R計画第11弾  「じ」
作成者:小田原 峻祐


ジギタリス


「……任務、了解」

 敬礼を返し、振り返ることなく長官室を出る。

 そのまま自室へ戻ろうとする慶を、慶の後を追うようにして長官室から出て来た経之が捕まえた。

「いいのか? 帰って来れないかも知れないんだぞ」

「俺は戦う為に此処に呼ばれた」

「それはわかってる。俺もそうだからな。だが、今度の任務はお前が行くべきじゃない」

「任務を与えられたのは俺だ。俺が行くのが当然だろう」

「なら、彼女も当然連れて行くんだろうな」

 まるでその問いかけに対する慶の回答を知っているかのように、経之が慶を睨み付ける。

「……連れていく筈がないだろう。彼女は、お前の部下だぞ」

「彼女を置いて行くつもりか。それでもお前、男かッ」

「任務だ。私情を挟む必要はない」

「彼女はどうなる? 一途にお前を想う、彼女の気持ちはどうなるんだよッ」

「……」

「黙ってちゃわからねぇッ」

 慶を壁に強く押し付け、上から慶を睨み付ける。

 経之の行動に、慶は真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。

「何とか言え」

「なら、お前が俺の立場ならどうする? 他の部隊の自分の女を、己の感情だけで連れていくのか?」

 慶の言葉は、経之の口を封じた。

 思わず顔をしかめた経之の腕を払い除け、慶が経之の横をすり抜ける。

「……出来ないことなら、他人に押し付けるな」

「慶……それで納得出来るのか? 俺の部隊に与えられた任務だって、生きて帰れる保証はない」

「それくらい、わかっている。俺かお前、どちらかの部隊は確実に死ぬだろうな」

「それをわかってて……お前が生き残れば、彼女は死ぬ確率が高くなる」

「任務遂行に、私情など関係ない」

「後悔するぞ」

「後悔など、此処に来た時に捨てている」

「慶……」

 それ以上、経之は慶の背中を見ることはできなかった。

 その背中から滲み出る空気のせいではなく、彼自身が自分自身に自信を持てなかったから。

 視線を上げて、共に戦ってきた古くからの親友の背中を見る自信が、経之にはなかったから。

 

 

 


 二人が戦場の最前線に送られたのは、戦線の維持が難しくなり始めてから。

 内地の軍学校で優秀な成績を修めたわけでもない彼らが選ばれたのには、たった一つの理由があった。

 

『卓抜した戦闘能力』

 

 元々、彼らはその戦闘能力を買われて、軍にスカウトされた。

 古来から続く武術を身に付け、重火器をものともしない突撃能力を持ち、殺傷能力の高い体術を持つ。

 それが、強大な敵と戦うこの戦場に彼らを呼び寄せた理由だった。

 

 

