番外編(末裔たちの初陣)


気持ちの悪いパッションピンクの化け物だ!
昔図鑑で見た,世界で一番大きい花とやらに似ている.
「うぉぉぉ!」
自分を励ますように大きな声を上げて,健は魔物たちの群れの中へ飛び込んでいった.

大丈夫だ!
俺は戦える,必ず勝てる!

うねうねと動く触手を避けて,健は花の形をした化け物に剣で切りかかった.
キィェェ……!
嫌な悲鳴を上げる,これが花の声かよ!

すると別の魔物の触手に健は左手首を捕らえられた.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う……,」
漆黒の瞳できっと睨みつける.
「悪しきものよ,燃え上がれ!」
健を囲む花の化け物たちは業火に焼かれ,花粉を散らしながら散じてゆく.

勇者ワーデルの末裔だけが行使できる聖なる魔法.
健は普段は平凡な中学生,しかもいわゆる灰色の受験生だ.
しかし,毎年夏休みには,
「俺が勇者健だ!」
さらに2匹の魔物を切り殺して,健は叫んだ.

すると魔物たちの群れは退いてゆく.
今日の戦闘は終わったのだ.
貝塚健,15歳.
日本人として産まれたからには決して経験のすることのないものを今日経験した.
……すなわち,初陣である.

「タケル! 大丈夫!?」
薄桃色の髪の少女が,抜き身の剣を捧げ持ったまま健のもとへとやって来た.
「リルカ,リルカこそ怪我は無い?」
健と同じく今日初陣を果たしたばかりの17歳の少女である.
細い肩に銀に輝く大きな鳥を乗せて,姉のような顔で健を心配する.
健をこの魔物たちが跋扈する異世界へ連れてきた張本人,カストーニア王国の王室唯一の生き残りの姫である.

「私は大丈夫.」
と言って,リルカは健の漆黒の髪を撫でた.
「ありがとう,心配してくれて.」
珍しい琥珀色の瞳で優しく微笑む.
しかし子供扱いされて,健はむっとリルカの手を払いのけた.

「姫様! タケル!」
すると壮年のいかにも軍人らしいいかつい男がやって来て,リルカと健の肩を抱く.
「よかった……,二人とも怪我はありませんね.」
健とリルカの剣の師匠である将軍イオンである.

「心配しすぎだってば! イオン将軍.」
男の大きな手を自分の肩からはずし,健はさらにむっとして答えた.
するとリルカが悲しそうな顔をして健の方を見る.
「ごめんなさいね,タケル.本来平和な世界に居るあなたを戦場に駆り出して,」
「その言葉は聞き飽きたよ,リルカ.」
不機嫌そうな顔で,本当ならもっと優しい顔で,リルカが気を使わなくていいような顔で言いたいのだが,健は言った.

「それでは砦の方へ戻りましょう.」
幼い健の心の葛藤を見透かしたように,優しげにイオンは微笑み,二人を帰途へと促す.
「もっと頼りにしてくれてもいいのに……,」
誰にも聞こえないように,ぼそっと健はつぶやいた.

砦に戻ると大勢の兵士たちが,初陣を果たしたばかりの幼い戦士二人を祝福した.
「姫様! よくぞご無事で!」
「さすがは勇者ワーデルの血をひくお方だ.」
逞しい男たちに囲まれて,リルカは王女の顔で微笑む.
しかし健には少女の笑顔が,少し無理をしているように感じられた.

“初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….”
2年前のことだ,健はリルカと出会った.
リルカは健の祖父がカストーニア王家の人間であったと言い,今では王家の人間は自分と健の二人しかいないと告げた.
……だから,魔王を倒すのに協力してほしいと.

するといきなり健は後ろから後頭部を掴まれる.
びっくりして振り返ると,黒髪の背の高い青年がそこには居た.
「よぉ,タケル.お疲れ様.」
健の異世界での友人の一人,ファンである.
「今日は眠れないぜ! 初陣の興奮と恐怖でな.」
意地悪っぽくウインクして言う.

「ガキじゃあるまいし!」
健はぶすっとして言葉を返した.
子供扱いされること,それが今の健にとって一番嫌なことだ.
しかしそのしぐさが何よりも子供じみている.
「夜は姫様と一緒に砦の中でも歩き回っときな.」
ファンはふふんと笑った.
「きっと姫様も眠れないだろうからさ.」

勇者ワーデルの末裔,この世界で唯一,魔王に対抗できる力を持つもの.
破魔の一族,カストーニア王家.
しかし王家の人間はみな,リルカ一人を残して魔物たちに殺された…….

