空をつかんで
1
地球軍の新型機動戦艦・アークエンジェル。
地球軍きっての美女コンビが指揮を執る、まさに天使の住まう戦艦である。
もちろん、戦場に姿を現した時からの戦果も並大抵のものではない。
新米艦長が就任しているとは思えないほどの働きぶりで、敵方にすら目を付けられている程だ。
もっとも、搭乗している兵士たちにとってはこれほど厄介なラブコールもない。
「……ふぅ」
「疲れたか?」
昼食が載せてあるトレイをテーブルに置くなりため息をついた少女に、トレイを持った士官服姿の青年が声をかけた。
士官服を着込んでいる青年の素性は一目でわかる。
アークエンジェルにいる男性士官はたったの三名。しかも、その内の一人はまだ少年なのだ。
「いいえ。また少尉とお昼なんだなぁって」
「それは悪かったな。俺も、一人きりで士官食堂で食べるのは気分が悪いんだ」
ため息をついた少女の斜め向かいにトレイを置き、青髪の青年は早速食事を始めた。
そんな青年の態度に腹を立てたのか、少女は青年の正面の席へ移動すると、手にしたスプーンを青年の目の前に突きつけた。
「ついこの間まで、食事だけは一緒だったんですよッ」
憤懣やるかたないといった表情でスプーンを揺らすミリアリアに、ノイマンは小さく肩を竦めて見せた。
「俺だって少し前までは、中尉と一緒に食事ができたんだ」
「何とかして下さい。トールと一緒に食事ができるようにして下さいッ」
「俺に言われてもな……」
アークエンジェルは慢性的な人手不足という問題を抱えていた。
まだまだ少女のあどけなさを残すミリアリアも、立派な通信士としてブリッジで働いている。
彼女が名前を出したトールと言う少年も、副操舵士としてノイマンの下で働いているのだ。
「少尉はトールの上司なんでしょ。だったら、私と食事ができるようにして下さい」
「何とかしてやりたいとは思うが、この状況では仕方ないだろう」
ノイマンの言う通り、最近、アークエンジェルはZAFT軍から執拗に追い掛けまわされていた。
常に戦闘配備が解けない状況が続き、遂には副長であるバジルールがシフト表の変更を決定したのである。
「シフトはともかくとして、食事休憩にまで口出しされたら、少しの時間だって一緒にいられませんッ」
ノイマンにしても、ミリアリアの不満はよくわかっていた。
元々、軍務規定には甘いラミアス艦長の計らいから、食事休憩時だけは自由交代だったのだ。
それが今は、副長のバジルールによって厳しく制限されている。
特に操舵士の二人が同時に食事休憩に入ることはなくなり、トールの監督としてバジルールがブリッジに残ることになった。
そうなると、バジルール直属の部下であるミリアリアは必然的に、ノイマンと同時に食事休憩をとることになるのだ。
「仕方ないだろう。トールは貴重な戦力なんだし」
「わかってますッ」
さすがに空腹を覚えたのか、ミリアリアがスプーンの用途を正常なものへと戻す。
音がしそうな勢いで目の前の昼食を食べ始めたミリアリアを見て、ノイマンは無駄とわかっていながらも弁明を始めた。
「俺が食事をする時、トールが操舵席にいないと困るんだ」
「わかってます。少尉のいない時は、トールが艦を動かしてるんですから」
「そして、俺以外で操艦に詳しいのはバジルール中尉なんだ」
「だったら、中尉が少尉の代わりに操艦すればいいんです」
喉に詰まりそうになった御飯をお茶で流し込み、ミリアリアは湯呑をテーブルの上に叩きつけた。
あまりの物音に近くにいた整備班の数名がミリアリアを振り返ったが、絡まれているのがノイマンだとわかると、すぐに興味を失ったようだ。
「戦闘配備中は尉官が一人以上、ブリッジにいる必要がある。そうかと言って、艦長は操艦に詳しくない」
「だから、何とかして下さい。大体、何で私が少尉と一緒に休憩なんですか?」
ミリアリアは気付いていないようだったが、ミリアリアはソナー員であるトノムラと交代で食事休憩が割り振られている。
操艦技術が未熟なトールが操艦する際に攻撃された時のため、熟練したソナー員が就いているのだ。
人手不足のアークエンジェルでは、ソナー員が平時のオペレーターも兼ねていた。
