++ 無用 ++

 久しぶりに柔らかいベッドで眠ったからだろうか。
 それとも、慣れない枕に首が凝ってしまったせいか。

 目覚し時計が鳴っている。
 艦のベッドで眠っているのなら、すぐさま布団から起きなければならない。
 跳ね起きて、妻と息子、そして娘と一緒に撮った写真に視線をやって、
軍服へと着替えなければならなかった。
 でも、今日はそんなことをしなくていい。
 自宅のベッドで寝ているのだから。

 俺がいつものようにベッドの上に置いてある目覚し時計に手を伸ばすと、
手は目的のものへと辿り着き、おまけに別のものが俺の顔のすぐ隣へと
落ちてきた。
 ちょっとしたスリルで完全に目が覚めた俺は、まじまじと落ちてきた物体を見つめた。

 円筒状の外形に、半透明のボディ。
 軍の者なら誰でも一度は見たことのある、通信用の音声画像記録機だ。

「あぁ……カバンから出してたのか」

 この記録機は、いつもならば俺のカバンの中に潜んでいる筈だった。
 もっとも、いつもと言うのは艦隊勤務中という意味だ。
 地球連邦軍の軍人である俺は、一年の半分ほどを艦の中で過ごす。
 だが、今日から一ヶ月は基地勤務だ。
 しばらくは自宅に戻って来られる日々が続くだろう。

 普段は滅多に御目にかかることのない記録機に、俺は思わず記録機の
再生のスイッチを押していた。

『アーノルド=ノイマンへ

 お前がこの通信を聞いているということは、少なくとも私とお前が違う艦に
乗っていたのだろう。
 そして、私の乗っていた艦が沈んだことを意味する。

 だが、決して私を探そうとはしないで欲しい。
 宇宙空間で艦が沈んだ場合、ほぼ間違いなくMIAと認定される。
 そして、認定された者が生還した事例は少ない。
 私だけが強運の持ち主である筈もないので、お前は黙って事実を受け入れて欲しい。

 私がお前にこの通信を遺した理由は、お前ならばわかってくれると思う。
 私はお前のことが好きだったし、お前も私のことを好きでいてくれたのではないかと思っている。
 根拠のない自信だが、恋人同士のような関係ではなかっただろうか。
 だからと言うわけではないが、私の最後の言葉だと思って、これからの言葉を聞いて欲しい。

 お前との出会いは忘れもしない。
 あの状況で立ちすくんでいた私を、お前は助けてくれた。
 お前がいなければ、私はあの時に絶望していたのかもしれない。

 しかし、お前は私を勇気付けてくれた。
 その時にやらなければならないことを示してくれた。
 多分、その時から急速に心を惹かれていったのだろう。

 お前の細やかな気遣いができる部分と少々強引な部分が、私には心地好かった。
 その……男性というものにあまり触れたことのなかった私も、お前ならば、
その……許せた。

 勘違いするなよ。
 別に最初からそうなったわけではないぞ。
 ちゃんと、手順やらを踏んでだな……。

 ん、話を元に戻す。

 とにかく、私はお前のことが好きだった。
 それは最後の一瞬まで変わることはない。
 例え命が尽きようとしている時も、私はお前のことが好きでいられる。

 だから、言わずにはいられない。
 アーノルド、お前のことを愛している。

 ずっと私を愛してくれとは言わない。
 だが、せめて一年くらいは私のことも思い出して欲しい。
 お前のことだから、きっと良縁は来るだろう。
 その時には、私のことをすっぱり忘れてくれてもいい。
 でも、せめてその時までは……私のことを想ってはくれないか?

 死してなお縛るつもりはないつもりだったが、縛りたいのかもしれんな。
 お前から私が消えていくことが、寂しく感じられる。

 何と言って伝えたらよいのかは……わからない。
 もう少し、先輩に恋路のことを学んでおけばよかったな。

 つまらない感傷かもしれない。
 だからと言って、これだけは忘れないで欲しい。

 ナタル=バジルールは、アーノルド=ノイマン、お前のことを愛している。
 お前の腕の中で、もう一度眠りたかった。

 お前の武運を祈っている。
 私の分まで、長く生きてくれ。

 ……言わなきゃダメか?

