七夕特別緊急企画
声を聞かせて
1
”今度の日曜日、梅田のビッグエッグ前で”
”OK。お昼前でいいかな”
”1130時に。目印はどうしようか”
”大きな剣でも担いで行こうか(笑)”
”いいね。クレリックの衣装、着てきなよ(笑)”
”それは…恥ずかしいです(汗)”
”赤いバラもお決まり過ぎるから、メルアドでも交換しとく?”
”OK。それじゃ、こっちがさらすよ”
”そう? ありがとね”
”clioneaで、後ろは余分なものなしね”
”わかった。でも、とりあえず、服装だけ教えておいてね”
”Tシャツに、青のストライプを羽織ってると思う”
”案外普通だね。探せるかなぁ。私はデニムの長袖だから”
”OK。それじゃ、今度の日曜日に”
”うん。明日は上がってくるの?”
”基地に異変がなかったら、出撃はしない”
”じゃあ、攻めてあげる(笑)”
”勘弁してください”
PCの電源を切る。
念のために、回線も外した。「いいのかなぁ……約束して」
まぁ、今度会ったときにでも確認すればいいか。
どうせ深夜のゲームチャットの内容なんて、向こうも本気にはしないだろうし。それにしても、凄腕の戦士だな。
僕も長いことこのオンラインゲームをしているけど、これほど一緒に戦いやすい戦士はいない。
クレリックとしての僕が、もの凄く戦いやすいんだ。
強いだけじゃなくて、後衛が戦いやすい位置を常にキープしてる。
只者じゃないね、きっと。「うわ、もうこんな時間だよ。いくらテスト前だって言っても、そろそろ寝るか」
時計を見たら、もう三時をまわっていた。
あと一時間もすれば、新聞配達のバイクの音が聞こえるだろう。
テスト一週間前だから、親も勉強しているんだと思って、何も言ってこなかったし。あぁ、ずっとテスト前だったらいいのになぁ。
「ふぁ……寝よ、寝よ」
大きなあくびをして、僕はベッドに潜り込んだ。
眠気は、すぐに僕の身体を包んでくれた。
2
次の日からテスト前日まで、僕はテスト勉強に追われる羽目になった。
何でも、今回の補習は日曜日にするらしい。さすがに補習で行けなくなったという、恥ずかしい理由は願い下げだ。
それほど不安があるわけでもないけれど、やっぱり勉強はしておいたほうがいい。そして、この三日間、僕は中毒になりかけていたオンラインゲームを中断して、学業に専念した。
「明日からテストか。森澤は、余裕あり?」
「全然。ネトゲーも止めて、勉強してるよ」
学校のダチとの会話も、自然とテストのことになっていた。
明日からテストなのに、今からヤマを張る奴もいるらしい。「森澤がネトゲー自粛してんの? 絶対、明日から雨だな」
「いや、日曜日潰されたくないし」
「そういや、今回の補習は日曜日だっけ。赤点だけは取りたくねーなぁ」
「同感、同感」
ふと視線を上げると、クラスの女子が隅っこに固まっていた。
理数系のウチのクラスは女子が少ないので、昼食なんかは、ほぼ全員が集まっている。
今も、テスト対策と称しての雑談に花が咲いているようだ。「数学のこの範囲、この問題かなぁ」
「多分、こっちの方が難しいんじゃないかな」
「そっかぁ。メグは頼りになるよねぇ」
メグ。小原恵美のことだ。
ウチのクラスの女子では、唯一のメガネっ子だ。
このコンタクト全盛のご時世に、メガネにこだわり続けているらしい。「お前、何見てんの?」
僕が女子たちに視線を向けているのに気付いたダチが、横腹をつついてきた。
慌てて視線をダチに戻すと、ダチが心配そうに僕の顔を見ていた。「お前、クマできてっぞ」
「あ、あぁ。あまり寝てないから」
テスト一週間前に入ったらネトゲーして、三日前から勉強で徹夜。
そりゃ、クマもできるよ。「意識とんでんじゃねーか?」
「そうだな……そうかも」
そう答えたとき、ダチの携帯が鳴った。
部活の仲間からのメールらしい。ダチが一言断ってから、メールを返し始めた。そういえば、携帯のメールをあのソルジャーにさらしたな。
まだメールがくることはないけれど、どうなったんだろう。
テスト明けに、一度、ネトゲーに上がらないとな。
ダチがメールを返していて暇な僕は、ぼんやりと背もたれにもたれかかった。自然と上を見上げていると、予鈴が鳴って、女子たちがバラバラと席に戻り始めた。
次の時間は数学だから、前もって準備をしておかないと、教師が早く来るのだ。「ねぇ、森澤君。席、移動してよ」
ぼんやりしながらダチのメールが終わるのを待っていると、正面に小原がいた。
手に教科書とノートを持っているところを見ると、早くも数学の時間の席に移るつもりらしい。
数学の授業は少人数制だから、彼女は僕の机に座ることになっている。「あ、ゴメン。準備するから」
