70000番リクエスト for 槍沢 雑様

素敵なお姫様


 依頼されていた失踪人捜査が終わり、私と俊介は「紅梅」で遅めの昼食をとることにした。

 事務所に戻っても、自宅へ帰ってもよかったのだが、そこまで足を伸ばすのも億劫だったのだ。

 度々感じることだが、失踪人の調査は、こちらの神経を擦り減らす。

「はい、どうぞ」

 いつもはアキが運んでくれるのだが、今日は休みらしい。

 マスターがカウンター越しに、俊介のオムライスを目の前に置いてくれた。

 私は少し時間が掛かると言われたが、パスタセットを注文している。

「いただきます」

「パスタ、もうじき茹で上がりますから」

「あぁ、ゆっくりでかまわないよ」

 私は食べ始めた俊介が気兼ねしないようにと、そこにあった新聞を手にとった。

 今日は朝一で依頼人と失踪人を引き合わせたため、新聞を読んでいなかったのだ。

「何か、ありましたか」

「いや、気になるようなものはないね」

 珍しい記事もない。

 世間は平和そのものらしい。

「野上さん、ベーコンは固めに焼こうか」

「いや、柔らかめでいいよ」

「そうですか。いつも固めだったから、そちらの方が好きなのかと思ってましたが」

 そうなのだ。

 特にこだわりはないのだが、以前、アキに固めの方が身体に良いと言われてから、何となく固めにしていた。

 その彼女が今日はいないのだから、久しぶりに柔らかめの火の通っていないベーコンもいいだろう。

「いや、特にこだわりはないよ」

 そう答えて苦笑した私に、マスターが出来上がったばかりのパスタを運んできた。

 後から出されたサラダが揃うのを待って、私はパスタにフォークを入れた。

「いつも思うのだが、どうして店のパスタは美味しいのかね」

「それはね、茹でるお湯の量と温度が違うんですよ」

「お湯の量って、パスタの袋に描いてあるとおりじゃダメなのかい」

 確か、パスタの袋にはコップ4杯分と書かれていた。

 いつもそれを守って茹でているのだが、マスターのパスタの味には遠く及ばないのだ。

「まぁ、お湯の温度とか、いろいろありますよ。店のパスタが美味しいのはね、調理する火の違いですよ」

「あ、聞いたことがあります。お鍋の形が違うんでしたよね」

 オムライスを半分ほど食べ終わった俊介が、私たちの会話に加わってきた。

 なるほど。確かにテレビで見る店のお鍋は寸胴だ。

 我が家のカレー鍋で茹でるのとは、その時点で違ってくるのか。

「大量のお湯で茹でると、ムラが出ませんからね。でも、家庭でそこまで気を使う必要はないと思いますよ」

「そうだね。『紅梅』に来る理由がなくなってしまうな」

 男二人の所帯のせいか、料理はかなり大雑把だ。

 もちろん俊介は几帳面なのか、いろいろと工夫もしているのだが、私は独身時代のレシピしかない。

 自然と彩りは明るいものではなくなってくる。

「おや、アキちゃん」

 マスターの声に後ろを振り返ると、エプロン姿でないアキが入ってきたところだった。

 手提げのカバンを持っているところをみると、どこかから直接来たようだ。

「こんにちは、マスター。いらっしゃい、野上さんに俊介君」

 客である私たちに挨拶をすると、アキは店の奥に入って行った。

 どうやら、今日はこれからがアルバイトの時間らしい。

「今日はずいぶんと遅いんだね」

「誕生日会だとか言ってましたよ。昼食を外で食べるから、このくらいの時間になるって」

「誕生日会か。懐かしいね」

 妻がいたときは、誕生日になると夕食を少し小奇麗なレストランで食べたものだ。

 最近は自分の誕生日すら忘れることもある。

 そういえば、俊介の誕生日を聞いておかないといけないな。

「アキさん、誕生日なんですか」

 俊介が、マスターにそう尋ねた。

 マスターは店に飾られているカレンダーへ目を向けると、目で日付を数えている。

「もうそろそろだったかな」

