R計画第9弾 「さ」
作成者:Bryan 様
サウダージ
藤枝慎一郎は、一〇年ぶりに大阪に戻ってきた。
久しぶりの大阪は、少年に郷愁心を駆り立てた。
真夏の獰猛な太陽の陽射しが容赦なくコンクリートジャングルを熱し、アスファルトを少し溶かしている。
だが、慎一郎は優しい表情に優しい笑顔が浮かんでいる。
二四歳の慎一郎にとって、大阪での思い出は辛い事が多かったが、大阪から神奈川へ引越しする一年前は、彼にとっての最高の思い出がある。
化学に興味を示し、高校大学と優秀な成績を収め、薬剤師の免許を修得し、現在は製薬会社の開発部の人間として働いている。
そんな彼にとっての青春と最高の思い出は、中学校二年の夏にあった。
慎一郎は、和歌山行きの切符を買い、その特急電車に乗り、指定席に座り、鞄から手紙を取り出す。
その手紙は、一ヶ月前に来た手紙で、懐かしい友人からの手紙であった。
『 慎一郎へ
約束通りに勇也と三人で会おうや。
あの時と同じく、あの龍神村の日高川で。
懐かしい話は、その時にしようや。
秋山礼司 』
秋山礼司。
忘れもしない。僕の初めての友人。
虐められっ子だった僕の友達とは思えない程の気性の激しい、札付きの悪だった少年。
勇也とは、長谷川勇也。陽気で明るい大らかな少年だったが、決して人に心を許さなかった少年。……僕と礼司を除いては。
……だが、僕達は友達だった。
虐められっ子、不良少年、道化師を気取った少年。
だが、あの夏、あの川での事は決して忘れない。
その約束も、僕は忘れていなかった。
何故なら、僕は礼司と勇也の友達だからだ。
※
雑木林の中を三人が進む。
檜林の中、空はブナの木々の枝に覆われ、真夏の太陽の容赦ない光が、木々に遮られながらも、優しい緑光浴を三人に浴びせる。
その三人の目の前に、雑木林が途切れ眩しい輝きが三人の瞳を刺激する。
その前に、川のせせらぎと、小鳥や虫達の鳴声が聞こえてくる。
「ここや」
三白眼の、鋭い眼光の少年が叫んだ。
残る二人の少年も着いていき、雑木林を抜ける。
そこは、清流が流れる川辺であり、砂地と石が転がる場所であった。
「わあ」「おぉ」
大きな瞳と小柄な少年が先に驚き、タレ目で真剣味に欠ける少年が、語尾に口笛を付けて驚く。
川の対岸は、緑の森林に覆われ、その奥から鳥や虫達の鳴声が聞こえてくる。
目の前の川は、一番深い川底まではっきりと見えるほどの清流で、無数の小魚や、少数の大きな魚が泳いでいるのが見えている。
川幅も一〇mほどあり、眩しい太陽の光を、心地良く反射させ、岩やせせらぎを流れる音ですら、この残酷なまでに直接焼き尽くす程の夏の陽射しを、和らげてくれる程の清涼感を与えてくれる。
「どうや、この川には鮎の他にも、ウグイやカワムツ、ドンコ、コイ等がおるでぇ」
礼司が、鋭い三白眼を少し和らげて言う。
「夜になると、ウナギやナマズも出てくるわ」
そこまで言うと、勇也がジーンズとTシャツを脱ぎ、海水パンツだけになる。
「それより、早よ泳ごうや!」
そう言いながら、小石の多い川原を、何事もなく疾走し、川に飛び込んだ。
礼司より背が低いが肩幅は礼司よりあり、一四歳とは思えぬ逞しさを感じさせる勇也である。