「……若津君、何をしているの?」

 驚きが含まれた若い女性の声に、経之はようやく顔を上げた。

「司令……」

「貴方にも出撃命令は下った筈よ。こんな所で油を売っている場合じゃないでしょう」

「すいません」

「すいませんじゃないわ。今度の戦いが最後なのよ。この戦場だけのことじゃない。この戦争自体の……」

 上官である彼女の言葉を手で遮り、経之は口許を歪ませた。

「負ければ全滅。勝てば勝機が見えて来る。わかってますよ」

「わかってるなら……何かあったの?」

 いつもと違い、自虐的な笑みを浮かべている経之に疑問をもったのか、女性士官は経之に尋ねた。

「俺がバカだったんですよ。慶に、戸田隊長に女を、ね」

「……丹沢隊員のことね」

「そう。あいつに、押し付けそうになってしまいました。隊長失格ですかね、俺」

 そう言って乾いた笑い声を出した経之に、女性士官は経之の肩に手を置いた。

「しっかりしなさい。貴方達は最後の頼みの網なのよ」

「……だったら、何でここで特攻なんですか? 少なくとも、今回の作戦には納得できませんよ」

「それは……」

 言葉を続けなかった女性士官の手を、経之はそっとかわした。

「本部からの命令でしょう。内地の方も、大分酷くなってる筈ですからね。ここの戦線の維持すら、奇跡だ」

「そうね。貴方たちには本当に感謝してるわ」

「俺もそう思いますよ。補給すらままならないこの戦場で、よくも生き抜いてこれたもんだと」

「限界かも知れない。だからこそ、今しかないのよ」

「泉司令、本気で言ってるんですか?」

 真剣な経之の視線を真っ向から見ることはできずに、泉は答を返す。

「わかってよ。私だって、無茶な命令だって思ってるわ」

「捨て駒ですよ、俺達は。でもね、俺達だって恋もすりゃ、義理に縛られもする人間なんですよ」

「何も、そんな風に言わなくてもいいでしょうっ」

 泉が経之を睨む。

「睨まなきゃ、俺の眼も見られない司令に、何が言えると言うんですか」

「……悪かったわね」

「謝らなくても結構ですよ。司令に、そこまでは期待していません」

 そう言い捨てて背中を向けた経之を、泉が声だけで振り向かせる。

「私だって、恋もするわ」

「義理に縛られるべき立場ですよ、司令は」

「私だって、司令である以前に人間よ。感情が揺れ動かない時なんてないわ」

「それでも貴方は命を下した」

「そうね」

「総司令の手前と言うこともあるでしょう。でもね、俺達にとっちゃ、貴方が最後の希望なんだ」

「若津君……」

「貴方が俺達戦闘部隊の隊員を庇ってくれないで、誰が俺達を理不尽から守ってくれるんですか」

「ごめんなさい」

 肩を落とした泉をそれ以上責めることなく、経之は踵を返した。

 口を開こうとした泉が口を開くより早く、経之の姿は消えていた。

 

 

 


 自らの部隊を全員集めて、経之は作戦内容を伝えた。

 それに反論の言葉一つ出さずに頷いて見せる隊員を見ながら、経之は唇を噛んでいた。

「隊長、やりましょう」

「やるしかないだろ。どのみち、そう長くはもたないんだから」

「そうですよ。これで多くの人が助かるなら、それで充分じゃないですか」

 作戦内容を伝えてからずっと唇を噛んでいた経之に、隊員からそんな言葉がかけられた。

 経之が親友の部隊へ送り出そうとしていた丹沢でさえ、経之を一言も責めはしない。

「……すまん」

 ようやく唇を解放した経之から漏れたのは、その一言だけだった。

 自分達の隊長の悔しさを感じながら、隊員は経之の肩を叩いた。

「何を落ち込んでるんですか。生きて帰ってこればいいだけのことですよ」

「頑張りましょう」

「今までも生き抜いてきたじゃないですか。それに、私、まだ死ねませんよ」

「丹沢」

 経之は慶の部隊に下された命令を伝えてはいない。

 当然、丹沢が無茶な作戦は経之の部隊だけだと思っているであろうことが、経之を苦しめる。

「すまない、みんな」

 経之の頭の中を、後悔だけが駆け巡る。

 隊長職を辞任しなかった自分。司令にしか文句を言えなかった自分。

 今までに闘ってきたことに対する懺悔。

 その全てが、経之を苦しめた。

 

 

「……はい、了解しました」

「どうした、丹沢」

「実行部隊、全部隊集合だそうです。作戦司令室ではなく、砦の外に」

 控え室にある通信機でその指令を受け取った丹沢が、部隊全員にその指令を伝えた。

「誰からの指令だろう」

「泉司令からです」

「泉司令か。隊長、どうしますか?」

 唇を噛み締めてはいないものの、それでも暗い表情の経之に、部隊の副長格が気をきかせる。

 その思いやりにかすかな笑顔を見せて、経之が隊長として指示を出す。

「すぐに行こう。総員、指示に従え」

「はい」

 先に走り出した隊員の背中を見て走りながら、経之は意を決していた。

 

 

 


