90000番リクエスト  for 東野いと様

どうしようもない男


 

 王国騎士団魔道士隊三番隊隊長。
 それが、今の俺に与えられている肩書きだ。

 近年、急速に国力を上げた隣国との戦争状態に入って、もはや八ヶ月。
 軍事力に劣る王国がじわじわと領土を切り取られていく中で、俺たちはまだ前線で踏ん張っている。

「それも、どこまで続くかだな」

 俺たちが拠点としている街の住民は、既に二ヶ月も前から笑顔が絶えている。
 送り込まれてくる兵士たちにも悲壮感が漂い始め、街の陥落も時間の問題だろう。

 既に半分以上の住人が疎開を始め、食料の補給にもわずかな翳りが見え始めている。
 加えて、兵士の損傷率、特に上級騎士たちの損傷率が、激しいこの戦況をよく物語っていた。

 既に戦争開始直後に赴任していた指揮官は戦死。そういう俺も、繰り上がりの三番隊組長だ。
 これ以上ないくらい追い詰められているが、俺にはどうしようもなかった。

 

「すまないが、道を教えてもらいたい」

 人気のない公園の木の根元に腰を下ろしていた俺の顔の上に、影が落ちてきた。
 視線を上げると、騎士の装備をまとった若い女が俺を見下ろしていた。

「赤紙兵士か」

 俺がそう尋ねると、女は眉をひそめ、軽蔑しているかのような冷たい視線を送ってきた。

「冗談は相手を選ぶことだ。貴様の所属と階級を言え」

 随分と偉そうな女だ。
 どこかの没落貴族の一人娘といったところか。

 兄が戦死したのか、父が戦死したのか。
 どちらにせよ、その遺志を継いで戦場へ乗り込んできた、世間知らずのお嬢様だろう。

「魔道士隊三番隊組長、ウィレスだ」

「ほぅ……貴様が疾風のウィレスか」

 女の視線から、軽蔑の色が抜けた。
 見下した態度は変わらないが、少なくとも俺を見ている目が半眼ではなくなった。

「なるほど。随分と自尊心の強い男のようだな」

「冗談。自尊心が強ければ、とっくの昔に死んでるさ」

 戦場での自尊心など、死ぬための特急券のようなものだ。
 自尊心を捨てて、人であることを捨てて、目の前の獣を殺し、逃げる。
 その繰り返しが、戦場で生き残るためのプロセスだ。

「魔道士隊三番隊隊長か。その階級に、偽りはないな」

「嘘をついてどうする。刺客なら、相手を確認する手段をもう少し考えたほうがいい」

「今日から貴様の上官になる、ジャクリーヌ……ジャック=シモンだ」

 そう言って、女が首からかけているペンダントを示した。
 家紋を模っているらしいトップは、俺も見覚えのある中流貴族のものだった。

「シモン家の御令嬢か」

 シモン家には、男勝りの年頃の女がいて、悉く縁談を蹴っているという噂は聞いたことがある。
 シモン家を支えられる力のない者に嫁ぐつもりがないというのが、その女の口癖だそうだ。

