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まんぼう様
(30000番リクエスト)
贅沢な舞台
1
トラキア王国の崩壊。
トラバント王の討死とアリオーン王子の亡命。レンスターの旧領回復にともなうトラキア戦線は、ついに幕を閉じた
本城へ従軍することのなかった私たちは、本隊の帰還でそのことを知った。「さぁ、片付けられるときに片付けておかないと」
ダーナで職を失った私たちは、そのほとんどが慰安部隊として解放軍に雇われた。
ダーナの踊り子たちの中で年長だった私が名義上の隊長となり、彼女たちの管理を任された。いくら戦時中の部隊とはいえ、軍隊は軍隊。
名義上の隊長である私にも、少なくない枚数の書類が回覧されてくる。
そのほとんどが秘密裏の文章であったりするため、私の荷物の半分以上は書類になりつつあった。「姐さん、あの、お話が……」
天幕の中に入ってきた顔馴染みの踊り子が、かしこまって私を呼んだ。
「リティ、何かしら」
彼女と話すため、私は焼却のために取り出そうとしていた書類を荷物の中に戻す。
逆光の向こうに見える人影がリティに心配そうな視線を送っていることを、私は見逃さなかった。「今日はお休みだって聞いたんです」
「えぇ。二日間の休息らしいわ」
「それで、街に行ってもいいって聞いたんですけど……」
「あぁ……外泊許可かしら」
私の言葉に、リティの表情が明るくなる。
これでまた一人、今夜の舞台から踊り子が消える。「はい。あの、姐さんに言えば許可がもらえるって」
「そうよ。誰かさんたちが責任を押し付けてくれたおかげでね」
「えへへ」
笑いごとじゃないわ、こちらとしては。
ただでさえまとまりのない彼女たちをまとめる日々は、気苦労が耐えない。「少し待ちなさい」
荷物の中に戻した書類の束を引き戻して、外泊届のための書類を探し出す。
本来ならば所定の様式があるらしいけれど、戦時中はまとめ書きでいいらしい。「リティ、文字は書けるの」
「やだなぁ、姐さん。書けるわけないじゃないですか」
「そうよね」
踊り子の中では、文字を読める者さえ少ないのだ。
文字を書ける者になると、さらにその数が減る。だから、踊り子は楽師の食いものにもされやすい。
契約をかわすにも、彼らがいなければ何もできない娘が多いのだ。「リティ、今日だけでいいのかしら」
「はい。あの、とりあえずは」
やれやれ。
いいご身分だこと。「明日、一度は顔を見せに戻ること。いいわね」
彼女の名前を書き加えながら、心の中でため息をつく。
これではまるで、彼女たちの母親ではないか、と。「ありがとうございます」
「ほら、外で誰かを待たせてるんでしょう」
「えへへ。バレてますね」
「そうね」
おそらく、上級兵士か下級騎士だろう。
一般兵ならば、踊り子を外泊に連れて行くために届けを出させたりはしない。「それじゃ、いってきます」
「気をつけてね」
「大丈夫ですよ。守ってくれますって」
「そういう意味じゃないのよ」
私たちは、トラキア王国にとって闖入者なのだ。
ダーナのならず者たちに絡まれるのとは次元が違う。「彼、すごく初心なんですけど、強いんですから」
「はいはい」
リティを連れて、天幕の外で待っている男を呼ぶ。
持っている雰囲気からすれば、レンスターの下級騎士か。「この子、お願いね」
「はい。お任せください」
「いってきまーす」
男の腕に捕まりながら手を振るリティを笑顔で見送って、私は誰かに見られる前に天幕の中へと戻る。
「リティは、もう辞めさせたほうがいいかしらね」
従軍が続けられる踊り子には、二種類のパターンがある。
一つは誰かの恋人となり、恋する表情を魅せる者。
もう一方は偶像を演じきり、軍の看板となれる者。妻となることを求めたとき、踊り子はもはや踊り子ではなくなってしまう。
夫となるべき者の死を受け入れたとき、その表情は軍に現実という影を落とす。
影を落とすような踊り子は、当然のように腐敗や恐怖を一手に引き受けてしまう。そうなってしまった踊り子は無力だ。
無残な骸を晒す者、精神を崩壊させてしまう者。
なまじ幸せを感じてしまった分、その末路はより悲惨なものになる。「あの子は、まだ若いのだもの」
諭す必要はないだろう。
嫌われ役を買って出てまで、あの子を踊り子にする必要はない。「恨みたくなるわね」
私に彼女たちのまとめ役を命じた人間を。
そして、今の私の心の枷となっている人間を。「……誰を恨みたいのかね」