「いや、俺と一緒じゃなくて、君はトノムラと交代なんだが……」
「だったら、トノムラ曹長に言えば何とかなるんですか?」
「いや、ならないと思う」
「じゃあ、少尉に愚痴るしかないじゃないですか」
結局のところ、頭ではミリアリアも理解しているのだ。
そうかと言って、頭では納得できたとしても、気持ちまで抑えられるものではない。
まして、ついこの間まで学生をしていた彼らに、そこまでの技術を求めるのは酷である。
「……俺だってな、中尉と一緒に飯くらいは食いたいよ」
昼食を食べ終えて、ノイマンは食後のお茶を飲み干してからそう言った。
とある事情から、ミリアリアとトールは二人の仲を知っている。
ミリアリアの方も、そのことを承知の上でノイマンに絡んでいたのだ。
「何とかして下さいよ」
「しかしなぁ……俺、少尉だし」
「同期なんですよね?」
ミリアリアの言う通り、二人の年齢は同じであり、学年も同じ筈である。
しかし、ノイマンはあっさりと首を横に振った。
「仕官学校入学は一年違う。それに、俺は仕官学校中退で軍に入ったからな」
「恋人ですよね?」
「それが通じるくらいなら、俺がシフトを組替えている」
結局のところ、勤務と休憩に関する事は全てバジルールが決定権を持っている。
ラミアス艦長もこの件に関しては、全くバジルールに頭が上がらないのが現状だ。
ミリアリアはそのことを再認識させられただけで、昼食休憩を終えることになった。
「はぁ……トールに腕枕してもらいたいな」
トレイを片付けてブリッジへの通路を歩きながら、ミリアリアが嘆息する。
一歩前を歩いていたノイマンは、やや歩調を緩めて背後の彼女を振り返った。
「アイツ、腕枕なんてするのか?」
「しますよ。ギュッてしてくれたり、黙って髪を撫でてくれたり」
「熟年夫婦か、お前ら」
「あ、偏見。疲れた時は何もしないで寄り添ってるのが一番良いんですよ」
この手の話題になると、ミリアリアも顔色が元に戻ってくる。
ノイマンも熟年夫婦とからかいながら、この少女の食いついて来る話題には気が付き始めている。
「向かい側で紅茶を飲んでるのを見つめるのがいいな」
「それはバジルール中尉限定ですよ。紅茶の似合う女の人じゃなきゃ、ダメじゃないですか」
「そうか? 横並びに並んで、眠りながら頭を肩に乗せてこられるのも好きだな」
「起きた時に恥ずかしいです、それは」
そう答えたミリアリアは何かを思いついたのか、満面の笑みを浮かべた。
ノイマンがくるくると変わる少女の表情に足を止めると、ミリアリアはスッと彼の正面にまわりこんだ。
「少尉、中尉と二人きりになりたくありませんか?」
「……何をする気だ?」
あまりにも嬉しそうなミリアリアに、ノイマンはさすがに不気味なものを感じ取った。
冗談や嘘には縁がないと思われる少女だが、それでもノイマンから見れば立派な悪戯心も持ち合わせている。
「これから、トールと中尉が交代で食事ですよね?」
「そうだろうな」
「だから、そこでトールにも今みたいな話をさせるんです」
「……無駄だな」
「……ダメですか」
そう言って肩を落としたミリアリアの肩をつかみ、ノイマンはニヤリと笑った。
彼の笑顔の意味を図りかねたミリアリアが怪訝そうに彼を見上げると、ノイマンはミリアリアの耳元に口を寄せた。
「今の話だけでは無理だ。だが、少し変えれば勝機はある」
「え?」
耳元で囁いたノイマンの言葉に、ミリアリアがパッと表情を輝かせた。
2
「ミリィ、お疲れ様」
いつものように自分の座っている席へ来るミリアリアへ手を伸ばしたトールは、戦艦に乗ってから初めて空をつかんだ。
「え?」
信じられないと言ったように自分の手の先を見つめるトールに見せつけるように、ミリアリアは殊更華やいだ声でノイマンに話しかけた。
「少尉、またお話して下さいねッ」
「あぁ」
呆然としているトールの脇を抜け、ノイマンが着席する。
ミリアリアがその隣で笑顔で話しているのを見ることもできずに、トールはふらふらと副操舵席を立ち上がった。
「……食事してきます」
「えぇ……」