慌てて、机の中から教科書とノートを取り出す。
予鈴が鳴っても準備してないなんて、調子悪いなぁ。「ごめんね、急がせて。今日、当たり日なんだ」
「あ、そうか。今日はココからか」
小原から当たるとしたら、僕のところに来る可能性は低いだろう。
それなら、今日は少しぐらい居眠りしても大丈夫そうだ。「はい、どうぞ」
そう言って席を立つと、小原がにこりと笑った。
あまり女性耐性がない僕だからではなく、これはその、そうだ。
ほら、何だ。結構かわいいぞ、うん。「テスト、頑張りなよ。赤点補習食らわないように」
「食らわないって」
そう言い返して、僕は自分の席から離れた。
ダチもメールが終わったらしく、僕と一緒に席を動き始める。「今日は小原からか。オレ、絶対当たるな」
「今日、どこからだっけ」
「二次関数のグラフの最大・最小。やべぇよ。範囲っての、苦手なんだよなぁ」
「がんばれー」
「うわっ、心こもってねー」
そう言って、ダチが笑った。
僕もわざと平坦に声を出したつもりだったから、意味が通じて面白かった。こういうやりとりができるってのが、ダチのいいところだ。
チャットとかだと、相手に平坦な声ってわからないもんな。軽い皮肉を込めたつもりが、大真面目に感謝されたり。
やっぱり、ネットは会話じゃない。声のやりとりが会話なんだ。
3
”久しぶり”
”テストがあったせいで、自粛してました”
”一緒だ(笑)”
”今日のミッションは?”
”明日があるから、今日は早めにオチる”
”明日か…大阪、あまり出ないから楽しみだな”
”エスコートしてね”
”精一杯努力します(笑)”
”期待してる”
”これからネットで検索でもかけるよ”
”うわ、不安だなぁ(えー”
”お酒、飲めるよね?”
”もちろん。居酒屋で飲もうか?”
”了解”
”楽しみだなぁ、クレリックのシンに会えるなんて”
”こっちこそ、MIGさんに会えるの、すごい楽しみだ”
”よし、じゃあ、空想しながら寝るかな(笑)”
”んじゃ、明日”
”うん。生身のカッコイイ君に会えることを楽しみにしてる”
”幻滅しないで(泣)”
”会ってから言いなよ(笑)”
彼女がマップ上から消えた。
さぁ、明日まであと数時間。
とりあえず、お昼の場所でも検索しておくかな。
4
日曜日、僕はいつもより随分と早く起きると、念入りに髪をセットした。
まぁ、いつもは使わないムースで前髪を上げただけだけど。
少しは一般人に近くなったはずだ。もっとも、一般高校生の基準もわからないけどね。
とりあえず、ネットジャンキーとは違うと見られそうだ。最低限の礼儀だよな、これは。「いってきます」
電車に乗って、一時間もしないうちに梅田へ。
いくら地理に疎い僕でも、梅田のビックマンぐらいはわかる。大画面が見える柱に背中を預けて、携帯電話のメール欄をチェックする。
メールは……まだ入っていないな。「少し早かったかな」
遅れちゃいけないと思って二本前の電車にしたためか、約束の時間には、まだ三十分ぐらいある。
まぁ、相手が来なかったら、梅田で飯を食って、本屋にでも行こう。
ついでに映画を見てもいいな。確か、銀河戦争がやっていたはずだ。「あの、森澤君?」
「へ?」
思いがけない声に、僕は間抜けな声で返していた。
声のした方を振り返ると、小原がいた。「あ、小原さん」
「やっぱり森澤君だ。待ち合わせ?」
「うん。ちょっとね」
「じゃ、同じだ。私も、ここで待ち合わせなんだ」
珍しいこともあるもんだ。
確かにここで待ち合わせすることは多いけれど、クラスメートに会うのは初めてだった。小原は僕と同じ柱に背中を預けて、携帯をいじり始めた。
きっと、待ち合わせの相手にメールでも送っているのだろう。僕が小原から視線を外して広告を映している画面に視線をやると、小原が話しかけてきた。
ちらりと横目で見ると、携帯をいじるついでに、僕に話しかけてきたようだ。「森澤君さ、テストはどうだった?」
「政経ぐらいかな。あとはそれなりかな。国語は簡単だったし」
「あ、やっぱり。政経、今回は難しかったよね」
「まぁ、あの先生の赤点は平均の半分だから、何とかなるだろうけど」
「十五点位よね、いつも」
メールを送り終わったのか、小原が携帯から顔を上げた。
ずっと視線を外して会話するのも変なので、小原へと視線を向けた。並んでみてわかったけれど、小原は150cmくらいかな。
僕の肩ぐらいまでしか身長がない。それに、トレードマークのメガネのフレームがいつもと違う。
光沢を控えた金色のフレームで、いつもよりも知的な横顔だ。「これから、どこ行くの?」
