七夕用特別緊急企画

汗と浴衣と夏の華


 こう見えても俺は、まだ二十一歳の大学生だったりする。

 たとえ知人から無精髭をなんとかしろと言われても、行きつけの麻雀屋があっても、
その麻雀屋の店員から大学に行ってるかどうかを疑われようとも、俺はれっきとした大学三回生だ。

 その俺が、最も好む季節が夏。

 夏の、初夏と晩夏だな。

 理由は……おいおいわかるってもんだ。

 

 

 無精髭を剃るのも面倒くさかったので、俺はその日の午前中に大学を自主休校し、散髪屋へ行った。

 余談だが、俺は一度たりとも美容店に入ったことがない。特に理由もないのだが、散髪ごときに
取られる金が勿体無いと思うからだ。そんな金があるのなら、貯金するか麻雀するか、遊んでしまう。

 とは言え、俺も年頃の男。

 髪に、多少は神経を遣うようにはしている。若ハゲにはなりたくないからだ。

 散髪を済ませ、もう一度髪を洗って浴衣を羽織った俺は、下駄を履いて行きつけの麻雀屋に
顔を出した。

「よっ、景気は?」

 そう言って、レジのカウンターに腰を下ろしている高校生の管理人の目の前に座る。

 高校生ながらにこの麻雀屋の実質的管理人であるこの少年は、名前を仁と言う。

 長い髪と中世的な魅力を持つこの少年が、何故こんなに商売をしているかと言うと、
この少年の両親に問題がある。要するに、両親がそれぞれの仕事にかまけている間に、
子供が強くなったのだ。

「今日の入りはまずまずだね。やっぱ、浴衣DAYだからかな」

「今日は二人ともいるのか?」

「あぁ。二人とも浴衣で打ってるよ。慶さんは打たないの?」

「今日は、な。後で双葉さん借りてくから」

 双葉と言うのは仁の姉の一人で、今、十九歳だ。大学二回生で、俺の幼馴染と言ってもいい。
 その上にいるのが長女の綾香さんで、こっちは既に社会人だ。

 俺の口許が笑っていたらしい。

 仁はニヤリと笑って、オレに手を差し出して来た。

「……何の真似だ?」

「可愛い弟に、夏祭りのカンパをお願いしてるんだけど」

「自分で稼げ」

 あっさりと無視して、俺は店の中に入って行く。

 店でアルバイト(麻雀を打つのが仕事)をしている関係上、結構顔見知りに出会う。

「慶ちゃん、今日は打たないのかい?」

「用事があってな」

「お、浴衣か。そんな時期なんだねぇ」

 ここの店は全自動卓が五台だけある。

 その中の一台に、俺は歩み寄った。

「……慶、少しは打って行ったら?」

 初夏らしく、濃い色の生地に、裾の方だけにマーブル模様が施された浴衣を着た女性が、俺の方を
見ずに話し掛けて来た。

「時間が惜しい。見学だけさせてもらうよ」

「今日は客の入りがいい。少し時間かかるかもしれない」

「待ってる間ですら楽しいもんだ」

「……本気出したら終われないから、適当にするけど、時間はかかる」

「綾香さんに挨拶してくる」

「わかった」

 少し冷たい感じのするこの女性が、双葉だ。

 今の格好から判断されると、間違いなく女賭博師にピッタリだ。

 流れる黒髪、キリリと引き締まった目許と口許。そしてなにより、彼女が放つオーラ。

 その全てが、彼女を一流の賭博師として認めている。

 双葉の卓から離れ、中年のサラリーマン相手に打っている、綾香さんの所へ行く。

「こんちは」

「慶ちゃんか。今日はデートに連れてってくれるんだろう?」

「恒例の花火を見に行くだけですよ」

「終電気にしなくていいよ。何なら、押し倒しといて」

「俺、欲情は持ち合わせてないんですけどね」

 この会話の間に、綾香さんはダマテンの態勢に入っている。

 なんにせよ、この姉妹弟の麻雀の強さはハンパではなく、それがこの麻雀屋の売りでもあった。

 

 

 毎年、この地区で行われる最初の夏祭りに行くことが、俺達の習慣だった。

 最初の頃は四人で連れ立って行ったものだが、ここ数年は俺と双葉の二人だけだ。

「……今年も元気でいられたな」

「お前のところの両親も元気だしな」

 ちなみに俺の両親は既に他界していたりするが、そんなことはとっくに知り合った仲だ。

 行きの道は露店に立ち寄ることもなく、俺達はさっさと参拝を済ませた。

「……来年も、来れると良いな」

「あぁ」

 現実を見なければならないだろうが、俺は現実よりも強い絆があると信じている。

 今まで一緒に生きてきた仲間が離れ離れになっても、決してその絆は壊れることはない。

「今年は暑い」

 そう言いながらやや胸元を開けた双葉に、俺は思わず視線をやる。

 その視線に気付いた双葉は、俺を蔑むように笑った。

「人の胸を見るな。スケベ野郎」

「俺だって男だよ」

 ……気になるんだよな。

 プロポーションだけで言えば、綾香さんの方が抜群に支持者を集めるだろう。
 それなりのスレンダーさと柔らかさがみえるラインは、それだけで大半の男性を魅了する。

 が、俺はそれほどでもない。

 双葉のスレンダーな身体が浴衣に包まれているのを見ているのが、堪らなく好きなのだ。

 なんとだって言ってくれ。俺は単純にその姿が好きなのだ。

「男にしては頼りないがな」

「余計なお世話だ」

 初夏とは言え、やや地方特有の湿気がある。

 汗に張り付いた髪が、完璧な美を汚す。

 思わず手に触れて、その後れ毛を直してやる。ベビーパウダーの感触が残る手を、双葉が叩いた。

「勝手に髪に触れるな」

「まだパウダー使ってんのか?」

「便利だから。吸汗率とサラサラ感が好きなのだ」

 化粧は限りなく薄い。しかも、紅は薄っすらとさしているだけ。

 一度覗いたことがあるが、指でさしているのには驚いた。さすがは剣道部の主将と思ったものだ。

 

 

 大きな音と共に、双葉の顔が緑色に染まった。

「……今年最初の花火だ」

「夏が始まったんだな」

「暑くなるぞ」

「……国体出場、おめでとう」

「応援、来いよ」

「暇があればな」

「……作ってくれても構わない」

 ずっと花火を見続けた俺の瞳が、一瞬だけ双葉の顔を見ていた。

 様々な色に変化するその顔には、双葉特有の、自信と不安が入り混じっている感じだ。

 既に国体出場四度目の彼女にとって、剣道の試合は何でもないはずだ。

 それでも、双葉は花火を見ている間はいつもこの表情だ。

「……夏の始まりに会う彦星と織姫か。一日と言わず、せめて夏の終わりまででもよかったのにな」

「バカ。会えないからこそ、情が積もるんだ」

「いつも会っても切なさは変わらない」

「……そんなもんさ」

 最後の花火が打ち上げられ、周囲には微かに硝煙が残っている。

 俺は双葉の前を歩きながら、双葉に話し掛けた。

「来年も、来ような」

 

 帰ってこないかと思っていた返事は、俺の肘が暑くなってからだった。

「夏の終わりまで、答えは言わない」

 

 

「好きにするさ」

「好きにする」

 

 

 俺は、自分の汗と双葉の汗、硝煙の匂い、双葉の薫り、その全てをかぎながら、空に輝く彦星に
祈っていた。

「一年に一度。楽しめよ」

 

<了>