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赤い色のガラス
1
聞く前に答えはわかっていた。
そのせいか、涙は出てこなかった。
「吟遊詩人になってよ」
「なるつもりだったんだけどな」
王妃にはなれないから。
捨ててもらうしかないと思った。
「あたしは、王妃にはなれない」
「そうか」
妾になる手もある。
そう教えてくれた人もいたけど、妾にはなりたくない。
あたしには、妾と囲われ芸姑の区別がつかないから。
「一緒に来てよ」
「……急な話だな」
戦争が始まれば、貴方は遠くへ行ってしまうから。
その前にここから出て行きたかった。
「もうじき冬が来る」
「寒くなってきたしね」
寒くなる前に答えが欲しかったのかもしれない。
たとえそれが、あたしにとって望まないものだったとしても。
「雪が降る前に聞きたいの」
「どうして、焦るんだよ」
雪が解ければ、きっと始まってしまうから。
そうすればもう、貴方の答えは決まってしまう。
王子として。
貴方は国を裏切ることはできなくなるから。
「聞かせて」
「……すまない」
謝って欲しいわけじゃない。
はっきりと、貴方の言葉で断って欲しかった。
「一緒には行けない」
「そう」
「これから、どうするつもりなんだ」
「あたしは踊り子だもん。どっかで踊るよ」
もっと、暖かいところで。
戦争のない、穏やかで華やかな街で。
「ありがとう」
旅ができたことに。
貴方と知り合えたことに。
「いいのか」
「何が」
「シレジアに来る理由なんてなかっただろ」
元々、生きる目的なんてない。
ほんの少し刺激的な毎日を過ごせて、女の子っぽいこともできて。
「楽しかったからいいんじゃない」
このまま、消えるつもりもないけどね。
せっかくだから、貴方の恋が実るまで見届けたい。
「シルヴィア」
「踊り子はね、泣かないの」
だから、早くどこかに行ってよ。
あたしが走り出す前にさ。
「勝手に、いなくなるなよ」
「大丈夫。もらうもんはもらってから出て行くから」
「頼もしいな」
「でしょ」
さぁ、早くそのまま立ち去って。
あたしの涙が、誰かに見られる前に。
2
身を引いたっていうのに、事態は進展しなかった。
相変わらずの二人を横目に見ながら、あたしは暇を持て余していた。
結局、何気なしにぼんやりしていられる教会の中にいた。
「神父様」
「何ですか」
「神父様は何をしてるの」
さっきから、ずっとステンドグラスを見上げてさ。
別に影絵でもないんだし、そんなに見てたって何も変わらないよ。
「ステンドグラスを見ているのですよ」
「そんなに長く見てて、飽きないの」
「飽きません」
神父様の言葉に誘われるように、あたしは頬杖をついてステンドグラスを見上げた。
「変なの」
「何がですか」
「いつも一緒じゃない」
「そう見えるのなら、幸せなことですよ」
「どうして」
飽きるんじゃないの。
いつも違って見えるなら、楽しいかもしれないけどさ。
「いつもと同じに見えているのなら、いつもと同じように穏やかな気持ちでいるという証です」
「それってさ、いつもと同じ腐った気持ちかもしれないよね」
そういうことなら、あたしにとっていつも同じはよろしくない。
だって、気分がいいわけじゃないんだから。
「シルヴィアさんは、このステンドグラスを見るのは初めてですか」
「ううん。ここ一週間はずっと見てる」
「では、その間、何も変わらない気持ちだと」
「多分ね」
あたしがそう答えると、神父はいつの間にかあたしのそばに立っていた。
白い法衣に、ステンドグラスの色が映りこんでいた。
「そして、その間、あまり楽しい気分ではないと」
「そうね」
「何が、心を憂いさせているのですか」
あの王子と天馬騎士が進展しないから。
どこかで、ここを出ていく踏ん切りがつかないんだ。
未練がましくて嫌なんだけどさ。
