伊賀忍法伝

伝の章


 

 

 奈落谷では、激しい渓流が流れており、岩に水がぶつかり、激しい水飛沫をあげて、鳥獣の鳴き声と共に、この濁流の音も響き渡る。
 その濁流の流れから外れた緩やかな流れの砂浜に、筑摩小四郎が、息を乱しながら水面から這い上がり、膝と両手を砂に突きながら、大きく息を吸い、呼吸を整えだした。
 左肩には二箇所の窪んだ傷口があり、小四郎はそこに小刀を強引に入れて、歯を食いしばりながら強引に骨にまで食い込んだ砂利を二つ、脂汗を掻きながら取り払った。
 「……修羅坊。……恐ろしい奴」

 傷口に近くの草から薬草を選び、口に含んで唾液と混ぜながら噛み砕き、その傷口に塗りこみながら、布を引きちぎり、傷を治療する。
 その逞しい肉体に荒っぽい方法で傷を治し、小四郎は近くの岩陰に隠れながら、大きく安堵の息を漏らした。
 (双之助、夜叉丸、蛍火……無事だろうか?)
 仲間の心配をしながら、荒武者の印象を与える若き伊賀忍者は、独特の呼吸法を取り出す。
 短時間で疲労回復を行なう呼吸法であり、この呼吸方法を行ないながら走る事によって、忍者は忍者は一日に四〇里も走れるのだ。
その小四郎の隠れる岩が死角になり、川沿いを修羅坊がやって来た。
 小四郎は気付き、息を殺し隠れる。

 「ち、逃げ足の速い奴め。どこに行きやがった?」
 修羅坊は十手を巧みに回しながら周囲を見渡し、そのまま走り去っていく。
 それを確認してから小四郎は大きく肩で息をして、全身の力を抜いたのだった。

 

 

 修羅坊が川を下っていくと、川の中州に、山伏姿の小柄な老人が立っていた。
 もちろん、覇王坊だ。
 「覇王坊様!」
 修羅坊は、その前に降り立ち、平伏する。
 「斃したぞ、あの鬼頭双之助を」
 「それは」
 自分の手で斃したかったらしく、残念そうに笑いながらも、すぐに悔しそうに、
 「……針鼠坊が斃されました」
 その言葉に、覇王坊は片眉を動かし、眉間に皺を寄せた。
 「……大蛇坊と水魔坊とも『海鳴り』で連絡が取れぬ。斃されたか?」
 「斃されたとしても、あの二人も根来忍法僧の精鋭。何人かは斃しているでしょう」
 二人は、すぐに近くの竹薮に移動し、その中心まで移動し、そこで座りながら、
 「……さて、敵は残りは多く見積もって四人か。……筑摩小四郎、夜叉丸、蛍火、紅雪」
 「少なく見積もって、筑摩小四郎一人」
 二人は頷き、修羅坊は、竹筒の水筒を取り出し、その水で喉を潤した。
 「彼奴等に、火炎坊が『毀れ甕』が使える事を、知られたのがまずかったな。儂の作戦がまずすぎたわえ」
 「いえ、これはあくまでも我々六人の不甲斐なさと、敵の力を舐めすぎた結果でもあります。覇王坊様の責任ではございません」
 真剣に、心の底から修羅坊が言い、話を続ける。
 「若手とは言え、さすがは魔人の伊賀者。恐るべき忍法の使い手でした。こうなれば、覇王坊様は此処でお待ち下さい」
 その言葉に、覇王坊が首をかしげ、
 「何をする気じゃ?」
 「はい、大蛇坊と水魔坊が生き残っておれば、合流し、我等で残る伊賀者を殲滅させまする。……もし、我々が全員返り討ちにされたのなら…」
 覚悟の眼差しで、修羅坊は、はっきりと言った。
 「覇王坊様の、『黒死疫』で、伊賀者を殲滅させ、伊賀の鍔隠れの里を殲滅させて頂き等ございます」
 「……ふうむ、朧を嬲るのではなく、伊賀者を殲滅か」
 確かにそのほうが確実であろうと、覇王坊は思う。
 自分は確かに根来の忍法僧の中でも屈強な存在だ。
 だが、年齢が年齢であり、女との交わりは、殆ど不可能な状態だ。
 自分ひとりは女を嬲る事が出来ないのだ。
 「あい分かった。では、『海鳴り』でお前の行動を常に聞いておこう。だが、お前は根来忍法僧の中でも、次期上忍候補。間違いなく敵を殲滅させてくれるであろう」
 「お任せを。『雷竜弾』だけではございません。我が全戦闘能力を持って、伊賀者を殲滅させてごらんにいただけましょう」
 修羅坊は立ち上がり、腰に差している十手を抜き、そのまま一気に跳躍して、疾走した。
 その場に残った覇王坊は、苦笑しながら、煙管を取り出し、ゆっくりと煙草を吸いだす。
 「………まあ、修羅坊なら、残りを全滅させてくれるであろうて。間違いなくな」

 

 

