倒れていくのだ。
 それにはフィンも気付いた。
「何だ?」
 木々は次々と倒れ、地響きを立てて崩れていく。
 その中、シャナンと、アレスが、自分達の神々の武器、『神刀バルムンク』と、『魔剣ミストルティン』が、激しく震えているのに気付いた。
「これは!」
「…共鳴?」
 シャナンが最後に言うと、アレスが頷き、
「だとしたら、敵に神々の武器を使う奴が!……スカサハが危ない!」

 

 『神弓イチイバル』の破壊力は、大木を貫通し、薙ぎ倒していく。
 だが、スカサハの斬竜刀も、一振りで大木を砕いてしまう!
「テメェ!こんな近距離で弓を撃てるとは、……インチキ野郎め!」
「どっちがだ?!そんな化物みたいなデカイ剣使いやがって!」
 たった二人で局地的環境破壊をしてのける場所で、スカサハとファバルの息は乱れて、肩で息をしている。
 だが、有利なのはファバルであった。
 イチイバルは、所有者の肉体に『自己再生回復』の力を与える。
 だから、怪我を負っても、骨折しても、徐々に回復していく。
 だが、スカサハにはそれがないのだ。
(くっそう、剣の間合いからでも弓が撃てるとは……。それとこの自己再生能力。…化物め)
(こいつは、疲労と言うのを知らねぇのか?出血多量の言葉も知らねぇのか?!)
 だが、ファバルがいくら有利といえども、本来『面倒臭がり屋』の彼が、ここまで真剣に戦うのは、正直疲れている。
 すると何を思ったのか、ファバルは突然仰向けに倒れ、呟いた。
「ちょい待て。…疲れたから休ませて貰うぜ」
 戦場の真ん中でこの発言をしたのは、おそらく人類有史から、おそらくファバルが最初であろう。
 それほど酔狂な言葉でありながら、スカサハも、斬竜刀を地面に突き刺し、そのまま自分も彼に足を向けて大の字になって寝転んだ。

 ……しばらくして、二人は本当にイビキをかいて眠ってしまったのだ!
 こんな、異様で、不思議な戦いが今まであったであろうか?

 ……皆無である。

 

 しばらくして、二人は同時に立ち上がり、同時に背伸びをして、斬竜刀を、イチイバルを構えた。
 回復力は当然ファバルの方が上だが、弓矢には残りの制限がある。
 二人はお互いを睨み、そしてスカサハが一気に間合いを詰めてきた。
 剣の長さだけで彼の背丈程あり、剣の柄の長さだけでスカサハの腕の長さもある巨大な斬竜刀が、鋼鉄の竜巻となりファバルに襲い掛かった。
 だが、今度はスカサハの間合いに入られる前にファバルは弓を放った!
 閃光を放つ聖なる矢が、スカサハの顔を襲うが、スカサハは斬竜刀を振り下ろしその矢をなぎ払った!
 ファバルは間合いを広げ、背後に飛び、大木を背にして、再び弓矢を構える。
 間合いの離されたスカサハは、斬竜刀を横に振りかざし、腰と全身を曲げ、反動をつけて、刃ではなく、分厚い剣幅を向け一気に振った!
 その瞬間、間合いは遠くても、斬竜刀から地面の土を巻き上げ、一気に砂埃をあげる!