日頃は学生達にも気軽に声をかけるラミアスでさえ、そう答えるのが精一杯。
トノムラやチャンドラ、カズイに至っては何も言えないまま、トールを送り出すよりなかった。
傍目から見てもわかる落ち込み様でブリッジを出たトールは、通路で待っていたバジルールに肩をつかまれた。
虚ろな瞳を持ち上げたトールを、バジルールが有無を言わさずに連行する。
二人が向かったのは、最近誰も使用することのなくなった士官食堂だった。
「……座れ」
「はい」
昼食用のトレイを受け取りながらも、トールは一向にスプーンを動かそうとはしない。
バジルールの方も、何故か食事が進まないでいた。
「……何か言いたいことはないか?」
バジルールのその言葉が引き金となったのか、トールは体を跳ね上げると、涙目になってバジルールへと詰め寄った。
「ヤバイです! ミリィの奴、かなり怒ってます!」
「ふむ。いつになく無視された様だったな」
「しかも、少尉と楽しげに話してたじゃないですか! 俺、何もしてませんよ!」
「胸に手を当てて考えてみろ。何か、彼女の機嫌を損ねるようなことをしたのだろう」
「一緒に居れもしないのに、何かできるわけないじゃないですかッ」
スプーンも食事のことも忘れて、トールが誰もいない士官食堂でバジルールへと文句を言い始める。
よほど言いたいことが溜まっていたのか、最後にはミリアリアの良さまで話しだす始末である。
「わかった、わかった。わかったから、昼食を摂りながら話せ。時間がなくなる」
バジルールも食事をする手が止まっているのだが、トールの方はそれにも気付かない。
バジルールに言われるままにスプーンを動かしながら、それでも先程までと変わらぬ勢いで話し続けていた。
「きっと、少尉と一緒にいるうちに、少尉に乗り換えたくなったんですよッ」
「ケーニッヒ弐等兵……」
「いい男なんですから、ノイマンさんは。好きになる女の人がいたっておかしくないって、いつも言ってたし」
「そ、そうか」
「それに、クルーの中にもノイマンさんを狙ってる人は多いんですよ! ミリィが先手を打ったのかもッ」
「落ち着け、ケーニッヒ弐等兵」
「きっと食堂の誰かがアタック仕掛けて、ミリィが対抗したんですよッ」
「落ち着かんかッ」
テーブルの上を拳を握りしめて叩きつけ、バジルールがトールの眼を覗き込む。
思わずアップに迫られたトールは、息を飲み、ようやく口を閉ざした。
「……とにかく、ハウ弐等兵が本気かどうかはわからんが、非常に危険な事態だ」
「……はい」
それまでの勢いが消えてなくなったトールは、大きく息を吐いた。
残っている食事にスプーンを伸ばし、少しずつ口へ運ぶ。
二人して通夜のような雰囲気で食事を続けながら、バジルールはポツリと呟いていた。
「しかし、モテるのか、少尉は」
何気なく呟かれたその言葉を、トールはしっかりと捕らえていた。
それと同時に、頭の中にある疑問が浮かんだ。
「中尉……少尉のことは俺達よりも知ってる筈ですよね?」
疑問をすぐに言葉に変えたトールに、バジルールは呆れるほど動揺していた。
尋ねてしまったトールの方が恐縮する程だ。
「いや、だからな……その」
「少尉は特務を受ける前から知っていらしたそうですけど……」
「そ、そんな事まで話しているのか?」
「はい。なりそめとか、同じ部隊で恋人で居続けるけじめのつけ方とか」
「そ、そうか」
バジルールがスプーンを置いた。
彼女が食事を中断することは珍しい。
食堂内で何か問題が起きない限り、彼女は常にきちんと食事を摂り、しばしの休息をとる。それが彼女だ。
この数日間、トールは彼女と行動を共にしていたのだから、今が変だと感じても間違いはない。
「……中尉?」
トールがおずおずと上官の顔を覗き込む。
彼の視線が届いたのか、バジルールは軍帽を脱いで姿勢を改めていた。
「トール=ケーニッヒ、ここからは私用の話だ。同僚として聞くのであって、君に拒否権はある」
「え、あ……」
予想外の展開に、トールが言葉を失ったように視線をさまよわせる。
しかし、それに気付くことなくバジルールは話を進めていた。
「まず、本当にアーノルドは人気があるのか?」