「以後、私を呼ぶときは実戦部長と呼ぶのだな。二度と、令嬢呼ばわりはするな」

 どうやら、癇に障ったらしい。
 俺は無言で同意すると、居心地の良い場所から立ち上がった。

 この女は、意地でも俺に案内をさせるつもりだろう。
 それにこれ以上、俺のお気に入りの場所で騒ぎを起こしたくはない。

「それで、どこへ行きたいんですか、部隊長殿」

 揶揄するような俺の言葉に、女はまた眉をひそめ、しかめっ面のまま望みの場所を口にした。

 それを聞いた途端、俺は驚きのあまりに開いた口が閉じられなかった。
 あまりにも馬鹿げていて、あまりにも世間慣れしていない考えだろう。

「……一般兵士の宿舎って、何を考えてるんですか」

「指揮官の顔を知らない兵士が、指揮官の命令に応えるとは考えられぬ」

「指揮官自ら兵士に会いに行くなんて、前代未聞だ」

「前例は関係ない。私は、私が必要だと感じたことを実行し、必ず勝利をつかむだけだ」

 俺は立ち上がったまま、前代未聞の指揮官を見つめていた。

 女にしては背が高いのか、視線の高さは俺とほぼ変わらない。
 その紫色の瞳には、激情や熱情は見られない。
 ただ単純に、冷静に判断を下しているのだろう。

「どうした。早く案内して欲しいのだが」

「どうなってもしりませんよ」

 信念の強い女らしい。
 少なくとも、俺の好みじゃない。

 俺は先に立って宿舎へと向かいながら、女に問われるままに戦況を報告していた。

「敵国との戦力差は、それほど酷いのか」

「負傷兵の替えが効かないのがこちら。負傷兵は後方へ下がれるのがあちらです」

「しかし、この街が落ちれば、王国はこの地方一体の影響力を失う。最後の牙城なのだ」

「住民の半数は避難して、残っている者にも笑顔はない。敗色濃厚ってヤツです」

「乾坤一擲。敵がいかに強大であろうと、必ず崩すきっかけはつかめる」

「そう言われてもね……少なくとも前線の兵士であればあるほど、敗戦を肌で感じ取っている」

 俺自身、帰る場所があれば帰っている。

 既に身寄りもなく、城下にあった兵士宿舎の一室にも、もはや新しい人間が入っているだろう。
 帰る場所がないから、居場所があるだけマシと思いながら前線にいるだけだ。

 仲間も何人も死んだ。信頼していた上官も、頼りにしていた部下も。

「どんなに苦しくても、生きる希望と戦う意志だけは無くしてはならぬ」

「建前で生きられるほど、戦場は甘くない」

 甘っちょろいお題目を並べる女に、俺は完全に頭にきていた。
 敬語も忘れ、まるで敵を睨むような目付きで女を振り返っていた。

 女の足が止まり、そのことに気付いた俺は、慌てて口許を緩めようとした。
 しかし、そうするよりも早く、女は俺の眼を真っ直ぐに見つめながら口を開いていた。

「心に留めておく。貴様の言葉は、前線の兵士の真実なのだろう」

「……出過ぎた真似をしたかな」

「いや、これほど過酷な戦場は初めての経験なのだ。今後も、貴様の意見には耳を貸すことにする」

 てっきり怯えているのかと思った女は、何故か微笑みを返してくれた。
 自信からくるものでもなく、ただ純粋に微笑んだ表情。

 

 思えば、これが俺の人生が狂った瞬間だった。

 

 


 

 女の優秀さは、今までの指揮官とは一線を画すほどだった。
 まず一日でほぼ全ての隊員の名前と顔を一致させ、たった一週間で部隊の再編を為し終えたのだ。

 特殊能力を持つ者を特殊部隊へ編入させ、一撃必殺の毒針を手に入れる。
 あとは兵装の振り分け、隊長の選定なども、いつ寝ているのかと言うくらいに素早く形にしてみせた。

「全体の指揮は、マルクス公にお任せするがよろしいか」

「引き受けよう。だが、シモン公はいかがなさるおつもりか」

「特殊部隊の指揮を執ります。公がこの街を防衛してくだされば、私も安心して敵陣を切り裂けます」

「これは頼もしいお言葉。されど、無理だけはなされぬよう」

「お気遣い、ありがたくお受けいたします」

 

 そんなやりとりが見れるようになったのも、女が俺を副官に任じたためだった。

 魔道士部隊を直接率いるつもりらしい女は、既に俺たちと寝食を共にしていた。
 今日も会議の後は魔道士宿舎の中に入り、独自の偵察部隊からの報告を受けている。

 気負っているだけではない。実に冷静に事を進めているのだ。

「明日には風向きが変わる。敵が動くには、いい頃合だな」

「わずかに白い煙の量が増えているように感じました」

「そうか。来るな……」

 白い煙というのは、おそらく敵の炊き出しの煙だろう。
 総攻撃を仕掛ける前に、十分な英気を養わせるつもりだ。

「雨が上がって、何時間が経っている」

「今朝には長雨が止みましたから、そろそろ十二時間になりますが」

「そろそろだな」

「何がですか」

 一人で納得してる女に、部隊の仲間を代表する形で俺が尋ねた。
 仲間は副官に任じられた俺を、ていよく利用する腹積もりらしい。

「もうじき、急激な雨が降る。この時期にはよくあることだろう」

「派遣されてきた俺にはわかりませんよ」

「この街の歴史書から判断すると、この時期には長雨と急激な雨が交互に来るようだ」

「仮にそうだとして、雨に乗じて奴らが攻撃を仕掛けてくると」

 俺がそう尋ねると、女は首を左右に振った。

「違うな。圧倒的優位に立っている彼らが、わざわざ危険をおかして、雨に紛れての行軍はするまい」

「雨の後、ですか」

「おそらくな。だから、我々は雨に紛れて闇討ちを行う」

 女の言葉に、周囲の空気が止まる。
 それを感じ取ったのか、女は口許を緩めていた。

「やるぞ。先鋒隊には雷の魔法を使える人間を連れて行く。風隊は後詰、炎隊は城の警護だ」

 

 


 