 小四郎は、体力を取り戻し、若い肉体に精力を漲らせて立ち上がった。
 右手に大鎌を持ち、川の中州の岩の上で、傷口を確かめながら大丈夫と確信し、雲雀の鳴き声を形態模写して、周囲に響かせた。
 夜叉丸、鬼頭双之助、蛍火に連絡を取り、『ぬしさま』の住む滝に集まる合図であった。
 すると遠くから鳥獣の鳴き声が聞こえる森の音に混じって、夜叉丸のセキレイの鳴き声を真似た声が返って来た。
 自分と蛍火はそこにいると言う合図である。
 (……双之助。どうした?お前の合図は?)
 そう思いながら、『奈落滝』に向かって岩の上を飛び、走り出す。
 木々の間を抜け、狼の如く疾走し、その木々の間から修羅坊が現れた。
 「修羅坊!」
 「筑摩小四郎!」
 修羅坊が十手を抜き構える。
 小四郎は速度を落とさずに修羅坊に疾走し、大鎌を振りかざして攻撃に入った。
 二人がすれ違った瞬間、甲高い金属音が響き渡った。
 二人がすれ違うと同時に向かい合い、お互いの武器を構えた。
 二人は再びぶつかった時、小四郎の鎌が、十手の受け手に絡められ、そのまま修羅坊が手首をひねってその鎌の刃を叩き折った。
 十手とは、本来、刀身を叩き折るための武器である。
 刀より鍛えが弱い鎌を折るなどたやすい事だ。
 「何!?」
 「貰った!」
 修羅坊が叫び、先端の尖った十手を突くように向けた瞬間、その十手が粉砕した。
 小四郎が、『吸息の旋風』で砕け散らしたのだ。
 小四郎は、予備の鉈を、修羅坊は匕首を抜き、構える。
 「針鼠坊は俺が討ち取った」
 小四郎が笑うと、修羅坊も不敵に笑い、
 「王虎獣蔵を倒したのは……私だ!」
 二人が再び、ぶつかり合った。
 だが、今度は修羅坊は左掌を小四郎の胸に当てて、一気に突き放つ!
 その瞬間、小四郎の胸に強烈な衝撃が襲い、全身の肺から全ての空気が抜けたような感覚に襲われ、口から血反吐を吐きながら体が大きく吹き飛ばされた。
 明国から渡ってきた少林拳の使い手である修羅坊の技。寸勁である。
 密着した状態から強力な一撃を放てる技であり、拳や掌を密着した状態からでも強力な打撃を放つ技だ。
 修羅坊の得意技であり、実際彼の忍法、『雷竜弾』も、これを応用しているのだ。
 小四郎が吹き飛ばされ、背中を大木に叩きつけられ、再び血反吐を吐き、地面に倒れる。
 「とどめだ!」
 修羅坊が、飛翔し、その上空から猛禽類が獲物を狙うように素早い動きで一蹴を小四郎の頭に叩きつけに来たが、小四郎は全身を大木の様に転がせてそれを躱した。
 その躱した場所にある地面から突き出た太い木の根を蹴り砕き、修羅坊は小四郎を睨む。
 「来い!この日本の柔術や古武術にあっという間に影響を与えた少林拳。その恐ろしさを知るが良い!」
 血反吐を吐きながらも、小四郎は大きく息を吸いながら、
 「ふざけるな、俺はそんな物知らねぇが、伊賀の忍法と体術の恐ろしさ見せてやる!」
 小四郎が跳躍した。
 常識では考えられない跳躍力であり、伊賀忍者としては当然の跳躍を見せて、木の枝に捕まり、鉈を彼に投げつけた。
 修羅坊はそれを両腕を華麗に回転させて素手で弾き返し、彼もまた跳躍した。
 伊賀、甲賀と並ぶ魔人、根来忍法僧の跳躍だ。
 小四郎は、ニヤリと荒武者の風格に相応しい笑みを浮べ、迎え撃った。
 「なかなかやるな!だが、鬼頭双之助ほどではなさそうだ!」
 「ふざけるな!俺は奴より疾い!」
  二人の体術がぶつかり合った。
 小四郎とて、武術は学んでいる。日本古来から継承され、打撃を排除され、一部は相撲となった格闘術、骨法である。
 最小の力で最大の力を発揮するコツを掴む格闘術。
 武術だけでなく、歩法や走行術、泳法なども含まれいるらしく、それが忍者にこの時代にはひっそりと受け継がれていた。
 少林拳対骨法。
 二人の忍者が激しくぶつかるが、徐々に小四郎が押されていく。
 小四郎がそれでも拳に力を込め、弓矢の様な突きを放った。
 その瞬間、修羅坊は、左腕でそれを上に受け流し、その突きでがら空きになった右脇腹に、左の肘の一撃を正確に叩き込んだ。
 「ごふっ!」
 強烈な反撃技だ。
 しかも肘だ。
 現在でも最強説の名高い格闘技、タイ王国のムエタイは、他の格闘技と違い肘技を多用する。
 TV放送される格闘技において肘は殆ど使用されていないのにである。
 それは、肘は余りにも危険な殺人技だからだ。
 小四郎は、そのまま地面に膝をつき、苦しそうに血反吐を吐き散らし、苦しみだした。
 その傍で、修羅坊が不敵に笑った。
 「今度こそとどめだ、死ね!」
 再び肘を振り上げ座り込む小四郎の後頭部に全体重をかけた肘を叩き込もうとした瞬間、彼に手裏剣が襲い掛かった。
 「何!」
 修羅坊はそれを右肩に受けて、、うめきながらも手裏剣を抜き、手裏剣が飛んできたほうを向いた。
 そこには、忍び装束姿の、若い女がいた。
 紅雪だ!
 「小四郎殿!御無事かえ!?」
 「紅雪!」
 「貴様!生きていたか!」
 修羅坊は、一気に紅雪に向かって間合いを詰めて走る。
 「逃げろ、紅雪!今のお前じゃ無理だ!」
