梅雨前線、歓迎します
梅雨は嫌い。
湿気のせいで髪がはねるから。
地面からの跳ね返りのせいで、スカートだと素足が濡れるから。「おはようございます」
傘を傘立てに突っ込んで、私は部室の扉を開いた。
雨の日は、大体全員集合になる我らが文芸部。
今日も御多分に漏れず、全員集合のようだ。「おはよう、霞ちゃん」
「お茶でいいか?」五月も末になろうかと言うのに、まだコタツ布団が出ている。
いい加減に外そうとしたのだが、阿左美部長が頑として譲らないのだ。「紅茶、あります?」
「インスタントのレモンティーしかないぞ」
「じゃあ、それで」コタツから出て、稜人先輩が奥へ入っていった。
すっかり慣れてしまったけど、先輩にお茶を入れさせていていいのかな。とりあえず、定位置に腰を下ろす。
一人コタツから出ている義久君は、レポートの真っ最中らしい。
資料をめくる音とペンを走らせる音、キーを叩く音が交互に聞こえてくる。「……ねぇ、義久君はレポート?」
「そうみたいですよ。今日のお昼までに提出だそうです」
「うわ。あと二時間しかないよ」時計を見てみると、正確には二時間もない。
間に合うんだろうか。「まとめるだけだって言ってましたから、大丈夫だと思いますよ」
ドテラは着ていないけれど、頼子ちゃんもしっかりコタツに入っている。
彼女の目の前に置かれている空のカップからすると、カプチーノでも飲んでいたのかな。「それにしても、必死だねぇ」
「何でも、先週は四国へ旅行に行っていたらしいですよ」
「そうなんだ。義久君も旅行好きだよねぇ」そう、最近気付いたのだが、義久君は意外にも旅行好きらしい。
アルバイトで稼いだお金は、ほとんど貯まらないのだそうだ。「お遍路さんを見に行ったそうです」
「あぁ、あの白装束を……」まぁ、文芸部に入るような人間に、まともなのがいるわけないけどね。
私に言わせれば、特に見るほどでもない気がするんだけど。私達の話が聞こえていたのか、レポートをしていた義久君がこちらを向いた。
身体ごと振り返っていないところをみると、まだ終わってないのかな。「祖母の付き添いですよ。祖母があの格好をしてみたいと言うので」
なるほど。
あり得る話だ。「テレビでやってる、畑のネギを自分で刻むうどん、食べてきましたよ」
「あぁ、あの名物おばあさんの?」
「はい。それなりに美味しかったですよ」義久君がうどん好きと言う話は聞いたことがないから、ネタついでだろう。
まぁ、それくらい熱心にネタは探さないとね。「うどんかぁ……」
意味深に呟いた阿左美部長を見て、私は即座に声を飛ばす。
「作らないで下さいよ!」
「……別に作るって言ってないでしょ。私も、うどん好きじゃないし」お、珍しい。
それほど残念がってる表情でもないから、本当に好きじゃないらしい。「うどんは茹でるのが難しいからな。鍋も火力も必要だし……ほい、紅茶」
「あ、ども」うん、おいし。
「少なくとも、この部室でうどんは茹でられない」
これまた定位置に座りながら、稜人先輩がそう教えてくれた。
そう言えば、稜人先輩もドテラじゃない。
今もドテラを着てるのは、阿左美部長だけだ。「ドテラ着て鍋焼きうどん食べてたら、我慢大会ですね」
「そうですねぇ……さすがに遠慮します」話がネタから離れたと感じたのか、義久君のキーを叩く音が聞こえだした。
そう言えば、そろそろ季刊も締め切りだな。「我慢大会か……」
阿左美部長が再び意味深に呟いたけど、今回のは無視。
表情を見てると、どうも創作活動をしている時の真剣な表情っぽいのだ。
私と頼子ちゃんは先輩たちから視線を外して、昨夜のTVの話へと話題を変えた。「昨夜のテレビ、見た?」
「あぁ、伝説のお妾さんですか? えぇ、見ましたよ」
「ちょい役だったんだけどさ、カッコイイ人いなかった?」
「え……義娘の彼役の人? ちょっとワイルド路線入った」
「そう、それ。結構いいと思うんだよね」
「そうですか? すぐに潰れる役者ですよ、あの人。声が聞き取り辛いし」ひとしきりTVの話題に時間を費やす。
私が再び先輩に注意を向けたのは、阿左美部長が立ち上がったからだった。「阿左美先輩?」
頼子ちゃんが、先輩に呼びかけた。
どうやら、頼子ちゃんも立ち上がった先輩が気になったらしい。
頼子ちゃんの呼びかけに、阿左美部長は足を止めてくれた。「うん、お昼買って来ようかと思って」
「あら、食堂に行かないんですか?」珍しい。
弁当持参か、食堂で食べる人なのに。「義久君がここで頑張るなら、お昼買って来てあげようかと思って」
「いや、もう終わりますよ」義久君が画面から顔を上げて、そう答えた。
パソコンが大きな音を立てているところをみると、保存中らしい。「フロッピー提出なんで、もう終わりです」
「そう、お疲れ様。じゃあ、稜人、食べに行こうか」
「そうだな。お前達も来るか? おごってやるよ」おっ、太っ腹!
「おごるって言っても、そこのお好み焼きやだけどね」
気前良くおごると言った稜人先輩に、阿左美部長がそう言って笑った。
いえいえ、おごってもらえるなら何でもいいです。「じゃ、イカ玉で」
早速フロッピーを取り出してパソコンの電源を落とした義久君が、そう言って笑った。
頼子ちゃんも準備は万端のようで、今にもステップを踏みそうな勢いだ。「私はミックスで」
「みっくす玉……て、何?」
「海老と豚肉のミックス。美味しいんだよ、これが」どうやら、頼子ちゃんは何度も通っているらしい。
色々と裏メニューを教えてくれる。
私もたまに行くけど、ミックス玉なんてのは聞いたことがなかったし。「……うーん、私は海老かなぁ」
「イカが一つに、ミックスが二つ。海老が二つね」
「しめて……二千円か」そう呟いて、稜人先輩は財布の中身を確認していた。
まぁ、足りなければ阿左美部長が出すんだろうし。「ま、昨日toto当たったしな」
ま、また当てたんですか?
「一食助かったね」
「ホント、ホント」
「持つべきものは先輩だね」軽やかに前を歩く私達の後ろから、先輩たちの話し声が追いかけて来る。
「換金したの?」
「いや、帰りにしようと思ってたんだ。でも、充分あるよ」
「二人で旅行しようよ。海、行きたい」
「二泊ぐらいで行くか?」
「いい! スケジュール、家に帰ってから調整しましょうか」
「そうだな。家の車も借りないといけないし」お好み焼き屋が見えて来た。
海老玉が私を待っている。うーん、お腹空いた♪
<了>