キリのいい番号リクエスト for イヨ様

俺の彼女は天使様


「お兄様、もう朝ですよ」

「もう少し寝かせてくれ……昨日は遅かったんだ」

 俺を揺さぶる手を寝返りで振り払い、俺は布団を引き寄せた。

「でも、お兄様がこの時間に起こしてくれと」

 律儀に起こしてくれるんだから、ありがたいと思うべきなのかね。

 ただ、俺の身体は睡眠を欲していて、起き上がる気力もない。

「何か、約束があるのではないのですか」

 約束……約束ねぇ。

 何かあったかなぁ。

「カーテン、開けますよ」

 眩しさからは逃れられず、俺は布団から抜け出した。

 窓から入ってくる陽光を腕でさえぎりながら、天井を眺めて頭が起きるのを待つ。

 耳に聞こえてくる物音は、誰かが水差しから水を注いでいる音だ。

「お兄様、お目覚めになられましたか」

「あぁ……水、くれ」

「はい、お兄様」

 コップに入れてくれた水を半分以上飲み干して、俺はようやくベッドから抜け出した。

 突き出したコップを受け取ったティニーが、優しい声でお代わりが必要かを聞いてくれる。

「いや、もういらない」

「あの、私、着替えますね」

「あぁ。俺、出てようか」

「あ、いえ。そちらの陰で着替えます」

 着替えを手に部屋の隅へ行くティニーから視線を外して、俺は窓際に立った。

 特に軍事行動のない休日の癖に、窓の下に見える鍛錬場では兵士が走っていた。

 ここまで聞こえてくる大きな声は、おそらくイザーク兵のものだろう。

 彼らは休みの日でさえも鍛錬を欠かさない。

 まるで朝食と同じ感じで、朝の鍛錬をこなしているのだ。

「お兄様、時間はよろしいのですか」

「あぁ。起こしてくれって頼んだんだっけ」

 実は、まだはっきりと目覚めていない。

 ティニーに起こされたのはいいが、何か用事があったかどうかなんて覚えていない。

「はい。少し早めに起こさせていただきましたが、そろそろ予定の時間を越えてしまいます」

「とりあえず、着替えて食事にしよう」

「はい」

 寝巻きを脱ぎ捨て、そこら辺に転がっている服に着替える。

 俺がもそもそと支度をしている間に、ティニーが寝巻きをたたんでくれていた。

「気にするなよ」

「でも、お兄様が恥をかきます」

「恥をかいたって、困るわけじゃないさ」

「また、フィーさんに怒られますよ」

「それはそれで楽しそうだな」

 怒ってるフィーの顔は、誰よりも可愛いと思う。

 ティニーも可愛いけれど、フィーは別格の可愛さだ。

「お兄様、御髪が」

「櫛、貸して」

 ティニーに言われて、櫛で髪を整える。

 日頃からまとまらない髪ではないが、たまにこうしてはねてしまう。

 ティニーと髪質はほとんど変わらないから、毎日セットしている妹は大変だと思う。

 リボンを巻いたり、俺には面倒でできそうもない。

「んじゃ、行くか」

「はい」

 部屋を出て、城の食堂へ向かう。

 一般兵士たちが使う食堂とは別の食堂なので、まだ人の姿はまばらだ。

 イザークの連中が鍛錬に出ているせいか、時間を間違えたかのように静かなものだ。

「ティニー、お茶を入れてくれ」

「はい」

 ティニーにお茶を入れさせて、二人分の食事を運ぶ。

 平時ではいつもの光景だ。

「ありがとうございます、お兄様」

「いや。食べようか」

「はい。いただきます」

「いただきます」

 焼きたてのパンは、寝起きの身体を目覚めさせてくれる。

 ただの粉がこれほど美味しいものになるのだから、なかなか侮れないな。

「おはよう。早いわね、珍しく」

「おはようございます、フィーさん」

「おぅ」

 まだ眠そうな目をこすりながら、フィーが俺の隣に座ってきた。

「お前、食事は」

「お兄ちゃんが持ってくるわよ」

「セティも一緒か」

「そうよ」

 フィーの言葉を証明するかのように、二人分の朝食を持ったセティがティニーの隣に座る。

 男女を入れ違いに座る兄妹二組で、改めて食事を続ける。

「おはよう、ティニー」

「おはようございます、セティ様」

「今日も可愛いね」

「そ、そんな」

 朝からウチの妹を口説くのは止めてくれませんかね、お義兄さん。

 しかし、ここで思ったことを口にしようものなら、二倍になってやり込められるのは経験済みだ。