呟きに返事をされた私は、ゆっくりと振り返った。
声を聞いただけでわかる。今、考えていた相手なのだから。「いえ、何でもございません」
「そうか」
天幕に入ってきたオイフェ様は、普段よりもいくらか軽い服装だった。
「オイフェ様、私たちに何か」
「今、そこで外に出て行く者たちを見たのだが」
「リティという者でしょう。外泊許可は与えています」
「そうか。ただ、少しな」
「リティが、何か」
「戦場にそぐわない笑顔だった」
そう指摘され、私は思わず息を飲んでいた。
オイフェ様でも感じるほどの、危うい笑顔だというのか。「注意しておきましょうか」
「いや、その意味で言ったわけではない。年頃の娘として、いい笑顔だった」
「隣に男がいたでしょう」
「あぁ。レンスターの見習い騎士だった」
「妻になることを夢見ている者の笑顔です」
私の言葉に、オイフェ様は口を閉じた。
私が渡した外泊許可証に視線を落とし、外泊している者たちの名前を確認していく。「……リーン殿は、出られたのだな」
「あの子には必要ないと言ったのですが、律儀な子で」
「アレス殿にも半分ほど譲っていただきたいものだ」
「隣にいらっしゃいました」
「そうだろう。デルムッドが愚痴をこぼしていた」
あの傭兵が一国の王子だったとは、未だに不思議に思う。
だが、リーンは悲しいほどに賢い子だ。
あの子はまだ妻の座を求めているわけではない。
ただ戦場での拠りどころとして、あの傭兵を慕っている。「街へ行くと言っていたかな」
「おそらくは」
ペルルークの街まで、歩いてもさほどの距離はない。
あの二人ならば、一時間もかからないだろう。「それで、私たちに何か頼まれることでも」
「あぁ。演技のできる者を一人、借りたいのだが」
「そうでしたか」
演技のできる、中央を任せられる踊り子となると、誰が残っているだろうか。
人気のある娘たちは、そのほとんどが外出中だ。「レイリア、できれば君にお願いしたいのだが」
「わかりました。私でよろしければ」
「では、踊り子がプライベートでお客と会っているという服装で、用意して欲しい」
「は、はぁ」
一体、どういう注文なのかしら、それは。
2
踊り子であることを隠しながらも踊り子であることを主張して欲しい。
そんな矛盾した要求に応える服装で、私はオイフェ様の指定した場所へ向かった。
待たれていたオイフェ様は、先程と同じく騎士の軽装だった。「お待たせしました、オイフェ様」
「あぁ。すまない、無理な注文をした」
「いえ……この格好でよろしいでしょうか」
「あぁ。よく似合っている」
どう受け止めればよいのだろう。
私が踊り子だということだろうか。「ありがとうございます」
心の中の質問をしまいこんで、私は頭を下げた。
「レイリア、その格好で馬の背には乗れるかね」
「はい。可能ですが……馬を使われるのですか」
先程から、少しばかり納得のいかないことばかりだ。
戦争に勝った側が支配した街へ赴くのに、何故か敵国の騎士とわかる格好をする。
街の人間を刺激する格好は、今は極力避けるべきだ。ましてや戦争が終結して間もない今は、特に気をつけるべきだろう。
リティのような何も知らない人間ならともかく、オイフェ様のような軍師のすることではない。「さぁ、一枚だけのほうが安定するだろう」
さすがに私を胸の中に収めるつもりはないらしい。
普段よりも前につけられた鞍の後ろに飛び乗り、横座りにオイフェ様を待つ。「さて、行こう」
少し窮屈そうに鞍にまたがったオイフェ様の腰に手をまわし、私は自分の位置を微調整した。
「……少し、お尋ねしても」
「あぁ」
「疑問があるのです」
「この格好かな」
「はい」
馬の足はそれほど速くない。
むしろ、普通の進軍よりも遅いだろう。
貴族の娘たちが戯れる乗馬程度の速さだ。「何故、先程のような注文をされたのです」
「私の、この姿が答えになると思うが」
オイフェ様を見れば、敵国の騎士であると一目でわかる。
そして、彼が従えているのは見る人が見れば踊り子であるとわかる私。「……わかりません」
素直にそう言っていた私に、オイフェ様は私を振り返らずに答えてくれる。
「戦争の終結に必要なものは、何かわかるかね」
「敗者……でしょうか」
よく、戦争が終わるために必要なものであると思われない答えを口にして、私は反応を待った。
「優等生の答えだな」
「では、違うのですか」
「兵士や騎士なら、敗者であることを受け入れる。だが、国民は戦っていなくとも敗者になってしまうのだ」
「はい」