「しまった!」
 想像を絶するスカサハのパワーから振られた斬竜刀から巻き起こった土埃は一気に視界を奪われ、彼を見失った。
 視界が最も重要な弓兵であるファバルは、一瞬焦ったが、背中を大木に向けている以上、左右前の三方向だけに集中すれば良い事に気付き、土埃の向うからの気配を五感で鋭く読み取る。
 スカサハの気配は感じられない。あんな重い武器だ。音は聞こえるはずだ。
 だが、音も感じない。……常識じゃ考えられない。
(……だが、奴には常識が通用しない)
 そう思った瞬間、背中に微妙な振動が伝わった。
 大木から伝わってくる。
(…あんな非常識な男は、非常識な事をしてくる! あんな重い武器を持って、一番考えられない攻撃場所は!)
 ファバルが上体を反らし、天に向かって弓矢を構えた!
 瞬間、大木の上から斬竜刀を振りかざすスカサハが飛び降りてきた!
 そう、スカサハは、跳躍し、斬竜刀を持ったまま大木の幹の上に乗っていたのだ!
「くたばれ! 『月・光・剣』!!」
 スカサハが飛び降りながら爆発的な勢いで呼吸を吐き、自分の最も得意とする必殺技を放った!
 斬竜刀が振り下ろされ、剣先が大木に突き刺さり、その大木を切り裂きながら下のファバルに向かって必殺の一撃が振り下ろされる!
 ファバルも獣の様な咆哮を上げ、落下するスカサハにイチイバルを放った!
 轟音が響き、大木が真っ二つに縦に斬り裂かれ、左右対象に地響きを立てて倒れ、再び土埃を立てた。
 土埃がおさまり、真っ二つに縦に裂けた大木の傍には二人の若者が立っている。
 大地は斬竜刀の一撃で割れている。
 その大地にスカサハが立っている。
 だが、その斬竜刀の幅広い刀幅には、一本の矢が刺さっていた。
 それに対して、スカサハは驚愕していた。
 おそらく、スカサハがここ数年で最も驚いた事であろう。
「斬竜刀が!」
 ファバルは躱していた。
 横に飛び、大きく溜息を付いていた。
(剣先が大木に触れていなかったら、『ひらき』にされていたな……)
 希少金属の白金鋼と呼ばれる鋼鉄で作られた斬竜刀は、硬くて、殆ど折れないし、刃も欠けない頑丈すぎる金属だ。
 その斬竜刀に弓矢が突き刺さっているのだ。
 これは、剣を生き、剣に斃れる事を尊ぶイザーク剣士にとっては、屈辱的な事だ。

 

 ラクチェはパティの台詞を聞いて驚いていた。
「え、じゃあ、この弓矢を放ったのは、パティのお兄さん?」
「間違いない! 私の馬鹿兄貴だよ! こんな槍みたいな弓矢を放てるのは、大陸広しと言えども、お兄ちゃんしかいない!」
 それを聞くと、ラクチェは頭を下に向け、額を手で抑え、大きく溜息をついた。
(またか……。どうしてスカサハと戦う奴は、デタラメなパワーを持つ奴が多いの?!)
 自分達が一六歳の時、スカサハは、巨大な斧を持つ化物じみた熊の様な中年男と村を二人で破壊しかねないほどの大暴れをしてくれた。
 今度は、森を破壊しかねない勢いである事は、ここからでも分かる。
「とにかく、はやく止めないと! お兄ちゃんは、普段は不精者だけど、戦いで頭に血が上がったら、狂戦士と化するよ! それに、お兄ちゃんは素手で猪を殺し、狼の群れを全滅に追い込めるほどの力があるのよ!」
 その話を聞いて、シャナンは苦笑して優雅に笑っている。
「凄いな。そんな男と、大蛇を絞め殺し、呑みこまれても、大蛇の腹を突き破って出てきたスカサハとの戦いか」
 ラクチェはますます頭を抱え、気が滅入っていくのを感じた。
「ああ、また二大怪獣激突か…」
「シャナン様もラクチェも早く止めないと! お兄ちゃんはスカサハみたいな男と喧嘩すると、歯止めが効かなくなるの!」
「スカサハも、パティのお兄さんみたいな人が、『大好物』なのよね」
 一度、大暴れしたスカサハを止めるのに苦労したラクチェである。
 普段は、気の短い私を止める役に専念しているのに、立場が逆になると、こうも辛いものか。
 セリスが傍で立っている。話を聞きながら、
「しかし、スカサハの化物じみた怪力に匹敵する人間が、一人いたとは……」
「二人いるのですよ、セリスさま」

 ラクチェは、どうしようかと真剣に悩んでいる。

 

