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   DISCLAIMER // The characters and situations of the television program
   "The X-Files" are the creations and property of Chris Carter,
    Fox Broadcasting, and Ten-Thirteen Productions.
   No copyright infringement is intended.
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  Note : ドラマ「X-ファイル」のモルダーとスカリーをイメージして書いています。
      二人は性的関係にあります。不愉快に思う方はお読みにならないで下さい。
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   " しるし "       by  もえ



  手のひらにすっぽりと収まる大きさのグラスを揺すり、中の氷の響かせる音を耳を澄ま
 して聴いてみた。部屋の反響が悪いのだろう、澄んだそれは僕が願うほど長く響いてはく
 れなかった。ちょうど窓から見える街灯の明かりは具合が悪く瞬いていて、まるで安手の
 酒場にいるような効果をみせていた。
  こういう静かな夜には自嘲の海に浸るのがお似合いだ。そう考えると世の中全てを皮肉っ
 たような気分になる。僕が口の端が自然と上がるのを感じたその刹那、近づくヒールの音
 を聞いた。
  ドアのベルが鳴った。僕は眉を顰めて座り込んでいた床からソファに手をついてゆっく
 りと立ち上がると、息を吐いて扉に近づいた。
 「誰だ?」
  扉の向こうに答えはない。きっといつものように、その小さな頭を垂れて裁きを受ける
 がごとく、じっと磨り減った床を見ているに違いない。ノブをまわして扉を開くと、そこ
 にはやはり彼女がいた。僕の予想通りの姿だ。昼間に着ていたキャメルのコートではなく、
 黒のロングコートをまとっている。それは今夜のような夜の為のもの。闇夜に紛れる罪人
 の着る色だ。
 「…やぁ」
  彼女は押し黙ったまま、少し頭を上げた。とはいえ、僕と並ぶとせいぜい肩口ほどしか
 ない彼女の背では、僕の胸板を見るしかない。本当はこうして僕の心を透かして見ている
 のかも知れない。
  動こうとしない彼女の背に手を添えて中へ招き入れ、後ろ手に廻ってコートを受取って
 やった。現われたのは同じく黒のシンプルなブラウススーツ。程よく身体にフィットして
 いて、大きく刳れた襟からは鎖骨の浮かび上がった白い胸元が剥き出しになっている。普
 段ならここに金のクロスのペンダントが下がっている筈だ。しかし、今は何もない。僕は
 彼女の胸元をじっと確かめてから、部屋の明かりをぱちんと落とした。


  途端に闇が広がった。瞬く街灯がフラッシュライトのように僕らを時折闇から浮かび上
 がらせた。彼女は濡れた瞳でこちらを見上げている。また涙を流していたらしい。残念な
 ことに、彼女の笑顔を見る機会が時を追う毎に稀になってきていた。
  顎を持ち上げて小刻みに震える唇を捕らえた。薄く緑のシャドウをはたいた瞼で、濡れ
 た瞳が隠された。僕が背中に手を回して小柄な彼女を包むと、寒さと緊張とで強張った身
 体の力をふっと抜いて重みをこちらに預けてきた。
  僕らの仕事はかなりの厳しさを伴う。命の危険も大きいが、精神を磨り減らすことの方
 が大きい。職場には味方は少ない。明けても暮れても仕事に追い回されて、友人もどんど
 ん減っていく。仕事柄、信頼出来得る人間はとても少ない。それどころか、誰も信じるな、
 を信条に生き抜いてきた。僕たちにはお互い同士しか居ないに等しかった。僕はまだいい。
 自分の求めるものを見つけ出すまでは覚悟が出来ている。しかし、彼女は。
  僕が真実の解明に没頭出来るのは彼女あってのものだ。ただの絵空事に近かった僕のレ
 ポートが、科学的な分析結果を備えて現実味のあるものになったのは彼女の功績だ。彼女
 が熱心に仕事をこなしてくれるお陰で僕は、真実に向かって突き進むことが可能になった
 のだ。
  僕は多くのものを犠牲にしてきた。同時に彼女にも多くの犠牲を強いてきた。結果、折
 に触れて抱え込むものが多くなり過ぎて膨れ上がり、心情を持て余してしまった彼女は、
 心許す家族にも何も相談出来ずに、休暇になると部屋に引きこもることが多くなった。取
 り澄ました顔をしていても、心の内は引き裂かれてずたずたになっている。どこかに穴を
 開けて、中の膿みを出してやらないと、彼女はいずれ孤独の谷間に落ち込んで、現実世界
 に戻って来なくなったかも知れない。