 小四郎が叫ぶが、紅雪は、木々の間を走りぬけ、巧みに修羅坊の追跡を躱す。
 だが、紅雪は見た目以上に深い傷を負っている。
 負担の大きい忍法や体術は今の彼女には無理なのだ。
 「おのれぇ!」
 小四郎は再び呼吸法で息を整え、体力を戻していくが、肘を叩きつけられた内臓が痛み、その肋骨も折れているようだ。
 「無茶は承知が忍者だ!」
 小四郎は自分に言い聞かせるように叫び、全身に無理矢理活を入れて力を漲らせていく。 
 そして一気に疾走し、修羅坊を追いかける。
 紅雪が、移動しながら手裏剣を投げ続け、それを修羅坊が巧みに躱していきながら笑う。
 「どうした、お前の得意の『三日月剣』は使わないのか?」
 その修羅坊の背後から、獲物を狙う猛禽の如く、小四郎がやって来た。
 「修羅坊!」
 脇腹の激痛に耐えながら、小四郎は息を吸おうとしたが、その脇腹の痛みが、独特の呼吸法が出来ずに失敗する。
 「っ!」
 荒武者の如き若者は激痛に耐えながら鋭い眼光を放ち、山刀を抜きながら疾る。
 「若造が!」
 「破戒僧が!」
 反転しながら修羅坊が拳を抜き手にして、その鋼鉄の様な指先を彼に向かって放った。
地面で二人はぶつかった。
 筑摩小四郎の山刀は修羅坊の頬を少し切り裂いた。
 だが、修羅坊の抜き手は、小四郎の右肩の肉を抉った。
 その傷口から血が噴出し、そのまま小四郎は跳躍しながら近くの木に隠れる。
 「逃がさぬ!」
 修羅坊が追いかけるが、その修羅坊に、紅雪が寸鉄を投げつける。
 大きな釘の様な武器であり、それが修羅坊の足を食い止め、紅雪もそのまま近くの木々に隠れた。
 「舐めるな!」
 修羅坊は両手に、足元に落ちていた小石を拾い、それぞれの掌に乗せて、二人の隠れた大木にあわせて、足の親指、足首、膝、股関節、腰、背骨、肩、肘、手首へと流れるように身体の間接を連続して動かし、一気に小石を放った。
 その瞬間、小石が音速を超えて飛び、二人の隠れる大木を貫いていく。
 貫いた後に、音が送れてやってきて、衝撃波で近くの枝や草々をなぎ払っていく。
 小四郎はしゃがんでいたので、頭上の上に穴が開いた木を見て安堵の息をもらした。
 紅雪も木の上に跳び、難を逃れていた。
 修羅坊がまずは紅雪に狙いを定め、彼女の方へ走る。
 その瞬間、彼の視界が遮られた。
 遮るのは、無数の蝶の群!
 胡蝶乱舞!
 「…蛍火!?」
 修羅坊が叫ぶと、周囲を見渡すと、彼女の姿は見当たらない。 
 だが、一人の若者が飛び出していた。
 修羅坊は、それに気付き、少林拳の構えを取る。
 そのとき、若者は両手を広げ、細長い黒縄の紐を鞭のようにしならせて修羅坊に襲わせる。
 「修羅坊!」
 夜叉丸が叫び、その自分の忍法を走らせる。
 修羅坊は、上空に飛び、それを躱し、驚きの声をあげる。
 「貴様!その武器は大蛇坊が始末したはずだ!」
 夜叉丸が笑いながら、再び黒縄の紐を修羅坊に向かってなぎ払った。
 「水魔坊は俺が斃したぜ!そして大蛇坊も蛍火が斃した!」
 嘲笑いながら叫ぶ夜叉丸に、修羅坊は眉をしかめて激怒する。
 「…何…!」
 「修羅坊!次はお前が畜生道に堕ちよ!」
 夜叉丸が叫び、二本の黒縄の紐が修羅坊に絡みつくように襲い掛かる。
 そして修羅坊の身体に紐が絡みつく……はずだが、突如として修羅坊は消えた。
 「何!」
 夜叉丸が唖然とすると、突然、顎に強烈な掌打が襲った。
 修羅坊が、低空姿勢で一気に間合いに入り、右掌を夜叉丸の顎に叩きつけたのだ。
 顎が浮き、夜叉丸がバランスを失い、よろめいた瞬間、夜叉丸の鳩尾に強烈な膝の一撃が叩き込まれ、夜叉丸は肉体をまげて、血反吐を吐いて、地面に崩れた。
 「とどめ!」
 修羅坊が一撃必殺の抜き手を放とうとした時、突然崩れ落ちた夜叉丸の身体に数匹の毒蛇がまとわりつき、その毒牙をむき出しにして、修羅坊に威嚇をするではないか!
 修羅坊は、さすがに身の危険を感じ、後方へ退避した。
 その瞬間、小四郎が襲ってきた。
 だが、それを読んでいたかの様に躱し、その小四郎の顔面に膝を叩き付けた。
 小四郎の鼻から血が噴出し、彼は飛ばされる。
 その瞬間に、紅雪が再び手裏剣を投げつけてきた。
 修羅坊はそれすら読み、掌を回転させ、飛んで来た手裏剣を掌で叩き落し、一気に紅雪に近付き、紅雪の左肩に手刀を叩き付けた。
 鈍い音と共に、紅雪は悲鳴を上げた。どうやら肩の骨が折れたらしい。
 だが、今度は修羅坊の全身に蝶がまとわりついた。
 彼の動きを封じるように数百の蝶が修羅坊にまとわり突く。
 「おのれ!一番最初に斃さねばならぬは、お前だな!」
 突如、修羅坊の身体全体が竜巻の様に回転し、全身の蝶を払い落とし、高速回転しながらも、岩場に隠れていた蛍火を発見し、一気に跳躍して、岩の上に着地し、印を結んでいる蛍火が、その修羅坊に驚きながらも、地面に潜む数千の黒い小さな生命体を動かした。
 蟻だ!
 数千の蟻が、修羅坊の足に喰らい、数千の牙が噛み付きにかかる。
 「うぬ!」
 修羅坊がそれでも、物ともせずに、蛍火に襲い掛かり、全体重をかけた一撃を蛍火の脳天に叩き込みだした。