 幅広い刀身の中央に弓矢が刺さったまま、スカサハは斬竜刀を振りかざした。
 重々しい巨大な剣が、大気を砕き、疾い動きで、ファバルを襲う。
 ファバルはそれを躱しながら、弓矢を構え、剣の間合いで弓矢を放つ!
 しかも、『神弓イチイバル』である。
 放つだけで、真空波を作り、掠めただけで、服と肌が切り裂かれる。
 ……そう、スカサハはこの剣の間合いからの弓を躱しているのだ!
 弓矢は大地を抉りながら大木を貫通して飛んでいく。
「……化物めぇ!」
「テメェに言われたくねぇ!」
 スカサハが叫ぶと、負けずにファバルも叫ぶ。
 激しく息を切らせながらも、二人の眼光は、殺気を放っている。
 普段は涼しげな黒瞳のスカサハも、普段は面倒臭そうに物を見ているファバルの水色の瞳も、完全に闘争本能と狩猟本能に支配された野獣の様な眼光に変わっていた。
 だが、二人の口元は笑っていた…。
 それは、笑ってはいるのだが、何故か恐怖感を感じさせる獰猛な笑みでもある。
 突然、ファバルが恐るべき跳躍力で後方に飛び、弓矢を構える。
 スカサハは追いかけようと跳躍したが、この時、貫通した右脇腹に痛みが走り跳躍に時間がかかった。
 その瞬間、距離をとったファバルが、イチイバルの弾矢を放った!
 その狙いは正確にスカサハの心臓を捉えている!
 スカサハは激痛で飛ぶのに時間がかかった。
 だが、彼は諦めず、膝を曲げ、膝から上の身体を後方に倒し、地面に背中から倒れた瞬間に、その彼の膝から頭が水平になった時に、イチイバルの矢が上を通過した!
 彼は、そのまま地面に背中から倒れた瞬間、左手で戦闘用ブーツの中からナイフを抜き、彼に向かって投げつけた!
 投げたのは普通の男ではない。スカサハだ!
 巨剣を片手で振り回し、大木をも断ち切る怪力無双の男の投げたナイフだ。
 それは、疾風の刃となり、恐るべき一撃となり、ファバルの脳天に命中する。
 その破壊力は、脳天を貫くほどの破壊力……だが、不発に終った。
 何故なら、その恐るべき飛んできたナイフを、ファバルは片手で掴み、逆に投げ返したのだ。
 それをスカサハは身体を回転させて躱し、その勢いで立ち上がった。
(俺の豪腕で投げたナイフを受け止めやがった!?)
 これにはさすがにスカサハが驚く。
 今の今まで、彼の投げたナイフは誰にも止められず、一流の敵なら剣や盾で受け流すくらいであった。
(ああ、面倒臭ぇ敵だ! こいつはちょっと驚かすか!)
 そう思ったファバルは突如、イチイバルを投げ捨て、近くで自分達が倒した大木の中から、大きさ四メートルほどの切り倒された木を両手で掴んだ。
 さすがにスカサハが、何事かと思うと、その目の前で恐るべき、常識を超えた光景が彼の目に映った。
 ファバルが、その四メートルの倒木を両腕で持ち上げ、頭上で回し出したのだ!
「くたばれぇ!」
 彼が叫び、倒木を回しながらスカサハに向かって投げつけたのだ!
 あまりの凄まじい出来事が、一瞬で起こり、スカサハは意表を付かれたのだ。
(……そうか、俺と今まで戦っていた奴って、こんな気分になったのか!?)
 倒木が回転しながらスカサハに襲い掛かる。
 だが、スカサハは、斬竜刀でその重々しい倒木をなぎ払った。
 だが、やはり両腕に強烈な痺れが走り、思わず斬竜刀を落としてしまう。
 その瞬間、ファバルが今度は倒木の枝を片手で圧し折り、人間の腕ほどの太さで、先の尖った枝をスカサハに向かって投げつけた。
「舐めるな!」
 スカサハは叫ぶと同時に、水平に飛んできた枝に向かって腰を落とし、全身の体重を乗せた蹴りを一蹴した。
 枝は、その一撃で粉砕され、スカサハは、痺れの取れた腕で斬竜刀を再び掴み、間合いを詰める。
 その瞬間、彼の目の前に大木が倒れてきた。
 ファバルが、腰の鉈でたったの一撃で大木を倒したのだ。
「この化物めぇ!」
 今まで自分が言われてきた事を、スカサハは叫び、その倒木をまともに受けてしまい、そのまま地面と倒木に挟まれ、地響きを立てて地面に叩き潰された! 
 砂埃を上げる中、ファバルはその倒した大木に足をかけ、鼻で笑った。
「どっちが化物だよ」
 その瞬間、大木に乗せた足に異変を感じた。
 大木が動いたのだ。
「?」
 気付いた瞬間、倒木は突然浮かび、浮かび上がった場所から、スカサハが血まみれになりながらも、倒木を持ち上げ立ち上がったのだ!
「だが、俺の方がもっと、化物だぜぇ!」
 怒声と罵声。怒りと狂気に満ちた雄叫びが森に木魂し、スカサハは倒木を投げ飛ばし、バランスを失い、倒れたファバルの上に押さえつけるように投げ飛ばした。
 鋭い地響きとともに、ファバルは絶叫を上げ、今度は自分が大木に踏み潰されたのだ。
 しばらく、スカサハは微動すらせず、斬竜刀を構え、引く。
「何時まで寝てやがる。さっさと起きろ」
 そう言うと、倒木はゆっくりと持ち上がり、血まみれになったファバルが、倒木を持ち上げ投げ捨てて立ち上がる。
 そして二人は同時に叫ぶ。
「化物めぇ!」
 血まみれだが、二人の眼は死んでいない。
 むしろ口元を緩めて笑っていた。
 今まで化物呼ばわりされ、自分に相応しい敵に全く会えなかった二人である。
 そして、二人は目の前にいる敵が、恐るべき強敵だと確信し、初めて出会う好敵手にむしろ、戦士として満足したのである!
 スカサハは、斬竜刀を投げ捨て両手を握り、指を鳴らした。
「俺の拳は岩を砕くぜ」
 そう言うと、ファバルも、背中の矢筒とイチイバルを置き、首を鳴らしながら拳を握る。
「ほう、俺と同じ宣伝文句を持っている奴が居たとはなぁ」
「特に、自己申告はしてないからな」
 二人は笑いながら、素手で構える。
 スカサハは、イザーク王家に伝わる打撃格闘術の訓練を受けている。その素手での強さは、時に同じ素手で戦った時のシャナンを凌駕する時があった。
 ファバルは、傭兵として、傭兵仲間から純粋なる戦場における格闘術を天性の才能で身に付けた。
 二人は構えただけで、お互いの格闘能力の高さが予想以上だと確信した。