  柔らかな接吻けを交わしながら、僕は彼女の肌に触れた。鍛えられて引き締まった身体
 が波打つように震え出した。彼女をベッドに横たえて涙を拭ってやった。定まらぬ瞳は今
 何処を映しているのか。僕の元へ帰っておいで。肌に唇を滑らせながら願いをかけた。
  こういうぽっかりと仕事の空いた静かな夜には、彼女の精神は不安定になり、わけもな
 くさめざめと涙を流す。満たされない何かを求めて蠢く街へ繰り出したことも過去にはあっ
 た。さすがに薬に頼るようなことなどなかったが、一歩間違えれば僕たちは街の影に潜む
 中毒者の仲間入りをしていた可能性も大いに有り得るところまで追い込まれていた。
  そういう時、僕たちは二人で過ごすことを望むようになった。これは決して愛という感
 情ではなかった。ただただ慰め合う空虚な関係だ。
  僕たちにはお互いしか居なかったが、一人でも信頼に足る人が身近にいるのがどれほど
 幸せなことなのか、普通は意識することがないだろう、しかし彼女が居るという確固たる
 事実はどんなに慰めを与えてくれるものかを十二分に意識していた。


  瞳に涙を湛えたまま、彼女は僕の上でしなやかに動いた。柔らかな曲線を描き、掠れた
 悲鳴を上げた。
  彼女のクロスはきっと、自身のアパートのバスルームに置かれているに違いない。あれ
 は彼女を守る鎧だ。自分を自分から守るものなのだ。生きている証拠を求めてここへやっ
 てくる時には必ず外して来ていた。何時の間にかそれが合図となった。僕は彼女の胸元を
 確かめて、果たして用があって来たのかどうかを判断するようになった。
  互いの寂しさを埋めるだけの、傷を舐め合うようなこの関係がいつまでも続くとは思え
 ない。これがいつか、男女の愛情に変化する日が来るのだろうか。僕には見果てぬ夢とし
 か思えなかった。虚しさを伴う奇妙な関係のまま、時が過ぎていくだけだ。


  彼女を引き寄せて、耳元に囁いてみた、「愛しているよ」と。
 「馬鹿言わないで」妙にトーンを落として答えた君の視線は、さっきまで喘いでいた女の
 ものとは思えないほどに冷たいものだった。願いは届き、ここへ戻ってきたらしい。
 「冗句だよ」
  こうした夜には彼女は殆ど口をきかない。それなのに即答が帰ってくるということは見
 込みが全くない証拠だ。分かっている。肌を合わせ身体を添わせていても、愛し合ってい
 るとは言えない。満たされぬ思いをお互いに吐き出しているだけなのだ。このベッドに居
 る間は二人とも街娼と何ら変わらない。金で女を買う代わりに、彼女の孤独を受け止めて
 いるだけだ。そして僕も見えない出口を探す虚しさを彼女にぶつけているだけだ。
 

  ぼんやりと天井を見ている彼女の瞳にはもう、涙は無かった。彼女の心のうちを少しは
 軽くしてやれたようだ。
  僕のベッドルームが本来の機能を取り戻した時、待っていたかのように彼女の夜の訪問
 が始まった。コンビを組んで長いのに何故今更と問うた僕に、「カウチでは…やる気にな
 れないわ」と答え、静かに笑った。
  そして日が昇るまでのささやかな時間を気だるげに弄び、殆ど黙ったままにぼんやりと
 身体をベッドに投げ出している。ゆっくりと時間をかけてマニキュアを塗り直しているこ
 ともある。雨の音にじっくりと耳を傾けていることもある。僕はそんな彼女を見ている。
 昼間には気付くこともなかった睫毛の長さや頬に残る産毛や唇の動きを見て楽しんでいる。
  昼間の仕事が嘘のように、穏やかな時間が流れる夜。これもまた、幸せというものなの
 か。僕にはきっと一生をかけても理解出来る日は来ないだろう。


  僕はこの先君を守り切れるだろうか。彼女に圧し掛かるものから彼女らしさを見失わな
 いよう、手を差し延べ続けることが出来るだろうか。
  彼女の首の窪みに僕は印しを付けた、金のクロスの代わりに。
  見下ろす彼女の顔に怒りの表情が浮かんだ。今夜着ていた服のままでは仕事に行けない
 と怒っているのだろう。怒った顔はいい。泣いているよりはずっといい。



  もうすぐ夜が明ける。彼女は身支度を整えて鏡の前に立っている。手櫛で髪を直し、唇
 にルージュをのせて、仕上げに上着を軽く引っ張った。そして、僕の付けた印しを指でな
 ぞっている。ふと、微かな笑みが浮かんで消えた。そこには颯爽としたいつもの彼女が映っ
 ていた。
  踵を返すと、黙ってベッドルームを後にする。僕はシーツを引っ張り上げた。日が昇る
 まで、もう一寝入りすることにしよう。

  また、長い闘いの一日が始まる。



      The end

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    もえ  /  10th 12  2001

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