幼い頃から、空手をしているのもあり、また天性の運動神経も手伝っているのかも知れない。
それを見ながら、礼司も口元を緩め、慎一郎に、
「まあ、釣りは後にしょうや。先に泳ごうか!」
そう言って、彼も海水パンツだけになり、川に走っていく。喧嘩馴れした少年の、細いが針金の様に引き締まった筋肉を動かし、一気に近くの岩に登り、川に飛び込む。
それを見て、小柄で、おとなしい顔をした優しい表情の少年、慎一郎も服を脱ぎ、細身の必要程度の細い筋肉だけの身体を晒し、学校用のスクール水着姿になり、川に入っていく。
慎一郎は、気は弱いが意外とスポーツが得意で、水泳とトラック競技は、クラスでも五本指に入る程だ。
そして礼司も勇也も、元々身体を動かすのが好きな少年である。
三人は、川を自由自在に泳ぎ、潜り、川の中の魚を観察したりしている。
三人は、夕暮れまで泳ぎ、夕方からは釣りをしてウグイや小魚を釣り、ドウと呼ばれる竹網式の魚捕獲器を川底に沈め、礼司の伯父の家に戻る事にした。
礼司の伯父、秋山昭介は、礼司にとって、両親以上の存在であった。
学校でも札付きの悪であり、先生をも平気で殴る暴力家の礼司は、両親からも殆ど見捨てられた状態であったが、この伯父夫婦だけは、礼司を可愛がっている。
子供もいないのもあるだろうが、
「礼司。お前は筋の通った喧嘩だし、弱いもの虐めもしないから儂も何も言わん。それに、若い頃だけ無茶が出来るんだ。それが後に将来の役に立つ」
そう言ってくれ、お小遣いをくれたり、この和歌山の龍神村まで遊びに来る事を進めてくれる。
だから、今年の夏休みに、慎一郎と勇也の二人を連れてきた。
伯父夫婦は、心から礼司の友人達を歓迎し、大阪の方では珍しい牡丹鍋を用意してくれている。
いつもなら一人で遊びに来て、養鶏場の手伝いをしてくれる礼司だが、友達と来たのだから、好きなだけ遊べと伯父夫婦に言われ、遠慮なく遊んでいる。
三人は、牡丹鍋を美味しそうに食べ、伯父達と楽しいひと時を過ごし、三人は同じ部屋に寝た。
外から虫達の優しい鳴声が聞こえる中、昼間の遊びに疲れた三人はそれぞれの布団に潜り込み、険しい三白眼の目に相応しい、棘のある口調の礼司が、
「……慎一っちゃんよ。何時までこっちに、おられるん?」
「明後日の朝まで。……姉さんが迎えにきてくれるんだけど」
二人の会話に、勇也も口を挟む。
「折角、友達になったのに、転校とはな」
「……ごめん。僕の父さんの仕事の都合で」
「まあ、しゃあないわな、なあ礼司」
「ああ、……そうやな」
頷いているものの、声に悲しみが伝わっている。
虐められっ子だった慎一郎。学校一の不良と呼ばれ、皆から煙たがられている礼司。そして、道化師を気取りながらも、決してこの二人以外に心を許さない勇也。
考えてみれば、不思議な三人組である。三人に共通点は何もないが、趣味が釣りというのが合い、何時も三人で、海や川に魚を釣りに行っていた仲間である。
「まあ、明日も遊びまくろうや。悔いのない夏休みにしょうや」
勇也も慎一郎も、黙って頷いた。
「俺よ、……小学校二年生まで虐められっ子だったんだ」
突然、礼司が語りだし、意外な台詞に二人は驚く。
