番外編(恋人たちの昔話)


「タケル,どうしてこんなに大きくなってしまったの?」
「は?」
責めるようなリルカの声に,健は顔を上げた.
焚き木の向こうで,恋人はすねた顔をしている…….

「昔はあんなにもかわいかったのに,」
夜の森の中,炎に枯れ木を入れて,リルカは言う.
「何の話だよ,いったい…….」
ナイフで干し肉を削ぎ落としながら,健は首を傾げた.
健の横では,カッティがさっさと餌をよこせと主人をせっついている.

健とリルカは,魔王ガイエンを探して旅を続けていた.
軍から離れ,ただ二人きりで…….
「髪の毛だって,どうして染めたの?」
出会いは5年前,しかしこんなにも二人きりでいるのは初めてだ.
「どうしてって……?」
特に理由など思い至らないのだが……,健はリルカではなくカッティの方を向いて考える.

高校生になったから?
健は,今は黒に戻ってしまった髪を掻いた.
そうだ,確か大人っぽくなりたくて…….
「リルカが,」
健はまっすぐにリルカの顔を見つめた.
照れくさいが,これが髪を染めた本当の理由だ.
「……リルカが年上だからだよ.」

するとリルカはきょとんとして,琥珀色の瞳を瞬かせる.
健は肉をカッティにやってから,リルカのそばまでやってきた.
「俺,大きくなった?」
そっと抱き寄せると,リルカはこくんと頷く.
俺が大きくなったのも,強くなったのも,
「全部,リルカのためだから…….」
囁いて唇を奪うと,リルカは頬を染めて顔をそむける.

「私のこと,」
真っ赤な顔で消え入りそうな声で,リルカは聞いた.
「……いつから好きだったの?」
今夜は妙に質問攻めだな,健は苦笑して恋人の身体を地面に寝かせる.
「私,イオン将軍にタケルの好きな人について聞いたことがある…….」
「へ?」
気勢がそがれたように,健は間抜けな声を上げた.

***リルカ16歳の春***

「姫様もご存知の女性ですよ.」
イオンは困ったように微笑んだ.
まさか,正解を教えてやるわけにはいくまい.
「……と,いうことは,」
お茶のカップを覗き込みながら,リルカは一生懸命考えた.
「アリア!?」
ぱっと顔を上げて,しかしすぐに不安そうな顔になってしまう.

「……違います.」
同じテーブルについてお茶を飲みながら,イオンは鈍感な主君に呆れた.
「ヒントを差し上げましょうか?」
イオンは優しく言った,彼にとってリルカは主君というよりは娘のような感覚だ.
「本当!?」
琥珀色の瞳が好奇心と少しの期待に輝いて,イオンを苦笑させる.

「まず,年上です.」
リルカは熱心に聞いた.
自分が知っていて,健よりも年上で,アリアではない女性…….
「タケルはたいていその人のそばに居ますよ,……多分,今年の夏も.」
健よりも年上で,健がそばに居て,アリアではなく,自分が知っていて,女性で……,
誰なんだろう?
リルカはぐるぐると混乱してきた.

イオンは頭を抱えるリルカをおかしそうに眺めた.
まだ分からないのだろうか,しかしこれ以上ヒントを出すとさすがに分かってしまうだろう.
「……髪はストロベリーブロンドです,」
「分かった!」
ついにリルカは答えを掴んだ.
「砦の厨房のマーサね!」
瞬間,イオンはがくっと肩を落とした.

「な,なぜなんですか?」
確かにマーサは健をかわいがっているし,健もマーサにはなついているだろう.
「え!? 違うの?」
しかしマーサは37歳である……,イオンはため息を吐くしかない.
「……夏になったら,タケル本人に聞いてください.」
イオンは逃げるように,テーブルから立ち去った…….

******

「将軍,困っただろうなぁ.」
リルカの薄桃色の髪を梳きながら,健は呆れた.
自分が居ない間にそのような会話が交わされていたとは…….
「そういえば,昔,」
何も言い返せないリルカに向かって,健は言った.
「俺,リルカのこと持ち上げられなかった…….」

***健13歳の夏***

「うがぁあ!」
リルカ,重い!
「きゃぁ!?」
持ち上げたはいいが,僕はふらふらと足踏みする.

「タケル,降ろして!」
と言いながら,リルカは首に抱きついてくる.
うわっ,やばい,バランスが……!
「落ちる,怖い!」
駄目だ,限界だ! でも,リルカは守らないと,
「きゃぁ!?」
どすんとしりもちをつく,次いでばんっと背中を打つ.
「いってぇ〜〜〜!」
リルカを乗せたまま,僕は大の字に寝転がった.

「タケル! 大丈夫,頭を打ってない!?」
いてぇ,ひりひりする.
「タケルってば!」
そんなことより上からどいてよ,リルカ,……正直,重かった.

「リルカ,重いー.」
心配そうなリルカの顔を間近にあって,どきっとする.
「ごめんなさい.」
「謝る必要は無いですよ,姫様.」
すると上から声が降ってくる,……やばい,アリアじゃん.

「いきなり姫様に抱きついて,……姫様が怪我をなさったらどうするつもりだったのよ!」
どんと仁王立ちして,かなりマジに怒っている.
ちぇー,できると思ったんだけどなぁ…….