「戦っていた者ならば、己の不甲斐を嘆くこともできる。だが、彼らには嘆くことさえ難しい」
そう言われれば、そうかも知れない。
私たち踊り子は、不運だと割り切ることに慣れているのだ。「その彼らに恨まれる勝者というものも必要なのだ。恨みだけではなく、希望を持つためにも」
「……勝者のエゴなのではありませんか」
「そうかもしれない。だが、ペルルークは商売の街だ」
ペルルークはトラキア唯一とも言える商業都市だ。
そして、民間貿易の拠点でもある。「商売人ならば、今、誰が金という恩恵をもたらすのかをはっきりさせてやれば、敵と味方を利でとらえる」
やはり、一流の策士なのだろう。
今後のことを見据え、遠いイザークの地ではなく、グランベル本国に近いところで後方基地を得る。
そのためのペルルークであり、今回の休息なのだ。「……別のことをお聞きしても」
「街に着くまでに答えられるものなら」
この速度なら、もうしばらくはかかるだろう。
あまり上下動をさせない手綱さばきは、私に思考の猶予を与えてもくれる。「私を選ばれた理由です」
「君を信頼している」
「一介の踊り子を信用する軍師など、存在しません」
私の否定に、オイフェ様はわずかに身体を硬くした。
触れている背中が、私の腕を弾いていた。「……君の容姿だ」
「私の容姿、ですか」
それほど華やかな容姿ではない。
踊り子としての華はあるという自負はあるが、同じ踊り子たちの中で抜き出ているわけではない。
ましてや髪を下ろしている今は、並の踊り子だろう。「君のその髪、その瞳の色だ」
「トラキアの人間であるということですか」
「あぁ。君に求めるのはトラキア生まれの踊り子だ」
「何故です」
「戦利品として踊り子を従える騎士。もしくは、不遇をかこっていた踊り子の逆転劇」
「そこに、人の希望が生まれるとでも」
「少なくとも、私が勝者の軍の人間であるとわかるだろう」
「あくまでも、勝者の軍の戦利品ですか」
「どちらでも、君以上に演じられる踊り子はいないだろう。憂いの踊り子の二つ名をもつ、君以外には」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「それから、君といたいという私のわがままかもしれないな」
最後の言葉は、聞こえなかった。
「街が近づいてきましたね」
聞いてしまってはいけない言葉だ。
聞いてしまえば、求める心が目を覚ます。「宿まで馬で乗り入れる」
「馬を引きましょうか」
「必要ない」
私の耳が急に遠くなっていることを知ったオイフェ様の言葉は、ほんの少しだけ硬く感じられた。
3
馬の背に乗せられたまま、街の関所を通過する。
戦渦に巻き込まれた街外れは復興もままならない状態だが、街の空気そのものは悪くない。
抑圧や不安から解放された空元気のような空気にも感じられるが、人と物の動く賑やかな状態だ。「さて、手を貸そう」
宿屋の厩に馬を預けて、オイフェ様の隣を歩く。
勝者の踊り子を演じるならば、これも仕方のないこと。「何を見に行きましょうか」
「君の望むものを……と、言いたいところだが、先にまわりたいところがあってね」
「お供します」
細い路地を抜け、大きな焦点の連なる通りを歩く。
武具屋か薬屋に行くのかもしれない。「レイリア、君はこの街をどう見る」
「活気のある街ですね」
「人の笑顔は、君にどう見える」
この質問は、勝者の踊り子に向けられたものではない。
おそらく、レイリアという従軍している部隊長に対して聞かれたものだ。「笑顔、ですか」
失望されるべきなのか。
それとも、彼の望む答えを口にすべきなのか。私がその解答を出す前に、オイフェ様が質問を変えた。
まるで、私の逡巡を戸惑いだと気付いたように。「君なら、この街で踊るかね」
「踊ります」
食べるためではなく、見せるために。
彼らには、踊りを見る余裕がある。「なら、いい」
人の流れが途絶えているのは、私にとって幸運だった。
自分の言葉で、彼を失望させることができるから。「トラキアを支えてきた商人をなびかせるには、それなりの代償が必要なのではありませんか」
あくまでも、小賢しく。
そして、踊り子らしくなく。
一般的な答えで貴方を失望させるのだ。「戦禍を防いだだけでは足りないか」
「戦火は、遠くの方でおきたのです」
巻き込まれなかったのは結果だが、その原因に感謝することはない。
それが商人たちの考え方であり、騎士が見落とす部分だ。そして、浅はかな私の思考の限界でもある。
「……ありがとう」
途絶えていた人の流れに巻き込まれないように、オイフェ様が手を伸ばしてきた。
