遠まわり


 もうくる頃だ。きっとくる。
 そう思いながら、どれだけ待っているだろう。
 時計の針はくるくるとまわり続けている。

 明日のある社会人なら、きっとこんなことはできないだろう。
 学生の特権をフル活用して、私は待ち続けてる。

「……来た」

 ディスプレイの右端に、ログインを告げるサインがようやく現れた。
 何の変哲もないアラーム音が、まるで鐘の音のように聞こえる。

 待ち遠しかったことを悟らせないよう、わざと無視して作業を続ける。
 そう、これは遅かった貴方への罰。

『まだ起きてたの』

 貴方がくるまで絶対に寝るものですか。
 嬉しさをまぎらわせるために、画面の前を離れて、冷蔵庫からお茶を入れてくる。

 お茶を一口飲んでから、カタカタとキーボードを鳴らす。
 はやる心を抑えるように、ゆっくりと文章を確認してから送信キーを押した。

『まだ、大学のレポートが残ってたから』
『大変だね、学生さんも』
『まぁね』

 本当は大学のレポートなんて、とっくに終わってるけど。
 貴方を待つためなら、どんな嘘だって許される。

『さすがに夜遅いでしょ。お肌に悪いぞ』
『見たことないくせに。いつだってピチピチよ』
『そっか。若いっていいな』

 見せられないけどね、本当の私は。
 背後の部屋に視線をやって、小さくため息をつく。

「さすがに見せられないよ、この部屋は」

 服はハンガーで壁に掛けっ放し。
 夕食の食器はテーブルの上に放置したまま。
 さらに布団は万年床だ。

 とても、貴方が想像してくれてるような女の部屋じゃない。
 都合のいい虚構に甘えるような女なんだ、私は。

『ところで、雑談していいかい』
『どうぞ』

 他愛のない話をするようになって、ほんの少しだ。
 話すネタの少ない私でも、まだまだ残量は豊富にある。

 もっとも、私から話をふっても、貴方はいつも倍以上のことを話してくれる。
 意外と近所に住んでるってことも、つい先日の話でわかってる。

『最近、近くの部屋に女の子が越してきたんだ』
『かわいいの』
『ちょっと気になる子』
『それで』
『牛丼屋に一人で入るの見かけたんだ。それで、明日にでも昼食に誘おうかなって思ってるんだけど』

 そんな女の子も、牛丼屋に入るなんて。
 きっと私みたいに、部屋は汚くてネット三昧の女ね。

『いいんじゃないですか。変に思われてなければ』
『そうか。多分、変には思われてないと思うけど』

 誰だろう。出勤のバスが同じとかなのかな。
 でも、会社付近の子なら近くの部屋とは言わないだろうし。

 休日の牛丼屋にでも入るところを見たのかしら。
 ますますもって、私に似てる。

『じゃ、約束していいかな』
『いいんじゃないですか』

 私としては、上手くいってほしくないですけど。
 そんな気持ちはおくびにも出さず、黙ってお茶に手を伸ばす。

『じゃ、明日の十一時に部屋の前に立っててね』
『私に言ってどうするんですか』
『IPアドレスって知ってるかい。このマンション、回線のアドレスは一緒なの。隣室の麻紗子さん”

 前言撤回。
 恋しましょう、回線をつないで。

 

<了>