 アーニィ、愛してる。
 ナタルより愛を込めて
                                          』

 俺の記憶よりも幾分か若いナタルの胸部画像と、ナタルの肉声に近い音声が流れ始めた。
 久しぶりに見てみたが、一向に色褪せる気配はない。

「……結局、見つけられたもんな」

 最後の最後にポッドで脱出したらしい彼女は、幸運にも救助された。
 消息がわかったのが数週間後のことだったから、俺は自分で彼女を引き取りに行った。
 その時、俺の手にこの記録機が握られていたのを見た彼女の顔は、二度と忘れないだろう。
 情事のあとの顔でさえ、あの時の表情には劣る。

『何故お前が……』

『もちろん、俺が貴方の引き取り人だからで、貴方の直属の部下だからです』

 荷物を持ったまま呆然としているナタルの手から荷物を奪い取って、俺は
さっさと歩き出した。
 彼女が小走りに追いかけてくるのを待って、俺は荷物を床へと下ろした。

『おまけに、こんなもの送られてきたら』

 そう言って俺が記録機を見せると、ナタルの顔が一瞬にして紅く染まった。
 口が何か言いたげにパクパクと動いているのを見ながら、俺は実にゆっくりと彼女へと手を伸ばした。
 長い間待ち続けた彼女の柔らかな抱き心地が、俺から徐々に冷静さを
奪っていった。

『無事でよかった』

『……ノイマン、痛い』

『痛みぐらい耐えて下さい。少なくとも、俺は痛くない』

『ノイマンッ』

 俺の腕の中でもがく彼女の体が、俺の体のいろんな場所に当たる。
 その全てが柔らかく、熱を持っていた。
 暖かかった。柔らかかった。そして、すぐに別の場所に触れてきた。
 全てが不規則に動いていた。

『すみません、俺……』

 涙が止まらなかった。
 彼女の肩に顔をうずめ、彼女の服を噛んで嗚咽をこらえた。

『もういい。私とて気持ちは同じだ。やはり、同じ艦にいるべきだな、私達は』

 

 戦役が終わってしばらくは、ナタルの決心も行動で示されていた。
 だが、今となってはもう、その決心が実行に移されることはない。

「トール、貴様、何をやっている!」

「うわっ、母さん?」

「貴様、あれほど朝食の時には着替えるようにと言っていただろうが!」

「な、何で帰って来てんだよ」

「明日から基地勤務だ。昨日付で休暇を与えられている。その前に、さっさと
 着替えて来んかッ」

 扉の向こうから、懐かしい怒声と慌しい足音が聞こえてくる。
 多分、トールの奴がパジャマ姿で朝食を摂ろうとしていたのだろう。

 そうか、明日からはナタルも基地勤務らしい。
 役職は昼食の時にでも聞いておこうか。

「まったく、要らぬところまで元の名前の持ち主に似てきたな」

 愚痴を言いながら、ナタルが俺達の寝室の扉を開いた。
 ベッドから上半身を起こし、未だ軍服姿の妻に向かって微笑む。

「おかえり」

「ただいま、アーニィ」

 少しホッとしたような彼女の視線が、俺の手の中で止まった。
 慌てて手の中のものを隠そうとした俺に、ナタルが飛び込んでくる。

「貴様、その手にあるものはなんだッ」

「うわっ」

 フライングボディアタックを食らって、俺の手から記録機がこぼれた。
 コロコロと転がっていってしまったそれは扉の方へと転がり、ちょうど寝室にやって来た娘の足許へと転がった。

「いいところに来た。マーニャ、それを拾いなさい!」

「え……はい」

 幼年学校へ昨年度入学したばかりのマレーナが、ナタルの声を聞いて寝室へとやって来たらしい。
 俺からはナタルが壁になってしまい、本当に拾ったかは見えていない。

「マーニャ、記録してあるものを消しなさい!」

「あ、消すなよ!」

「えっ? あ、あの……」

 両親に全く反対のことを言われて、マレーナが戸惑っているのがわかる。
 長男のトールはしっかりした息子なのだが、マレーナはやや甘えん坊だ。

「お、何やってんの?」

 マレーナが戸惑っているのを見たのか、ナタルが俺の体の上から離れる。
 その隙に態勢を整えた俺の視線の先には、何故か記録機をもっているトールの姿があった。

「父さん、これ……」

「トールでもいい。中身を消すんだ!」

 かつて俺達下士官を叱りつけていたままの剣幕で叫んだナタルにも怯むことなく、トールが微笑んだ。

「そんなに言われるなら……再生しよ」

 律儀にも最初へと巻き戻していたため、最初から記録が再生される。
 再生が始まると同時に気力が萎えたのか、ナタルが力なく座りこんでいた。

「……若い」

「これ、母様だ」

 内容よりもナタルのかつての映像に気を取られているトールの手から、
俺の大事な記録機を取り上げる。
 黙って停止ボタンを押して、俺はナタルの頬に挨拶代わりのキスをした。

