七夕緊急特別企画

本当に好きならば


「テスト前だろ。勉強しなくていいのか」

 大学から家に帰ってきた俺を出迎えたのは、家に一つしかないテレビをゲームで占拠している妹だけだった。
 かつての俺の母校に通っている妹は、本来ならばテスト勉強に明け暮れているはずの時期だ。
 その妹が汗を流しながら帰ってきた俺に出迎えの言葉一つかけず、脇目も振らずにゲームを進めている。

「紀子」
「今、台詞言ってるから黙れ」

 今時のゲームにありがちな、キャラクターの台詞を借りての状況説明。
 戦略系のゲームが好きな俺には理解できないが、聞き漏らしたくないところなんだろう。

 俺自身、ゲームを人並み以上にやることは否定しないが、この妹は異常なほどにプレイに執念を燃やす。
 攻略サイトの管理人でもやってるんじゃないかと思うくらい、買った当日に徹夜をすることもしばしばあるほどだ。

「まったく……先が思いやられるな」

 ゲームに集中し始めた妹には何を言っても無駄だ。
 これまでの経験上でそれがわかっている俺は、台所から二人分のペットボトルを取ってくることにした。
 二本のペットボトルを持って部屋に戻ると、どうやら状況説明のシーンは終わったらしい。
 だらしなく寝転がった妹が、ゲームのセーブデータ画面を操作していた。

「お前、テスト前じゃないのか」
「お兄ちゃん、本気で言ってるの」
「本気も何も、冷蔵庫のカレンダーにテスト範囲表が貼ってあったぞ」

 冷蔵庫を開けるついでに日付も確かめてみたが、今日は間違いなくテストの三日前だ。
 本来ならこの部屋でテレビを見ていることでさえ、文句を言われてもおかしくない状況だ。

「そうじゃなくて、あたしの進路予定知ってるでしょう」
「だからこそ、言ってるわけだが」
「信じられないわ。勉強なんて、どうでもいいのよ。大体、高校だって中退したいのに」

 高校を中退して、東京で夢を叶える。
 聞いている俺が飽きるくらい、妹が口にしている台詞だ。

 バンドのメインボーカル兼ギタリストとして、妹はそこそこのライブハウスで演奏するほどの腕前だ。
 一度だけ友人が見に行ったらしいが、確かに上手いグループの中でも目立つ存在ではあるらしい。
 ピアノも習っていたせいか、オリジナル曲の作曲を手がけることもあるようだ。

「高校を中退して、どうするつもりだよ」
「決まってるじゃない。東京に行って、オーディションを受けてプロになるのよ」
「オーディションなら、大阪でもやってるぞ」
「あんなのじゃダメよ。東京に行けば、出来レースの中に潜り込めるわ」

 既にいくつかのプロダクションの人間とは会っているらしい。
 深夜にコソコソと出かけていくこともあるが、その内の半分ほどは、その手の人間と会うためだ。

 確かに俺自身は業界のことを詳しく知っているわけではないし、調べようと思ったこともない。
 両親の説得に応じずに中卒で飛び出そうとしていた妹を止められたのは、単なる偶然だと思えるくらいだ。

「今朝もまた、学校から電話がかかってきてたぞ」
「あの担任でしょ。放っておけばいいのよ」
「いい先生だぞ、あの人は」
「そりゃ、勉強しか取柄のないお兄ちゃんにはお似合いよね」

 妹が言うほど、俺は勉強が得意なわけじゃない。
 ただ、勉強以外に出来ることがないのも事実だが。

 俺は手にしていたペットボトルの口を開けて、炭酸飲料を喉に流し込んだ。
 微炭酸と書いてあるが、少し刺激が強い感じがする。

「甘いんだよ、お前は」
「何も知らないお兄ちゃんに言われたくないわ」

 確かに、ただ何となく大学に通う俺は、妹からみれば忌み嫌いたくなる人種なんだろう。
 両親には感謝するそぶりを見せても、俺には礼の一つも言わないからな。

「高校だけは出とけって言われた意味、わかってないのか」
「単に高卒資格がものをいうとかだけなら、はっきり言って時間の無駄よ」
「ゲームは時間の無駄じゃないのかよ」
「少なくとも、勉強よりはね」