 

 森の中に、デルムット率いる軽装騎士団と、レスター率いる弓騎士団が、入って来た。
 解放軍の屈指の軍師であるオイフェ直伝の用兵を身に付けたデルムットは、周囲を見渡す。
 まるで樵の集団が通ったように、木々は倒れている。
「いくら、我が軍の怪物でも、ここまで出来ないと思うが……」
 デルムットがそう言うと、群青に近い青髪の、大人びた若者があるものに気付く。
 大地に突き刺すように弓が刺さっている。
 弓騎士だけあって、弓に興味を惹かれたのだろうが、この場合は興味より、違和感であろう。
「なんだ、あの弓は? ……って、弓…なのか?」
 二人の隊長は、部下に周囲の警戒を命じながら、その弓(?)に近付く。
 二人は馬から降り、その弓らしき物体と並んだ。
 大きいのだ。デルムットもレスターも長身だが、それより少し大きい。
 しかも、鋼鉄で出来ており、弦は鋼線で出来ている。
 レスターは、その弓を引き抜いたが、とても重く、持ち上げるのがやっとであった。
 むしろ鋼線の弦を引っ張るなど、出来る筈がない。
 弓の名手である彼がこの様である。
「……アレス様を襲った弓矢はこれから放たれたのか?」
 デルムットが言うと、レスターが、
「パティが言っていたな。間違いなく彼女のお兄ちゃんだと」
「と、するとお前さんの親戚だ」
 その時二人は野獣の様な雄叫びを聞いた。
 唸るような声であり、気の弱い人間なら立ちすくむような唸り声が遠くから響いてくる。
「レスター様! 野獣では?」
 レスターの部下が叫ぶが、そのレスターはデルムットと眼を合わせ、同時に叫ぶ。
「スカサハだ!」