「……全員、集合したようね」

 砦の外で、泉は砦の門を前にして立っていた。

 その目前に、たった二部隊だけの実行部隊が整列している。

「戸田隊、若津隊、欠員なく集合致しました」

「ご苦労様。作戦決行時間まで、残された時間はあと少しです。急な話で悪いわね」

「いいえ」

 無表情とも思える真剣な表情で言葉を交わす戸田に、隣にいる経之は苛立ちを感じずにはいられない。

 いつもならば何も感じない報告の為の言葉にすら、戸田の感情のなさが気になって仕方ない。

「時間がないから端的に言うわ。今回の作戦、部隊を再編成して行います」

 泉の言葉に、すぐさま戸田が反論を口に出す。

「駄策です。連係等の練習なしに、作戦実行は考えられません。再考を提言致します」

「これは私の独断で決めたことです。異議は聞き入れません」

 慶がすぐさま経之を睨み付けるが、経之も泉の真意を知るわけではない。

 隊長同士が視線が交わしている間に、泉は話を続けた。

「今回の作戦が無謀なことは承知しているわね。少しでも確率を上げる為に、隊比率を一対二にします」

「んなっ」

「本隊を戸田隊長、貴方が率いなさい。作戦内容は変わりません」

「了解」

「分隊は私が直接指揮を執ります。若津君、いいわね?」

「了解……まさか、二人ってわけじゃないですよね」

「話、聞いてた?」

 睨まれた経之が黙ってしまったのをいいことに、泉がさっさと隊員を選り分ける。

「増田隊員、山野隊員は私と一緒に来て頂戴。残りは戸田君、任せたわよ」

「了解」

 慶と経之の隊から一人ずつを引き抜き、泉は作戦時間までのミーティングを命じた。

 

 

 一足早く控え室に向かった増田と山野に置いていかれた経之は、泉が傍にいることに気がついた。

「……礼は言いませんよ」

「もちろん。これは、今まで不誠実にしてた貴方達へのお詫びよ」

「司令」

 経之の呼びかけに応えた泉の表情は、経之の予想に反して厳しいものだった。

「勘違いはしないで。この方がより確率が上がると思っただけよ」

「司令、感謝します」

「別に、貴方に感謝される覚えはないわ」

「それでも、です。これで心置きなく死ねますよ」

「若津君……いいえ、経之」

 泉の表情が厳しさから、寂しさへと変わる。

「ごめんなさい」

「……謝る必要はないです」

「でも、結果的には貴方を死地に追いやることになってしまったわ」

 経之は頭を掻いて、視線を明後日の方向へ飛ばした。

「卑怯ですよ、司令。そんな顔されちゃ、何も言えないじゃないですか」

「経之」

 歩き去ろうとした経之の腕を、泉がつかんで離さない。

 仕方なく泉に視線を合わせた経之を、泉がしっかりと見つめる。

「経之、恨んでるでしょう」

「恨んじゃいませんよ」

「じゃあ、なんで敬語のままなの? 本当の貴方は、そんな言葉は話さない」

「……貴方のきまぐれを信じろとでも」

「信じて」

 経之の脳裏に、泉の柔らかな唇の感触が甦る。

 慌ててそのシーンを頭の奥へと押しやって、経之が苦笑する。

「大丈夫ですよ。俺もまだ、死ぬつもりはないですから」

「そうじゃないの! ……お願い、経之」

 経之のそう広くはない胸に額を押し付け、泉が服の胸の部分をつかんだ。

 服が湿りだしたのが、経之にもわかった。

「司令」

「お願い、経之」

「一時の感情ですよ」

「本気よ」

「嘘だ」

「嘘じゃない」

「暴走だ」

「経之ッ」

 痺れを切らした泉が、その腕を経之の首に掛けた。

 ちょうど二人の身長差だと、踵を上げた泉の唇が、下を向いた経之の唇に重なる。

「ちょっと……」

「お願い。あと、三分だけ」

 作戦時間まであと三分。

「司令、三分だけですよ」

「ありがとう……経之って呼んでも怒らないのね」

「今は、ね」

「それじゃ、このまま抱いてて」

「はいはい」

 ゆっくりと背中に手を回しながら、経之は視線を上げた。

 泉が体を深く預けて来るのをしっかりと踏ん張りつつも、前面の力を抜いて受け止める。

「……時間が遅くなればいいのに」

 泉の言葉に答えることなく、経之は荒野となりかけている砦の外に咲く一輪の花を見ていた。

 

『ジギタリス』

 

 不誠実と熱愛を現す花。

「……まるで、この人みたいだな」

 小さく呟いて、花を抱く腕に静かに力を加える。

 わずかに埋まる指先に彼女の温もりを感じながら、経之は静かに瞳を閉じた。

 

 残りの時間、腕の中の花を裏切らない為に。

 

<了>