「誰にも言わないでよ」
「はい」
「あのバカ王子のこと」
「はっきりしないのですか」
「はっきりフラれた」
「では、そのことで憂いていると」
「かもね」
面倒くさいから、そういうことで。
あまり下世話なことまで聞かないでよね。
神父のくせにさ。
「神父様って、そんなことまで相談に乗るわけ」
「神の前に、俗も高尚もありませんから」
「でも、神父様には俗も高尚もあるんじゃないの」
「貴女の憂いを取り除くだけです」
「どうしてそんなお節介をするの」
「貴女に、このステンドグラスを楽しんでいただきたいからですよ」
「神父様に、何の得があるの」
「教会の中でつまらなさそうにしている方を減らすことができます」
どうしても、神父様は譲らないつもりみたい。
あたしみたいなのにかまってるぐらい暇なのかしら。
「いいわ。教えてあげる」
3
『それほど気になるのでしたら、フュリーさんをけしかけてみてはいかがでしょう』
『それって、情けなくない』
『いいえ。案外、隠れて話が進んでいる可能性もありますし。そうであるなら、貴女の憂いもなくなるのでは』
神父にそう言われて、あたしはフュリーの行動を調べることにした。
と、いっても、元々気にかけていた相手だったから、その行動パターンは把握していたりする。
「……変ね」
夜はあたしの時間だ。
些細な差異でも簡単に気付ける。
「ねぇ、プシュケさん」
「何かな」
訓練のせいで昼食時間のズレていたフュリーの部下に、私は声をかけた。
「フュリーとレヴィンって、ケンカでもしてるの」
「何でさ」
「紅茶の時間が短くなってるんじゃないかなぁって」
あたしの指摘に、プシュケがニヤリとする。
「あらら。気付いてたんだ」
「まぁ、何となくね」
「フラれたのに」
「何で知ってるのさ」
「そりゃ、ようやく王子が腹くくったみたいだからさ。何かあるって思うでしょ」
「そんなに露骨だったかな」
「まぁ、王子の親衛隊が気付くぐらいはね」
リゾットを食べ終えたプシュケさんが、二杯目のスープを持ってあたしの向かいに座りなおす。
暇なのかしらね、天馬騎士団も。
「それで、はっきりしちゃったの」
「うん」
「なら、それでいいじゃない」
「モヤモヤしてたら、神父様に確かめてこいって言われたの」
「俗だね、あの神父様も」
「悩みに、俗も高尚もないんだってさ」
「あぁ。言いそうだよね、あの神父様なら」
そう言って笑うプシュケさんは、内緒話をするためにテーブルの上に身を乗り出してきた。
それに応じたあたしの耳もとで、プシュケさんが疑問の真相を教えてくれる。
「王子、ついに言っちゃったみたいよ」
「あれ、そうなんだ」
「そうよ。ま、王子から聞いたから間違いないって」
「それじゃ、フュリーが返事を渋ったわけ」
「そうみたい」
「何考えてんのよ」
「色々あるんじゃないの」
「そんなの、些細なことでしょ」
「シルヴィアは、王子から切り出されたの」
「そうよ。はっきり言われた。『一緒には行けない』って」
あたしがそう報告すると、プシュケさんが頭を撫でてくれた。
慰められたくはないけど、何故か振り払う気にはなれなかった。
「ま、急に素直になれないのも、あの二人らしいよね」
「何を渋る必要があるのよ」
「まぁ、付き合いが長過ぎても色々とあるんでしょ」
「フュリーに聞いてみたの」
「もう少ししたら、かな」
「どうして」
「今は冬の準備で忙しいからねぇ。仕事を盾に逃げることを覚えさせたくないし」
「ふぅん。随分と優しいんだね」
「そりゃまぁ、ウチのアイドルだからね」
そう言うと、プシュケさんは席を立った。
「ま、気になるなら直接いじってやってよ。あの子にも、何かきっかけがいるんだろうしさ」
4
結局、プシュケさんにも発破をかけられた形になってしまった。
レヴィンもレヴィンで、あからさまに表情が暗いし。
部外者のあたしに気をもませないでよね。