 二人が部下を連れ、唸り声のした方向へ馬を走らせる。
 それから暫くして、シャナン、ラクチェ、ヨハン、パティの四人が、解放軍の一軍を連れてやってきた。
 そこに残された鋼鉄の巨大な弓を見て、パティは溜息をついた。
「やっぱりお兄ちゃんだ。みてよ、この弓のここに、好きな歌姫の名前彫ってるんだもん。結構軽いんだから」
「……にしても、大きい弓だな」
 シャナンが苦笑しながら言うと、ラクチェがその弓を手にする。
 なんとか持ち上げられたが、弦は少し引けるだけであった。
「確かに、この弓を使えるなら、どんな甲冑や鎧も射抜けるな」
 ラクチェがそう言うと、ヨハンが自分に酔いしれながら朗読するように、
「……ラクチェ。私の所有する弓は、貴女の心しか射抜けない」
「そうか、私の神経をボロボロに射抜くの間違いではないのか?」
 突き放つように言うラクチェに、ヨハンは、
「素直じゃないところが貴女の魅力だ」
「心の底から素直に言っている!」

 

 確かに、スカサハもファバルも長身で逞しい肉体をしている。
 スカサハは、虎の様な上半身と、狼の様な下半身をした偉丈夫である。
 ファバルは、特に腕の太さと胸板の厚さが目立つものの、ゴツゴツしたイメージはなく、下半身も虎の様にガッチリと力強く俊敏そうである。
 その二人が激しい殴り合いをしている。
 それは、ただでさえ長身の大男の二人が、更に大きく見える。
 レスターもデルムットも、最初その二人の激しい殴り合いを見て、一瞬、伝説の巨人族(タイタン)の激突かと思ったほど、二人が大きく見えたのだ。
 スカサハの動きは流れるように動き、力強い打撃を次々とファバルに当てる。
 ファバルは、豪快で迫力のある動作で一撃をスカサハに当てていく。
 普通の人間なら、彼等の一撃で死ぬ程の破壊力を秘めた拳や蹴りを彼等は互いに何度も受けながらも、びくともしなかった。
 ファバルの拳を受け止め、流れる様に彼の背中に身体を回転させ、肘を彼の後頭部に叩きつける。
 だが、ファバルは倒れず、逆にスカサハの身体を掴み、豪快に投げ飛ばした。
 背中から地面に叩きつけられたが、寸前で背中を丸め、受身を取り、身体を回転させ立ち上がり、腰を落とすと同時に一気に間合いを詰め、踏み込み、再び肘をファバルの脇に叩き込む。
 だが、ファバルはそれを受け止め、後方に飛ぶ。
 二人は、同時に間合いを縮め、一気に殴り合いを始めた。
 二人はお互いの顔を、鳩尾を、胸に拳を叩き込み、口や鼻から血を出しながらも、殴り合いを続ける。
 もはや二人の戦いは、男の意地と気迫の激突である。