「泣いてばかりいたけどよ、我慢の限界に達し、何時も俺を虐めていた奴に、椅子でドツキまわしたら、泣いて許しを乞うたんや。そしたら、先公が『なんでそんな事するの?友達と仲良くしなくちゃ駄目でしょ』っちゅうんや。…今まで俺が虐められていた時は、目ぇ瞑ってた癖にな」
二人は黙って聞いている。
「何時も俺が虐められていたのに、シカトして、気の弱かった俺がやったら、突然俺が悪者にされてもうてな。思わずその女の先公も、椅子でシバキまわして、そっから俺の不良のレッテルが張られてもうたんや」
「……派手なデビューやな」
勇也が、タレ目を余計に垂れさせて笑うと、礼司も鼻で笑いだす。
「まあ、虐められっ子やったから、お前は弱い奴を虐めたりせぇへんやな」
「そうかもな。まあ、そんな事もあって、先公や弱い者虐めしか、ようせん奴が嫌いやねん。だから、慎一ちゃんの気持ちがよう分かったんや」
「礼司……」
「でも、慎一ちゃんは、俺の学校での最初の友達や。釣り仲間やしな」
「うん、わかっている」
「でも、へタレのアホ共は、慎一ちゃんが、礼司と仲良くなって、イキッてるっちゅうてるけどな」
「フン、俺に文句も言われん奴なんか、ほっとけ。うるさいようやったら、俺がドツク!」
勇也は笑う。まあ、確かに慎一郎を虐めていた奴は、彼の気の弱さや反抗しないのを知っていて虐めていた気の弱い奴等だ。その証拠に俺や礼司には、文句も言えずにいる。
だが、はっきり言える。あいつ等に、礼司や慎一郎の様な友情はないと。
奴等は、慎一郎は礼司の子分だと思っている事自体そうだ。そう思うのは、彼等自身が、そう言う親分子分の仲だからだ。この二人にそんなものはなく、お互いを必要とする対等の立場の友人なのだ。
(羨ましかった……)
勇也はそう思う。
道化師を気取り、『堺市の明石屋さんま』の異名を持つ、喋りで陽気な勇也だが、友達は居ても、親友はいなかった。
いや、むしろ勇也自身が、誰にも自分の一線に踏み込ませなかった事と、煩わしい関係など気付きたくなかったのだ。
いくら口で友人と言っても、所詮はたった一日で仲悪くなる事がある。それを経験した勇也にとって、友情とは、煩わしいものであった。
小学校の時に、些細な事で友達と喧嘩し、その友達がクラスの全員に、「勇也を無視せぇ」と命令し、クラスの男全員がそれに従った。
中には、その少年が怖くて従ったものもいた。
勇也は、最初は無視した。空手を習っている自分が、人を殴る事は許されなかった。だが、相手がだんだん陰険になってくると、遂に勇也はその少年の両腕を叩き折り、殴り飛ばした。
…先生には怒られ、PTAでも問題になったが、それは勇也にはどうでも良かった。
友達は戻ってきたが、簡単に他人の言う事を聞き、人を嫌々でも無視し続けた友達等は欲しくもなく、彼は道化師を気取る生活は続けたが、誰にも心を開かなくなってしまった。……去年の夏までは。
中学校生活が始まって最初の夏休みを終えた頃、慎一郎と礼司が、自転車で釣竿持って海に行くのを見かけた時、二人の笑顔を見て驚いた。
学校一の不良生徒と、学年一の気弱な少年の組み合わせにも驚いたのだが、その二人の顔が、本当に楽しそうなのに気付いたのだ。
大勢の友達を持つ他のクラスの人間より、お互いだけが友達の二人の顔の方が、生き生きしている。
何故なのだろう?