 そう言いながら、妹はゲームの電源を落とした。
 俺が部屋に入ってきたことで、集中が途切れたからだろう。

 妹がテレビのリモコンを操作して、テレビ画面が次々と切り替わっていく。
 見たいものが見つからなかったのか、最終的にはCMを流しているチャンネルで操作をやめた。

「レゴブロック、まだあるんだね」
「俺は嫌いだったけどな」
「そう言えば、ウチの家にあるのってダイヤブロックばかりだね」

 単純に言えば、俺の両親の趣味だったのかもしれない。
 ただ、俺は複雑なレゴブロックを好きにはなれなかったけれど。

「言ってみれば、それが、お前が高校を卒業しなきゃいけない理由だな」
「わけわかんない」

 それじゃ、説明してやりましょうかね。
 本当は、俺の担任だった先生の受け売りだけど。
 あの担任を信用していない妹が、この話を聞いているわけもないだろうし。

「ここに、一つの突起のあるブロックがあったとしよう」
「何よ、いきなり」
「まぁ、聞けって。こいつで説明してやるよ」

 部屋の片隅で埃をかぶっているブロックの入っているケースを引き寄せて、俺は妹の正面に腰を下ろした。
 テーブルを挟んで向かい合った俺に興味を持ったのか、妹も場所を動く気配はなかった。

「珍しいわね。お兄ちゃんが色々と話すなんて」
「まぁ、単なる気紛れだとでも思えよ。ただ、内容は適当じゃないからな」
「はいはい。聞くだけ聞いてあげるわ」

 ケースの中から最初に取り出すのは、一つしか接続点のない四角いブロックだ。
 単純に、上と下にしか繋ぐことのできないブロック。

「もし、このブロックだけがあったとしたら、何ができると思う」
「何ができるも、単に上か下につなげるしかないじゃない」
「だから、何ができるか言ってみろって」
「塔とか、棒とかかしらね」

 三つの同型ブロックを取り出して、妹へと渡す。

「くっつけてみろよ」
「はいはい」

 四角いブロックの真ん中のブロックだけ角度を変えて、妹は三つのブロックを縦に繋げた。
 真ん中のブロックだけ角度を変えるところに、妹のちょっとしたプライドが見えてくる。

「それしかできないだろ」
「まぁね。当たり前じゃない」
「なら、これならどうなる」

 そう言って、俺は二つの接続点を持つ長方形のブロックを取り出した。

「これなら、どう繋げるよ」
「まぁ、さっきよりは色々できるわね」
「それが、勉強するってことなんだよ」
「どういう意味よ」

 俺が手当たり次第に取り出したブロックを、妹は適当に繋げ始めた。
 そうすることが当たり前になるってこと自体、妹が両親からの教育を受けた証でもあるのだ。

「知識ってのは、そのブロックの接続点みたいなもんだ」
「そりゃ、接続点が多ければいろんなものを作れるわね」
「ただ、学校で学ぶ程度の知識っていうのは、こういう形のものだな」

 そう言って、俺は四つの接続点が一列に並んだ平べったいブロックを手にした。

「知識が単純に並べられてる。ただ、これだけでも色々と形は作れそうだよな」
「まぁね。高校を卒業しなきゃ、その程度のブロックが作れないっていうのは疑問だけど」
「これの組み方を考えるのが、お前の言う経験ってやつだ」

 そう言って、俺はピラミッドのように平べったいブロックを三つだけ組み合わせた。

「こんな風にするのが普通だけど、こういう風にする奴もいるよな」

 今度は三つのブロックを蛇の階段のように繋げていく。
 バランスが悪く立てられないそれを、俺はわざとらしくテーブルの上に置いた。

「コイツ、どうやって立てるかわかるか」
「指で持つってのは反則なのかしら」
「ブロックを使え」
「なら……こうね」

 妹はそばにあった、最初に三つ繋げたブロックから一つだけをはずし、浮いていたブロックの下に繋げた。
 そして、少しだけ時間を取って、横幅が一ブロック分しかないその完成品をテーブルの上に立てた。

「これでいけたわ」
「簡単に倒れるけどな」
「じゃあ、お兄ちゃんはどうするわけ」
「こういう風にする」

 そう言って、俺は横幅が二ブロック分ある八個の接続点のあるブロックを高さをあわせて下に繋げ換えた。
 それを見た妹が、小さく肩を竦める。

「ま、確かに倒れないわね」
「くだらない、コロンブスの卵的なものかもしれないけどな」
「それと知識と、何が関係するわけ」
「知識ってのはブロックの接続点だ。そしてものを見る視点がブロックの組み方なんだよ」
「視点ねぇ」
「高校を卒業しろっていうのは、その視点を複数持つためだ」

 俺の言葉に、妹の視線が強く俺を刺した。
 その眼に負けそうになる心を強く激励して、俺は恩師の言葉を紡ぐ。

「確かに、人の持てる知識ってのは限られてるだろう。覚えることにも限界はあるからな」

 学校で習ったことをすべて覚えられるなら、行きたい人間は誰でも東大に行けることになる。
 実際には覚えられる知識には限界があるし、だからこそ人に優劣がつくことにもなる。

「ただ、ブロックの組み方は教えられてできるものじゃないんだよ」
「当然じゃない。大体、ブロックが情操教育にいいって言われてるのって、その発想力を育てるからでしょう」
「レゴとダイヤの違いがそこにある」
「どういう意味よ」