 その中、ファバルが大型犬程の大きさの岩を持ち上げ、スカサハの頭上に叩きつける。
 スカサハはどれを両腕でブロックし、受け止める。
 岩はスカサハの腕にあたり崩れて落ちる。
 今度はスカサハが、倒木の中から彼の背丈の二倍はあるものを拾い上げ、彼の頭上に振り下ろした。
 ファバルは、それを両腕で防御する。
 大木はファバルの腕を直撃したと同時に、軋み、折れ、粉砕した。
 二人は、大きく息を乱しながら再び睨み合う。 
 今度は互いの両肩を掴み合い、力比べとなる。
 二人は腰に力を入れ、相手を押そうと必死になるが、両者の足が徐々に地面にめり込んでいくだけで、全く微動すらしない。
 二人は大粒の汗を流しながら歯を食いしばり、全身全霊の力で押し合う。
「……レスター。これは果し合いと言うよりは」
「デルムット。君もそう思うか。怪物同士だけど、やっている事は子供の喧嘩だ」
 デルムットとレスターが言葉を交わしたあと、セリス皇子の本隊とアレスがやってきた。
 二人の激しい戦いを物語る倒木や数々の破壊が目立つ。
 アレスはそれを見て、絶世の美貌の表情を唖然とさせる。
「……本当にこの二人がここまで破壊したのか?」
 その二人が殴り合いに変わった。
 二人は避けるのが面倒になったのか、足場を決めて、どっしりと腰を落として、ノーガードで殴り合いを始めた。
 お互いの強力な破壊力を秘めた拳が、顔を、腹を、胸を殴りつける。
 二人はとうとう、お互いに避けずに一発づつ殴りあう勝負に変わっていた。
 二人の激しい応戦が、周囲を囲む解放軍が見守っている。
「スカサハ!もう良い。 僕はファバルに話がある」
 セリスがそう言うと、スカサハはおそらく生まれて初めてセリスを睨み。
「こいつは俺がブチ殺す! 用があるなら俺が殺してからにしろ!」
 その瞬間、ファバルの拳がスカサハの頬を捉え、スカサハの腰が浮かび、ひっくり返った。
 その光景に解放軍は驚きの声をあげる。スカサハが負けたのか?
 すると、ファバルは全身で大きく息をしながら、
「テメェがセリスか! …ちょっと、待っていろ。こいつを殺してからお前の首を貰う!」
 その瞬間スカサハが立ち上がり、全体重を乗せた拳がファバルの鳩尾を捉えた。
 ファバルの逞しい肉体が釘の様に曲がり、口から血反吐を吐き、膝から倒れていく。
 ファバルが地面に倒れた。
「そいつは出来ねえ相談だ。俺を殺すのは不可能だ!」
 すると、ファバルは寝転がったまま、蹴りを出し、彼の股間を捕らえた。
 肺の空気が全て吐き出され、股間に男にしか分からぬ激痛が走り、スカサハは膝を折って、俯いて倒れる。
「ああ、不可能だった。だが、俺と会った以上、過去形になるんだ!」
 スカサハの髪を掴み、首を持ち上げ、その首筋にトドメの手刀を叩き込もうとしたが、今度は自分の股間に激痛が走った。
 スカサハが、お返しとばかりに蹴りを股間に入れたのだ。
 普通の男なら、二人の蹴りで、男は『廃業』となるが、全身男性ホルモンを漲らせる二人には、『痛い』だけである。
 だが、やはり男である以上、痛みは想像を絶するほどであり、何とか立ち上がり、ジャンプしながら、 【下品なので自主規制】 を落とし、痛みを押える。
 二人は大粒の冷汗をかきながら、相手を涙目で睨み、鋭い殺気を向ける。
「テメェ、マジで殺す!」
「俺は殺したくらいじゃ、死なねぇぜ!」
 スカサハの殺意剥き出しの絶叫に対し、ファバルの殺意剥き出しの怒りが交差する。
 二人の殺意だけで、人を殺せる程の迫力と闘気が周囲を支配した。

 ……が、その二人の間に突然、二つの影が入った。
 一人はスカサハの前に、もう一人はファバルの前に立ち、同時に二人は目の前の化物を殴ったのだ!