「シルヴィ。これ、飲むか」
夕食後のまったりしていた時に声をかけてきたアレクが、あたしにお酒をすすめてくる。
「何よ、それ」
「今日、ついでに買ってきた酒なんだけど」
「自分で飲めばいいじゃん」
「甘いんだよ、オレには」
「味見だけさせて」
適当に少しだけ注いでもらって、舌の上に広げてみる。
確かにアレクの好みとは少し違う感じかなぁ。
「甘くて美味しい」
「なら、丸ごともらってくれよ」
「悪いよ」
「本命はこっちなんだよ」
「そっちは」
「ジャガイモで作った蒸留酒。少し癖があるんだけど、これでいろいろと作ってみようと思ってな」
そう言って見せてくれたのは、小さめの甕。
中をのぞくと、恐ろしく透明なお酒と、それに似合わない強い香り。
「クセが強そう」
「アゼル公子とやってみようってなってんだ」
「またカクテルなの」
「いいのができたら、また味見してくれよ」
「はいはい。楽しみにしてるわ」
そう言って身をよじって離れようとすると、アレクがグッと顔を寄せてきた。
あたしが顔をしかめたら、アレクは小さな声で囁いてきた。
「ケリ、つけんだろ」
「……何を」
「フュリーなら、今日は夜間訓練が入ってるらしいぜ」
「だから」
「いい機会だと思うぜ。終わったら、必ずここに来るだろうしな」
「……お節介ね、アンタ」
「魚心あれば水心。オレにもいろいろとあるんだよ」
ウインクしなくてもいいって。
大体、アンタには姐御の影がちらついてんのよ。
さすがに先手を打たれてる相手持ちを引っ掛けるのは、素人でもルール違反だ。
「みんな、お人好しなんだから」
「それがこの軍のいいところでな」
「そうかしら」
「シグルド様の薫陶の賜物だな」
「みんな、天馬騎士に鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」
あたしがそう言うと、アレクが意外そうにあたしを見た。
「お前を心配してるんだが」
「何でよ。ただの踊り子に」
「仲間だからな」
「青臭いわね」
「でも、それがシアルフィらしさってやつでな」
「ありがとう」
ここにいると、素直になってしまう。
そんな気がした。
「気にすんな」
そう言って離れていくアレクは、騎士っぽい。
物語のなかよりも青臭い、変な奴よね。
ま、でも、ここまでやられたら仕方ないよね。
誰を心配してるのかは知らないけど、やってやりますか。
5
夜間飛行訓練とやらを終えたフュリーが一人になるのを見計らって、あたしは背後から声をかけた。
「フュリー」
「シルヴィアさん」
「話があるんだけど」
「明日でもよろしいですか。今日はもう、遅いので」
「後はレヴィンに訓練終了の報告に行くぐらいでしょ」
「……何か」
「場所、変えた方がいいと思うよ」
あたしがそう言うと、フュリーは思案した顔で頷いた。
「では、上へ行きましょうか。もう、誰も来ないと思いますので」
「いいよ」
フュリーの後について、発着台へ上がる。
緊急時に使われるという発着台は、月の明かりできれいに浮かび上がっていた。
「それで、話とは」
「あたしの口から言わせたいんだ」
「何のことかわかりませんので」
「アンタ、レヴィンに告白されたんでしょ」
単刀直入に尋ねると、フュリーの視線が揺れた。
動揺するってどういうことよ。
誰も知らないと思ってたわけ、この人。
「それが、何か」
「返事をしない理由。あたしには聞く権利があると思うんだけど」
「それは……」
「あたしはきっぱりとフラれた」
「はい」
「アンタがレヴィンに返事をしてないのは、何で」
強い口調で詰めよれば、フュリーが身体を引く。
それでもあたしは、そのまま詰め寄っていった。
「……貴女には、わかりません」
「何で」
黙らないでよね。
黙るなんて卑怯よ。
こんな女に負けただなんて。
悔しいから、逃がすつもりなんてないんだから。