そう思いながらも二人に接近し、自分も釣りをするので、いろいろ話をしている内に、勇也は心の中のわだかまりを、一気に吐き捨てれたような気がした。
何時しか勇也も、礼司と慎一郎の親友となり、何時も三人で行動するようになった。
※
次の日の早朝。
慎一郎は、三人分の釣り竿を手にし、勇也は、鋸と縄を手にする。礼司も、薪を手にして、礼司の伯父の家から山に入り、山道の歩き、途中からの雑木林の中へと行く獣道へ足を運び、そこから昨日の川へと出る。
慎一郎は、明日、東京へと引越しするので、今日が三人で遊べる最後の日だ。
まずは、昨日仕掛けた三つのドウを引き上げ、中にはナマズが二匹。ウナギが三匹掛かっているのに喜び、魚篭にいれる。
その後、三人は近くの川原に流れ着いている大きな流木に集まり、頷いた。
「イカダを作ろう!」
三人の意思であった。勇也が大きな流木を大雑把に切り、それを礼司が纏め、慎一郎が縄で縛り、筏に組み立てていく。大まかな仕事は勇也と礼司が行い、細かい作業は慎一郎が続ける。
「イカダで下ろうや。川をずっと!」
礼司である。
「どこまで下るの?」
慎一郎の問いに、勇也が、
「下れる処までや。とにかく下ろうや」
イカダの大きさは、三人が何とか乗れるほどの大きさに決まり、慎一郎がイカダを縄で固定しながら、棘などを鑢で削っていく。
「川下りしながら釣りでもしようや。アマゴもぎょうさんいるしな」
礼司が鋭い三白眼を、めずらしく棘のない優しい眼差しで言う。
学校一の暴れん坊。先生でも平気で殴り、親からも見離され、将来は、暴力団になるしかないと言われている男の目ではなかった。
相変わらず勇也も、出来上がるまで喋りまくり、近くの竹林から、竹を一本切り、竹筒を利用して、コップを三つ作り、それに川の水を汲み飲む。竹に含まれる成分には、食中毒を防ぐ成分と、殺菌作用があり、清流の水をさらに飲みやすくする。
他の二人も手を止め、三人で川原に肩を並べて座り、川の水を竹筒のコップで飲み始める。
イカダはもう少しで完成しつつある。
その中で、慎一郎が嗚咽し、泣き始める。勇也も礼司も慎一郎の方を見る。
「ご、ゴメン。……でも、明日の朝で二人と別れなくちゃならないかと思うと……」
すると、礼司が笑いながら、
「だから、悔いなく遊んでんやないか。自力でイカダ作って、川下るなんて、普通の奴はせぇへんど」
「そうやそうや、礼司の言う通りや。それにたがが神奈川や、言う程遠ぅない」
慎一郎は涙を拭きながらも、止まらぬ涙を拭いきれずに、
「でも、僕は弱虫で、何時も礼司に守ってもらったみたいで…」
すると礼司がいきなり大声で、
「守ってもらったのは俺やないか!」
意外な一言に慎一郎は驚き、勇也も驚く。
「俺見たいな、イチビリが何で暴れん様になったと思うねん!……皆は俺の事、不良やとか、ヤクザやとか言うけど、俺はここ一年、自ら喧嘩売った事はない筈やど!」
確かにそうである。売られた喧嘩は、法外な値段で買い取っているが、自ら喧嘩を売っていないのだ。
「慎一ちゃんが、友達になってくれたからやないか!…俺みたいなどうしようもないチンピラに……」
何時しか泣いているのが二人になった。
仕方ない奴等だ。勇也はそう思った。
泣きながらもお互いの肩を抱き合う二人を見て苦笑するが、視力両目とも2,0の自分の目が、うまく物を見れなくなっているのに気付いた。
どうしてなのかと、勇也は思い目の辺りを指で擦ると、指先が濡れている。
何時の間にか泣いているのが三人に増えていた……。
イカダが完成した。
三人でギリギリ乗れるほどの大きさだが、勇也と礼司がイカダを川沿いのワンド(川の流れから横にそれたくぼみの水溜り)に浮かべる。バランスよく浮いている。
