“kiss in the dark”
「ようやく終わりましたね」
ヴェルトマー家主催のパーティー。
広間のテーブル等も片付いたところで、アイーダはようやく表情を和らげた。「ありがとうございました、アイーダ将軍」
一足早く広間の片付けを抜けて厨房にいたアゼルが、広間へと戻ってくる。
その手には、厨房に作らせたばかりのカクテルがあった。「アゼル様も、ご苦労様でした」
日頃からアゼルの兄であるアルヴィス公爵に付き従っているアイーダは、休む間もないほど忙しい。
その彼女に代わり、当日までの準備を手がけていたのがアゼルである。アイーダが当日の指揮を執ったものの、その下準備はほとんどアゼルが整えていた。
簡単なリストを与えられただけで準備を整えたその手腕は、さすがと唸らせるものがあった。「これ、今、作らせたものです。どうぞ」
手にしていたカクテルグラスを心持ち持ち上げて、アゼルがアイーダへと微笑んだ。
そのあどけなさの残る微笑みは、アイーダの疲れた心に染み込んでくる。「ありがとうございます、アゼル様」
盆の上からカクテルグラスをつまみ上げ、アイーダはグラス越しに見る主君の異母弟に目を細めた。
「いただきます」
グラスの縁に唇をつけ、カクテルを口に含む。
ブランデーの香りが口中に広がり、それを包むようにリンゴの香りと微かな酸味が後を追う。「ジャック・ローズ……ですね」
「正解です」
度数自体は高めだが、その甘い口当たりとライムの爽やかさから、食後に楽しまれるカクテル。
疲れた身体に染み渡るような甘さに、アイーダは細めていた目を閉じ、深くアルコールを迎える。「おや、ここにいたのかい」
新しく広間に入ってきた声に、アイーダはグラスを離した。
置き場所を探してみるが、テーブルが撤去された広間には、グラスを置けるような場所はない。「そのままでいいさ」
声の主はそう言うと、銀盆を小脇に抱えていたアゼルに、二つのカクテルを持ってくるように告げた。
「アゼル様、私が」
「いいから。こういうものは、年少者が行くもんさね」
そう言って、ヒルダが自身の赤い髪をかき上げる。
恐縮するアイーダに小さく手を振って、アゼルが再び厨房へと消える。「今日は、ご苦労さんだったね」
「いえ。料理はヒルダ様のご指示だったと伺っております」
「あぁ。まだ、アゼルだけでは荷が重いだろうからね」
「ですが、本当によくやっていらっしゃいます」
「ま、遅かれ早かれ、やらなきゃいけないことさ」
そう言ってヒルダが肩を竦めると、話に出てきたアゼルが銀盆に二つのカクテルを載せて戻ってくる。
「お待たせしました」
「ふぅん……いただこうか」
グラスを眺め、ヒルダが口端を上げる。
「これは……ローズかい」
「はい。ラズベリーで色をつけてもらいました」
「クラシック・ローズってわけだ」
満足そうに口へ運ぶヒルダのカクテルは、食前酒に好まれるパンチの効いた酒である。
チェリーのリキュールをドライ・ベルモットで薄めた深紅のカクテル。
慣れない者にはそれこそバラの棘にも感じられる。「それで、そっちは」
銀盆に残ったグラスを指して、ヒルダが尋ねる。
「さて、何でしょうか」
そう言って微笑んだアゼルに、ヒルダが背後を振り返る。
彼女の視線に釣られて広間の入り口へと視線を送ったアイーダは、そこに当主の姿を見つけた。「アゼル、ここにいたのか」
「兄上、もうよろしいのですか」
「あぁ。泊まりの客以外は、全て帰した」
今まで見送りに出ていたのだろう。
いつもは垂れている彼の前髪が、風にあおられたかのように持ち上がっていた。「ご苦労様でした。どうですか、一杯」
「用意がいいな」
兄の言葉に無言で微笑み、アゼルがグラスを差し出す。
そして、隣にいるヒルダの袖を二人からは見えないように引いた。「従姉上、厨房の者が、明日の料理の味をみて欲しいと」
「そうかい。なら、最後の一仕事といくかね」
そう言って、二人が厨房へと去っていく。
残されたアイーダは、立ち去るきっかけもなく、主君にカクテルの味を尋ねた。「……このカクテル、誰が用意したのだ」
「アゼル様ですが」
「アゼルめ……食えぬ奴になってきたな」
眉をしかめて、アルヴィスがそう呟く。
可愛がっている弟に珍しく苦い顔をする彼に、アイーダは悪戯心でカクテルの名を尋ねた。「何と言うカクテルなのですか」
「知りたいか」
「はい」
アイーダの返事に、アルヴィスがグラスをアイーダへとすすめる。
アルヴィスに支えられたグラスに口を付けたアイーダは、その味に頬を染めた。「わかったか」
「赤いマティーニ……でしょうか」
小さく抑えられた声に、アルヴィスが口端を上げる。
「教えてやろう」
アルヴィスの言葉に、アイーダは静かに目を閉じた。
少しのカクテルを共有し、アルヴィスが微笑む。「随分と酔いやすい、赤のマティーニだな」
赤いマティーニ
暗闇の口付け
<了>