冬が迫っているせいか、夜の風は冷たい。
たまらなくなって指先をこすった時、ついにフュリーが口を開いた。
「貴女にはわからないわ」
「どうして」
「人を殺したことのない貴女に、わかるはずがないのよッ」
声を荒げて、フュリーがあたしを睨んだ。
人を殺したって、どういうことよ。
アンタ、兵士なんだから、当たり前じゃないの。
「貴女は、その手であの方の背中に触れるでしょう」
「私にはできないッ。血塗られたこの手で、あの方の背中に触れることもッ」
そりゃ、真っ赤な血がついたまま触られるのは誰だって嫌だろうけど。
そんなの、ちゃんと洗って拭けばいいだけじゃない。
「ましてあの方の子を抱くことなど、できるわけがないわッ」
そりゃま、やることはやらなくちゃダメなんだろうけど。
そんなこと言いだしたら、女兵士ってみんな独身じゃないといけなくなるんじゃないの。
「いや、アンタのお姉さんだって結婚してるじゃない」
誰だって、結婚する権利ぐらいあると思うよ。
「王の背中を血で汚すことなどッ」
「いやいや。洗えば済むじゃない」
「洗ってぬぐえるほど、この手についた血は軽くないのよッ」
えっと……とりあえず、この娘がウブなのはわかった。
誰なのよ、こんな純粋培養したのは。
「この手は王の道を切り開くためにあるもの。私には、あの方の隣に立つことは許されないのよ」
「いやいや。アイツはアンタがいいって言ってんじゃないの」
「許されないのよッ。私が王妃として子をなすことなど」
あ、うん。
王様としちゃ、子供できないと困るよね。
でも、どう見てもアンタって安産型じゃないの。
それにお姉さんだって、ちゃんと子供さんいるし。
「血塗られた手で、貴女は子を抱けるのッ」
切羽詰まった表情で迫られると、どうにも冷静になってくる。
これって、単純にマリッジブルーなだけなんじゃないの。
心配して損したというか、もう呆れ果てるね。
「アンタさぁ、何を考えてるのよ」
「何をって」
肩をすくめながら尋ねると、フュリーの表情から怒気が抜けていく。
「そんなもん、誰だって不安だし。釣り合わないって悩むのだっていっぱいいるよ」
それでも、人は感情を裏切れない。
たとえ後悔することになっても。
愛し合えば身体も許すし、子どもだって生んでしまう。
いくら不幸な子供時代を過ごしていても、同じことを自分の子供に繰り返させてしまう奴らだっている。
だからこそ、誰かと一緒にいたいんだ。
自分の不安を分かち合ってくれる、自分と喜びを共有してくれる人を求める。
好きだってだけで結婚できないことぐらいわかってる。
世の中には政略結婚だってたくさんあることぐらい聞いてる。
「卑怯だよ。他人の血で、自分の不安を塗り替えるなんて」
「……そんなことは」
「してないなんて言わせない。
アンタは他人の血で自分の手が染まってるなんて言うけど、塗り替えてもらえばいいじゃん。
レヴィンがそれだけのことをできないはずないよ。それとも、レヴィンを信じてないの」
「シルヴィアさん」
「呆れるわ。こんな女にとられたなんて」
「私は」
「さっさと返事してきなよ。不安だってことをバラしてきなよ。
アンタはか弱い女の子だってことをレヴィンに教えてやればいいんだよ」
結局、レヴィンはフュリーを選んだ。
幼馴染みだからじゃない。
か弱い女の子が精一杯胸を張って生きてる姿に惚れたんだ。
「そうじゃなきゃ……」
返せよ。
あたしのレヴィンだったのに。
「レヴィンが可哀想だよ」
待ってるはずだから。
きっと。
「……ありがとうございます」
そう言って走っていくフュリーが、素直に羨ましく思えた。
「いつも、残されるのはあたしだけ」
さぁ、部屋に戻って寝てしまおう。
明日はきっと、新しいステンドグラスが見られるはずだから。
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