真剣なバジルールの眼差しに、トールも姿勢を整え、周囲を見回して他人がいないことを確認する。
軍帽を取ったバジルールの意味に、何となく気付いたからである。
「間違いありませんよ。俺、少尉と一緒に食事をした時、少尉の方が量が多かったですから」
「次だ。ミリアリア=ハウが、本気で少尉を狙っていると思うか?」
「多分。ミリィが俺を無視したんですよ? それに、常々少尉のようになって欲しいとか言われてたし」
「次だ。今のところ、少尉が彼女を受け入れる可能性はありそうか?」
「少なくとも、気に入ってはいるみたいです。そうでもなきゃ、一緒に食事に行かないでしょう」
ここまで来ると、トールが嘘を言っている可能性は高い。
大体、トールがミリアリアの愛を疑うこと自体が怪しいものである。
ブリッジでの一件は確かにあるのだが、その件は何かへの抗議と見て間違いないだろう。
どちらにせよ、ここまで澱みなく答えることはできない筈である。
しかし、そんなことさえ今のバジルールは気付いていないようだった。
「……よし。協力してくれるな、トール=ケーニッヒ」
「ミリィを取り戻すためなら、何でもします」
「よしッ」
握り拳を作ってみせたトールの拳に手を重ね、バジルールが小さく笑った。
「このこと、他言は無用だ。目的はアーノルド=ノイマン少尉とミリアリア=ハウ弐等兵の確保である」
「はいッ」
握り拳を作っていない方の腕で敬礼をしながら、トールはミリアリアに無視された理由について気付き始めていた。
3
トールとの協力態勢を作り上げたバジルールは、早速残りの休憩時間を自室に戻って過ごした。
自室の端末を使い、戦闘記録を一から洗い直す。
必要なのは戦闘記録から戦闘記録までの時間と、戦闘の行われた場所だ。
「このデータから逆算し、次の襲撃地点を予想すればいい」
端末のキーボードを叩き、次々と情報を入力していく。
考えてみれば、これまで襲撃地点の予想を行っていなかったこと自体が驚きのように思えた。
アラスカへ行くことばかりを考え、現状の打開策として戦闘という選択肢を省いていたのだ。
「……これでいい。これをもって、艦長に戦闘配備の解除を願い出るか」
瞬時にして打ち出された襲撃予想地点のデータと裏付資料をプリントアウトして、バジルールは椅子から立ち上がった。
そして、立ち上がったところで自室を見まわす。
「殺風景な部屋だ」
プリンターがプリントを終えたことをアラームで告げた。
印刷された資料にもう一度目を通し、バジルールは小さく頷いた。
「よし。これでいいだろう」
資料を抱えて自室の自動扉を開く。
通路の光が差し込んだ自室を振り返り、バジルールは苦笑した。
「このような場所では取り戻すなど、できそうもないな」
自動扉の閉まる音がして、バジルールはゆっくりとして足取りでブリッジへと戻り始めた。
ブリッジにいたラミアスへと歩み寄り、バジルールが印刷したばかりの資料を提出する。
ラミアスは資料にざっと目を通した後で、バジルールに尋ね返した。
「それで、この資料は?」
「次の襲撃予想地点とその根拠です。このまま無駄に戦闘配備を続けていては、兵の士気が心配です」
トールと話していた時の面影は、当然の如く今の彼女からは感じられない。
鉄の女と陰で噂されている通りの鉄面皮が、彼女の顔に貼り付けられている。
「それはそうだけれど……」
「艦長にしても、長い間ここに居続けていては感覚が麻痺します。休憩なさって下さい」
バジルールの言うことにも一理ある。
大体、襲撃予想地点が立てられるなら、無理に戦闘配備を続ける必要もないのだ。
「そうね……この裏付けなら問題ないわ。パル曹長、第一種戦闘配備解除」
「はい」
艦内放送を通して、アークエンジェルの第一種戦闘配備が解除される。
同時に、ラミアスが艦長席を降りた。
「それじゃ、昼食に行かせてもらうわ」
「はい。そのまま、休憩に入って下さい。ここは私が詰めますので」
「そう? 悪いわね。後で差し入れ持ってくるから」
そう言いながら、ラミアスが軽やかな足取りでブリッジを退出する。
CICにいるメンバーも、バジルールからの休憩という言葉を今か今かと待っていた。