 

 信じられない事に、スカサハは殴られた頬を押え、目の前に現れた双子の妹、ラクチェに何をするのだと反論しようとしたが、
「この馬鹿! セリス様の話を聞きなさいよ! それでもあんた、セリス様親衛隊隊長なの、この野蛮人!」
 ラクチェの怒気に、今まで恐ろしい程の闘争本能を放っていたスカサハの闘争心は一気に萎えていき、呆然とする。
 また、ファバルの前に立ったパティも、ファバルの頬に平手撃ちをかました。
 こんなか細いパティのビンタでありながら、ファバルはよろけて、腰を地面に落としてしまった。
「……っ痛。何しやがるパティ。……て、何でお前が此処にいる?」
「このオ馬鹿! なにやってんのよ、帝国に力を貸して!」
「金に決まってるだろう。俺達と同じ孤児達の生活費を……」
「そんな金あっても、帝国が存在している限り一緒でしょう! ちょっとは考えなさいよ、この脳味噌ヘルニア男!」
 周囲の解放軍は唖然としている。
 この局地的環境破壊を行なった、想像を絶する怪物二人の戦いが、なんと二人の妹の手によって強引に終ってしまった事に。

 

 ラナから傷の手当てを受けスカサハは物足りなさそうにファバルを見ている。
 ファバルも、従姉妹にあたるラナの治療を受け、面倒臭そうにスカサハを見ている。
 そのファバルにセリスが、
「『聖弓イチイバル』の正統血統者の聖戦士にして、ユングヴィ公国の正統血統者、ファバル・ユングヴィよ。解放軍に力を貸してくれるのだね」
「ああ、妹に逆らうと、後々面倒臭ぇ」
「素直に頭下げて、謝りなさいよ!」
 パティが兄の後頭部を抑え、強引に頭を下げさせる。
「…お前、性格変わってねえか?」
 これが、レスターとラナ兄妹の従兄弟か。
 誰もがそう思ったであろう。
 レスターとラナは、品のある貴族的な兄妹だ。
 だが、ファバルとパティは、どう見ても下町のヤンチャな兄妹にしか見えないのだ。
 その妹に虐められているファバルを見て、スカサハはこれ見よがしに、哄笑した。
 それにムッとしたファバルだが、次の光景には息を呑んだ。
 スカサハが後方からラクチェに叩かれたのだ。
「あんたも謝りなさい! 話し合いもせず、いきなり喧嘩だなんて野蛮人が」
 殺意剥き出しの果し合いを、喧嘩と言われてスカサハがムッとするが、再びラクチェに殴られて頭を押えて痛みを堪えている。
 スカサハが痛みを堪えながら、ゆっくりと顔をあげると、ファバルと目があった。
 二人は、お互いを睨み合いながらしばらく見つめ合う。
 だが、これほど自分が全身全霊の力を込めて戦えたと言う戦士としての魂は満たされた事に気付いた。
 そして、お互い妹に弱いと言う事にも気付いた。
 ……すると、二人の顔は徐々に、そう徐々にだが、口元が緩み出した。
 そして目尻も下がり、二人は笑いをかみ殺し合う。
 だが、その笑いも遂に耐え切れず、二人はとうとう腹の底から笑い出した。
 暫く、座ったまま相手に向き合い、全身を震わせて、足をばたつかせ、両手を地面に叩いて笑い出したのだ。
 すると、周囲の解放軍も、心底笑い合う二人を見て、何時しかその笑いが伝染してしまい、苦笑し、笑いをかみ殺している。
 二人は、腰を地面に落としたまま引きずり、お互い向き合ったまま接近した。
 目から涙を浮かべながら笑い、ファバルが右手を彼の目の前に持っていき、握手を求めた。
「ファバルだ」
 すると、スカサハは握手に応じた。
 腕相撲の様な格好での握手だ。
「スカサハだ、解放軍で何かあったら相談になるぜ」
「ああ、喧嘩相手が欲しくなったらテメェに頼むぜ」
 二人は握手を外し、腕を交差(クロス)させ、ただ、ただ腹の底から笑いあった。

 

 …後に二人は生涯を通しての莫逆の友となる。

 

X (クロス)  【 The End 】