勤労感謝特別緊急企画

今だからこそ


「……一人で、何見てんの」

「ん? あぁ……月だよ」

 砂利を踏む足音が、戦艦に背を持たせかけている青年から、少し離れた位置で止まった。

 青年が足音の止まった場所を見ると、軍服姿の女性がグラスを片手に青年を睨み付けていた。

「披露宴抜け出すなんて、何を考えてるのよ」

「いいだろ。お前以外、気付いてないんだろうし」

 そう答えて、青年は空へと視線を戻した。

 再び砂利を踏みしめる音と共に、人の呼気が作り出す白い湯気が、青年の月に雲をかける。

 邪険そうに視線を動かした青年に、香純が壁に手を付いて、青年に覆いかぶさるようにして月を隠す。

「亮さん、探してたみたいよ」

「新婦さんだけにかまってればいいものを」

「そうもいかないでしょう。せっかく、同じ部隊に親戚がいるって言うのに、祝福されてないかと思うわよ」

 香純の言い分に、利丈はグラスを空にした。

「……あんな幸せそうな姿見たら、オレだって拗ねる」

 空になったグラスを持った手を無造作に突き出し、利丈は顔を自分の膝の中に埋めた。

 小さなため息と共に、香純が利丈の隣に腰を下ろす。

「拗ねてるわけか。仲の良い従兄が結婚して」

「悪いか」

「悪くはないけど、それって結構わがまま」

 香純の吐息とともに、利丈の肩に重みが加わった。

 膝から顔を出して重みに耐える体勢に移った利丈は、不自然な体勢のまま、暗い前方を見つめた。

「お前、結婚の意味って考えたことあるか」

「まぁねー……これでも年頃だし」

「縛るんだぜ。永遠の約束で」

「それって、ちょっと違うと思うけど」

「死ねなくなる。兄さんは、確実に死ねなくなる」

「いいことじゃない。生きる意志がなけりゃ、すぐに死んじゃうのが戦場だもの」

 肘で利丈の頭を押さえて、香純はグラスに口を付けた。

 披露宴となっている戦艦の格納庫から持ってきたグラスの中身は、既に半分くらいになっている。

 空になったままの利丈のグラスを目の端に捉えて、香純は中身の補給がないのだとわかった。

「死を恐れたらどうする? 保條少尉を命懸けで守ろうとすればどうなる?」

「……いいんじゃない。どっちにしろ、戦艦のクルーは家族も同然なんだから」

 香純としては思いもよらなかった言葉に、グラスの中身が消えた。

 そのことに顔をしかめて、香純は静かに立ち上がった。

「誰一人失うことなく。もっとも、もう何人かは、いなくなっちゃったけどね」

「死ねない人間の集まりは、奇跡を起こすか。それとも、役立たずで終わるかだ」

「いいんじゃない。奇跡を起こしてやれば」

 利丈の首根っこをつまみ上げ、香純が強引に利丈を立たせた。

 急に立たされたせいか、軽い眩暈を催した利丈が小さく揺らぐ。

「ほら、しっかりして。亮さんの心配事、一つでも減らして上げなさいよ」

 軽く音をさせて背中を叩いた香純の視界が、暗いものへと変わる。

 背中を丸めて座っていた時とは違い、真っ直ぐに立った利丈の身長は、香純を包みこめるほどだ。

 香純と同じ階級章が、香純の剥き出しの額に当たっていた。

「……月のせいだからな」

「いちいち理屈付けないと抱けないわけ?」

「オレは弱いからな」

「はいはい」

 香純の視界が月の光に照らされる前に、香純が自ら視界を閉ざす。

 グラスの硬さと冷たさが、香純に訪れた感傷を冷やしていた。

 

 