その空気を感じ取ったのか、バジルールはいつもよりも素早く部下たちへ指示を飛ばす。
「ノイマン少尉、ケーニッヒ弐等兵、ハウ弐等兵を残し、残りは休憩だ。
トノムラ曹長、パル曹長は四時間後にシフトに入れ。残りの者は仮眠をとるようにしてくれ」
「了解しました」
ヘッドセットを外したトノムラが、一同を代表して敬礼を返した。
その敬礼に軽く答え、バジルールは次の指示を言い渡す。
「ケーニッヒ弐等兵は今までの航路の整理。ハウ弐等兵は今までの戦闘時刻と敵軍の襲撃針路の割り出しだ」
「了解」
「わかりました」
トノムラを先頭に、休憩組がブリッジを出て行く。
艦長席にあった、バジルールの印刷した資料を元に、トールとミリアリアの二人がデータを確認する。
元々バジルールの作り出した資料である。間違いなどあるわけがなかった。
「……ここだけ気になりますけど」
トールのチェックした箇所が、バジルールの手許へと戻される。
すぐさま再チェックを行い、バジルールは資料に修正を加えた。
「この部分は私も気になった。だが、この戦闘は敵MSの種類が違ったので、別部隊と判断したのだ」
「そうでしたっけ?」
トールが頭を掻きながらそう言うと、敵軍の襲撃針路を確認していたミリアリアが隣から口を挟んだ。
「トノムラ曹長の記録ではそうなっています」
「通常、一部隊に配備されるMSは同種のものが多い。覚えておけ」
バジルールはそう言って、今度はミリアリアの手許を覗き込んだ。
「そうだ。そのファイルが戦闘記録の詳細を記録している。開き方、使用用途、理解したな?」
「はい」
「それでは、二人とも休憩に入れ。ただし、これは特例だからな。士官居住区にて待機だ」
バジルールの言葉に、トールがバジルールと視線を交わそうとする。
彼の視線を正面から受け止め、バジルールは小さく笑った。
「……仲直りして来い。お前達が不穏な空気になると、仕事がやり辛くてかなわん」
「はいっ」
これまた必要以上の丁寧さで、トールが敬礼をする。
苦笑しながら敬礼を返したバジルールは、未だCICの中にいるミリアリアの顔を覗き込んだ。
「休息は不要か?」
「いえ、休憩します。でも、中尉は……」
「次の戦闘後に休憩させてもらうさ。ケーニッヒ弐等兵、次の戦闘で倒れぬようにな」
「大丈夫ですよ。しっかりリフレッシュしてきますから」
そう言って、トールがミリアリアをCICから引っ張り出した。
やや態勢を崩しながらも通路を駆けて行った若い二人を見送って、バジルールは自分の席へと戻る。
ブリッジに入る前から、二人分のドリンクを用意して、自分の席の下に置いておいたのである。
自分の席に腰を下ろし、一通り索敵作業を済ませる。
索敵作業に続いて艦内から寄せられた情報の一部を処理し、バジルールは席の下に手を伸ばした。
特製のドリンクが二本、しっかりとバジルールの手にその存在を示している。
「……ノイマン、今は問題があるか?」
「いいえ。今のところ正常です。これで、敵がずっと来なければ最高なんですがね」
そう言いながら、こっそりと自動操縦へと切り替える。
バジルールが整えたとは言え、仕向けたのはノイマンである。
彼は彼女の次の一言を待っていたのだ。
「せっかくだ。少し休息をとろう……その……最近、話もできなかったしな」
頬をやや赤らめながらそう言ってドリンクのボトルを差し出したバジルールに、ノイマンは笑顔で振り返った。
慌ててバジルールが舵に駆け寄ろうとするのを、ノイマンはその手を取って阻んだ。
「自動操艦です。それとも、俺の膝の上に座られますか?」
明らかにからかっている口振りに、バジルールが思わぬ反撃を繰り出した。
ノイマンの言葉どおり、バジルールがノイマンの膝の上に腰を下ろしたのである。
もちろん、膝の端に軽く……ではあるが。
驚いて言葉を失っているノイマンに、バジルールが顔を真っ赤にしながら楽しそうに笑った。
「ふ……まさか、座るとは思っていなかったようだな」
「まさか」
内心の動揺を押し隠しながら、ノイマンの手がバジルールの顎を抑えた。