三人はそれぞれ釣り竿を持ち、体重の軽い、慎一郎が乗り、次に軽い礼司が、そして最後に勇也が恐る恐る乗った。
だが、イカダは三人を乗せても、しっかりと浮いている。
三人は、それぞれの個性的な笑みを浮かべ、それぞれの竹棒で水底を突付き、イカダを動かせる。
イカダはワンドから離れ、流れのある川に出る。
ゆっくりと揺れながらも、イカダは川の流れに乗り、激しい真夏の太陽の陽射しと、その陽射しを反射させる水面の上を進み出した。三人はそれぞれの歓喜の笑みを浮かべる。
「ヨッシャアアァ!進め!!」
勇也の掛け声に乗り、イカダは流れに従い、三人を乗せて森の木々を渡る風の音や、小鳥達やセミの声を聞きながらゆるやかな川を下っていく。
イカダの上には、オニヤンマやカワトンボ。オオムラサキやオナガシジミ、ハグロトンボ等が飛び交っている。
三人は驚嘆する。こんなにきれいな場所だったんだと。
川を除けば、アユ、ウグイ、ハヤ、ドンコなどが泳いでいる。
川原にも、人間の手の入ったコンクリートの舗装や、ブロックはなく、川底には菓子袋や空き缶などもない。
人間の手の入っていない川がこんなに驚嘆すべき程美しいなんて……。
三人は顔を、一点の曇りのない純粋で明るい笑顔を浮かべている。まさしく、この清流の流れの様に、少しの汚れもない笑顔である。
三人は釣り竿を手にし、各自座り、釣りを始める。
「こんな経験、一回で終らせるなんてもったいないよ!僕は必ず戻って来る!だから、また三人で遊ぼうよ!」
「おぉ、エェ考えや!俺は賛成や。礼司は?」
「当然や!また三人で遊ぼうや!何時でも待ってるでぇ、慎一ちゃん!」
「うん、僕は必ず帰ってくる。必ず帰ってくるよ!」
※
…あれから、一〇年。
藤枝慎一郎は、和歌山県、龍神村のバス停で降り、道はコンクリートで舗装されたが、それ以外は、山と川に囲まれた相変わらずの村に、郷愁を覚えた。
(変わってないな)
あれから背も伸び、痩身で童顔は相変わらずだが、若者に成長した慎一郎は、足をミカン畑と養鶏所の間にある家へと向ける。大きな家ではあるが、10年前と変わっていない事に、慎一郎は嬉しかった。
家の前に立ち、その家の名札を見ると、「秋山」と書かれている。
慎一郎は、呼び鈴を押そうとした時、肩を誰かに叩かれた。
後ろを向くと、長身のガッチリした若者が、懐かしそうな顔で慎一郎を見ている。
その慎一郎を見る眼は、タレ目であった。
「……勇也!」
「よう、慎一ちゃん」
二人は向き合い、肩を抱き合う。相変わらず身長は勇也の方が高く、肩幅も広く、逞しい身体をしている。
「スマンなぁ。早く会いたかったんやけど、俺も礼司も高校時代に、暴走族やって、アホしまくったからな」
「いいよ、こうして会えたんだから。で、今は何をやっているの?」
「まあ、堺市の方で測量の仕事やってるよ。慎一ちゃんは、製薬会社で働いているんやたね」
「まあね」
「ふうん、さすが慎一ちゃんは頭良かったからな」
その時、二人の目の前の家の玄関が開いた。
二人は振り向くと、そこに勇也より少し長身の褐色の肌の若者が、鋭い三白眼の瞳を懐かしそうにして慎一郎を見ている。
「……礼司」
「やあ」
さり気ないやり取りだったが、二人はそれで満足だった。言葉に出せない懐かしい思い出と、今度会った時に言おうとした事など、瞬時に伝わった様な気がした。
「スマンかったな、慎一ちゃん。高校時代に暴走族で少年院に入れられて、音信不通にしてもうた」
「いや、別に良いよ。約束通りに会えたんだから」
慎一郎は心の底からそう言った。