 通常、機動戦艦が基地以外に着床することはない。

 しかし、ただ一艦で遊撃部隊を形成している艦に限れば、あり得ない事ではなかった。

 今日も今日とて、クルー同士の結婚に着床を許可するような甘い艦長であれば尚更だった。

「コープル、艦橋に戻るのか?」

 宴の輪の中から抜け出した艦長に、酒の入ったパイロットが声をかける。

「あぁ。まだ艦橋に残っている連中もいる。交代してくるつもりだ」

「悪いな。あと二時間もすりゃ、オレも戻るからよ」

「マックス、無理しなくてもいい。楽しめるときに楽しんでおくんだ」

 まだ年若い艦長の言葉に、マックスと呼ばれたパイロットが笑いながら敬礼を返した。

 それに応えた艦長が姿を消すと、それを追うようにして数人のクルーが格納庫を出て行く。

 それを見ながら、マックス=ウェーザーはグラスに新しい酒を注ぐべく、近くのテーブルへと足を運んだ。

「おい、酒ないか?」

「あるぞ。注いでやるよ」

「悪いな」

 グラスに並々と注がれた酒を満足そうに見つめ、マックスが視線を上げる。

 ボトルを持っているのは、少し前から姿が見えなかった彼の同僚だった。

「何だ、利丈か。便所でも行ってたのか?」

「酔いを醒ましてきた。兄さん……山ア大尉は?」

「大尉なら、さっき食堂の方へ行ったぜ。新婦さんが食堂当番だからな」

「ありがとう……飲み過ぎるなよ?」

 そう言って笑う利丈に、マックスは半分ほどになったグラスを揺すってみせた。

「コイツでラストさ。あと二時間でシフトだからな」

「食堂に行く。何か食べ物がいるなら、持って来る」

「かまわねぇよ。お茶漬けぐれぇ、食べに行くさ」

「そうか。じゃあな」

 食堂の方へ消える利丈と、その隣を歩く香純を見て、マックスが小さく笑った。

「へへッ、アンタらみたいなのがいるから、この戦艦は沈まねぇんだろうなぁ」

 グラスを傾け、虚空の中で見えないグラスと重ねる。

「守る者がそばにいるだけで、人は強くなれるって噂……信じたくなっちまうよ。アンタらを見てるとな」

 

 

 利丈が食堂の中に入ると、新郎と新婦の二人が談笑をしていた。

 ただ、昨日まではなかった新婦の薬指のリングが、利丈に昨日との違いを認めさせる。

「兄さん」

「利丈か」

「結婚、おめでとう」

「それはもう聞いたぞ」

 二人きりの時間を邪魔した従弟にも、亮はそう言って笑いかけた。

 亮の向かいに座っている新婦の方も、別段気分を害した気配はなかった。

「いや、なんとなく。さっきまでのは付き合いで、今のは本音だったから」

「つまり、さっきまでは義理だったわけだな」

「まぁ、そんなとこ」

 そう言ったまま立っている利丈に、亮が立ち上がって、従弟の髪をくしゃくしゃといじる。

 黙ってされるがままになりながら、利丈は小さな声で謝った。

「ごめん」

「泣く奴があるか。一生懸命考えたのだろう? 正しいのかどうかを」

「……素直に祝福すべきだった」

「どうだかわからんぞ。間違った選択をしているかもしれん」

「ついでに、ちょっと悔しかった」

 亮の手が離れ、利丈は慌てて涙を服の袖でぬぐった。

 その様子を、沙苗と香純の二人が眺めていた。

「涙もろいPS隊副長ね」

「そう言わないで。きっと、自分自身が許せなかったんじゃないかしら」

「……よく見てますね、沙苗さん」

 何となく沙苗と同じ側の机にまわった香純が、沙苗と視線を合わせた。

「自分のために、他人のために泣けるから、副長に選んだのよ」

「どうして、そうと?」

「亮が言ってたの。”隊長は非情でなくてはならない。たとえ誰であろうと、死ねと言えるように”」

「”副長は泣けなくてはならない。たとえ誰であろうと、死を軽んじないために”ですか」

 沙苗の後を引き継ぐようにして、その言葉を口に出した香純に、沙苗が驚いた表情を見せた。

 その表情に、香純が真顔で答える。

「亮さんに聞きました。何故、副長なのかって。私ではないのかと、詰め寄った時に」

「そう……納得してる?」

「半分。まだ半分は、頼りないと」

 真顔で続ける香純に、沙苗は再び微笑んでいた。

「亮がいなくなったら、折れると思う?」

「折れて欲しくはないけど、否定はできないぐらいに」

「だったら、折れないように支えてあげることね。沢崎少尉、貴方ならできるわ」

「買い被りです」

「そうね。月に言い訳を求めているのは、利丈君だけではないと思うわよ」

 沙苗の言葉に、香純が驚きと憎しみの混じった瞳を向ける。

 その視線を薬指でかわし、沙苗が席を立った。

「何かに言い訳すること自体は悪くないわ。でも、言い訳を求めている限り、貴方は殻を破れない」

「それは、忠告としてですか?」

「そうね。女性として、先任少尉として。手に入れた側として」

「……年寄りの忠告として、聞いておきます」

 いつの間にか、亮と利丈の会話は途切れていた。

 それでも、香純はそのことに気付いてはいなかった。

「悪ぶった素直と素直ぶった悪だと、貴方が歩み寄らない限り、手に入らないわよ」

「素直ぶった悪……私が」

「さぁ、どうかしら」

 そう言い残して、沙苗が亮の腕をとって食堂を出て行った。

 一瞬、シフトの有無を確認しようとした利丈も、躊躇った後に口をつぐんだ。

 新婚夫婦を見送らされた二人は、どちらからともなく視線を交わす。

「遊ばれたな」

「……月のせいよ」

 そう言って、香純は肩をすくめた。

 

<了>