「誕生日会は、誕生日にするものではないのですか」

 その疑問を口にするところからして、彼はあまり誕生日会に参加したことがないらしい。

 私は少し微笑みながら、彼の疑問に答えることにした。

「そうとも限らないよ。友達が集まりやすい日にすることもあるさ」

「そうですか。僕、てっきりその日にするのかと」

「特別に親しい人たちとは、その日に軽いお祝いをすることが多いがね」

 そうこう話をしているうちに、アキが奥から戻ってきた。

 いつものエプロン姿からは、元気がにじみ出ている。

 だが、何か違和感を感じる。

「あー、野上さん、またベーコンに火を通してないのね」

「いや、たまにはね」

「ダメですわよ。しっかり火を通さないと」

 まるで妻のように小言を言ってくるアキを見て、私は感じていた違和感の出所に気がついた。

 髪に、普段は着けられていないものがついていたのだ。

「アキ、その髪のものはどうしたんだい」

 私がそう言うと、アキは自分の髪を見ようと顔を上げた。

 もちろん、そんなことをしても見えるわけはないが、彼女は私の言わんとしたものに気付いたらしい。

「あぁ、コレね。今日一日、コレを着けておくのが決まりなの」

「決まりって……何かのゲームかい」

「ゲームってわけではないけれど……誕生日会の主役は、一日、これを着けるのが決まり」

 何と言ったか……そう、ティアラだ。

 「ローマの休日」などで、お姫様が着ける冠。

 どうやら、今は珍妙な遊びが彼女たちの間で流行っているらしい。

「ようこそおいでくださいました」

 そう言って、アキがエプロンの裾をつまんで持ち上げた。

 本人は、エプロンドレスの裾を持ち上げたつもりらしい。

 私は隣の俊介と視線を交わすと、二人同時に笑い出してしまった。

 別に彼女が滑稽だったわけではなく、気恥ずかしさが生んだ笑いだった。

 だが、即席のお姫様は当然、お気に召さなかったらしい。

「もぅ、笑わないでよ」

「いや、すまない」

 頬を膨らませたアキに素直に頭を下げて、私はパスタを平らげることに専念した。

 隣の俊介は食べ終わったらしく、私が読み終えた新聞に目を通していた。

 彼も、今朝は新聞を読んでいなかったようだ。

「それにしても、遅いお昼ね」

「はい。今日は朝から仕事があったので」

「そう。上手くいったのね」

「はい」

 アキと俊介が雑談している。

 彼らの会話を聞こえなくしたのは、紅梅の扉につけられている鐘の音。

 私が振り返ると、これまた、見慣れた顔がそこにいた。

「あ、狩野君。やっぱりここにいたんだ」

「遠島寺さん。ここにいたって、探してたの」

「ううん。事務所の方に行ったら、鍵が掛かってたから」

「今、お昼を食べてたんだ」

 美樹が、真っ直ぐに俊介の隣の席へ向かう。

 アキが俊介のそばを離れ、グラスに水を注ぐ音が聞こえた。

「狩野君、今日はお仕事?」

「終わったところ。遠島寺さんは、どうしたの」

「うん。ちょっと、相談に乗って欲しくて」

「いらっしゃいませ。何か頼む?」

 美樹の前にグラスを置いたアキが、美樹に尋ねていた。

 少し間が開いて、美樹がレモンスカッシュを注文したのが聞こえてくる。

「マスター、珈琲のお代わり」

「はい」

 話が長くなりそうなので、二杯目の珈琲を注文する。

 アキの声がしないのは、レモンスカッシュを作っているせいだろうか。

「あのね、千代絵ちゃんって知ってるかな」

「えっと、湊川さんのことかな」

「そうそう」

 美樹の前にレモンスカッシュを置いたアキが、そのまま横に流れて、私の向かいで止まる。

 私が視線を上げると、アキはカウンター内の椅子に座って、二人の様子を眺めていた。

「そのね、千代絵ちゃんがね、久野君を誘って欲しいんだって」

「久野君を? 何に?」

「あ、そっか。あたし、まだ言ってなかったのね」

 美樹に圧されている俊介というのは、見ていて微笑ましいものがある。