 そろそろ飽きてくる頃だろう。
 俺が恩師に感じていた尊敬の心なんて、妹が俺に対して持っているとも思えないからな。

「レゴブロックの対象年齢が高い理由ってわかるか」
「少し細かいからかしらね」
「正解は、説明書通りに作らなければ完成しないからさ」
「ダイヤブロックにも説明書はあるわよ」
「だが、ダイヤブロックには婉曲したブロックが少ないんだよ」
「……まぁ、言われてみれば」

 ダイヤブロックの良さは、他のブロックと混同してしまっても困らないところにある。
 そこに組み合わせの妙を自分で想像するという、非常に大切な考え方が生まれるのだ。

「ある赤ちゃんの目の前でブロックをはめ合わせると、赤ちゃんはすぐに真似をするらしい」
「そりゃ、目の前でものがくっつくなんて不思議だもの」
「だが、すぐにくっつけることには飽きてしまう」
「動きがないものね」
「そこで、ある大人は上に重ねていくだけでなく、前後にずらしながら重ねたんだ」
「今のお兄ちゃんみたいね」
「そうすると、赤ちゃんは何時間もブロックを重ね続けたらしい。それも、前後左右にな」

 俺の言葉に、妹が手にしていたブロックを持ち上げて、宙で玩び始めた。

「赤ちゃんって、立体把握能力が高いって聞いたことがあるわ」
「それは生まれたばかりの赤ちゃんに、三次元の認識がないからだろう。
 この場合、単純に重ねられるところにはいくらでも重ねられるって気付かされたことが原因なんだ」
「面白いってことかしら」
「それだけじゃない。赤ちゃんは回転する仕組みまで考え付くんだと」
「ぴったり当てはめたら、動くはずがないと思うんだけど」
「そうかな」

 そう言って、俺は爪の壊れているブロックを挿し込んだ。
 ただそれだけではグラグラするだけだが、このブロックには秘密がある。
 ヤスリで四隅の角が削られているのだ。

「嘘ぉ」
「ま、タネはあるんだけどな」
「ちょっと見せてよ」

 俺が渡してやると、妹はすぐにブロックの状態に気付いた。

「詐欺じゃない。削ってあるわよ」
「ただ、その上にもブロックが積んであれば、気付くことすらできないよな」
「反則よ。赤ちゃんがこれを作ったってのなら、ブロックを壊しちゃってるじゃない」
「まぁ、こんなこともできるぞ」

 壊れていないブロックを使って、今度は三十度ほど回転するギミックを作る。
 接続点が二列ずつ二つ並んだブロックに、平べったいブロックを斜めにつけるだけだ。

「まぁ、確かに動くわね」
「これを使えば、この二列二列のブロックを動かしあえる」

 まぁ、邪道といわれれば邪道だが、動くのは事実だ。
 ただし、こちらはタネがない。

「これが勉強するってことだ」
「何よ。自分を磨け、他人を騙せってことかしら」
「自分を磨くんじゃない。知識を削るんだ。色々な角度から見て、教わった知識を削れ。
 そうすれば、もっといろんなことを考え出せる」

 ただのブロックではなく、回転できるブロックを。
 ただし、ブロックという骨格がなければ、回転もへったくれもない。

「だから学校に行けっていうのは変よ」
「色々な人の考え方に触れて、知識の削り方を学べって言ってるのさ。それは、学校でしかできないことなんだ」
「そんなの、世の中に出ればいくらだって」
「組み立てられたブロックを見て、そのブロックの削り方まで見分けられるのかよ」
「それは……近寄ればいいじゃない」
「学校ってのはさ、その組み立てられたブロックから近づいてきて、ばらして見せてくれるところなんだぜ」

 そう、学校っていうのは、先生がいる。
 先生は知識のブロックをばらして見せることが仕事なんだ。

「ブロックの裏の爪なんて、誰も見せちゃくれない。それを見れるのが学校なんだよ」
「どうして学校だけが見れるってわかるのよ」
「生徒同士はそれぞれがバラバラの平面ブロックを持ってる。
 そして教師は、平面ブロックで自分の知識を生徒の前で繋げる仕事だからだとさ」
「だとさって……受け売りなのね」

 俺の微妙な言葉尻をとらえた妹が、やや残念そうな表情を見せた。
 そろそろ潮時ってことだろう。

「あの担任が言ってたのさ。俺が高校辞めたいって言ったときにね」
「え……そんなこと、聞いたことないんですけど」
「さぁて、部屋に行くかな」
「ちょっと、お兄ちゃん」

 背後で怒鳴っている妹を無視して、俺は二階へ続く階段を上り始めた。
 大好きな曲を口ずさみながら。

 

<了>