++ give yourself up to me ++

 人類を含む全ての生物は、その体内に体内時計というものを持っている。
 体内時計があるからこそ、時差ボケなどの症状が引き起こされる。
 では、我々人類は通常どのようにしてその症状を克服しているのか。
 ハチや植物と同じように、人間も太陽の動きによって体内時計をリセットしているのである。そして太陽の光を受けて体内時計がリセットされることにより、全ての生物は体内の時間軸を現実の太陽時間に対応させているのだ。

 この基本事項は、人類が宇宙へ飛び出したとしても変わらない。
 地球人類が地球の時間軸で生活を続けている限り、地球人類にとって、
一日は二十四時間なのだから。

「……と、言う理由だ」

「と、言う訳ですか」

 地上に降りてからしばらくして、バジルールは変則的なシフト表を作成した。
 それによると、一日を四勤制で勤めることになっている。
 士官と呼ばれる階級を持つ中で、キラを除いた四人を基本にシフトが割り
振られていた。

「このシフトで、これからは勤務を行おうと思うのだが」

 彼女が新しく作成したシフトでは、子供達と大人達が上手く組み合わされている。子供達がなるべく夜勤にならないようにしているのは生物の学習能力を考慮した、彼女らしい配慮だ。

「子供達の方が実際の太陽の運行に影響を受けやすいと判断したのだが」

「まぁ、妥当な線じゃないの。今までの三勤制にこだわるよりはよっぽどいい」

「ですが、結果として拘束時間が長くなっているようですが」

「まだまだ未熟なクルーが多いからな。彼らを教育できるようにシフトを組んだ
 つもりだ」

 バジルールの言う通り、特に操舵士はその傾向が強い。
 トールなどは、勤務時間の半分ほどがノイマンと重なっている。
 キラはフラガと同じ部署なのだが、扱いは微妙だ。
 現在の彼の置かれている状況を加味したからである。

「ま、坊主をブリッジに縛りつけんのもな」

「艦長にそのような忠告を受けた。本来ならば、ブリッジに詰める時間も必要
 なのだがな」

 バジルールがそう言って顔をしかめる。彼女の感性で言えば、パイロットはブリッジの中で常に状況を把握しているのが普通なのだ。

「そう言うなって。無理して潰れるよりは、よっぽどマシだろうが」

 バジルールの考えに気付いているのか、フラガは苦笑してみせた。
 一見すると頼りなげなその表情を見て、バジルールが小さく鼻を鳴らす。
 そんな二人のやり取りを他所にシフト表を眺めていたノイマンは、隅々までシフトを確認した後でようやく顔を上げた。

「トール君には、かなりの時間で俺がつけることになっていますが」

「あぁ。操舵士が一人では困るだろう。お前の責任が重くなりすぎる」

「確かにありがたいのですが、それは各部署にも言えることなのでは?」

「まぁ、そうだが……不満か」

 意外だと言わんばかりのバジルールに、ノイマンは小さく首を横に振った。
 そのノイマンの首根っこを捕まえて、フラガがわざと目の前の女性にも聞こえるように囁く。

「彼女の気遣いだろ。ありがたくもらっとけや」

「なっ……特別扱いではないッ」

 嬉しくなるほどに引っかかってくれたバジルールを軽くあしらい、フラガが
ノイマンを盾にする。

「あら、顔が赤いんじゃない?」

「少佐ッ」

 自分を挟んで激しい視線の攻防を見せる二人に、ノイマンは吐息をついた。
 ラミアスがいればこのような事態にはならないのだが、どうも彼女がいないとこうなってしまう。バジルールはラミアスに比べると、良い意味で一直線な性格なのだ。

「確かに、緊急の場合にトール君が使いものになるのとならないのでは、
 大きな違いがあります」

 この場で事を収めることができるのは、もう自分しかいない。
 ノイマンは自分をそう励まし、バジルールの援護を始める。

「俺が負傷した時に艦が動かないのでは、敵に狙えと言うようなものです」

「そうだろう。逃げるにしろ、誰かが艦を操らなくてはいけないからな」

 ノイマンの理論に賛同し、バジルールがようやく自分を取り戻す。
 が、フラガとてここで引き下がってしまっては、からかった意味がない。
 しっかりとノイマンを盾にしたままで、ノイマンの理論をつつく。