 果たして、急激な雨はやってきた。

 準備万端整えていた俺たちは、雨に紛れて敵陣へ近付く。
 そして、誰一人として発見されることなく、かねての打ち合わせ通りに陣を展開した。

「いいか、一人一殺。見張り兵さえ倒してしまえば、強力な術が威力を発揮できる」

 女の静かな口調が、俺たちの逸る気持ちを落ち着かせる。
 血気に逸るのではなく、ただ淡々と任務をこなす。

 不思議な感覚だ。
 新兵でさえ、あの女の言葉に耳を傾けているのだから。

「風隊は術にとりかかれ。雷隊は各個、魔力を蓄えろ」

 不思議と、雨の音が聞こえなくなっていた。
 どうやら、雨足が弱まってきたらしい。

 不意に、俺の前で機を窺っていた女が、スッと手を真上へ伸ばした。
 仲間たちが立ち上がり、魔力を解放する。

「やれ」

 女の言葉に、一斉に狙撃にも似た魔法の雷撃が敵兵を襲う。

「サンダーストライク!」

 バタバタと倒れる敵兵を確認する間もなく、女が敵陣地に背中を向ける。
 女の視線は、真っ直ぐに風隊の指揮を執る俺に向けられていた。

「やれ」

 竜巻かと思うほどの風の塊が発生し、目の前の敵陣を縦横無尽に駆け巡る。
 もはや制御は効かないだろう。だが、その分、敵に対する破壊力も相当なものだ。

「この機を逃すな! 盛大に打ち払え!」

 右手の方から大きな歓声が上がり、生き残っていた王国騎士団が怒涛のように攻めたてる。
 それを受けて、女はよく通る声で俺たちに叫んでいた。

「我々の狙いは、敵司令の命のみ! 雑魚には構うな、蹴散らせ!」

 女の一声で、冷静だった俺たちの中に、攻撃の炎が燃え上がる。
 何て言ってもお手軽な連中だ。女の声援さえあれば、どんな男だって奮い立つ。

 足の速い仲間が敵陣に踊り込み、手当たり次第に魔法を放った。
 その横を、俺は姿勢を低くして駆け抜ける。

「敵将軍の命を狙う。小隊、遅れるなよ」

 四名の部下を伴い、予め見当をつけておいた場所へと走る。
 竜巻の威力が相当なものなのか、真っ直ぐに駆け抜ける俺たちを止めようとする者はいない。

「えぇい、何をしておるかッ」

 そうは言っても、敵にも骨のある指揮官はいる。
 長槍をかざし、周囲にいる雑兵たちを落ち着かせると、目聡く俺たちの正面を抑えにきた。

「敵の先鋒ぞッ。討ち取れぇい!」

 雑兵たちの血走った目が、俺たちに突き刺さる。
 周囲の状況を確認しようとした俺は、意外なところからの援護に思わず笑っていた。

「そのまま行け! ここで雑兵に構うな!」

 てっきり後方に下がっていると思っていたが、ちゃっかり追走してきたらしい。
 雑兵どもを牽制する雷の嵐が、俺たちを援護してくれる。

 そして、とどめとばかりに女が強力な魔法を放ってくる。
 どうやら、一流の魔道士でもあったようだ。

「雷の精霊よ、今、有り余る仲間を我に貸し与えよ……サンダーストーム!」

 女の手から放たれた雷が、威力を減らさずに拡散していく。
 大気中に存在している価電子を刺激し、魔力の支配下におさめる強力な魔法だ。

 道理で、魔道士部隊を率いたはずだな。
 理論だけじゃない、実戦的な魔法まで習得していたのか。

「どけッ」

 目の前に倒れている敵兵と、その間に立ち竦んでいる敵兵をなぎ払うために、魔法を構成する。

「風の壁よ!」

 女の倒した敵兵を強引に風で弾き飛ばし、俺の魔法が人ごみの中に一本の街道を作り上げる。
 先頭を部下に走らせながら、俺は軽く背後を振り返った。

 さすがに相当な魔力を使いきったのだろう。
 女が立て膝をついていた。

「公をお守りしつつ、後退しろ! 俺たちなら心配ない!」

 俺の命令に、雷隊の連中が女を取り囲む。

「ウィレス!」

「ここから先は兵士の領分だ。指揮官殿は下がってなっ」

「機をみて撤退する。それまでに戻れ!」

 あの分じゃ、素直に撤退してくれそうにない。
 やれやれ、面倒な指揮官だ。

「隊長ッ」

 部下の呼びかけに、俺の意識が再び戦場へと戻ってくる。
 狙いをつけていたテントは、目の前にあった。

「ウインドブレス!」

 魔力を溜め、一撃でテントを吹き飛ばす。
 中から現れたのは、遠目にだけ見たことのある男だった。

「闇討ちとは、随分と姑息な真似を」

「敗者に理屈は通じねぇぜ。この辺で散ってもらうぞ」

 無言で剣を振りかざした男に、俺は小さく指を鳴らした。