「相手が来たら昼飯。そこのパスタ屋のつもり」
「あぁ、美味しいよね、そこ。確か、サラダお代わり自由って」
僕もダチに教えてもらった店だから、結構有名なのかもしれない。
まぁ、駅前のビルに入ってる店だからかな。「それから?」
「まぁ、向こうにもよるけど、ボウリングかビリヤードにでも行くつもり」
何で真面目に話してるんだ、僕は。
僕がそのことに気付いたとき、僕の携帯電話が鳴った。すぐに気付くようにと音量を絞っていないから、アニソンをバッチリ小原に聞かれてしまった。
少し顔が赤くなっているのを自覚しながら、急いで携帯電話を開く。「あ、来たみたい」
「どこにいるって?」
「目の前にいるって言ってるけど……どこだよ」
メールの文面は、”お待たせ。目の前にいるよ〜”だ。
だけど、それらしい人はいない。
そう言えば、服装はデニムのジャケットだったかな。「どんな服装?」
「あぁ、デニムのジャケットらしいけど……からかわれたのかな」
「ふぅん」
柱から背中を離して、辺りをぐるりと見回す。
デニムのジャケットを着ているのは、すぐ目の前にいる小原ぐらいだ。「やられたかな……」
「もしかして、出会い系?」
探すのを諦めてまた柱にもたれかかった僕に、小原が小声で尋ねてくる。
僕は少しの失望感も手伝って、少し拗ね気味に答えていた。「オフ会、かな。オンラインゲームの相手。今日、初めて会うんだよ」
「なになに、結構期待してたとか?」
「いやま、飲める機会は逃さないってね」
今日は諦めよう。
からかわれたんだ、きっと。本屋によって、映画でも見て、おとなしく家に帰ろう。
腕時計を確かめると、1145時だ。まぁ、もう少しここにいるか。「高校生は飲酒禁止だよ」
「あ、そこはオフレコで。と、いうか、ここで会ったこともオフレコにしてもらえると助かるんだけど」
「いいよ。その代わり、森澤君もここで私に会ったのはオフレコでね」
「いいけど。そっちの相手も来てないの?」
「うぅん。もう、目の前にいるよ」
そう言われて、僕はまた人ごみに視線を投げかけた。
こちらに歩いて来る人はいないだろうか。小原の相手ってのも、ちょっとは気になるし。
いや、本当。他意はないよ。ただちょっと、クラスメートの秘密を見れるって感じかな?「……どっちから来てるの?」
「んー、隣にいる」
「えっ」
慌てて、小原の反対側へ顔を向ける。
もしかしたら、僕のせいで小原の邪魔をした?だけど、僕が一言謝ろうと思った相手は、そこにはいなかった。
どうやら、今日は厄日だ。また、小原にからかわれたらしい。「いないじゃないか」
「今日はよく騙される日なんじゃない?」
そう言って、小原が笑った。
女子高生特有の甲高い笑いじゃなくて、口許を押さえたような笑い方。
他のクラスの子がこんなことしたら、きっと、気取ってると感じるだろう。「よく騙される日、か」
「そんな日もあるよ」
騙した本人に慰められてもなぁ。
僕はよほど落ち込んだ表情をしていたらしい。
小原が気を遣ったのか、視線を落としていた僕の目の前に、携帯電話を突き出してきた。「え?」
「これ、見たことない?」
そう言われて、携帯電話をよく見つめる。
あ、このストラップは……。「このストラップ、もらったの?」
「あ、これ? これはテスターでもらったの」
「テスターって、小原さん、ネットゲームするんだ」
「うん。結構長いよ」
このストラップのキャラクターは、僕がやっているネトゲーのソルジャーだ。
発売前のモニターに応募したユーザー全員に、ユーザーが希望したジョブのキャラでもらえた筈。そうか、小原ってネトゲーなんかするんだな。
「森澤君の、クレリックだよね」
「あ、うん。僕もテスター参加したから」
「結構造型細かいよね、コレ。気に入ってるの」
「特にソルジャーは評判高いよね。大きな剣の意匠がいいって」
ソルジャーか。
今日は厄日だな。特にソルジャーに騙されやすい日のようだ。「……このメール、見たことないの?」
どうやら、小原が気付いて欲しかったのはストラップではないらしい。
小原の言葉で、僕はようやく彼女の携帯の画面を覗きこんだ。”お待たせ。目の前にいるよ〜”
「これを?」
「ニブッ」
呆れたように、小原が携帯電話を閉じた。
そして、僕の携帯電話を指差す。「これと同じメール、さっき届いたでしょう」
「あ、えー…」
慌てて、携帯電話のメールボックスを開く。
「あ」
間違いない。
一字一句違わないメール本文が、僕のメールボックスに入っていた。「えーと、どういうこと?」
「ニブイなぁ、クレリックのシンさん」
「え?」
どうして、小原が僕のHNを知ってるんだ?