「お前達、母さんに挨拶したのか?」

 俺の言葉に、マレーナがナタルに駆け寄ってキスをする。
 トールの方は肩を竦めて、俺の顔を見上げてきた。

「母さん、美人だったんだね」

「可愛いと言うよりは美人だったな」

「僕だったら、可愛い方を選ぶけどね」

「美人の見せる、一瞬の可愛さがいいんだ」

「アーノルド!」

 マレーナを小脇に抱え、ナタルが顔を真っ赤にして怒っている。
 俺とトールは二人して同時に彼女へ背を向けていた。
 その可笑しさに、俺達親子は顔を見合わせて笑っていた。

「アーノルド、トール、こちらを向け!」

「トール、学校に遅れるぞ」

「そうだね、父さん」

 そのまま寝室を出て行こうとしたが……できなかった。
 一瞬にして冷静さを取り戻したかのような怜悧な声に、俺達は足が動かなかったのだ。

「アーノルド、トール……覚悟は、できているのだろうな」

「マ、マーニャ、早くしないと学校遅れるぞ」

「う、うん」

 マレーナに手を引かれる格好で、トールが何とか脱出していく。
 それも、御丁寧に扉まで閉めて。

 寝室に隔離された俺は、記録機を手にナタルへ向かざるを得なかった。

「……これだけは消さないからな」

「わかっている。だが、子供達の前では見るな。私の前でも見ないでくれ」

 困った時のナタルの癖。少しはにかんだ表情が見えた。
 俺は素直に手を伸ばしていた。

「俺は明日から一ヶ月間、基地勤務だ。君は?」

「基地の副司令として着任することになった。これからは家も守れる」

「俺の配属転換は通らないってのに……入り婿には厳しいな」

「いや、お前にも辞令が出る。基地の守備艦隊への着任辞令がな」

 ナタルの言葉は、俺にとって寝耳に水だった。
 今までどんなに嘆願しても、聞き入れられなかった配属転換。
 それが、どうして今になって……。

「父様も歳だからな。我が家系で一番の戦功を立てているのはアーノルド、
 お前だ」

「前戦役の生き残り、それからも最前線での艦隊勤務。よく生き残ったな」

「当然だ。私が選んだ男なのだからな」

 そう言われると、少し照れくさいな。
 もちろん、君の期待を裏切りたくない気持ちが俺を生き延びさせてくれたのかもしれないけれど。

「一応、艦長という話らしいぞ。もちろん、万能型機動戦艦だ」

「例の新型かな。動かしてみたいが……」

「無理だろう。艦長の忙しさは、並ではないからな。動かせるとなれば、本当
 に緊急の時くらいだ」

「艦長の柄じゃないな。昇進するというのも、考えものだ」

 昔の同僚には怒られるかもしれないが、階級が上がればそれだけ実戦か
らは離れてしまう。
 それは下士官上がりの俺にとって、結構退屈なことだった。

「だが、逃げてもらっては困る。私の夫として、バジルール家を支えてもらわ
 ねばならんからな」

「ナタルを手に入れた代償か」

「……私では、代償の方が高すぎるか?」

 ナタルの少し寂しげな表情。
 いつになっても、貴方は俺を虜にする。
 恋の奴隷と言う名の虜に。

「まさか。安過ぎるさ。ただ、もうこんな記録が飛び交うようになっても困るが」

 そう言って、手の中の記録機を持ち上げて見せる。
 ナタルの手が俺の手に重ねられ、身体が俺の胸へと預けられた。

「……そうだな。常にともにありたいものだ」

 俺達二人の願いは、軍人として間違っているのかもしれない。
 だけど、これくらいは願ってもいいだろう。
 愛する者を守れますように、と。

<了>