勤労感謝特別企画

甘いんだよね


「うわー、全然できないよー」

「もう諦めようよ。無理だって」

 テスト前日の学校では、こんな光景をよく目にする。

 あたしだって別に威張れる成績じゃないけど、何となく輪には加われずにいた。

 別にクラスの中に仲のいい友達がいないというわけでもなく、彼女たちへの軽い嫌悪感からだった。

「紀子ちゃん、帰るの」

「あ、うん。特にすることもないしね」

 比較的よく話すクラスの子に水を向けられて、あたしは咄嗟にそう答えていた。

 多少は残って勉強しようかと思う気持ちもあったけど、彼女たちと一緒に残るのは嫌だった。

「ノリはいいよねぇ、頭いいし」

「別に、頭いいわけじゃないよ」

「だって、この前のテストでも赤点無しでしょ」

「まぁ、その程度はね」

「やっぱ頭いいんだよ。あぁ、その頭分けて欲しいわ」

 赤点をギリギリ逃れているあたしが頭いいなら、ウチの兄貴は天才クラスかよ。

 どう考えたって、自分が普通だと思ってるところが腹立たしい。

「帰るわ」

「あ、うん。じゃ、また明日ね」

 あたしの出した不機嫌さを感じたのか、友子が取り繕った笑顔で送り出してくれる。

 廊下に出てみて思い出したけれど、加奈を待っていたんだった。

 先に職員室に行くと言っていたけれど、まだ迎えに来てくれていない。

「まったく、いい迷惑だわ」

 職員室に顔を出すのも面倒だけど、加奈に黙っては帰れないし。

 早足気味に職員室に入ると、加奈はまだ質問をしている様子だった。

 英語の先生に質問を繰り返している加奈の横顔をぼんやり眺めていると、不意に背中を小突かれた。

 緩慢に振り返ると、担任が荷物を抱えて立っていた。

「あら、担任さん」

「栗原か」

「何してるんですか」

「掃除道具の点検だ。お前こそ、珍しいな」

「別に質問に来たわけじゃありません」

「そうか」

 あたしが身体を除けると、担任は重そうな荷物を床に下ろした。

「勉強は大丈夫か」

「まぁ、赤点を取らない程度にはしておきますから」

「兄妹揃って、お前たちは」

 この担任はあたしの兄貴も担任でもあったせいか、よく兄貴と比べられてしまう。

 性格も違うし、タイプも違うし、能力も違うのに。この担任には同類に見えるらしい。

「兄貴とは違います」

「本質的には変わらんよ。どうせ、教室で居辛くなったんだろう」

 担任の指摘に、あたしは思わず目を瞬かせていた。

 いたのか、教室に。

「お前は血反吐を吐く意味を知ってる人間だからな」

「兄貴ほどの勉強はしませんよ」

 あたしがそう言って肩を竦めると、担任は笑っていた。

「お前のギターの腕と声は、血反吐を吐いて作ったものだろう」

 担任の言葉に、あたしは眉を寄せていた。

「それを才能と言われて、単純に羨ましがられて、お前は納得できるのか」

「……できませんね」

「お前は自分が努力していることを知っているし、努力が出来る人間だからな」

「そんなこと、誰だってできますよ」

「お前みたいな人間ばかりならいいんだけどな」

 そう言ってため息をついた担任に、あたしはひそめていた眉から力を抜いた。

 兄貴の言うように、少しは語りたがる先生らしい。

「疲れてますか」

「お前らとは努力した時間と、解いた問題の数が違うんだよと言いたいぐらいにはな」

「兄貴によく言われますよ」

「生意気な」

 担任の言葉に、あたしたち二人は声に出して笑った。

 ちょうど、加奈が質問を終えたところらしく、あたしの方へと寄って来てくれた。

「紀子、迎えに来てくれたの」

「まぁね。荷物、持って来てないけど」

「大丈夫。そこに置いてあるから」

「帰っても平気なの」

「少しやってもいいかな」

「いいよ。あたし、ここにいるから」

 職員室に併設されている個室に近い面談室へ入って行った加奈を見送って、あたしは担任に視線を戻した。

 壊れていた塵取りの柄にテープをぐるぐると巻きつけて補修しているが、どうにも不器用だ。

「先生は、血反吐を吐いたことありますか」

「多少はな」

「だから成功してるんですか」

 あたしがそう尋ねると、担任は苦笑しながらテープを鋏で切り落とした。

「血反吐を吐いたから成功させてくれってのは甘えだよ。ただ……」

「ただ……何ですか」

「血反吐も吐けない奴が成功するわけがないと思ってるよ」

 そう言うと、担任は不格好な塵取りを手に立ち上がった。

「掃除してくるわ」

「ご苦労様です」

 そういうことだったんだ。

 あたしはただ、腹が立っていただけなのかもしれない。

 自分で引いた限界の線を超えようともしない、甘ったれた彼女たちに。

「意外と熱い人間なのかね、あたしも」

 そう呟くと、あたしはカバンを手に踵を返した。

 

<了>