千客万来、歓迎します
「ほらほら、もっと笑ってくださいよ」
「笑えって言われてもね」
「せっかくの記念写真なんですから」カメラを構える私の前で、振り袖姿の部長と稜人先輩が苦笑しながら立っている。
部長の卒業式が終わった後の部室前で、記念写真を撮ろうというのだ。部長に合わせてスーツ姿の稜人先輩が、照れくさそうに部長に寄り添う。
あれだけ部室の中ではくっ付いてるくせに、いざとなると恥ずかしいらしい。「いつもくっ付いてるのに」
「改まるのは苦手なんだよ」
「そんなこと言ってないで。一生に一度なんですよ」やっぱり、記念の日は記念の日らしくないとね。
ちなみに頼子ちゃんは部室の中で打ち上げの準備をしている最中だ。「はい、じゃあ、撮りますよ」
「あぁ」ようやく寄り添って穏やかな表情を見せた先輩方をフレームに収めて、シャッターを切る。
念のための一枚を撮ったところで、部長が指を一本立ててきた。
使い捨てカメラのフィルムを巻いていた私に、部長は女の人らしいお願いを言ってくる。「ね、もう少し撮って」
「はい」部長に押されたのか、それとも諦めたのか。
稜人先輩が部長の方に手を伸ばした。
すっぽりと稜人先輩に収まるような形になった部長が、今までで一番の笑顔を浮かべる。「……最初からそうしてればいいのに」
あたしは小さく呟いて、無言でシャッターを切ることにした。
フラッシュは焚いていないから、音はそれほどしていないのだろう。
そのせいか、稜人先輩も部長もその体勢のまま、私に微笑みかけている。「はい、撮りますよ」
いつまでも終わりそうにないので、最後の一枚とばかりに私は声をかけた。
稜人先輩の手が、わずかに部長を引き寄せていた。撮り終えた私がカメラを振ると、部長が私の方へ歩いてくる。
「ありがとう、霞ちゃん」
「いいえ。そろそろ中に入りませんか」
「そうね。寒いし」部室の中は暖かかった。
暖房がついているせいもあるけど、中央に鎮座するお鍋のせいだ。毎回思うけれど、お鍋を食べる機会が多い気がする。
今日は部長の卒業式のお祝いだからか、華やかなサラダ付きだ。「阿左美、着替えなくていいのか」
「着付けはできるけど、時間かかるし」
「そうか。汚さないように気をつけろよ」
「大丈夫よ。お母さんのお古だもの」みんなの定位置に座って、グラスを掲げる。
稜人先輩の辞退で次期部長に決まった頼子ちゃんが、乾杯の音頭を取った。「では、阿左美先輩の大学卒業を記念して、カンパーイ」
「カンパーイ」
「おめでとうございます」
「ありがとう」口を湿らす程度にしておいて、私は鍋の蓋を取った。
今日はなんと、テッサだ。
ウチの部に家計簿があったら、食費欄を見るのが怖くなる。もしかして、稜人先輩や阿左美部長のバイト代って、食費に消えてないだろうか。
まぁ、いつものようにお相伴に預かる私たちも私たちだけど。「河豚は初めてですよ」
「皮が美味しいって言うけど、どうなんでしょうね」
「身の方が好き」いつものように五人でワイワイ食べていると、来客を告げるベルが鳴った。
伸ばしていた箸を止めて、お互いが牽制しあうように視線を交わす。ちなみに、しばらく前から部室の前には呼びベルが設置されている。
校内施設を完全に私物化してる気がしないでもない。「よぉ、やっとるな」
誰かが立つまでもなく、来客の方から勝手に部室へ入ってきた。
無遠慮に入ってこれるのだから、明らかに常連さんだ。「あら、キツネ」
「ほれ、手土産のバーテンや」入ってきたのは、演劇部の部長だった今野先輩だ。
今野先輩も部長と一緒に卒業することは聞いている。「まったく、自分の部の送別会を抜け出す部長がいるなんてね」
「硬いこと言うなや。こっちにもお世話になっとるんやし」
「はいはい」一緒に連れられてきたのは、演劇部の次期部長さん。
今野先輩に言わせると、専属のバーテンらしい。
ウチの稜人先輩よりも立場が低そうな人だ。「一年生は来とらんのか」
「研究室の卒業記念会が終わってから来るそうですよ」
「一年生のくせにゼミに入っとんのか」
「優秀な後輩ですから」今野先輩に言われてカクテルを作りだした次期部長さんが、私たちにも注文を聞いてくる。
ありがたく遠慮した私たちを他所に、阿左美部長と今野先輩はグラスを交わしていた。「キツネが卒業かぁ」
「まぁな。アンタと違うて、ウチは就職組やし」
「進学する気はなかったものね」
「演劇はなぁ……大学までやわ。機会があれば、またやり続けたいけどな」大学を卒業すれば、こんな機会はなくなるだろう。
私たちみたいな文章を書くことはどこでだってできるけど、演劇はそうもいかない。
もちろん、私たちだって発表できる場は極端に限られてしまうけれど。「寂しくなるわね」
「そういうもんや。いつかは辞める時もくるし、また始まる時もある」
「そうね」阿左美部長は残ったけど、今野先輩は辞めていく。
新入部員も入ってくるし、入ってすぐ辞めていった後輩もいた。去る者追わず、来る者拒まずで、私たちは続いていくのだろう。
いや、私たちというよりも、文芸部そのものが。
私たちはただ、巣の中にいる雛でしかないのだ。「巣立ちって言葉が似合うかはわからんけど、ウチは出て行く時なんやろ」
「そうね。いつかは出て行かなくちゃいけないものなのかもね」卒業する先輩方の言葉に、私たちは何故か耳を傾けていた。
私たちの様子に気付いた先輩方が笑顔でグラスを掲げる。
それに合わせて、私たちもグラスを持って微笑んでいた。お酒って、本当に便利なものだと思う。
グラスを持ち上げるだけで、何も言わずに気持ちが伝わるのだから。「あ、そうだ。フグ刺しもあるんですよ」
「頼子ちゃん、取ってきて」
「はい」瞬く間にいつもの空気が流れ出す。
これが文芸部なんだろうな。
いつかはきっと、私も出て行かなくちゃいけない。
けれどそのときまで、文芸部は私の居場所でいてくれる。それこそ、来る者拒まず、去る者追わずの精神で。
<了>