 だが、その間に夜叉丸が入った。
  夜叉丸は両腕でその一撃を受け止め、跳ね返した。
 「夜叉丸どの!」
 「下がれ、蛍火!お前はまだ精神力が回復してねえ!」
 確かに夜叉丸の言うとおり、蛍火は蝶の支配を失い、蟻も半分は彼女の支配から解放されていた。 
 それほど、白銀の大蛇、『ぬしさま』の制御に力を使い果たしたのだ。
 夜叉丸は、ずば抜けた体術と、黒縄の紐で対抗した。
 だが、修羅坊はその紐ですら見切り、夜叉丸の反撃もむなしく、再び彼の拳が、夜叉丸の左胸を捉え、夜叉丸は岩から転げ落ち、それを蛍火が全身で受け止め、その反動で夜叉丸と絡みながら地面に倒れてしまう。
 夜叉丸は血反吐を吐きながら苦しそうに咳き込んでいた。
 蛍火が心配そうに夜叉丸をかばい、蛇を寄せる。
 「…この化け物め」
 思わず蛍火は叫んだ。
 なんと恐るべき敵であろう。
 伊賀の精鋭である我々四人を全く寄せ付けない!
 まさしく修羅の男、修羅坊!
 その修羅坊がまさしく修羅の如く笑い、うずくまる夜叉丸、紅雪、小四郎を見下しながら笑い、蛍火に残酷な笑みを浮かべる。
 「さて、可愛らしい女を殺すのは、俺の流儀に反するが、敵を倒すのは当然だ」
 蛍火は、キッと睨みながら、印を結ぶ。
 蟻が再び修羅坊に襲うが、咬むなら咬めと平然と立ちながら、修羅坊が全身を鷹の様に動かせ、標的を蛍火に絞った。
 修羅坊が飛んだ。蛍火に向かって跳躍し、全身を回転させながら、一蹴浴びせようと蛍火に攻撃を開始する。
 だが、それを受け止めたのは蛍火から離れて、間に入った夜叉丸だ。
 両腕を交互にして、その一蹴を受け止め、よろめきながらも反撃に転じる。
 その両腕の黒縄の紐が回転しながら修羅坊に襲い掛かる。
 「しつこい蝿め!いい加減に一人づつ止めを刺させろ!」
 修羅坊は、驚異的な瞬発力を見せ、その夜叉丸の背後に回った。
 黒縄の紐は、空を絡めて威力を失い、夜叉丸が驚きの声を上げたとき、その夜叉丸の後頭部に、強烈な衝撃が走った!
 蛍火は小さな口を両手で押さえ、その悲鳴を小さく上げた。
 「夜叉丸どの!」
 修羅坊の一蹴が、夜叉丸の後頭部を捕らえ、夜叉丸が糸の切れた操り人形のように地面に倒れ伏せた。
 その瞬間、修羅坊が動きを全く止めずに、蛍火に襲いかかった。
 直線的に、蛍火との最短距離をまっすぐに移動しながら、拳を蛍火の鳩尾に叩き込む。
 「あぁっ!」
 蛍火が両瞳と小さな口を大きく開けてうめき声を上げて、地面に倒れ伏せた。
 「この野郎!」
 あれほど叩かれてても精神的に丈夫な小四郎が、とびかかり、彼と再び拳を交えた。
 蛍火と夜叉丸に止めを入れようとした修羅坊が、流れるような曲線の動きで、小四郎の動きに対応し、小四郎も直線的に攻撃重視の拳を放つ。
 二人は激しくぶつかり合うが、既に手負いの小四郎と接近戦に鬼神の強さを持つ修羅坊では勝負はすぐに幕切れとなった。
 修羅坊の掌が、小四郎の胸にあてがい、そのまま一気に足首からの間接を連動させてか回転させて一撃を放つ。
 彼の忍法、『雷竜弾』を放つしぐさである。
 掌に乗せた小石を音速で撃つこの動作を、小四郎の胸にあて撃った。
 小四郎の身体は激しく後方に吹き飛び、大木に背中を激しく叩きつけられ、そのまま小四郎は地面に倒れ伏せていく。
 小四郎、夜叉丸、蛍火が気を失い、残るは紅雪だけだ。
 紅雪は、この恐るべき敵に恐怖した。
 「他愛ない。……鬼頭双之助以外は、しょせんこの程度か。……失望したぞ」
 不服そうに笑い、心から双之助と決着を果たせなかった事に失望した笑みだ。
 なんと言う強さ!なんと言う化け物!
 『三日月剣』の使えない自分にこの男を倒せるのだろうか?
 紅雪は生唾を飲み込み、気持ちを落ち着け、手裏剣を構える。
 その紅雪に、修羅坊は、口元を緩ませてその顔付きに凶暴さを塗りながら睨む。
 「投げてみろ!」
 紅雪は、釘の様に曲がった小型の棒手裏剣を投げつけた。
 その瞬間、修羅坊は躱し、一気に紅雪に間合いを詰めた。
 紅雪は、小刀を抜き、構えた瞬間、修羅坊の背中に激痛が走った。
 修羅坊の背中に先ほどの棒手裏剣が旋回しながら突き刺さったのだ!
 「うぐっ!」
 修羅坊が驚いた瞬間に、紅雪が小刀で斬りかかる。
 女性らしい俊敏で優雅な動きに、修羅坊は男性的で攻撃的で豪快な動きで回避して、背中に刺さった棒手裏剣を抜いて、その『へ』の字に曲がった手裏剣を見た。
 「これは…」
 修羅坊は納得した。忍法ではなく、これは投げた後旋回して戻ってくる手裏剣である。
 この時代にはまだオーストラリア大陸は未開の地であり、アボジリ等の原住民が大陸の盟主であり、絶滅したモアやタスマニアタイガーなども繁栄していた頃、その大陸ではブーメランと呼ばれる狩猟兵器が存在した。
 『へ』の字に曲がった投擲の武器であり、投げた後戻って来る武器だが、それを伊賀では手裏剣として使用していたのだ。
 紅雪は再び、両手にその棒手裏剣を持ち、左右に投げつけた。
 手裏剣は大きく旋回しながら修羅坊に迫り来る。
 だが、今度は修羅坊は手甲でそれを弾き返した。
