勤労感謝特別企画

クールでなければ燃え尽きる


「ふむ。直也はそこで何をしているのだ」

 学校から帰宅してみると、直也が私の家の厨房に立っていた。

 今日は、直也の好物でもあるクリームコロッケの試作をするつもりだったのだが。

「何って、いつも世話になってるからな。たまには、俺が作った物を食ってもらおうと思ってな」

「それは構わないが、何故、私の家で」

「持ってくる間に冷めちまうだろ」

「そうか」

 材料を見てみると、おそらくはカレーだろう。

 初心者が上手く作れる物でもないが、食べられないものができるレシピでもない。

「手伝おう」

「なら、そこのジャガイモを頼むな」

 てっきり断ってくると思ったが、そういうつもりでもないらしい。

 私はカバンを居間の椅子の上に置くと、愛用のエプロンをつけて直也の隣に並ぶ。

「皮が上手く剥けなくてな」

「確かに、ゴツゴツしているからな。どれくらいの大きさだ」

「任せる。というよりも、わからん」

「わかった」

 いつも使っている包丁は直也が使っているので、私は少し小さめの果物ナイフを使うことにした。

 切れ味は悪いが、ジャガイモ程度なら難なく剥ける。

 少し小さめにきり、丁寧に出されているボウルの中へ移す。

「えーっと、とりあえず野菜を炒めるんだっけかな」

「肉が先だ。野菜は後から炒めるんだ」

「わかったよ。肉が先だな」

 カレー用のブロックではなく、バラ肉のようだ。

 鍋を十分に熱し、軽く油を引く。

「焦げないかな」

「肉から油も出る。多少は赤い部分が残っていてもいい」

「よし、入れるぞ」

 直也が片手で鍋をつかみ、肉を入れる。

「うおッ」

 高い所から放り込んだから、油が跳ねたんだ。

 火傷した様子はないが、やはり代わったほうがよいのだろうか。

「あ、見ててもいいけど、手は出すなよ。口は出してもいいけどな」

 ……見抜かれていたようだ。

 確かに、私が手を出すべきではないのだろう。

「わかった。だが、いつでも助けられるよう、ここにいてもよいか」

「許す。とりあえず、菜箸取ってくれ」

 鍋を揺らしていたのは、そのせいか。

 私が菜箸を渡すと、直也は器用に肉をほぐしていった。

 元々、直也は手先が不器用なわけではない。

「こんなもんか」

「そうだな。もう少ししたら、野菜を入れて一緒に炒める」

「火、落とした方がいいのか」

「まぁ、気になるのなら落としてもいいだろう。そのかわり、素早く入れなければダメだ」

「おっけ」

 私の言葉に従って火を落とし、ボウルに入っていた野菜を全部ぶちまける。

 本当は順番もあるのだが、まぁ、構わないだろう。

「よし、次の目安はどれぐらいだ」

「ジャガイモが菜箸で崩せるようになるまでだ」

「おっけ」

 何かの本を読んできたらしく、初心者にしてはあまり鍋を動かさない。

 音が変わってきたと感じれば菜箸を入れ、焦げ付かないように全体をかき回す。

 直也がものぐさなこともあるだろうが、なかなかの手付きだ。

「上手いな」

「ま、ちっとは練習したからな。さすがに食中毒は良心が咎める」

 鍋へ視線を落としたまま、直也がそう言った。

 そういったところが好きなんだ、私は。

「おばさんは、退院できそうなのか」

「まぁ、来週には。しばらく通院が必要らしいけどな」

「あまり無理をさせないようにな」

「そこなんだよな。ちょっとは、家事の負担を減らしてやらないとなぁ」

「将来のためにも、役に立つと思う」

「だな。お前にばかり、負担かけさせるわけにもいかないしな」

 今、私にばかりに負担をかけさせるわけにはいかないと言った。

「うおッ、あぶねぇッ」

 いかん。

 思わず抱きついてしまったようだ。

 直也が両足で踏ん張って、バスケのディフェンスのように、私をコンロから遠ざける。

「すまない」

「いや、危ないから気をつけてくれよ」

「すまない。直也が私のことを気遣ってくれたのが嬉しくてな」

「そりゃまぁ、毎日、弁当作ってもらってるしな」

「心配しなくても、私は専業主婦希望だ。もちろん、たまの日曜日に共に夕食を作ったりは大歓迎だ」

 ふむ、良いな。

 娘がテレビを見ている間に、直也と夕食を作る。

 できた食事を娘と共に食べ、食後の片付けを直也と娘の歓声を聞きながらする。

 何と素晴しい。

「あの……トリップしてるところ悪いが、何か飛躍していないか」

「いや、大丈夫だ。やはり、息子よりも娘がよい」

「トリップするなって。それより、水、汲んでくれよ」

「あぁ。分量は私が量ろう。ここが一番のミスポイントだからな」

「任せる。俺は、カレールーを取り出すから」

 少なめに見積もって、適度に水を入れる。

 いつもなら小麦粉とタマネギからルーを作るが、今日は市販のルーだ。

 あまり水加減の細工はできないと考えたほうがよいだろう。