「ところで、珍しく早いわね」

「そうか」

「そうよ。アンタ、休日なんて昼まで起きなかったじゃない」

「昼間では言い過ぎだろ」

「そうかしら」

 食べる手を止めずに、俺とフィーは会話を続ける。

 向かい側の二人は、あえて無視することに決めた。

「まぁ、妹の前じゃ眠ってられないか」

「いや、俺は眠る自信がある」

「それは自慢にならないわよ」

「そうか」

 まぁ、早く起こしてもらったのはこの時間のためなんだけどね。

 セリス軍に入ってからは配置の違いもあって、フィーと一緒に食事する時間が極端に減った。

 二人きりで旅していたときとは違うのだから仕方ないけれど、だからといって諦めるわけにもいかない。

 規則正しいこの兄妹は朝食の時間も読みやすいし、チャンスはできるだけ逃がさないことだ。

「そういえば、今、アーサーとティニーって同室なの」

「そうだよ」

 俺がそう答えると、フィーはティニーに話しかけた。

「ねぇ、アーサーって朝弱いでしょ」

「そうですね。なかなか起きられませんね」

「どうしてるの」

「先に支度をして、何度か声をかけました」

「ティニーはね、お前と違って乱暴じゃないんだよ」

「乱暴とは何よ。ただ、カーテン開けて光を入れてあげてるだけじゃない」

「この前は蹴り起こされたぞ」

 いくら時間がないからといって、恋人を蹴り起こすことはないだろう。

 あのラクチェだって、そんなことはしてないと断言できる。

「時間短縮よ。シレジアでは普通なの」

「そうなのか、セティ」

 まさかと思いつつセティに尋ねると、いつものアルカイックスマイルが待っていた。

「……その顔、やめてくれ」

「失礼な奴だな、君は」

 俺たちのやり取りを聞きながら微笑んでいたティニーが、フィーの胸元を見て口を開いた。

「フィーさん、それは」

「あぁ、これね」

 胸元のペンダントを持ち上げて、フィーが俺のほうを見た。

 話していいかという合図なんだろう。

 俺が頷くと、フィーが嬉しそうに笑ってくれた。

「アーサーからのプレゼント」

「珍しい意匠ですよね」

「そうなのかな。これって、火精をかたどったものでしょう」

「はい。でも、その意匠を好んで使う方は、見たことがありません」

「何かいわくつきなの」

「いいえ。よく似たものは見たことがありますけど」

 ティニーの言葉をさえぎるように、俺は話に割り込んだ。

 その意匠は俺が決めた、俺の決意だったから。

「公爵家一門にのみ許された意匠だよ」

「公爵家一門って……アンタ、許されるものなの」

「俺が継ぐんだからな。フィーはその妻になるんだからいいんだよ」

 少しビクビクしながらそう言うと、意外にもフィーはあっさりしたものだった。

「あ、納得」

「納得するのか、フィー」

「まぁ、今はそのつもりだからね」

「今はって何だよ」

「アンタが浮気したら、コレ、投げ返すわ」

「するわけないだろ」

「だったら、これはあたしのものよね」

 そう言って笑うフィーだから、俺は彼女を求めたんだろう。

 思わず手を握り返していた俺に、セティが咳払いをしてきた。

「兄の前なのだが」

「お前こそ、妹を口説いてたくせに」

「私は手を出していない」

「同じようなもんだろ」

 イザークの連中の鍛錬が終わったらしく、外がにぎやかになってきた。

 俺はフィーの手を離すと、何食わぬ顔でセティに別の話題を振った。

「いつまで、休息をとるんだっけ」

「あと数日は事後処理にかかる」

「お前の今日の予定は」

「今日は事前の打ち合わせだな」

「同席してやる」

「珍しい」

「その代わり、お前の親父、一日貸せよ」

「二日分働いてくれれば、後押しはしよう」

 仕方ない。それくらいは働くとしよう。

 フィーを逃がさないためなら、ここが踏ん張りどころだ。

「ティニーは、今日は何もないよね」

「はい」

「んじゃ、忙しそうなお兄ちゃんは放っておいて、今日はあたしと一緒に行こうよ」

「はい」

 先に席を立った俺たちに、フィーが手を振ってくる。

「明日、期待してもいいよねぇ」

「任せろ」

 決めるところは決めてやるさ。

 俺の天使は、誰にも渡さない。

 

 

<了>