 「うっ!」
 紅雪が身構え、再び手裏剣を抜くが、
 「無駄だ。俺に同じ手は通じぬ!」
 右手に小石を乗せて紅雪に向けて、『雷竜弾』を放つ。
 轟音と共に、紅雪を襲い、彼女は身を伏せて避け、手裏剣を投げ放つ。
 だが、その瞬間には左腕に砂利を手にした二段構えで修羅坊が第二撃目を放った。
 「しまった!」
 紅雪が叫んだ瞬間、砂利のショットガンが唸り、投げた手裏剣を弾き飛ばし、紅雪に襲い掛かった。
 紅雪は避けたが、広範囲に広がるショットガンは、彼女の左腕と腰に何発か命中し、血飛沫と共に、悲鳴を抑えながら崩れ落ちる。
 「覚悟しろ、女!お前はこの場で殺すが、貴様等の主君である朧はこの俺が徹底的に嬲ってから殺してやる!女として最も恥ずかしい目にあわせてから殺したやる!」
 笑いながら、修羅坊は跳躍し、全体重をかけた一蹴を紅雪の頭に叩きつけて石榴の様に砕ける……はずだった。
 だが、その跳躍した修羅坊に体当たりをかました者が現れた。
 筑摩小四郎だ!
 バランスを崩しながらも着地し、血まみれの小四郎を見ながら、
 「しつこい奴め」
 小四郎の眼光は鋭く輝き、、口から血反吐を吐きながら、修羅坊を睨む。
 「忘れていたよ。……お前を殺さなくてはならない理由をな」
 よろめきながらも、小四郎は痣だらけの顔を修羅坊に向ける。
 「我等が姫君を嬲ろうとは……、下衆め!ありがとうよ、おかげでお前達への憎悪を思い出したぜ!」
 傷ついた肉体を憎悪と怒りで塗りたくり、小四郎は爆発した!
 一気に間合いをつめ、野生的な短めの蓬髪が風になびき、伊賀の荒武者は修羅坊に接近した。
 「姫様を穢そうとする畜生め!」
 誰も穢す事を許されぬ、自分にとって聖なる姫の為に、小四郎の怒りは爆発した。
 「うぬ!」
 二人はぶつかった。
 激しい格闘戦が始まり、怒りに身を任せて暴れる小四郎と、冷静に対応する修羅坊が攻防を繰り広げた。
 怒りに身を任せて、姫君を穢そうとするこの悪鬼を命を賭しても斃さねばならないと悟った小四郎は死を覚悟で戦った。
 その爆発的な攻撃力の前に、苦戦はしなかったが、先ほどより押されている修羅坊が驚きを隠せない。
 (こいつ、死を覚悟したな!…これは更に冷静に対処しないと、相打ちになる!)
 修羅坊は、冷静に動き出したが、彼はもう一人死を覚悟した敵がいるのに気付かなかった。
 それは、紅雪であった。
 深手の怪我を負い、戦力にもならなくなった紅雪は、立ち上がりながらもゆっくりと右腕を天にかざした。
 このままでは、全滅しかねない。どうせ死ぬなら、敵と刺し違える!
 そう、全身に負担のかかる忍法だ、今放てば間違いなく死ぬが、……あの男を止めなくては!
 夜叉丸も、蛍火も、今ようやく起き上がったが、戦闘に参加するのは不可能だ。
 小四郎も戦っているが、消える前の蝋燭の灯火のようだ。
 小四郎と修羅坊が間合いを置いて再び構えた瞬間、修羅坊は背後の気配に気付いた。
 だが、それは紅雪の方向ではなかった。
 気配は森から数人感じる。
 「天膳様!紅雪!小四郎殿!」
 女の声だ。女の声の方向から数人の気配を感じた。
 そう、伊賀の援軍だ!
 その瞬間、紅雪はその声が姉の朱絹と分かり、微笑みながらも、気合一閃の忍法を放った。
 「忍法、『三日月剣』!」
 彼女の手が振り下ろされた瞬間、白銀の衝撃波が、気を取られた修羅坊に襲い掛かる。
 それに気付いた修羅坊は驚きながらも、身体を反らした。
 その瞬間、修羅坊の左腕は、三日月剣で吹き飛ばされ、紅雪は怪我の部分から血飛沫を吹かせて斃れた。
 「紅雪!」
 小四郎が叫ぶ!その瞬間、修羅坊が跳躍し、頭上の木々に跳んだ。 
 左腕を切り落されながらも、この運動神経は凄まじい!
 「貴様!」
 森から、数人の伊賀忍者が現れた。
 朱絹を先頭に、蓑念鬼、小豆蝋斎など、伊賀の精鋭達が後七人ほど控えていた。
 三日月の様な細くて綺麗な美女が、妹の存在に気付いた。
 「紅雪!」
 「朱絹殿!敵は上だ!」
 小四郎が叫んだ瞬間、他の七名の伊賀忍者は修羅坊に向かって跳んだ。
 だが、修羅坊はすぐに地面に降り立ち、朱絹に標的を絞った。
 「女ぁ!」
 修羅坊が残る右手で小石を掴み、『雷竜弾』を放った。
 その一撃は朱絹を顔を襲い、朱絹は悲鳴をあげながら地面に倒れ伏せた。
 「やったか!」
 修羅坊は疾走し、斃れた朱絹に近付く。
 朱絹の貌は真紅に染まり、大量の血にまみれている。
 「よし、次!」
 修羅坊は振り向き、小四郎と他の伊賀忍者に睨みを利かせた瞬間、突如として血まみれの朱絹が起き上がった。
 朱絹は冷笑しながら素早く上着を脱ぎ、細身だが三日月の様な美しい裸身を晒した。
 するとどうであろう、彼女の裸身が見る見る真紅に染まり、大量の血が流れたではないか!
 その気配に気付いた修羅坊が振り向くと、冷笑しながら鮮血に染まった半裸の美女の姿の姿に思わず硬直した。
 美しい裸身の美女と言う物は、男を突然唖然とさせるものだが、その裸身が、流血に染まっている。
 それなのに彼女は、冷笑を浮かべながら、修羅坊を睨んでいた。

