50505番リクエスト for 東野いと様
未来の安全
1
「トノムラ、交代だ」
「あれ、もうそんな時間ですか」
CICの中で、トノムラはゴキッと首を鳴らした。
首に続いてのばした腰骨が、ミシッという音を立てる。
その人間楽器ぶりに苦笑を見せたのは、CICに顔をのぞかせたノイマンだった。
「酷い凝りようだな」
「そりゃあね。一日十時間もこんな椅子に座ってれば、誰でもこうなりますよ」
頼れる上官にそう言い返して、トノムラは十五時間ぶりにCICの外へ出た。
CICの中は空調もあまり効率的には行われず、やや澱んだ空気をしている。
その空気から解放されたトノムラは、大きく息を吸い込んでいた。
「……ふぅ。生き返ったぁ」
心から笑っているような表情を見せる部下に、ノイマンが呆れたように首を振った。
「どうせなら、外の空気を吸ってこい。こんなブリッジの空気なんて、そういいもんじゃないだろう」
「ははっ、そうですね。それじゃ、飯食ったら、外に出てみますよ」
「そうしろ。もっとも、今いる場所は、それほどいい場所でもないが」
そう言って指定席である操舵士席へ向かったノイマンに、トノムラはつきあった。
副操舵士席に座っている少年が、二人の気配に一旦作業を止めて、小さく敬礼をした。
その少年に小さい敬礼を返して、ノイマンが舵に手を伸ばす。
「索敵結果は?」
コンソールを叩きながら、舵の制御を始めたノイマンへ、トノムラは思い出すようにして話しだした。
「これ以上ないくらいに、敵影は見えませんね。このまま、無事に砂漠を越せればいいですね」
「そうだな」
両手でしっかりと舵を取り、ノイマンが視線を航路図へと走らせる。
航路図で周囲の状況を確認し、トールが送ったばかりのデータと照らし合わせる。
その間、トノムラはぼんやりとスクリーンを見上げていた。
今は半透過の光学処理がなされていて、少しずつ変化を見せる砂漠が延々と映し出されている。
「……どうかしたのか?」
トノムラが黙って立っていることに気付いたノイマンが声をかけても、トノムラからの返事はなかった。
それを妙に感じたノイマンが背後を振り返ると、トノムラの視線はスクリーンの向こうへと吸い込まれていた。
「トノムラ」
「……あ、はい?」
二度目の呼びかけで気付いたトノムラを、ノイマンが心配そうに見つめていた。
その視線に気付いたトノムラは、困惑気に頬を掻く。
「あの、何か?」
「疲れているのなら、はっきりと医務室の連中にそう言っておけ。少しくらいなら、中尉も配慮して下さる」
「あ、いえ、大丈夫ですよ。ただちょっと、見慣れない景色に戸惑ってただけですから」
トノムラの言葉に半信半疑なのか、ノイマンが軽くトノムラを睨む。
「大丈夫ですってば」
ノイマンの視線を受けて、トノムラは力を抜いた手首を2、3度前へと倒す。
それでも足りないと感じたのか、手の動きに合わせて、小さく笑った。
それを見て、ノイマンは手首をキッと返し、トノムラを追い払う仕草を見せた。
「とりあえず休め。お前みたいなのでも、倒れられると困るのは俺だからな」
「それって、微妙に頼りにしてくれてます?」
「さっさと行け」
主人に呼ばれた飼い犬のように尻尾を振りそうなトノムラを邪険そうに扱って、ノイマンが前を向く。
少しの間、その後ろ姿を見つめてから、トノムラは艦橋をあとにした。
2
重力大気圏下においてのみ開放を許されるハッチを開け、トノムラは大きく息を吸い込んだ。
少しばかり砂の混じった新鮮な空気は、空調の空気ではない生の生命力をトノムラに感じさせる。
「……いい天気だ」
アークエンジェルは慢性的な人員不足のせいか、補給物資が著しく不足しているわけではなかった。
もちろん、弾薬や水などは節約しなければならないが、食事に関してはおおむね満足できる程度である。
トノムラは食堂から拝借してきた非常食用のサンドウィッチを片手に、アークエンジェルの外装に背を預けた。
ちょうど艦橋の部分の影になっているせいか、さほど背中に熱は感じなかった。
「ん……トノムラ、か?」
ローヒールのパンプスの、やや低めの足音がトノムラの耳に入る。
トノムラが上を見上げると、ナタルがトノムラを見下ろしていた。
「あ、中尉。オレ、ようやく休憩なんですよ。せっかくだから、外で食おうと思って」
自分で言っておきながら、やや弁解めいた返事であることに気付き、トノムラは苦笑した。
ナタルはスカートの裾を気にすることなく、一つ上のデッキから、トノムラのいるデッキへと滑り降りた。
「また、卵サンドか。栄養が偏るぞ」
「新鮮な卵は、補給があった直後くらいしか食べられないじゃないですか。今だけですよ、今だけ」