それに、クレリックのシンさんって……。「ソルジャーのMIGさん?」
「はい」
僕は、よほど驚いた表情をしていたらしい。
小原が僕のことを指差して、笑いだした。どうなってるんだ?
小原が、あのMIGさんなのか?「さ、いい時間になったし、パスタ屋行こうよ」
「ちょ、ちょっと待って。初めから知ってたのッ?」
僕の質問に、MIGさんこと小原が、携帯電話を開いた。
そして、アドレス部分を指差す。「ううん。気付いたのは昨日。クラス名簿のアドレス帳見て、森澤君だってわかったよ」
「うわ……」
絶句する僕に、小原はニコリと笑っていた。
「今日のことはオフレコ。MIGとシンが会っただけ。ね?」
そう言って、小原が彼女と僕を交互に指差した。
そ、そうか。ただのオフ会なんだよ、これは。
お互い、名前も知らない同士。別に普段の自分が知られてるわけじゃない。「行きませんか、シンさん」
「そ、そうだね」
小原にうながされた形で、僕は小原の隣で歩き始めた。
まだ少し動悸は治まらないけど、すぐに切り替えられるだろう。
これはオフ会だ。相手は見知らぬ相手なんだ。「そう言えば、MIGさん、メガネ変えたんだね」
「お出かけ用なの。シンさんに会うから、少し気取ってみたの」
「すごい知的」
「そう? シンさんが年上だと思ってたから、同い年ぶるつもりだったし」
「そんなにフケてた?」
「お酒飲むって話だったから、ね」
クラスの中じゃ、きっとこんな話はしたことがないし、これからもしないだろう。
今までの一年分よりも、たくさん話をしている気がする。ネットでは毎日のようにやりとりをしていたけれど、あれは会話じゃない。
だって、小原の知的な表情も、小原の少し弾んだ声も知らなかったから。ネットは会話じゃない。
改めて、そう感じた。「おごってもらおうと考えてたけど、ワリカンでいいよ」
「助かる」
そう言って、パスタ屋に入る。
少し混雑しているけれど、座れないほどではなさそうだ。「あ、窓際がいいです」
「では、こちらへ」
窓際の席を希望した小原に、ウェイトレスが僕らを窓際の席へ案内する。
パスタランチを注文して、改めて名乗りあう。「えっと、クレリックのシンです」
「ソルジャーのMIGです……て、本名知ってるのに?」
そう言って、小原がクスクスと笑った。
「まぁ、パターンかなって」
「そうかなぁ」
パスタが来て、会話が途切れた。
二人して、もくもくと食べ始める。バイキングのサラダのお代わりを取りに行って、席に戻ってみると、小原が携帯を僕に向けていた。
サラダの容器を持ったまま立っていると、カシャリと写真を撮る音がした。「初オフ会記念」
そう言って、小原が撮ったばかりの写メールを僕に見せてきた。
気恥ずかしくなって、照れ隠しに笑った。「それじゃ、僕も撮っていい? 初オフ会参加記念」
「初めてなの?」
「そっちは?」
「私も」
何気ないことなのに、僕たちは声に出して笑い出した。
肩から力が抜けていく気がした。知り合いか知り合いじゃないかなんて、気にすることはない。
ただ、一度会って見たかった相手が、クラスメートだっただけ。やりとりだけじゃなくて、会話してるってだけ。
だけど、その声と表情は驚くほどに綺麗で、僕を虜にしたわけで。「このあと、ビリヤードでいい?」
「ボウリングがいいな。負けたほうが、次に”遭遇”したときに言うことを聞くで、どう?」
小原の口許が笑っていた。
ネットではわからない、言葉の裏の意味。「OK。でも、スコアはどれくらい?」
「200かな」
「うわ、上手いのな」
「ふふ」
多分、負けるな。
でも、楽しいからいいや。願わくば、今日の最後まで、この会話ができますように。
<了>