無理のない力加減で首を捻じ曲げられたバジルールが、何かを悟ったように瞳を閉じた。
やや肩が震えているバジルールのその姿を眼に焼き付け、ノイマンは焦らすようにボトルのストローを口に含んだ。
待っていても先へ進まない状況に薄目を開いたバジルールが、ストローを吸うノイマンの姿を見つける。
「お、お前ッ」
ノイマンが瞳だけで笑い、中のドリンクを口に含んだままバジルールと唇を重ねる。
唇を閉じようにも、「え」と発音していた唇はそう簡単には閉じられない。
あっさりとノイマンの舌を受け入れてしまい、ドリンクを喉の奥へと飲み干してしまった。
ノイマンにたっぷりと口中を侵略された後で、バジルールはようやく解放された。
涙目になりながら抗議するバジルールの怒気を後ろへ逸らしながら、ノイマンが再び笑った。
「おや、俺のドリンクでは不満でしたか? じゃあ、今度は中尉のドリンクで……」
抗議に気を取られて無防備になっていた、バジルールのドリンクのストローが奪われる。
慌てて引き離したバジルールだったが、ノイマンの口の中には既に彼女のドリンクが含まれているようだ。
楽しげな瞳で彼女を見つめるノイマンに、バジルールは観念したようにドリンクを下へ落とした。
「お前は卑怯者だな」
そう言いながら、落としたドリンクを持っていた手を、ノイマンの両頬へと添える。
彼女からキスをする時の癖だ。
「……」
再び、ノイマンの唇へ自分の唇を合わせたバジルールの耳に、一番聞きたくない声が届く。
ノイマンにも聞こえている筈なのだが、ノイマンの方は声を無視したかのように突き進もうとしていた。
「ナタルのことだから、ドリンクも持ってないと思うのよね」
「そうかぁ?」
「えぇ。だから、差し入れはドリンクの方がいいと思いますよ」
自動扉の開く機械的な音がして、アークエンジェルの佐官が二人そろって姿を現す。
その時にはもう、バジルールはノイマンの膝から立ち上がっていた。
「艦長、お疲れ様です」
「差し入れ持って来たわよ。私はドリンクの方がいいと思ったんだけど、少佐がサンドウィッチにしろって言ってね」
そう言って、ラミアスが小さめのバスケットを持ち上げて見せた。
隣にいるフラガの方は、手に二本のドリンクを持っていた。
名残惜しげにバジルールの腰に手を伸ばそうとしたノイマンは、バジルールが動いたことによってその目標を失う。
その無意味な腕の伸びに気付いたのは、一番厄介な男、ムゥ=ラ=フラガただ一人。
「ほぅ……」
意味深に呟いたフラガの声が聞こえたのか、ノイマンもわざわざ立ち上がって二人の上官を出迎える。
ラミアスはノイマンの両手にドリンクがあることを見つけると、小さく肩を竦めた。
「なんだ、もうドリンクはあったのね」
「中尉に持って来ていただきまして」
ブリッジの中央にいる三人に加わりながら、ノイマンはさりげなくフラガの隣に並んだ。
「……食事一回な」
「冗談でしょう? 貴方持ちを一回分、減らして差し上げますよ」
「数で合わせるなよ。とにかく、お前も一回だよ」
冷たい視線を交える男性陣に、ラミアスが朗らかに笑いかけた。
「さぁ、ちょっとしたピクニックにしましょう。通路で食べてもいいんだけど、ここで座って食べるのも乙よね」
「……艦長が許可されるなら、文句はいいません」
普段ならば抗議する筈のバジルールも、今日ばかりは文句を言わない。
早速バスケットを広げるラミアスに毒気を抜かれたのか、フラガは笑顔を浮かべながらラミアスの隣に腰を下ろした。
「ほれ、座れって。どうせ自動操縦に自動索敵だろ? レベルは?」
「グリーンレベルに進入を認めた時点で警報が鳴ります」
「充分だろ。ほれ、座れ座れ」
そう言いながら、フラガはさも当然のようにラミアスへとドリンクを手渡す。
もちろん、さりげなくその手に触れることも忘れない。
繰り広げられようとしているトップ二人のじゃれ合いの行方を思い描きながら、ノイマンは小さく吐息をついた。
隣にいるバジルールがサンドウィッチを手渡してくれたことに満足することにして、ノイマンはドリンクを口にする。
バジルールが傍を離れた間にすりかえたドリンクを。
<了>