 

 

 これが朱絹の忍法だ。
 世界には、『ウンドマーレー』と呼ばれる怪奇現象が存在する。 
 肉体が傷付いていないのに、血が流れる現象であり、その血が刻印の形や十字架の形をしながら流れていくのだが、本人に全く痛みが感じない怪奇現象だ。
 朱絹は、このウンドマーレーを自分の意思で行なえる忍者だ。
 全身の毛穴から血を噴き出せるのだ。
 当然、顔が血に染まっていたのも、命中したのではなく、自分の意思で血を出し、命中したように見せかけていたのだ。
 その朱絹の全身から大量の血が修羅坊に向かって噴き出した。
 修羅坊の周囲に血の濃霧が発生し、彼を取り込む。
 血の生臭さが全身に絡みつき、鼻穴に嫌でも入り込む。
 口の中にも鮮血の霧が入り込み、味覚に嫌悪感を与えていく。
 全身に血の粘着感がまとわりつき、修羅坊はさすがに生理的嫌悪感を抱かずに入れなかった。
 「くっそう!」
 修羅坊は飛び出し、鮮血の濃霧から飛び出した瞬間、その前に小四郎が立っていた。
 口先を尖らせ、激痛に耐えながら息を吸い込む。
 「くたばれ!」
 全身全霊、満身創痍のの身体から搾り出し、彼は忍法を発動させた!
 「し、しまった!」
 その瞬間、修羅坊の顔面に真空が発生し、彼の顔が砕け、頭蓋骨、脳味噌、目玉が砕け散り、この脅威の人間兵器は、ついに斃れ去ったのであった。
 顔を砕かれながら、修羅坊の脳裏に、双之助の姿が浮んだ。剣を構え、こちらを睨んでいる。
 砕かれた顔をニヤリと笑わせ、彼は最後に呟いた。
 「……双之助。……修羅道で決着を付けようぞ」 
 顔の上半分を吹き飛ばされた男はそう呟きながら、絶命したのだ。
 敵を倒した小四郎も口から血反吐を吐きながら斃れながらも援軍の一人に肩を貸されて立ち上がった。
 「小四郎、大丈夫か?」
 全身け毛むくじゃらの蓬髪の男が尋ねると、
 「蓑念鬼どの、敵はあと一人です」
 まずは結果報告をし、紅雪を思い出す。
 「紅雪!?」
 振り向くと、そこに、妹を抱き寄せる朱絹の姿があった。
 「まだ息はある。早く手当てを!」
 妹を心配しながら叫ぶ。
 その瞬間、伊賀忍者の集団に悲鳴が起こった。
 救出に来た精鋭の一人、青葉清四郎が悲鳴と共に背中から大量の血飛沫を噴出して斃れたのだ。
 その瞬間に、伊賀忍者達は、反撃体勢を整える。
 「これは!」
 腰の曲がった老人、小豆蝋斎が叫ぶ。
 再び円盤状の手裏剣が森林の中を弧円を描きながら彼等に襲い掛かる。
 「任せろ!」
 叫んだのは蓑念鬼であった。
 全身毛深い蓬髪の男が、低音だが聞き取りやすい声を上げて、円盤に向かって棒で叩き落した。
 すると次の円盤が数個、彼に襲い掛かった。
 その円盤が四方八方から彼に襲い掛かかり、彼の身体に次々と命中し、蓑念鬼は、微動すらせず、静止した。
 だが、次に彼は叫び、棒を近くの雑草の中に投げつけた。
 「そこかぁ!」
 棒が一直線に草むらに飛び込み、そこから小柄な山伏姿の老人が飛び出し、蓑念鬼を見つめる。
 その細い皺だらけの瞳が思わず開き、白い口髭と顎鬚に覆われた口元からうめき声がも漏れる。
 蓑念鬼は甲高い哄笑をもらしながら、その蓬髪の髪が幾十の束となり、蛇の様にうごめき、しかも円盤に絡みつき、それを髪の毛がしなりながら円盤を投げ返したのだ!
 その円盤は、小柄な老人の前に戻ると、威力を失い、次々と老人の腕に戻っていく。
 蓑念鬼が今度は唸る。
 「貴様、円盤を操るのか?」
 「そういう貴様こそ、髪の毛を」
 すると、蓑念鬼は低音の哄笑を響かせて笑う。
 「我が体毛は我が腕。儂は髪の毛全てが腕となる!」
 そう、蓑念鬼は自分の髪を自由自在に操り、物を掴んだり絡めたり、締め付ける事が出来るのだ。
 つまり、彼は数千、数万の腕を自由自在に操る忍者なのだ。
 小柄な山伏姿の老人、覇王坊は、唸りながらも、跳躍した。
 「逃がさぬ!」
 伊賀忍者が一斉に追いかけた。
 重傷を負った小四郎、夜叉丸、蛍火すらも追いかけ、朱絹は妹の手当ての為に残る。
 覇王坊は、老人とは思えぬ瞬発力を見せ、目的の場所へ走る。
 (こやつらは、儂の『黒死疫』で壊滅させる!あの風の吹く小高い丘の風上に立ち、そこから奴等を)
 覇王坊は笑いながら敵の攻撃を躱し、目的の丘へと向かう。
 そしてその丘が見えた瞬間、全身全霊の力で跳躍し、その丘の上に落りたった。
 その風上から追いかけてくる伊賀忍者に向かって風が流れていく。
 (おあつらえ向きだ。これで奴等は全滅!)
 これで、薬師寺天膳、鬼頭双之助を葬ったのだ。
 丘の上に威風堂々と立つ老人に、伊賀忍者達も一瞬警戒し、立ち止まる。
 彼等が風の流れる丘の下に立ち止まりながらも、それぞれの忍法を使おうとしている。
 (勝った!)
 覇王坊が、会心の笑みを浮べ、息を吸い始めた。
 そして彼等に向かって、業病を放つ息を吐き出そうとした瞬間、この空間に貫禄のある声が響いた。
 「全員、風上に回れ!」 
 その声と同時に、伊賀忍者達は、何のためらいもなく、その言葉に従い、一気に跳躍し、左右に分かれて、覇王坊の背後に回ろうとする。
 「何!」
 覇王坊が振り向き、背後を見ると、そこに一人の男が数メートル離れた場所に立っていた。
 その声の主だ。
 その男を見て、覇王坊は顔が青くなり、震えだす。
 (……ま、まさか………そ、そんな!)
 その男の周囲に旋回した伊賀忍者達が集結し、それぞれが冷笑を浮かべて、覇王坊を見つめている。嘲笑、哄笑、蔑んだ笑みを浮べ、彼等は、その男の傍でいる。
 その男。覇王坊には信じられぬ男であった。
 そう、その男は儂が倒した!間違いなく斃した!
 全身に冷たい大粒の汗が流れ、そこにいる幻か亡霊のような存在に怯える。
 そこには間違いなく、薬師寺天膳が、全てを凍てつかせる冷笑を浮かべて立っているではないか!