 警部に対しても堂々としているときの彼とは違い、歳相応の弱さというものが見えるからだろう。

 そのことに関しては、アキも同様に思っているらしい。

 アキが笑いながら、私に話しかけてきたのだ。

「ねぇ、俊介君、結構可愛いのね」

「そうだな。滅多に見れるものではないが」

 再び鐘の音が鳴って、アキは接客のためにカウンターを離れた。

 また、俊介たちの声が聞こえてくる。

「千代絵ちゃんの誕生日に、一緒に遊園地に行くんだけど。それで、狩野君に、久野君を誘って欲しいの」

「僕から?」

「あら、千代絵ちゃんに誘えって言うの?」

「え、と……その、僕も行くの?」

「もちろんよ。明日、お昼にあたしが誘うから、そのとき、狩野君が久野君も誘ってね」

「お昼と言われても」

 これほど苦戦している俊介を見るのも、私には微笑ましいことだ。

 美樹も女の子なのだと再確認させられる。

「前もって話してるから、上手く話を合わせてね」

「そんな……僕、上手く話せないよ」

「だから、一晩考えてね」

「うん、わかった」

 そう答えた俊介が、咄嗟に私の方を振り返った。

 彼らを見ていた私は、居心地悪そうに目を瞬かせるしかない。

「どうしましょう」

 私に聞かないでくれたまえ。

 そう言いたくなったが、せっかく俊介が頼りにしてきているのだ。

 少しくらいはアドバイスしてみよう。

「いいじゃないか。行ってきたらどうだね」

「僕、演技は苦手です」

「大丈夫よ。隣にいる久野君を誘うだけなんだから」

 美樹にとっては、簡単なことなのだろう。

 もっとも、俊介にとっては難しいものであるかもしれないが。

「例えば、こういうのはどうかな。『男一人では数が合わないから、久野君も一緒に行こう』とか」

「断られたら、どうしますか?」

 それを言われると、どうしようもないな。

「何とか誘って。千代絵ちゃんには、久野君が来ることが大事なの」

「そう言われても、僕にはわからないよ」

 大まかに考えると、千代絵ちゃんが久野君とデートに行きたいといったところか。

 ダシに使われるのが、美樹と俊介ということらしい。

 もちろん、お節介な私としては、ダシの組み合わせも気になるところではあるが。

「上手く考えましょうよ。千代絵ちゃんがせっかく勇気を出したのだから、何とかして成功させたいの」

「うん。わかった」

 それきり、二人は向かい合っていくつかのシミュレートを検討し始めたようだ。

 私は彼らが結論を見つけるまで動く気はなかったし、カウンターへ戻ってきたアキへ、三杯目を注文する。

「アキ、珈琲のお代わりを頼めるかな」

「あの二人、何を話しているの」

「久野君をデートに誘い出す方法らしい」

「あら、素敵ね」

 素敵と言えるほど、アキは若いのだろう。

 私の珈琲を注ぎ足すと、彼女はまたカウンターの向かいで腰を下ろしていた。

「俊介君も中学生なのねぇ」

「まぁ、いろいろ経験して大人になればいいさ」

「野上さんは経験したのね」

「いろいろとね」

 実際に経験値が多いわけではないが、これくらいの誇張はかまわないだろう。

 そして、二人の相談は、より具体的なものに移っているようだ。

「でも、それなら、千代絵ちゃんが恥ずかしいの」

「それなら、遊園地の券を、四枚先に見せるのはどうかな」

「初めから二人を誘ってるように見えないかしら」

「結論はそうだから、それでいいと思うけど」

「そうかしら。千代絵ちゃんが誘うことになったら、目的と違うような気がするわ」

 端から見れば笑いの種だが、本人たちは至極真剣。

 それが若い頃の恋なのだろう。

 私が薄っすらと笑っていると、アキの顔がアップに迫っていた。

「あたしも暇ですわよ」

「私は暇ではないよ」

「お誘い、お待ちしていますわ」

 そう言って、アキが目を細めて微笑んだ。

 どうやら、今日は石神探偵事務所に女難の相が出ているらしい。

 

<了>