皆が寝静まった夜の中,案の定寝付くことができなかった健は砦の中をうろうろと歩き回った.
哨戒の兵士たちに「やっぱり眠れないか.」とからかわれながら,健は不本意なことにリルカの部屋の前まで来てしまった.

部屋の前の廊下で健は立ち尽くす.
リルカの奴,寝ているのかな,起きているのかな…….
もし寝ているのなら,眠れない自分が悔しいし,もし起きているのなら,自分が眠れずにこんなとこまで来てしまったことがばれてものすごくかっこ悪い.

うだうだと躊躇した後で,健は結局,部屋のドアを開けた.
ただしばれないようにそぉっとである.
「タケルか? こっちにおいで.」
すると中から男の声がした.

健が驚いて部屋の中に入ると,リルカの親代わりでもあるイオンがリルカを膝枕で寝かしつけていた.
「なんだよ,リルカの奴,まるで子供だな.」
ほっとして健は,できるだけ馬鹿にするような口調で言った.
イオンは自分の子供を見るように,優しく健に微笑んだ.
もちろん,眠れないのか,などと少年のプライドを傷つけるようなことは言わない.

「タケル,姫様の手を握ってくれないか?」
リルカの頭をそっと自分の膝の上から移動させて,イオンは言った.
「さすがに足が痺れてきてね.私はもう自分の部屋へ戻るよ.」
そうして戸惑う健にリルカを預ける.
「姫様が怖い夢をみないように,守ってやってくれ.」
いたずらっぽく笑んで,イオンは健にリルカの手を取らせた.

「なぜ,俺が……,」
ぶつぶつと文句を言いながらも,健はリルカの白い手を握った.
リルカの手の柔らかさ,暖かさに思わず心臓の鼓動が早くなる.
見ないように,意識しないようにしながらも,無防備な寝顔をじろじろと見つめてしまう.
「それと,タケル,」
部屋から出ようとドアを開いて,イオンが呼びかけると,健はびくっと肩を動かした.

「な,な,何!?」
イオンはひとつ肩を竦めて釘をさした.
「眠っているからといって,姫様に悪さをしないように.」
「しねぇよ!」
真っ赤になって健は言い返した.

ぱたんとドアが閉まると,健はほぉとため息を吐いた.
悪さなどするわけがない.
この少女は健の友人である,しかもリルカからは完璧に弟扱いされている.
自分の身内はもう健しかいないと,寂しげに微笑む異世界の姫君.

薄桃色の髪,今は閉じられている琥珀色の瞳.
少女の唇が軽く開いて,健を妙な気持ちにさせる.
健は必死になって寝顔から視線を逸らし,違うことを考えようとした.

パッションピンクの花の形状を持った魔物.
あれを切り裂いた感触がいまだに腕に残っているような気がする.
不気味な触手,胸の悪くなるような断末魔の悲鳴.

花,花といえば,こういう色だろうな.
健はリルカの淡い桃色の髪を梳いた.
桜の色だ,しかし桜と言ってもリルカには分からないだろう.
少女の柔らかな頬に手を当てて,健は吸い込まれるように唇をあわせようとした.

触れ合うか否かの距離で,いきなりリルカが身動きする.
「ん……,」
はっとして,健は慌ててリルカの身体から離れる.
「イオン……?」
ごしごしと目をこすりながら,リルカはむっくりと起き上がった.

信じられない速度で心臓がばくばくと波打つ.
「ち,違うよ,……お,お,俺.」
何事もなかった振りを装おうとして,健はしかし真っ赤な顔でどもった.
「リ,リルカってばガキだな,ひ,膝枕,なんかされちゃってさ,」

するとリルカは健に負けず劣らず真っ赤な顔で見返してくる.
「な,なぜ,タケルがここにいるの?」
そう聞かれると,健としては困ってしまう.
ぱくぱくとむなしく口を開閉した後で,健はすっくと立ち上がった.
「散歩しようぜ,リルカ.」
そうしてリルカに向かって,手を差し伸べる.

するとリルカは一瞬きょとんとした顔をしてから,にこっと笑みをこぼした.
「そうね,……どうせ,眠れないものね.」
あっけなく隠していたいことを言われ,健はうっと言葉に詰まった.
リルカにきゅっと手を握られて,赤い顔がますます赤くなる.

「べ,別に俺は眠れないっていうわけじゃないからな.」
そっぽ向いて,強がりを言う.
「リルカが眠れないから,つきあってやるだけなんだから.」
自分よりも少しだけ背の高い少年の隣に立って,リルカはくすくすと笑った…….

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