「ああ、やっぱりお前がおったからこそ、俺は悪事に入るのを押えていたみたいや。…それがお前が転校したら、暴走族やってもうたわ」
「押えるのが俺やからなぁ。俺もついつい暴れて大変やったんや」
とんでもない話をしているが、二人は笑っている。それに対し、慎一郎も、
「僕もそうさ。……転校して最初の頃は、虐められっ子に逆戻りしたさ。でもね、僕は克服したよ」
すると、二人も笑い、
「ああ、俺達も克服したさ」
「そうそう、もう少年院入るの、嫌やもんな」
三人は笑う。あの頃の様に。
「結局、俺達は弱かったんや。弱いからこそ俺は世間に歯向かい」
「俺は人と距離を置き…」
「僕は、無抵抗で生きてきた」
礼司、勇也、慎一郎の順番で言い、お互いに頷きあった。
「どうだ、俺の育てた地鶏の肉と卵を味わってみるか?結構美味いぞ」
両親から勘当されたが、この伯父夫婦の養子となり、今では養鶏を任されている礼司であった。
「それより、あそこに行こうよ」
「そうやな、慎一ちゃんの言う通りや。イカダはまだ、あそこに置いているはずや」
勇也が言うと、礼司は、
「一〇年前やど、腐っとんちゃうか?」
「まあ、そう言わんと行こうや。せっかくやさかい」
仕方ないなと言う顔をしながらも、礼司は笑った。慎一郎も荷物を家に置き、軒下に置いてあった竹竿三本を手にして、三人はあの川へと向かう。
勇也は鼻歌まじりで、ポルノ・グラフティのサウダージを歌っている。
サウダージとは、「郷愁」とか、「懐かしい思い出」を意味する言葉である。
たしかに、あの川は、僕達の心の故郷であり、この一〇年間、あの川に帰りたいと言う郷愁心があった。
だが、その郷愁も、もう直ぐ満たされようとしている。
三人は竹竿を持ちながら、山道を進む。
「しゃあけど、この山道もっと、大きかったような気ぃするなぁ」
勇也が相変わらずのお喋りに、慎一郎は苦笑しながら、
「僕達が大きくなっただけだよ」
そう言いながら突き進むと、あの川へ向かう獣道を発見した。
「…この道は大きさ変わってないな」
三人の声が何時の間にか『少年』の様な高い声に変わっている。
檜林の中、空は部なの木々の枝に覆われ、真夏の太陽の容赦ない光が、木々に遮られながらも、優しい緑光浴を三人に浴びせる。
その三人の目の前に、雑木林が途切れ眩しい輝きが三人の瞳を刺激する。
その前に、川のせせらぎと、小鳥や虫達の鳴声が聞こえてくる。
「ここや」
三白眼の、鋭い眼光の『少年』が叫んだ。
残る二人の『少年』も着いていき、雑木林を抜ける。
そこは、清流が流れる川辺であり、砂地と石が転がる場所であった。
「わあ」「おぉ」
大きな瞳と小柄な『少年』が先に驚き、タレ目で真剣味に欠ける『少年』が、語尾に口笛を付けて驚く。
川の対岸は、緑の森林に覆われ、その奥から鳥や虫達の鳴声が聞こえてくる。
目の前の川は、一番深い川底まではっきりと見えるほどの清流で、無数の小魚や、少数の大きな魚が泳いでいるのが見えている。
川幅も一〇mほどあり、眩しい太陽の光を、心地良く反射させ、岩やせせらぎを流れる音ですら、この残酷なまでに直接焼き尽くす程の夏の陽射しを、和らげてくれる程の清涼感を与えてくれる。
三人の『少年』は、川辺に置いてあるイカダを見つけた。
「あった!一〇年前のままや!行くでぇ!」
勇也少年が、イカダを川に浮かべ乗り込む。
礼司少年も、慎一郎少年も続けてイカダに飛び乗った。
眩しい太陽の輝きが、少年達の小麦色の肌に突き刺さる。
イカダが今、川の流れに乗った。
日高川は、一〇年前と全く変わらず、美しい清流のままであり、上空には数種類のトンボと、数種類の蝶が、舞い踊るように飛んでいた。
( − 終 − )