 威力の小さな、針のような魔道の風が飛び、男の顔を傷つける。

「グッ」

 当たり所がよかったらしい。
 男は片目を閉じていた。

「終わりだ」

 風の刃を出現させ、男の腰の高さへ横一文字に解き放つ。
 鮮血を流すことなく、男の身体がグラリと揺れた。

「これ以上の長居は無用だ。引き上げるぞ!」

 よく通る女の声が、俺たち先発隊を呼び戻す。

「敵の後続部隊が追いついてきている。総力戦にはするな」

「次にお預けか」

 四人の部下と共に、女の待つ本隊へと戻る。
 出迎えてくれた仲間たちの先頭に、女は腕組みをして立っていた。

「ご苦労。大手柄だ、ウィレス」

「それは、街へ戻ってから言ってくださいよ」

「そうだな。よし、退却する」

 久しぶりの勝利をもたらした女神に、俺たちは完全に心を射抜かれていたのだろう。
 負ける気がしないという覇気が、部隊全体に漂っていた。

 

 


 

「ウィレス隊長、援軍要請です」

「ん……今度はどこだ」

 顔を覆わせていた書物を外して部下を見ると、部下はニヤニヤと笑っていた。
 不愉快に感じて、俺はもう一度書物を顔の上に乗せた。

「ジャクリーヌ=シモン様からですよ」

 あの女将軍か。
 珍しく苦戦しているらしい。

「どこだ」

「そう遠くないですね」

「西か」

 あの女がいるところと言えば、もはや最前線しか考えられない。
 王国随一の騎士となったあの女は、今や前線を任される王国期待のエースだ。

「そのようです。我々の力が必要だと」

「行くか」

「行きましょう」

 バカなもんだ。
 たった一度、あの女が勝利の女神に見えてからって、また過酷な前線に赴こうとしているなんて。

 ようやく、中央の安全地帯に戻ってきたっていうのに。
 せっかくの大手柄も、これでは泣いてしまうだろう。

「悪い女に引っかかったもんだ」

「悪い女ほど好い女ってヤツですか」

 俺と一緒に中央へ栄転してきた部下が、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
 どうせコイツも、あの一瞬に射抜かれたクチなのだろう。

「勝利の女神様の気紛れに、気でも触れたのか」

「かもしれませんねぇ」

 素直に喜んでいる部下に、手に取った書物を投げつける。
 俺の動きを予想していたのか、書物は折れ曲がることなく部下の手におさめられた。

「バカだな」

「隊長はバカじゃないって言うんですか」

「当たり前だ。一度きりの女に恋するほど、俺はこの世に執着してないんでな」

「あ、それいいですね。今度、アイツに言ってやろう」

 軍服の外套に袖を通しながら、緊急呼集のベルのボタンを押す。
 連中が揃う前に、このバカにはお灸を据えるとするか。

「お前、まだあの女を買ったりしてるのか」

 中央に帰るなり、真っ先に女郎屋へ向かったこのバカのことを思いだし、俺はそう言った。

「戦場から帰ったときの息抜きですよ。隊長も、どうですか」

「それより、さっさと身請けしてやったらどうだ」

「兵士にそれを言いますか。家庭を持ったところで、死ねば終わり。また娼婦に逆戻りですよ」

「それで、ゆきずりの演出か」

 叶わない恋心を持つ俺よりは、よほどマシか。
 いや、女を泣かせている時点で、このバカのほうがバカだ。

「ま、悪いとは思っちゃいるんですけどね」

「なら、早いうちに覚悟を決めるんだな」

 軽口を言いあっている間に、二桁に増えた部下たちが勢揃いする。
 少なくとも、数だけで言えば王国の劣勢は挽回されてきているようだ。

 あとは兵士を死なさずに、国力を保ちながら講和の道を探ればいい。

「行くぞ。勝利の女神のいる戦地へ」

「はい!」

 ふと振り返った机の上には、几帳面な女からの援軍要請書が置きっぱなしになっていた。
 会うのはたった二度目の筈なのに、どこか懐かしい気持ちを感じる。

「残り香に吸い寄せられて……か」

「は? 何ですか、それ」

「いや、気にするな」

 そう言い返しながら、俺は部下を連れて歩き出した。

 今は考えたって無駄だ。
 そしてなにより、あの女が俺を呼んだわけでもない。

 たまたま、使える人間が中央には俺しか残っていなかった。
 どうせ、そんなところだろう。

 

 さぁ、行こうか。

 俺の能力だけを必要としている、過酷なる女のいる戦地へ。

 

 

<了>