夢見るように愛したい


男の首に腕を絡ませて,ちらりと横を流し見る.
案の定,怒りで顔を真っ赤にさせた女たちが私を睨み付けていた.
「カイネ殿下は,もう私しか目に入らないんです.」
出来うる限り嫣然と微笑んでみせる,悪女の私.
カイネが芝居がかった仕草で,私の腰を強く抱き寄せた.
「お引取り願えます? お嬢様方.」

高橋佳子(たかはしけいこ),22歳.
何を間違ったのか,リクルートスーツにて異世界へと飛ばされてしまった.
平凡な女子大生でしかなかった私には,異世界での生活の術など無く……,

「あぁ,もぉ! どうして私がこんなことをしなくちゃいけないのよ!」
カイネと二人で寝室へと引き上げた途端,私は叫んだ.
真っ赤なドレスを脱ぎ捨てたくなる,王宮付きのデザイナーがケイコ様の黒髪によく似合いますと言ったにも関わらず.
私のすぐ後ろでは,カイネが腹を抱えて笑っていた.
「上出来だよ,ケイコ.」
金髪碧眼,童話のシンデレラの王子.
「これで,今夜の晩餐会には毒を盛られるな.」

ここは異世界,シンデレラの治める王国.
私は絵本の世界へと迷い込んでしまったのだ.
哀れな迷子である私は,美しく慈悲深いであろう王妃シンデレラを頼ったのだけど……,

「食べた振りをして,わざとらしく皆の前で倒れろ,とでも言いたいの!?」
ぎっとにらみつけると,カイネはご名答とばかりに微笑む.
「賢い女は好きだよ,ケイコ.」
ニーディズ王国,第二王子カイネ.
自他とも認める女好き王子の結婚前の大掃除.
そう,シンデレラは私を息子の身辺整理のために雇ったのだ.

王子の愛人の振りをして,王子に群がる貴族の女たちを追い払う.
そして王子の結婚直前に,謎の死を遂げるのだ.
「いっそこのまま,俺と結婚しないか.」
にこにこと,カイネはとんでもないことを提案する.
「今の俺には,ケイコしか目に入らないらしい.」
隣国,―――実は隣国の王妃は白雪姫だ,の姫との結婚を控えた男の台詞とは思えない.
「お断り.あんたの身辺整理も終わったし,後は私が死んだ振りをするだけでしょ.」
私はできるだけ冷めた目をして辞退した.

夢見るように愛したい.
そんな少女のようなことは言わない.
ただ,この物語の世界にあるのは現実ばかりだ.

女好きの王子は,牙を隠し持っている.
情事を楽しむついでなのか,実は情事など二の次なのか知らないけど,
「口の軽い貴族の娘たちを利用するだけ利用して,こんな風に捨てる.あんたこそ毒を盛られるべきなんじゃないの.」
この男は,恋人たちがベッドで漏らす情報を王妃に売っていたのだ.
男としてここまで最低なのは,今まで見たことは無い.
「なんだ,知っていたのか.」
さして意外そうでも無く,カイネはうそぶいた.

童話のシンデレラは,王でさえ舌を巻く政治家だった.
第一王子は世間知らずのお坊ちゃまで,第二王子はナンパ男の仮面をかぶった冷血男.
私はため息を吐いた.
「私,将来,子供が産まれても絶対に御伽噺はしないわ.」
夢のように素敵な嘘の世界.
カイネが手馴れた仕草で,私を抱き寄せる.
うっとりと心とろかすような微笑に,この男の本性を知っていてもだまされそうになる.

「スープに毒が入っていることになっている.」
交わす口付けは,甘く長く.
耳元をくすぐるカイネの指に,ポーカーフェイスを保ってみせる.
「犯人は,デファイ公爵家の娘だ.」
デファイ家の主は,何かと王家に逆らう男だ.
「せいぜい派手に倒れてみせるわ.」
すでに何ヶ月もこの王宮で暮らしている私は,王国の内部事情にすっかり詳しくなってしまった.
「ならば,せいぜい派手に悲しんでみせよう.」
唇の片側だけ上げて笑う,完璧な悪役.
こんな男に情など,感じてはいけない.

愛していると自覚したら,もはや戻れない…….

その日の夕食の席で,私は倒れた.
即効性の睡眠薬でも入っていたのだろう,演技の必要は無かった.
意識を失う最後に,私を抱くカイネの腕の熱さだけを感じた.

「……ケイコ,ケイコ.」
重い体を揺さぶられる.
このまま眠っていたいのに……,それでも私は瞳を開いた.
「よかった.」
憔悴しきったカイネの顔が側にある.
「何が?」
出した声は乾ききっていた.
朝の光の中,私は首を傾げる.
たった一晩眠っていただけなのに…….

「すまない,食事に本当に毒が入っていたんだ.」
私の髪を撫でるカイネの大きな手,
「3日間も意識が戻らなくて……,」
かすかに震えて,動揺を示す.
いつもはきれいに整っている髪はぼさぼさで,体は汗臭かった.

あぁ,駄目だ.
囚われる.
計算高い男の計算の無い仕草に.

「犯人は,……王妃ね.」
私の言葉に,カイネはやっとカイネらしい表情に戻った.
「そうだ.」
にやっと笑ってみせる,いつもの余裕に満ちた男の顔で.

王妃シンデレラが王子の身辺整理のために私を雇ったのは,私が何も分からない異世界から来た小娘だったからだ.
なのに,私はこの国について知りすぎてしまった.
そしてこの仕事が終わったら,私を異世界へと帰せる力を持つ魔女を探すべく,他国へと行くとすでに話してあった.

「こんな国だが,」
こんな国と言いながら,カイネはどこかいとしそうに微笑む.
「俺と一緒に生きてくれないか?」
差し出された手,この手を取れば御伽噺は現実になる.
「いつか白馬の王子様が,迎えに来てくれると思っていたわ.」
そして何の憂いも無く,一生を安楽に過ごせるものだと…….
「ケイコには必要ないだろ.」
守ってやる,などとカイネは言わない.
ただ,一緒に生きてくれとだけ.

「……確かにね.」
苦笑して,カイネの手を取る.
プロポーズを受けるのにふさわしい表情とは思えないけど.
私はこの世界で生きると決めたから,これでいいのだとカイネの瞳に頷いた…….

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