伸ばされた左手に右手を合わせ、人の流れから逃れるように路地を進む。途中でいくつかの商店に立ち寄り、値段を言い値で払いながら、買い物という名の作戦をこなしていく。
彼が直接口にするのは、保存のききそうなものばかり。
保存のきかない生鮮品は私に味見をさせて、私も素直に好き嫌いを述べていく。思い出すこともしたくないほどの恥ずかしいようなやりとりでさえも、演技というならこなしてみせる。
彼を困らせるようなこともせず、ギリギリのところで彼が収拾をつけられる範囲で笑顔と色を振りまく。
「……あら、あれは」
「どうした、レイリア」
街の外れの人通りも少なくってきた路地で、私は思わず声に出していた。
「いえ……珍しいお顔が見えましたので」
あれはアルテナ様だろう。
女性としては長身の、茶色の長髪。
いつものような格好ではなく、髪を背中でゆるく束ねているものの、見間違うはずはない。「……入ってみよう」
「ですが、邪魔になりませんか」
「雑貨屋のようだから、中に人が多ければ止めておけばいい」
「はい」
幸か不幸か、雑貨屋の中にはアルテナ様たちと私たちしかいなかった。
四人も入れば互いの鼓動が聞こえるほどの空間に、偽りの踊り子と亡国の王女が並ぶ。「あら……貴女は」
わずかな間に私たちの格好に視線を走らせ、アルテナ様は隣の男の服を引く。
視線を交わした男が、軽い会釈だけで脇に退いた。「貴女も、髪飾りを」
「いえ、何となく入ってみただけで」
「貴女も隣の人にねだるといいわ。ここは腕のいい細工師が揃っているのよ」
さすがに一国の王女様だ。
私たちの姿に何かを悟ったらしい。「はい。では、貴女も」
「えぇ。こういうことには疎いのだけれどね」
そう言われた青髪の男は、渇いた声を出しながら苦笑していた。
その間に店の者が出してきた品を、彼女は一目で吟味している。「では、右側のものを」
「似合うかしら」
「えぇ、とてもよく」
最後のほうは何か言葉を飲み込んだような感じで、男はアルテナ様の腕を取っていた。
「お先に失礼します」
「じゃあね」
「えぇ」
互いに手を振り合って別れを告げると、髪にふわりとしたものが触れた。
「え……」
「すまない。当たってしまったようだ」
わずかに身体を引くと、オイフェ様の手には白く大きな花弁を持つ花を模した髪飾りがあった。
大きいだけではなく、かなり細部まで作りこまれている。
木に彩色されているのにもかかわらず安っぽさを出さない、かなりの技術だ。「いえ、驚いてしまって」
そんな華は、踊り子には似合わない。
髪を下ろし、今のように歩くだけの私にならば似合うのかもしれないけれど。「よくお似合いですよ」
「あぁ。だが、こちらのほうをもらおうかな」
そう言って彼が取り上げたのは、色ガラスを細工して作られた、小さなオレンジ色の花を模した髪飾り。
「うん、こちらのほうが似合うな」
髪飾りというよりは、髪留めのピンのようなものだろう。
私の髪を巻き上げて留めたオイフェ様は、満足そうに頷いていた。「やはり、君にはこの色が似合う」
「ありがとうございます」
「包んでくれないか」
「かしこまりました」
拒否する間も与えられなかった。
恐縮していると、オイフェ様の指が背中を這った。「今日の報酬だ。胸を張ってくれないか」
「……はい」
包みを受け取り、店を出る。
私の背筋を伸ばすために這わされた指は、今も熱を持ちながら背中にあった。「ありがとうございます、オイフェ様」
礼を言った私を見下ろしていたオイフェ様は、ふと視線を奥に向けると、ふわりと微笑んだ。
理由がわからずに小首を傾げると、オイフェ様は微笑んだ理由を教えてくれた。「君の背中に夕日が見えたんだ。やはり君は夕陽の下で佇んでいる時が一番美しい」
「踊り子は、夜の蝶と申します。篝火が似合うのも当然ですから」
違う。
皮肉を言いたいわけじゃない。「そうかな」
私が自身の口足らずを責める前に、オイフェ様の手が私の頬に触れていた。
「生命力のある夕陽こそ、君の背景に相応しいと思うがね」
「光栄です」
そう。
それでいい。素直に喜びを口にしなさい、レイリア。
たとえ今だけでも、演じていることを忘れるために。「君の頬が、夕陽で染まっていないことを願いたいね」
「それはどうでしょう。確かめてみますか」
「見ているだけではわからないな」
「では、これでわかりますか」
私は自分の方へ、オイフェ様のスカーフを引き寄せた。
最後の一歩を、彼から踏み出してくれるように。
<了>