カキフライ


 ここは俺の部屋だ。
 中学入学と同時に許された、俺だけの城。

「……おい」

 高校入学と同時に新調してもらったベッドは、予算の限度額ギリギリで調達した。
 マットレスにまでこだわった逸品で、友人たちにも自慢したいぐらいのものだ。
 惜しむらくはその枕と掛け布団が今までと変わらないことぐらいか。
 まぁ、枕に関してはかなりいいものを、親父のもらってきたギフトカタログでもらったのだが。

「起きろ」

 だが、今、そのベッドを占拠しているのは俺ではない。
 ご丁寧にも掛け布団を床へ落としてタオルケットにくるまれているのは、俺の天敵とも言うべき従姉だ。

「チィ姉、何してんだよ」

 何とか怒りをこらえている俺の言葉に、チィ姉がもぞもぞとタオルケットから顔を出す。

「あ、おかえり」

「ただいま」

 学校指定のブレザーをハンガーにかけた俺は、改めてチィ姉を見下ろす位置に立った。

「それ、俺のベッドなんだけど」

「借りるね。おやすみ」

 そう言って眠りを再開しようとしたチィ姉のタオルケットを両手でつかむ。

「おい」

「スケベ。変態。消えろ」

 頑強に抵抗するチイ姉が、タオルケットの隙間から俺をなじってくる。
 もちろん、俺だってこれがチィ姉じゃなかったら実力行使には出やしない。

 だが、俺は何一つ間違っちゃいないのだ。
 家族であるチィ姉が俺の安眠を妨害するというのなら、俺は断固として抗議するのみ。

「どけよ、チィ姉」

「いやよ」

「さっさと、どけ」

 タオル地に嫌な感触がして、俺は肩で息をしながらタオルケットを手放した。
 勝ったと言わんばかりに、チィ姉がタオルケットに包まりなおす。
 その上へ、俺は足元から拾い上げた掛け布団を覆いかけてやった。

「暑いッ」

 さすがにタオルケットごとはねのけたチィ姉を見た俺は、予想外の格好にあわてて背中を向けた。

「何でそんな格好なんだよ」

「仕事明けよ。あたしだって疲れてんのよ」

「だからって、何でそんな薄い格好なんだよ」

「何よ。自分の家なんだからいいじゃない」

「ここは俺の部屋だッ」

「アンタの部屋は、あたしの部屋よ」

「ジャイアンかよッ」

 いい加減に背中を向けたままの会話にも疲れてくる。
 聞いているのかどうかさえもわからないまま相手を責めるのは、はっきり言って辛い。

 俺は足元に戻ってきた布団の中からタオルケットだけを抜き取ると、ベッドに向かって放り投げた。
 タオル地のこすれる音を確認してから、俺は再びチィ姉を見下ろす。

「あのさぁ、チィ姉」

「何かしら、拓也クン」

「早く家を出たら」

「嫌よ。今時の教師は薄給なのよ」

「どう見ても、そう思えないんですけど」

 チィ姉の普段から使っているバッグが三十万以上することを俺は知っている。
 一見すると地味なバッグだが、かなりの高級ブランド品だ。
 デパートには卸されず、専門店でしか取り扱われていないことも調査済みだ。

「何よ、こんな可愛い居候がいることに感謝されこそすれ、うっとうしがられるなんて」

「いや、正直、困るんですけど」

 チィ姉が我が家に居候するようになったのは去年からだ。
 俺がどの高校へ進学するかを決めかねていた頃に、チィ姉が転がり込んできた。

 ちょうどアパートが改修することになって困っていたらしく、それならばと誘ったらしい。
 まぁ、母さんにしてみれば、可愛い姪っ子のお世話をすることもできるということらしい。
 ついでに不肖の息子の家庭教師まで頼めちゃうという、お得感満載の居候というわけだ。

 確かに現役高校教師であるチィ姉に勉強を見てもらうようになり、成績は伸ばすことができた。
 そのおかげで、中学三年当初には不可能と思われた今の高校に入学できたのだが。

 まぁ、俺としても心の中では行きたいと思っていた高校だった。
 母さんたちの母校でもあり、合格したときは両親に教えなかったものの、嬉し涙がこぼれたほどだ。

「やれやれ……うるさい子だこと」

「歳相応の恥じらいってヤツを持ってない人に言われたくないね」

「欲情したでしょ」

「いいから出てけ」

「顔が赤いよ、タクちゃん」

 健全な高校生なら、女教師の無防備な格好に負けない奴なんていない。
 俺は腹立ち紛れにチィ姉の腕の下にあった枕を抜き取ると、思いっきり振りかぶった。

「あれ、犯されちゃう」

 わざとらしい台詞でガード体制をとるチィ姉に、俺は遠慮なく枕を振り下ろした。

「……タクちゃん、ひどい」

 舞った埃がおさまるのを待って、チィ姉がぼそりと口を開いた。
 枕カバーが抵抗を誘ったのか、わずかに開いた襟口からブラの紐のようなものが見えた。

 わざとか。
 わざとなのか、それは。

「……ブラ、見えてる」

「あらやだ。エッチねぇ、タクちゃん」

 そう言いながらも隠さないのは何故だ。

「男子高校生の我慢の限界が来る前に、部屋を出てってください」

「そうしたいんだけどね、お姉ちゃんがあたしの布団を干しちゃってて、暑くて寝られそうにないのよ」

 確かに、この時期に干した布団は安眠妨害になる。
 でも、それならそうと最初に言ってくれ。

「わかったよ」

「助かるわ」

 下でテレビでも見てくるか。
 それとも叩いたワビの印に、アイスでも買ってくるか。

「タクちゃんさえよければ、添い寝してくれてもいいわよ」

 是非にとも言いたいところだが、後で何を言われるかわからない。
 ここはご機嫌取りのアイクリームでも買ってこようか。

「……アイス、買ってくるよ」

「キャラメル味ね」

「好きだね、チィ姉」

「人の嗜好は、子供の頃に完成されるものよ」

 それじゃ、買いに行くとしますか。
 布団を干した母さんと、それに気付かずにチィ姉を責めた従弟としての謝罪のアイスクリームを。

 

<了>