 

 

 「風上に立たれては、貴様の業病の吐息が届かぬではないか、のう、『空牙坊』」
 「き、貴様!……ま、まさか!?あの時儂が斃した!殺した筈だ!?」
 「確かに、殺されたわ!」
 薬師寺天膳が跳んだ。忍者刀を抜き、一気に間合いを詰める。
 信じられぬ出来事に驚きながらも、覇王坊はこの状況で円盤の手裏剣を放った!
 立ち止まる覇王坊の横を天膳が駆け抜けた。 
 その瞬間、覇王坊の右肩から左腰にかけて、一文字の血飛沫が噴出し、円盤は天膳の頬を深く切り裂いた。
 その天膳の頬からも血が流れる。
 「さすがは、『空牙坊』。驚きながらも、その反撃が出来るとはな」
 余裕たっぷりに冷笑しながら血が流れる頬を隠そうともせず、大量の血を噴出して地面に倒れていく覇王坊に近づいていく。
 「き、貴様!あ、何故生きている?」
 「いやいや、貴殿の忍法も凄まじかった。この儂とて、『四回死んで』、ようやく毒素が抜けたわえ」
 笑うその口元の頬の傷が、徐々に塞がり、流れた血が傷口に戻り、何事も無かったように回復していくのを見て、覇王坊は驚きながらも地面に倒れ伏せる。
 「な、なん…と。……化け物め!」
 薄れゆく意識の中、覇王坊は確信した。
 薬師寺天膳が三十年前程と変わらぬ姿をしている理由を。
 薬師寺天膳が四回死んだといった理由を。
 そう、彼は悟ったのだ。
 「貴様、……不死身か?」
 すると傍で見下ろしながら笑う天膳が、
 「今の貴殿に分けてやりたい忍法よ。……のう、空牙坊?」
 これほどの冷笑は無いという程の恐ろしいほどの冷笑を浮べ、天膳は忍者刀を振りかざし、今、覇王坊の首を斬り落とした。
 首が胴体から切断され、驚いた顔のまま小柄な老人は死んでいった。
 「伊賀と根来の忍法合戦。勝敗決せり!」
 天膳は笑い、部下の方を振り向く。

 部下達は、膝まつき、天膳に深々と頭を下げたのだ。

 

 

 こうして、伊賀忍者と根来忍法僧の死闘は終結した。
 根来忍法僧七人は、覇王坊、修羅坊、大蛇坊、針鼠坊、水魔坊、雷神坊、火炎坊の七人全員が全滅した。
 伊賀忍者は、土蛇、王虎獣蔵、鬼頭双之助の三人が果てた。
 だが、生き残った四人、筑摩小四郎、夜叉丸、蛍火、紅雪の四人の怪我も深刻な物で、すぐさま伊賀の鍔隠れの里へ運ばれて、そこで治療を受ける事になり、すぐに四人は里へと戻されて、すぐに治療を受け、身体を休めている。
 筑摩小四郎、夜叉丸はすぐに回復の兆しを見せていく。
 蛍火の方は精神的な物であり、すぐに回復し、心配そうに夜叉丸の手当てを手伝い出す。