「俺だって操艦くらいは出来るぞ」

「少佐が操艦するならば、誰が外で戦うのですか」

「先にプログラム組んどくってのはどうだ?」

「そんな実行プラグラムがアテになると思いますか?」

 息が合っているかのように、二人が順番にフラガの意見を打破していく。
 数分ぐらい低レベルなやり取りが続いた後で、フラガはやれやれと言った
感じで両手を上げた。

「わかった、わかった。俺の負けだよ」

「初めから下らないことを言うな」

「へいへい」

 二人の間の緊張が解け、ノイマンはようやく胸をなでおろした。
 その瞬間、負けを認めていたフラガがあっという間に立場を逆転させる。

「息の合ったことで」

 バジルールとノイマンの思考がわずかながら停止する。
 その隙をつき、フラガはさっさと手を振って、笑顔で部屋を出ていった。

「……やられた」

「さすがですね」

 呆気にとられ、二人はそう言って肩を竦めた。
 あのフラガがやすやすと負けを認めて大人しくなるわけがないと解っていたのだが、そう簡単ではない。
 やはりフラガは二人の上官であり、年齢的にも二人の先輩なのだと思わずにはいられない。

「まったく……それで、どうなのだ?」

 最初から使用者のいない部屋のベッドに腰を下ろし、バジルールがデスクの上に置かれている紙を指した。
 ノイマンはその紙を手にすると、もう一度シフトの内容を確認する。

「艦長が拒否なさるとは思えませんが……俺は異論ありません」

「そうか。フラガ少佐も認めたことだし、明日にでも艦長に提出するとしよう」

「そうですね」

 そう答えてから、ノイマンはシフト表の端に書かれたト書に気付いた。

「あれ、これは?」

「何だ?」

 ノイマンの言葉に、バジルールが手を伸ばす。
 彼女へシフト表の書かれた紙を渡し、ノイマンはト書の場所を指で示した。

「何だ、これは。こんなもの、書いた覚えはないぞ」

「少佐の文字ですね」

”夜中・早朝は二人で充分。実践が何よりの成長源だぞ”

 フラガの書いたであろう一言を読み、バジルールの顔が不機嫌になる。
 普段の彼女からはとても想像することのできない、年不相応に若々しく、
それでいて可愛げのあるその頬を、ノイマンは自分の指で突付いてやりたい欲望を必死に押さえ込んだ。

「もう少し彼らを信頼しろと言うことですね」

「……らしいな。確かに、実践が何よりの教材だ」

 バジルールの手が、新しいシフト表を丁寧に折りたたむ。
 ノイマンが目で問い掛けてくるのを、彼女は小さく笑って応えた。

「今しばらく考え直してみる。お前が倒れぬようにということに、気をつけ過ぎ
 ていたのかもしれん」

「無理はしないで下さいよ。中尉だって代わりがないのですから」

「あぁ、わかっている」

 そう言って、バジルールが紙をポケットに入れて立ちあがる。
 先に部屋の扉を開けて待っていたノイマンは、彼女が隣に並ぶと同時に、彼女の手を取って腕の時計を覗いた。

「食事にしますか。それとも、艦長の様子を見に行かれますか?」

「いや、フラガ少佐に顔を合わせる必要もない。食事にしよう」

「了解」

 ブリッジとは反対方向にある食堂へ、二人が並ぶようにして歩き始める。
 格納庫とは位置が離れているせいか、周囲は静まり返っている。
 元々、尉官の居住区を利用しているのは四人だけであり、内二人が現在はブリッジにいるのだ。

