勤労感謝特別企画

声が聞こえる


「あ、森澤君」

 昼休み、弁当を食べ終わって一休みしている森澤君に声を掛ける。
 トランプをしていたみたいで、まわりにいた森澤君の友達も、チラリと私を見てきた。

「あ、はい」

「昼休みの保安委員、忘れてないよね」

「あ、あぁ……もう行くの?」

「一応。先に行けば、早く終わるから」

「わかった」

 手にしていたトランプを伏せて、森澤君が席を立つ。
 森澤君の友達が、時計を仰ぎ見て、彼に手を挙げた。

「森澤、ご苦労さん」

「そう思うなら、代われって」

 そう言いながら、森澤君がトランプの机から離れる。
 口にしただけで、本気で交代してもらうつもりはなさそうだ。

 森澤君の後ろについて教室を出ると、廊下の窓ガラスが風でガタガタと鳴りだした。
 冬はもう、すぐそこまで来ているみたいね。

「ごめんね、急がせて」

「気にしない、気にしない。どうせ、やることだし」

 後期の保安委員になったのは、偶然じゃない。
 毎回、何がしらの委員会を務める森澤君の今期の希望を聞きだしておいてもらったから。

「ストーブ、明日からかな」

「どうだろ。朝の気温で決めるってことだから、もう少し後かな」

「十分寒いのにね」

「まぁ、そうかも」

 二人で並んで、廊下を歩く。
 目的地は北校舎の一階資材置き場。
 南校舎の三階からは、一番遠い場所だ。

 渡り廊下を二つ渡って、北校舎の中に入る。
 風の吹き抜ける渡り廊下を渡ったせいか、私たちの足は速くなっていた。

「何だ……まだ誰も来てないよ」

「本当。ちょっと早かったね」

 見まわしてみても、先生の姿すら見えない。
 本当に、少し早すぎたみたい。

「先生、呼んでこようか」

「すぐ来るよ」

 職員室に歩き出そうとしていた森澤君にそう言って、私は壁に腰を乗せた。
 森澤君は廊下の真ん中で、階段の方を向いて立ち続けている。

 あの夏のメールの一件以来、私たちは微妙な間柄だ。
 特に進展するわけでもなく、かと言って、離れるわけでもない。

 学校で用事があれば話もするし、用事がなくても挨拶だけはする。
 でもそれは、今までも同じことで、特に何かが変わったわけじゃない。

 それなのに、”シン”と”MIG”は待ち合わせをするようにもなったし、個人的な話もする。
 だけどそれは、あくまでも”シン”と”MIG”の話。私には関係ない。

「ねぇ、森澤君」

「何?」

「この前の秋祭り、楽しかったね」

 秋祭り。

 初めて男の子と行った秋祭りは、とても楽しかった。
 お酒を飲んだのもあったけど、初めて腕を組んで歩いたし。
 腕を組んで歩きながら露店を冷やかすのが、いつもは邪魔だと思っていたのに、あんなに楽しいなんて思ってもみなかった。

 赤くなってる森澤君の顔も、見ていて凄く楽しかった。
 いつもはあまり口を開かない森澤君が、ほんの些細な接触で慌てるなんて、かわいいなと思った。

「僕も楽しかったな」

「また、来年も行こうよ」

「僕でよければ」

 自分で誘って欲しいんだけどな。
 ”シン”の時なら、誘ってくれるのかな。

「あの時、送ってくれてありがとう」

「お酒、入ってたからね。一人で帰すのも、危ないと思ったし」

「あの後、家では大変だったの。お父さんが”今の男は誰だ”ってうるさくて」

「……それで、何て答えたの?」

 私が視線を送ると、森澤君の視線は天井を見つめていた。
 聞き耳を立てて、どの答えにはどの返事を返そうかを考えている顔だ。

 相手が”シン”なら、この表情は見れない。
 今の私が”MIG”でないように、森澤君も”シン”じゃない。

 ”シン”の記憶を持つ森澤君と、”MIG”の記憶を持つ私。

 そして今、森澤君はきっと私の言葉を待っている。

「……クラスの、男の子」

 そう。
 あの時送ってくれたのは、”シン”じゃない。
 森澤君だったよね?

「そっか」

 森澤君が視線を下ろして、私の方へ寄ってきた。
 もしかして、今から告白?

 

 でも、現実は甘くない。

 森澤君が廊下の中央から離れたのは、先生が来たからだった。
 鍵を持った先生が私たちを見つけて、小走りにやってくる。

「早いな、小原に森澤」

「ちょっと寒かったです」

「いや、スマン」

 いいタイミングで来てくれた先生に少しだけ嫌味を言って、私は先生の後について資材置き場に入る。
 ストーブは既に運び出すだけになっていて、掃除も綺麗にされているようだった。

「しまったな。保安委員だけ呼んだが、考えてみれば一人は女子だな」

「運ぶぐらい平気でしょう。中、灯油入ってないんですから」

「そうだといいが。小原、そっち持ってみてくれ」

 先生に言われて片方を持ってみたけれど……何とか、頑張れるかな。
 この程度なら、何とかなりそう。

「あ、いけますよ」

「無理するなよ」

「大丈夫、大丈夫」

 森澤君とストーブを挟んで向かい合う。
 こんなに近くに森澤君がいるのは、秋祭り以来だ。

「動かすよ」

「いいよ」

 ゆっくり、廊下に出る。

 森澤君が後ろ向きに歩いてくれるおかげで、私は前を見るだけでいい。
 それに、後ろを向きながら歩く森澤君の横顔が見れて、ちょっと嬉しい。

 階段のところまで来て、今度は二人で横に歩きながら階段を上っていく。
 何も言われずに、無言で事を運んでくれるのは、”シン”のときも、森澤君の時も一緒だった。

「あのさ、小原さん」

「なに?」

「来週の日曜日だけど、空いてるかな」

「テスト明けね。今のところ、予定はないけど」

「だったら、一緒にパーティーに付き合ってくれると嬉しいんだけど」

「それって、もしかして、この間のミッションの中で出てた話?」

 先週の土曜日のネットゲームの最中に話のあった、オフ会のことよね。
 まさか、誘ってくるとは思わなかったけど。

「……そんなの、ネット中に話してくれればいいのに」

「いや、”MIG”さんじゃなくて、同級生の小原さんを誘いたかったから」

 階段が終わった。
 また森澤君が後ろ向きに、先に渡り廊下に足を踏み入れた。

 返事をしないままに中校舎を過ぎて、南校舎が見えてきた。
 もう南校舎に入ってしまえば、答えることなんてできなくなる。

「止まって」

 私の言葉で、森澤君が足を止めた。

 渡り廊下に入ったところで、私たち二人は立ち止まっていた。
 ストーブを抱えたまま、同じように視線を南校舎に向けたまま。

「”MIG”じゃなくて、私を誘いたかったんだよね」

「……そう」

「だったら、行く」

 何だろう、この気持ちは。
 ずっと考えていたのに、いざとなると面白い答えは出てこない。

 ただ素直に、”行く”と伝えるだけ。

「よかった。時間と場所は、また後で」

「わかった。それはメールでいいよ」

 私には経験がないから、この気持ちが何なのかはわからない。
 けど、一つだけ言えることがあると思う。

 ”MIG”ではなく私が、少しずつ彼に惹かれているみたい。

 本当の気持ちを口にできるまで、もう少しだけ待っていてね。

 

<了>