コイコイ(5151番)リクエスト  for トーヨーリファール様

幸せな重み


「奈瀬? どうかした?」

 

 奈瀬の身体が、隣に座っている俺の方に傾いた。

 チラリと奈瀬の顔を盗み見ると、瞼を閉じて、その小さな唇が微かに開いている。

 

 ……寝てしまったのか。

 無理もない。ここ数日、ずっと緊張しっ放しだったから。

 

「明日美、降りられなくなるよ」

 

 奈瀬が起きている間は、絶対に口に出来ない”明日美”を声に出してみる。

 起きている間は、どんなに注意されようと、”奈瀬”と呼ぶ。

 そうでもしなきゃ、自己嫌悪に陥っちゃいそうだから。

 

「……中学生だもんなぁ」

 

 時間がゆっくり流れて欲しいと思う半面、早く流れて欲しい時もある。

 例えば、この瞬間。

 奈瀬を中学生だと思ってしまう瞬間。

 

「犯罪だよなぁ、実際」

 

 自分でもおかしな話だと思う。

 来年には院生を追い出されるかという俺が、まだ中学生の奈瀬に恋をしてるなんて。

 

 だけど、後悔はしていない……と思う。

 奈瀬が来た瞬間から、俺は自分を信じることが出来たから。

 

 偶然だと言われても仕方ない。

 単に、俺の棋力が飛躍的に伸びた時期が、奈瀬の入会と重なっただけだと。

 でも、こう思っちゃ駄目なんだろうか。

 

 ”運命”

 

 運命なんて信じたくはないけど。

 この時だけは信じたい。

 勘違いだっていい。今の俺を支えてくれるなら。

 先が見えそうで見えない今の俺を支えてくれるのなら、勘違いでも何でもいい。

 

「ん……」

「起きた?」

 

 ただの寝言だったらしい。

 更に深く体を預けて来ると、今度は確かな寝息が聞こえてくる。

 

 無防備なその表情を見ながら、そっと肩の力を少しだけ抜く。

 明日美が、ゆっくりと安心していられるように。

 

「予選突破、おめでとう……明日美」

 

 残るは本選。

 これからは、奈瀬も一人の敵。

 仲間であり、そして強敵。

 

 気になる相手は数を上げらればきりがない。

 俺に出来るのは、一戦一戦に全力を注ぐだけ。

 例え相手が和谷でも、進藤でも、奈瀬でも、俺は全力で叩きのめす。

 負けることは考えない。ただ、ひたすらに勝つ。

 

 負けられない理由はある。

 

 ”明日美”がいるから。

 

 他に、どんな理由が必要だ?

 これ以上、大きな理由なんてない。

 だから、俺は負けられない。

 明日美に、情けない背中は見せたくない。

 情けない背中を追い駆けられたくはない。

 それ以前に、俺は背中を見せたくない。

 

「今年こそ、必ず……」

 

 だから、今はもう少しだけ、このままでいたい。

 明日美を隣で感じられる今を。彼女の重みが感じられる今を。

 長く続いて欲しいと、願わずにはいられない。

 

 

 

「……慎一郎?」

「起きた?」

 

 寝ぼけ眼のまま、奈瀬が身体を起こす。

 俺の腕に温かみを残して、奈瀬が真っ直ぐに座る。

 

「嘘……三駅も過ぎちゃった」

「気持ちよさそうに寝てたから。起こさないとまずかったかな」

「ううん、用事もないから」

 

 いつの間にか、夕陽が奈瀬の顔を赤く染めていた。

 セミロングの髪が、赤色の頬の上に、かすかな黒色をのせる。

 

「もう一周、乗ってなきゃね」

「俺も、用事はないから」

「……また寝てたら、起こさなくてもいいよ」

「え?」

 

 もう一度、俺の腕に重みがかかる。

 さっきとは違う、押し付けられるような重み。

 

 奈瀬が顔を押し付けているのは見なくてもわかった。

 そんな彼女を抱きしめられなくて。

 そんな彼女の肩を抱き寄せることも出来なくて。

 

 ”意気地なし”

 

 そんな言葉が脳裏を掠める。

 でも、俺はそう言われたって構わない。

 

 この腕に、幸せな重みがある限り。

 

 

<了>