「後は待つだけか」

「そのようだ」

 後は煮込みが完了すれば、直也の手料理だ。

 クリームコロッケは残念だが、直也のカレーには劣る。

 私は嬉しさを隠しきれずに、直也の手を取っていた。

「何だよ」

「嬉しくてな」

「世話になってるお礼だよ。味の保証はないからな」

「直也の作ったものだ。美味いに決まっている」

「あのな……」

 どうすべきか。

 ここはキスか。キスなのか。

 いやいや、まだ早いか。

 先に道具類を片付けて、煮込みの完成と共に寄り添って、味見をしてそのまま……

「なびき、先に着替えて来いよ」

「む。ドレスか。黒がいいか」

「いや、別にドレスじゃなくてもいいけどよ。その、制服のままだろ」

 これは失念していた。

 確かに制服のままだった。

「ドレスとか、やめろよ」

「裸エプロンか」

 私の言葉に、直也がむせた。

「あのなぁッ」

「冗談だ」

「真顔で冗談言うなよッ」

 この間買った、黄色のカットソーにしよう。

 少し胸の部分が甘いから、ブラも変えようか。

「中火に落として、しばらく待っていてくれ」

「あ、火は弱めるって書いてあったな。中火って、どれくらいなんだ」

「コンロに書いてあるところまで回してくれればいい」

「おっけ」

 火を見つめている直也から離れ、急いで自室へと入る。

 よし、まずはコンセントレーションだ。

 今のままでいけば、必ず暴走してしまう。

 押し倒してしまってもよいが、今日は直也の手料理記念日だ。

 これを汚すわけにはいかない。

 本当は今からシャワーを浴びたいところだが、直也に気付かれるのは良策とは言えないだろう。

 やはり最初の予定通り、一緒に味見をして、それから自然と唇が重なって……

 

「なびき、なびき」

「む、何だ、母よ」

 相変わらず神出鬼没だな、母よ。

 いつの間に入ってきたか知らないが、母はベッドの上に座っていた。

「ゴムはいくつぐらい用意しておけばいいかしら」

「心配無用だ。今日は安全日だからな」

「枕カバー、この青いのでいいかしら」

 新品。

 しかも、この間、母と一緒に選んだものだ。

「念のため、敷布団と毛布もお願いしたい。直也は優しいから、床で寝ると言う可能性が高い」

「OKよ。抜かりはないわ」

 さすがに母だ。

 私はもちろん、直也の心まで読みきっておられる。

「うむ、心強い。では、行ってくる」

「母さん、あと三十分したら下りるからね」

「了解だ。ミッションはコンプリートする」

 

 厨房に戻ると、直也が鍋の中身を覗いていた。

 どうやら、においからすると成功のようだ。

「お、戻ってきたな」

「ふむ。いいにおいだ」

「味見してみてくれ」

「ふむ」

 舌を火傷したと言ってみようか。

 それとも、こんな味だと言って唇を重ねるか。

「ほい」

 小皿にとって、その小皿を私に渡してくる。

 カレーの香りはそれだけで食欲をそそるが、今日は直也の特製カレーだ。

「ふむ、美味いぞ」

「よし。オバサン、呼んできてくれよ」

「母は今、忙しいらしくてな。三十分後に来ると言っていた」

「なら、もうしばらく蓋しておくか」

 しまった。

 千載一遇の機会を逃したか。

「結構大変なんだな、料理って」

「あぁ。だが、直也が喜んでくれるなら、私は嫌ではない」

「あー、その、何だ」

 直也がそう言いながら、視線を宙に彷徨わせていた。

 何かあるのだろうか。

「今までの礼っていうか、その、やっぱ借りは返す主義でな」

 そう言うと、直也の瞳が真っ直ぐに私を見つめていた。

「何でも言ってくれ。礼をしたい」

 あぁ、直也。

 だから私は直也が好きなんだ。

「ふむ。ならばキスがしたい」

「なッ……ここでか」

「大丈夫だ。母はいない。一度、キスをしながらコンロの火を消すというものをやってみたかった」

「火、消しちまったぞ」

「点ければいい」

「ほ、本当に来ないんだろうな、オバサン」

 直也が階段の方を気にしながら、私の肩に手をまわしてきた。

 私はコンロの火を点けなおし、直也の背中に手をまわす。

「いいぞ」

「好きだって言ったほうがいいよな」

「当然だ」

 直也の手が、私の髪を払う。

「好きだからな」

 直也の感触がして、私はコンロの火を落とした。

 案外、簡単にできるものだな。

「ん」

「んッ」

 直也に抱きついて、舌を入れる。

 慌てた直也が私を引き離そうとするが、離れてやるわけにはいかない。

 もっと直也を感じていたいのだ。

「ぷはッ……お前なぁ」

「好きなのだから仕方ない」

 私が直也を好きなのだから、抑えられないのも仕方ない。

 やはりクールでいることなどできないのだ。

 直也がそばにいる。

 それだけで、この場所はどこよりも熱いのだから。

 

<了>