「ノイマン少尉、歩きながらで悪いのだが」

 居住区を区切るわずかな壁の出っ張りを越えた辺りで、バジルールが前を向いたまま口を開いた。
 ちらりと視線を送り、ノイマンは声に出して先を促した。

「何でしょう」

「最近、ブリッジの中で感じたのだが、何か良い事でもあったのか?」

「……そんなに機嫌よさそうですか?」

「以前はあまり笑わなかったからな。今は、少し違う気がしただけだ」

 バジルールの表情は、軍帽の下に隠れていて見ることは出来ない。
 しかし、ノイマンは軍帽の下の表情を想像し、静かに笑った。

「まぁ、慣れたのだと思います。他人に教えることなど、今までなかったこと
 ですからね」

「そういうものなのか」

「出来たと言って喜んでくれたら、結構楽しいですよ」

 ノイマンの言葉に、バジルールは思わずノイマンを見つめていた。
 最初は任務一筋だと思っていた同僚に、思わぬ一面を発見したという表情だった。彼女を見つめ返すノイマンの視線が、彼女の頬を淡く染める。
 まるで少女のようだなと自覚しつつ、バジルールは前を向きなおした。

「……その元気があれば大丈夫だな」

「はい。倒れるときは先に言います」

「そうしてくれ」

 マードックの下で働く、作業服姿のクルーが食堂から格納庫の方へ走っていく。その手にバスケットを持っているところを見ると、格納庫では昼食を取る暇もないらしい。
 それを横目で見ながら、二人は食堂でランチのトレイを取り、向かい合って食堂の椅子に腰を下ろす。

「そう言えば、練兵用のシュミレーターが何処かにある筈だな」

「積み込んだ筈です。トノムラに後で確認しましょう」

「そうだな。戦闘シュミレーションだけでなく、他のマニュアルも付いていると
 良いのだが」

「とりあえず、操艦シュミレーターは現行のがありますから。あとは機銃座用
 ですね」

「対空砲は重要だな。取り付かれる可能性は少しでも低くしなくては」

「あとで探しておきます」

 二人がそう会話をしながら食事をしていると、食堂の外が騒がしくなる。
 ブリッジ要員が昼食のための早い休憩に入ったらしい。
 ミリアリアの明るい声が聞こえてくる。

「昼食休憩に入ったようだな」

「そうですね。では、我々が戻るとしますか」

「そうだな」

 二人が席を立ちあがると、丁度入れ替わるようにして席に座ろうとしていたトールがトレイを置いて敬礼をしてくる。
 それに従うミリアリアとカズイにも敬礼を返し、バジルールは口許を緩めた。

「大分慣れたようだな」

「はい。あ、少尉、後でプログラムを見てもらえますか?多分支障なく運行
 できるはずですけど」

「わかった。バックアップがあれば、これから確認するが」

「はい、お願いします。元はここにありますから」

 そう言って、トールは自分の軍服の胸ポケットを軽く叩いた。
 少し膨らんでいるところを見ると、ディスクが入っているようである。

「わかった。次に動くときは任せるからな」

「了解しました」

「それじゃ、ゆっくり食べて来い」

 そう言って先に歩き出したノイマンを追いかけるようにして、バジルールが
やや速足で食堂を後にする。
 ノイマンも彼女を待っていたかのように速度を緩め、二人は食堂へ入ってきた時と同じ並び方で廊下を進む。

「任せて大丈夫なのだろうな」

「習うより慣れろ。あの年頃は適応力が高いですから」

「まるで我々が若くないような言いぶりだが」

 そう言いながらブリッジの扉の前に立つ。
 自動扉が開き、バジルールは艦長席を見上げた。

「あとは我々が詰めます。艦長は昼食をお摂りになってください」

「ありがとう」

 そう言って、艦長席からラミアスが降りてくる。代わって上に上がろうとしたバジルールの耳元に口を寄せ、ラミアスがクスリと笑った。

「化粧のりがいいわよ。少尉と何かしたの?」

 一瞬固まったバジルールの視界に、艦内一のヘラヘラ男が映る。
 彼の場所は艦長席の奥にあるパイロット待機席なのだが、明らかにそこへ戻る途中だ。それを見た途端、バジルールはすさまじい勢いで梯子を駆けあがっていく。

「少佐ッ、艦長に何を吹き込んだッ」

「な、何をだ?」

 詰問調で上官を絞り上げる副官を笑顔で見届け、ラミアスは未だ入り口に立っていたノイマンの肩に手を置いた。

「貴方のおかげよ。彼女の息を抜いてやってね」

「……フラガ少佐の息も抜いてやってくださいね」

 それきり無言で視線を交わす二人の背後では、バジルールの怒声とフラガのさわやかな悲鳴が聞こえていた。

<了>