 ……だが、紅雪は駄目であった。
 姉の朱絹が二六時中看病をしたが、血管がぼろぼろであり、内出血が酷すぎた。
 朱絹はそれでも紅雪の手当てをし、優しく微笑んでいる。
 「あ、…姉さま…」
 弱々しい声で、寂しそうに紅雪は布団の中で呟いた。
 姉は、優しい笑みを浮かべたまま、水差しで水を飲ませてやる。
 「わ、私は……」
 「黙っていなさい、……それに貴女は立派だったわ、紅雪」
 優しい声で姉が言うと、妹は、頬に細い涙の雫をこぼした。
 「あの修羅坊を倒せるきっかけを作ったのよ。伊賀忍者として恥ずかしくないわ」
 「あ、姉さま……」
 紅雪は嬉しそうに笑い、弱々しい手で、姉の手を握り、静かに微笑んだ。
 だが、それから二時間ほどして、彼女は静かに息を引き取った。

 

 

 結局、生き残ったのは、筑摩小四郎、夜叉丸、蛍火の三人であった。
 小四郎の怪我が一番深刻であったが、野性味溢れる彼の生命力は、驚異的な回復力を見せ、すぐに起き上がれるようになっていた。
 安静を勧める周囲の人間を払いのけ、彼は起き上がり、外へ出る。
 総髪の蓑念鬼が、笑いながら外で待っていた。
 「おお、小四郎。怪我はもういいのか?」
 「うるせぇ、自主的に良いと決めたんだ」
 蓑念鬼は豪快に笑うが、すぐに深刻な顔になり、
 「……紅雪が死んだぞ」
 その言葉は、小四郎には遅効性の毒の様な影響を与えた。
 「……そうか」
 小四郎は誘われるまま、蓑念鬼の後へ着いていく。
 鍔隠れの里の屋敷内で、葬儀の用意が行なわれていた。
 小四郎が唖然とする中、紅雪の遺体の傍で、座っている朱絹の姿を見て、呆然とする。
 三日月の様に細く、青白く、冷たくも暖かい美女が、母性的な寂しそうな笑みを浮かべていた。
 その彼女が、小四郎に気付き、静かに笑った。
 「小四郎どの。怪我はもう大丈夫ですか?」
 「は、はい」
 美女に微笑まれては、小四郎は顔を紅潮せざるを得ない。
 だが、すぐに頭を下げ、
 「申し訳ない、朱絹殿。……俺がもっとしっかりしていたら、紅雪は…」
 「小四郎どの。忍者は、死の運命、死の宿命、死の使命の、『三つの命』を背負って生きるもの。……私の妹の為にも、そんな弱々しい事を言わないで下さい」
 その言葉に驚きながらも、小四郎は言葉を詰まらせる。
 「妹は……、紅雪は『三つの命』を果たしました。それが伊賀忍者として当然なのです」
 そう言って彼女は立ち上がり、小四郎の前まで近付いた。
 「それより、姫様に御報告を。……姫様が、今回の事で、ひどく傷ついています。自分の為に、四人の人間が死んだ事に」
 「あ…、でも朱絹殿とて、妹の…」
 妹が死んだ事を言おうとしたのだが、朱絹はくすりと笑い、
 「忍者は、親兄弟姉妹が死んでも泣かぬ者。……それより、姫様に報告を。私達二人で、姫様をお慰めするのです」
 「……は、」
 小四郎は、冷たい女性だと思いながらも、彼女の後を追って、屋敷の奥へと着いていく。
 その姿を、……朱絹の背後を見ながら蓑念鬼は、鼻で哀しそうに笑い、独り言を呟いた。
 「ふん、背中で泣くのは男だけじゃないな。朱絹も……女も背中で泣くものだ」
 そう呟き、此処から立ち去っていく。
 だが、その蓑念鬼も、朱絹も知らない。
 妹の死に涙を流さなかった朱絹だが、何れ、小四郎の為に涙を流す日が来る事を。

 ……またそれは、違う話。

 その蓑念鬼が井戸の傍を歩くと、今度は蛍火がいた。
 小柄な可憐な少女は、竹薮の傍の井戸で、水を汲み布を干したりしている。
 「おお、蛍火か。何をしている?」
 「蓑念鬼さん。ちょうど良かった手伝ってくださいますか?」
 するとニヤリと蓑念鬼は笑い、
 「ああん、夜叉丸の看病ならお前一人でやれや、俺は邪魔はしないぜ。それとも他のくノ一が、夜叉丸に近付かないようにしろとでも言うのか?」
 嫌味そうに言うものだから、蛍火は少し、眉をひそめた。
 そしてゆっくりと印を結び何かを呼び寄せる。
 「おいおい、俺に蟻や蝶は意味無いぞ」
 「それは無いです。もっと凄いのを呼びましたから、たっぷりと」
 冷笑しながら不気味に笑う蛍火の迫力に少し押されながらも、自分の足元を見る。
 すると竹薮から黒い細長い虫が大量にやってきて自分を囲んでいる。
 それは、ムカデであった!
 何百と言うムカデが完全に彼を包囲し、小さな毒牙を向けてにょろにょろと動きながら囲んでいるではないか!
 流石の百戦錬磨の蓑念鬼も、これには絶句し、冷や汗を浮かべながら、
 「……何を手伝えば良いのだ?」
 すると蛍火は笑顔で嬉しそうに、
 「さすがは蓑の小父さま。話が分かりますわ。話の分かる小父さまって素敵ですわ」
 どうやら俺は扱き使われそうだ。
 そう思いながらも、この小娘に抵抗できない自分に苦笑した。

 ……伊賀の里に、束の間の平和は戻った。

 

( 伊賀忍法伝 完 )