番外編(約束の釣り竿)


中学生になった.
親から一人旅の許可が出た.
夏休み前には青春18切符と時刻表を購入した.

それなのに,8月13日現在,健はこんなところに居る…….
地球とは違う異世界,ミッシィ大陸の北西部に位置するカストーニア王国に.

「リルカさんの趣味って釣りなの?」
濁った川に釣り糸を垂れて,ぼんやりと魚が引っかかるのを待っている少女に向かって健は問うた.
「ほんのちょっとしかないお休みの日なのに…….」
15歳の少女とは思えない,中年親父のような趣味だ.
健はごろんと草の上に寝転んだ.

本来ならば,今ごろは九州あたりを旅行しているはずだったのに…….
空は晴天である,健はうんと伸びをした.
つい10日程前だ,健はリルカと出会った.
“初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….”
街の雑踏の中で,その少女の周りだけが異質だった.
そうして健の手を取り,異世界へと連れて行ったのだ.

健は身体を器用に動かして,リルカの小さな背中を眺めた.
肩に銀に輝く大きな鳥を乗せて,無心に川の流れを見つめている.

九州へ向かう途中だった.
気ままに途中下車したのがいけなかったのかもしれない.
これでは途中下車にも程がある,まさか異世界で勇者ごっこだなんて!

「リルカさんさぁ…….」
健が呼びかけても,リルカは生返事しか返さない.
いつもはもっと気を張った表情をしているのに,今は本当にぼんやり,のんびりとしている.
「リルカさぁ…….」
呼び捨てに呼んでみると,リルカではなく銀の鳥の方がぐりっと振り向いた.

健は思わず,びくっとする.
こんな大きな鳥など,健の周りには居なかった.
せいぜいカラスや鳩ぐらいだ.

健はそぉっと立ち上がって,カンティオーネの頭を撫でようとリルカの背中に近づいていった.
手をやると,カンティオーネは健を嫌って,リルカの肩から飛び立つ.
そして馬鹿にしたように健の頭の上に留まった.

思わずむっとして健は,自分の頭の上をはたこうとした.
しかしカンティオーネはそれも軽々と避け,からかうように健の周りを飛び回る.
こうなったら意地でも触ってやる.
健はぶんと右腕を振り回した,しかしかすりもしない.
それどころかひょいと健の右腕に留まる.
左手でばんとはたこうとすると,さっさと飛び立って,健は自分で自分の腕を叩いてしまった.

なかなか釣れないなぁ…….
川に釣り糸を垂れながら,リルカはぼんやりと思う.
ふと後ろを振り向くと,どたばたと健がカンティオーネを追いまわしている.
これでは魚がよってくるはずなどない…….
いつもにぎやかで騒がしい異世界の少年,リルカにとっては本当に弟みたいな存在だ.

「タケル君,何をやっているの?」
リルカはくすくすと笑いながら問いかけた.
すると健はカンティオーネを追いかけるのを辞めて,ぶすっとした顔をして,リルカの隣にどかっと腰掛ける.
「ちぇっ…….」
カンティオーネがいつもの指定席のリルカの肩に留まった.

健は身体ごと,リルカの方を向いた.
「リルカさん,動かないでね.」
きょとんとするリルカに,にやっと笑いかける.
そして,
「きゃぁ!?」
いきなり抱きついてきた.
しかしお目当てのカンティオーネはさっさとリルカの肩から飛び立つ.

「くっそぉ! どうしても触れないぃ!」
リルカを抱きしめたまま,健は悔しげにうめいた.
友人の家の手乗り文鳥といい,公園の鳩といい,どうして触らせてくれないものなのだろうか.
「カンティオーネに触りたいの?」
するとリルカが健の耳元でくすくすと笑う.

健はどきっとした.
「う,うん.まぁ,その…….」
しまった……,思い切り今,リルカに触っている.
この状態をどうすればいいのだろうか.
「名前を呼べば,すぐに傍までくるわよ.」
同じクラスの女子なんかほんのちょっと触っただけでも大騒ぎする.
「呼びにくかったらカッティって呼んでもいいわよ.」
これは大騒ぎどころのレベルでない.

「……タケル君?」
なぜか黙って,自分を抱きしめつづける少年に向かって,リルカは呼びかけた.
カンティオーネだろうが,カッティだろうが,今の健にとってはどうでもいい.
これは,この行動は,これからどうすればいいのだ!?
「あの,そろそろ離してほしいのだけど……,」
リルカの遠慮がちな台詞に弾かれたように,健はリルカの身体を突き飛ばした.

「ごめんなさい!」
そしてがばっと草の上に額をつけて土下座をする.
「いっぱい触ってしまってごめんなさい!」
「はぁ!?」
リルカは思わず,素っ頓狂な声を上げた.
しかし次の瞬間には,健が自分を異性として意識していることに気付いて顔を真っ赤にさせる.

2歳年下の少年,抱きつかれても,かわいいなぁとしか思えないのに…….
「あのね,タケル君.」
リルカは顔を平静に戻してから言った.
「私のことはお姉ちゃんと呼んでもいいって言ったでしょ.」
すると健は妙な顔をして,顔を上げた.
「じゃぁ,リルカ.」
幼いはずの少年の視線がなぜかリルカをどきどきさせる.
「今度からはリルカって呼ぶ.」

リルカは少し言葉に詰まった.
今,自分を捕らえているこの感情の名前がわからない.
「それなら,私もタケルと呼ぶ.」
少しそっぽ向いて答える.
そしてじろじろと自分の顔を見つめてくる健に,リルカは戸惑いがちに聞いた.
「何? 私の顔に何かついているの?」
すると健は無邪気な顔で笑った.
「かわいいなぁと思って,」

途端にリルカの顔がぼっと赤くなる.
健はよいしょと立ち上がった.
「リルカ,俺さぁ,本当は今ごろ九州を旅する予定だったんだ.」
申し訳なさそうな顔をするリルカに向かって笑う.
「でも,こっちの方が楽しいし,それにヒーローにしてくれるんだろ?」
なんてったって魔法が使えるのだ,この世界では.
そんでもって,健は勇者ワーデルの末裔だ.

倒すべき魔物がいて,守るべきお姫様がいる.
ヒーローになるための条件はばっちり揃っている.
「……というわけで,リルカは気にしなくていいから.」
まさに夏季限定ヒーローだ,夏休みの間だけ異世界で大冒険を繰り広げる.
「来年は俺の方からこっちの世界へ行くから,リルカに逢いに行くから.」
自分よりも背の高い少女に向かって笑う.
「だから今度は俺の分の竿も用意しておいてよ.」

この世界で僕はヒーローをやってみる!
……ただし返品は不可だからね,お姫様.

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