******

「懐かしいなぁ,」
健の腕の中で,リルカはくすくすと笑った.
なんせ,自分よりも小柄でやせている少年が自分を抱き上げようとしたのだ.
「リ,リルカはさぁ……,」
すると少し上ずった声で,健は訊ねてきた.
「俺のこと,いつから好きだった?」

***リルカ15歳の夏***

「リルカがお姫様なら,俺だって王子様じゃん.」
異世界の少年は,少し怒ったようにしゃべった.
「だからさ,……俺の前では,その,」
照れているのか,落ち着き無く髪を掻く.
「……あまりお姫様ぶらなくていい,……というか,無理しなくていいから.」
赤い顔で,肝心な台詞は顔をそらした状態で,少年は言う.

リルカはそんな少年の様子に,ぷっと軽く吹き出した.
「なんだよ,俺はマジで,」
不機嫌な顔になる少年に向かって,
「ありがとう.」
リルカはにこっと微笑んで見せた.

うん,なんだか楽になった.
私は独りっきりじゃないって思えてきたよ…….

******

「……多分,最初から,」
広い胸に顔をうずめて,リルカは小さな声で答えた.
「好きだった,……でも,今はもっと好き.」
するとさらに強く抱きしめられる.
「……て,照れる.」
そう素直に言われると.
健は照れ隠しに,妙な話題を振った.
「俺のこと,大嫌いだって言ったくせに.」

***健17歳の夏***

「私はこの国の王女だから…….」
だから結婚するのかよ,俺以外の男と…….
あの男を愛しているのならともかく,俺はため息を吐いた.
「俺,何回その台詞を聞いただろう?」
そうゆうことなら,結婚なんて許さない.

「リルカ,俺,リルカのことが好きだよ.」
あの男より俺の方がリルカのことを想っている,絶対に.
リルカは一瞬驚いた顔をしてから,顔を赤く染め上げた.
「それでも,あいつと結婚する?」
「そ,それは……,」
私は王女だから? 納得できるわけがないじゃん.

「なぁ,リルカ!?」
リルカの肩を抱いて,俺はきつく問いただした.
苦しげに,リルカは視線を逸らす.

軽く波打つ桜色の髪,満月のような黄色の瞳.
夏しかそばにいないけど,俺が一番……,
「リルカ…….」
好きだ.
「え? やだ,待って,」
待てない,俺は無理やりリルカの唇を奪った.

初めて交わす恋人のキスに,俺は我を忘れて夢中になった.
腕の中で,リルカがじたばたと抵抗していても構わない.
力なら,リルカはもう俺には敵わない.

リルカは逃がさない,……俺のものだ.
唇を離すと,リルカは真っ赤になって叫んだ.
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
やばい,泣かせた.
リルカの眼に涙がにじんでいる.

……でも,
「リルカ,俺のことが好きだろ!?」
結婚,辞めろよ.
「嫌い,大嫌い!」

******

「あの大嫌いはかなり,ぐさっときた.」
健が言うと,リルカは怪訝そうな顔をして顔を上げた.
「私,そんなことを言った?」
「言った.」
しかし,リルカは首を傾げるばかりだ.
「憶えてないの?」
リルカはこっくりと頷いた.

それどころか,
「私,そんなひどいこと,言っていないわよ.」
と自信満々に言い返す.
「まじかよ……,」

***健15歳の夏***

「やっと,追いついた.」
再会早々,健はリルカを捕まえて,にやっと笑った.
いつもどおり大きな荷物でカストーニア王国へやって来た健に,リルカは聞いた.
「何が?」

「べ,つ,に〜.」
健は楽しげに答える.
そうして不思議そうな顔をするリルカを置いて,城の方へと歩き出す.
「俺の部屋って去年と一緒?」
リルカは慌てて,健の後を追いかけた.
「そうよ,西館の3階!」

別にこだわっていたわけじゃないけど…….
「次は剣も魔法も追い越してやる.」
健はくりっと振り向いた.
リルカはどきっとして,立ち止まる.

「覚悟しておいてね,お姫様.」
琥珀色の視線が少しだけ下である.

やっとリルカよりも背が高くなった…….

******

「リルカ,……寝たの?」
健の腕の中で,リルカはすやすやと寝息を立てていた.
あれは確か,初陣の夜だっただろうか,イオン将軍の膝で子供のように眠っていたリルカ.
"タケル,姫様の手を握っていてくれないか?"
リルカの頭をそっと自分の膝の上から移動させて,イオンは言った.
"姫様が怖い夢をみないように,守ってやってくれ."

誰に言われるまでもない,健にとってリルカを守るのは当然のことだ.
守ってみせる,魔族からも魔王からも,そしてサンサシオンからも…….
そっと頬に口付けして,抱き寄せる.
"眠っているからといって,姫様に悪さをしないように."
ふと思い出してしまったイオンの台詞に,健は思わずひやっとしてしまった.

軍に戻ったら,俺,アリアとイオンにぶん殴られるかも…….
健は本気で心配になってきた.
アリアとイオンでは,どちらの方が怖いのだろうか.
健は埒もないことを考える.
きっとイオンの方だ,なんせリルカの父親のような存在である.

「……お嬢さんを僕にください.」
平和そうなリルカの寝顔に向かって,健はつぶやいた.
駄目だ,どうあがいても,笑顔を凍りつかせるイオンの姿しか想像できない.
「うわ〜〜〜〜,どうすればいいんだ!?」
頭を抱えて,健は一人でうなった…….

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