「私が言っているのは、一つのものばかり食べていてはいけないということだ」
トノムラの返事を屁理屈と受け取ったナタルが、腰に手を当てながらそう言った。
普段とは違う角度で見下ろしてくるナタルに、トノムラは目を細めながらサンドウィッチを掲げた。
「お一つ、いかがですか?」
「……いや、せっかくだが遠慮しておこう。私はもう食事を取ったあとだからな」
「そんな女性みたいなこと言って」
「悪いか? 私だって体重が気になる年頃だ」
ナタルの言葉に、トノムラの視線が上下する。
敏感にその視線の先を捉えたナタルが、軽蔑の視線を送った。
「……あまり、良い態度とは言えんな」
「別に、誰も見ちゃいませんよ」
「どうかな? お前の索敵能力には、何かしらのムラがある」
意地悪そうに口許を曲げたナタルに、トノムラは視線をナタルから外し、大きくため息をついた。
トノムラの視線の先に広がる砂漠には、熱気に踊らされる砂しか見えなかった。
「あの勤務状態でミスせずにってのは、オレには無理ですってば」
「そうか? 少なくとも、ノイマン少尉にミスは見つけられないぞ」
「あの人は別です。大体、特務で階級までもらっちゃうような人、普通じゃないですよ」
「そうか? それを言うなら、お前もこの任務を達成すれば、昇進が待っているのだろう」
少し間を置いて、トノムラの視線が再びナタルを見上げた。
拗ねたような小生意気な視線が、ナタルを不思議と愉快な気分にさせる。
「特尉と准尉。それだけ、歴然とした差ですよ」
トノムラの言葉に、ナタルはスッとトノムラの隣へと腰を下ろした。
ナタルが影に入れるようにと、トノムラがわずかばかり身体をずらす。
そのトノムラと腕が触れるギリギリの距離をとって、ナタルが身体全体を影の中へと隠した。
「……その気配りが、お前の好さだ」
「じゃ、ご褒美下さいよ」
途端に笑顔を見せて頬を指したトノムラに、ナタルが唇を寄せる。
トノムラの頬に湿り気すらも与えないかすかな触れ合いに、トノムラは不満そうに口許を尖らせた。
「て、中尉」
不満を隠そうともしないトノムラに、ナタルが立ち上がって微笑む。
ナタルの動きにつられるようにして視線を上げたトノムラは、突然下りてきたナタルの指に額を押さえられた。
「ゆっくり休めないだろう、化粧のにおいが残ってしまっては」
「いいえ! 逆にそのほうがよく眠れるかも」
お菓子をねだる子供のようなトノムラの仕草に、ナタルがチラリと左右を確認する。
その動きを好気配と感じたトノムラが立ち上がる前に、ナタルの指が強くトノムラを押さえた。
腰をやや浮かせただけの不安定な格好になったトノムラの額へ、ナタルは屈み込んで額を合わせた。
「え?」
予想外の行動に思わず声を上げ、トノムラはトスンと腰を落とした。
「化粧をやり直す時間はないんだ。許せ」
「あ……はい」
トノムラの返事を聞いていないかのように、ナタルがトノムラのそばに落ちてしまったサンドウィッチを指す。
「無駄にするなよ。この熱気では、すぐに腐る」
「あ、はいッ」
慌てて卵サンドを頬張ったトノムラの様子を笑って、ナタルはピシッと敬礼を決めた。
そして、トノムラが敬礼を返す前に、ナタルはクルリと背中を向けた。
「仕事だ。トノムラは、充分に休め」
トノムラの返事を聞くことなく、ナタルがハッチの向こうへと姿を消した。
デッキに一人残されたトノムラは、残りの卵サンドを食べ終えると、再び外装に背を預けた。
何気なしに見つめる先は、変わらず熱気に舞わされる砂ばかり。
太陽も傾く気配は一向に見せず、徐々にトノムラのいる影の部分を減らし始めている。
「アレで満足するんだから、オレって安上がりだよなぁ」
まぶたを閉じれば蘇ってくるような額の熱に、トノムラは自嘲気味に笑った。
勤務超過で疲れを訴える身体に、まぶたの闇は心地よい睡魔を連れて来る。
睡魔へと身を預けながら、トノムラはゆっくりと立ち上がった。
「部屋帰って寝よ」
どんなに疲れていても、部屋に帰って寝る。
軍人としての基本を忠実に守ろうとしている自分に苦笑しながら、トノムラはハッチを締めた。
ハッチを締めれば、ひんやりとした空調がわずかながらにトノムラの目を覚まさせる。
しかし、それも一時の清涼剤でしかない。
重くなるまぶたと戦いながら、トノムラは通路の向こうに見える金髪の上官に舌打ちをして通路を曲がる。
長身の奥に映った白い軍服は、間違いなく上官の意中の人。
この戦艦のアイドルの一人であり、最高責任者。
「隠れてやって欲しいな、オレみたいにさぁ」
欠伸交じりに呟いて、トノムラはフラフラとした足取りで下士官組の部屋へと辿り着いた。
この数時間の睡眠が、あとの十数時間の艦の安全につながる。
そう、信じて。
<了>