七夕用特別緊急企画

星の数だけ


「梓、かき氷」

「ん……いいよ、手、放して」

「放すよ」

 俺の手からお盆が取り上げられる。

 取り上げたのは、俺の家の屋根に上がっている梓だ。

「健も上がっといでよ」

「へいへい」

 自分の部屋の窓から身を乗り出して、すぐそばまで張り出している木の幹に移る。

 木の枝を揺らしながら、俺はすぐに屋根へと跳び移った。

「ん、健の」

「サンキュ」

 梓の隣に並んで腰を下ろして、かき氷を口に含む。

 氷の冷たさと屋根の冷たさが、火照った体に心地よい。

「いい天気だねぇ」

「明日は雨らしいけどな」

「もぅ、何でそういうこと言うかねぇ」

 梓が苦笑した。

 俺自身、何気なく口にしていた言葉には閉口する。

 せっかくの七夕に、何で明日の天気のことなんか話したんだろう。

「今の、この天気を喜びなよ」

「別に」

「いい星が出てるってのに、つまんないヤツ」

 無視してかき氷を食べると、梓は俺の心をえぐってきた。

「だから彼女もいないんだぞ」

「……うるさい」

 どうも、梓には弱い。

 これはもちろん性格のせいではなく、生まれ育った環境が悪いのだ。

 隣の家には一つ歳上の梓がいて、俺はずっと梓に守られるように過ごしてきたから。

 頭が上がらなくなっても当然だ……と、思う。

「いい加減、彼女の一人でも作っといた方がいいよ」

「出会いも何もありません」

「その辺の女、さらっちゃいなよ」

「あのね……」

 もちろん、冗談だということは解っている。

 それでも、口が先に吐息をついてしまう。

「そういう梓はどうなんだよ」

 吐息を誤魔化す為、俺は問いかけた。

 無論、梓に彼氏がいることは知っていた。

「彼氏の一人や二人、すぐに作るわよ」

「あれ、良紀さんは?」

「さぁ……今頃、どこを走ってんのかね」

「仕事?」

「らしいよ。隣に女の子乗っけてドライヴするって言う仕事」

 そう答えた梓の瞳は、星空ではなく地平線を眺めているようだった。

 盗み見ている俺もよくないんだが、悲しすぎる瞳だ。

「別れたのか」

「まだ、周りには言ってない」

「でも、別れたんだろ」

「何も報告する必要なんてないだろ。面倒くさい」

 良紀のことは俺も知っていた。

 決して軽い奴じゃないけど、結構人気がある。

 梓が別れたのは意外だったけど、そう言われたら不思議でもない気がした。

「じゃ、今は俺と同じだろ」

「……普通、慰めるもんでしょ」

「梓を慰めるやり方なんてわかんないし」

「だから健は彼女できないんだよ」

「余計なお世話だ」

 俺自身、それほど焦ってるわけじゃない。

 いなくても困らないし、彼女を作る気力も金もない。

「健、腕貸して」

「へ?」

「腕枕。空見たい」

「べ、別にいいけど」

「ん……ありがと」

 腕を貸したせいで、俺も梓の隣に寝転んで空を見上げる羽目になった。

 顔が赤い気もするが、別にこの暗闇なら気付かれる心配もない。

「男ってさ、見える星の数だけいるって本当だね」

 空を見上げていた梓がそんなことを言ってくる。

 どう答えていいかわからないが、梓の間合いが俺の返事を待っていた。

「普通、見える星の数だけって言わないだろ」

「じゃあ、健は今の星の数、数えられる?」

「だから、無理だから星の数ほどって言うんだろ」

「じゃあ、見える星の数は数えられるでしょ」

「当たり前だろ」

 いくら田舎だと言ったって、それなりに街灯もある。

 かなりはっきりとした光を放っている星以外は、俺の眼に映ることはない。

「だけどさ、本当は見えない星ってたくさんあるよね」

「だから、本当の数は数えられないんだろ」

「男も同じ。星の数ほど実際はいるのに、眼に入ってくるのは数えられるぐらいだけ」

 何となく解る。

 満員電車に乗っていても気にならないけど、空いてる車内なら気になる。

 そんなところだろうか。

「だからさ、本当は星の数ほど男なんていない。数えられるぐらいしかいないんだ」

「……ま、言われてみればそうかもしれないけど」

「事実だよ」

「知らず知らずに条件付けしてるってか」

 言われてみたらそうなのかもしれない。

 条件付けしているせいで、何もかもが見えなくなっているんだろう。

 男にしても女にしても、恋愛対象の異性ってのはそうやって決まるのかもしれない。

「良紀と別れて、何となくそう思った」

「いいこと聞いたな」

「世界の真実だぞ。感謝しろ」

 そのとき突然、梓が星空を見るのを止めた。

 痺れかけていた腕に血が巡り、軽い痛みを覚える。

 そして、俺の視界が遮られていた。

「健」

「な、何だよ」

「泣いていい?」

「はぁ?」

「もう、いい……泣く」

 理不尽だ。

 でも、俺には止めることはできなかった。

 梓が俺の服をつかんで泣いているのを、ただ黙って許した。

 

 

 泣き止んだ梓は、また俺の隣で星空を見上げていた。

 ただ、今度は腕枕をしていない。

「……時々さ、ずっとこうしてそうな気がする」

「星は見えてる?」

「見えてない」

「あ、そ」

 ちょっと期待してたんだけどな。

 たった一つ、小さい星が大きく見えるとかさ。

 気の効いた言葉が返ってきて、それに対する返事まで考えようとしてたのに。

「ただ、月は見えるかな」

「月?」

「わかんないならいい」

「どういう意味だよ」

 月?

 どういう意味なんだ?

 さっぱりわからないぞ。

「……こんなこと言ってるから振られたんだね、きっと」

「俺は……好きだけどな」

「笑える」

「そうか? 月って言うよりもストレートだろ」

「……最低」

 月の意味がわかった。

 誰かに照らされているからこそ見えるってこと。

 つまり、梓が横にいるから、俺は梓の視界に入ってるってことだ。

「ストレートは嫌いなのか?」

「暴走してる?」

「黙る」

 人差し指を立てて、梓の口許を閉じさせる。

 空いた手を梓の首の後ろへ回し、反対側の耳たぶを軽く摘む。

「やっぱり暴走してる」

 観念したかのように、梓が瞳を閉じた。

 くだらない。

 唇なんて奪っても、何かが変るわけじゃない。

 俺は、直前まで近づけていた唇を離し、梓の髪を彼女の額から払い落とした。

「……理性に負けたな?」

「もったいないんだよ、ファースト・キスが」

 そんなこと言ってるのは口だけだ。

 顔は赤いし、心臓はかなり早く時を刻んでいる。

「健、顔赤過ぎ」

「あんなシーン、初めてだったんだから仕方ないだろ」

「まぁ、唇突き出さなかっただけマシか」

「うるさいッ」

 何やってんだか。

 待ってたんだろうか、梓は。

 いや、キスなんてする意味がないんだ。

 俺は間違っちゃいない。

 

 

「健、もう少し空見てる」

「……付き合うよ」

 俺の腕が、また痺れ始めた。

 だけど、俺の視界には二番星が上がってこないみたいだった。

 

<了>