夏休み勇者特論


第三十九話  勇者の凱旋


聖都の外で,人間たちの軍は少しずつ魔族たちの軍に押されようとしていた.
人は弱い,大きな爪を持つ魔物のほんの一掻きで,鋭い牙を持つ魔物のほんの一噛みで倒れてゆく.
それに対して魔族は皮膚や皮や鱗が固く,並みの兵士では剣を通すことさえできない.

そして彼らには疲労がなく,魔王が存在する限り,いくらでも沸いて出てくる.
そもそも人間が敵う存在ではないのだ……!

「ひ,姫様!」
やっと健とリルカのもとへ追いついたファンとユーティが見たものは,血だまりの中に倒れ伏すリルカとサンサシオン.
「サニー!?」
彼らの後ろでフェルミは血相を変えて,我が子のもとへと駆け寄った.

すぐそばでは健が赤毛の男と打ち合っている.
ファンたちに目をやる余裕も無いようだ.

母に抱かれサンサシオンは瞳を開く.
「サニー!」
フェルミが安堵の声を上げる.
しかし,リルカは……,
「姫様! しっかりなさってください!」
ファンやユーティの声に応えるようにかすかに腕が動くだけで,まさに瀕死の状態だ.
刻一刻と,死出の旅を進める.

これでいったい,何合打ち合ったのだ?
焦慮に胸を痛めながら,健は思った.
額から流れ落ちる汗が目に入って痛い.
けれどこの敵は,健に瞬きすら許さない.
さっさとこいつを倒して,リルカのもとへ戻りたいのに……!
健は少しずつ重くなってゆく剣を必死で操った.

「我,貝塚健の名において命じる,」
ずっと戦い続けてきた.
「大地のしがらみ!」
何もかもリルカのためだ!

ガイエンに過負荷の重力がかかり,がくっと彼は膝を折る.
「死ねぇ!」
今度こそ倒す!
健は剣を一直線に振り降ろした.
しかしリルカの血に濡れた剣が健の剣を受け止める.

再び,じりじりと刃を合わせる.
この剣がリルカの胸を刺したのだ,しかも自分の目の前で!

「俺はワーデルじゃない……,」
粘りつくようなガイエンの視線を,健は真正面から受け止める.
「リルカだって,1300年前のワーデルの恋人じゃない.」
過去になど,何の意味がある.
もはや疲れはピークに達していたが,怒りで力がどんどんと沸いてくる.

幾万の夜を越えて愛に哭き,
永遠の生を生きながら,ひと時の死を望む.

分かる,脳裏に浮かんでくる.
この永遠を生きる悲しい獣を封印する言葉が……!
「その瞳は永遠,」
1300年前,恋人を目の前で殺された勇者は,
「彼は永遠を旅する者!」
その怒りと悲しみで魔王を封印した,……我が身とともに!

光がガイエンを包み込む.
ガイエンの顔が奇妙にゆがみ,救いを得たような顔になる.
彼はまた眠りに入るのだ,彼の望みは新たな勇者である健によってかなえられるのだ.
「くっ…….」
そして光は健をも飲み込もうとする.
ずるずると引きずられる,健は足を踏ん張り,光の引力に抗った.

封印されてたまるか!
俺には,俺にはリルカがいるんだから!

真っ赤に染まった体,健がガイエンと戦っている間に……,
……死,

健は一気に光に吸い込まれる.
「うわぁぁぁ!?」
目の前には,真っ白な虚空が口を開いて健を待っている.
「タケル!」
その声,背中から抱きついてくる暖かな体.

一瞬,息を止めて,健は漆黒の瞳を見開いた.
光は健とリルカを残して,急速に収まる.
寂しい魔物だけを取り込んで…….

聖都の外で,魔物たちが急に攻撃を停止する.
そしてそのままどろどろと形が崩れ,溶け出してゆく.
「ひっ……,」
「なんだ,これは!?」
戸惑う他国の兵士たち,しかしカストーニア王国の兵士たちには分かった.
勇者がついに魔王を倒したのだ……!

「タケルだ! タケルが魔王を倒したんだ!」
「勝った,勝ったぞぉ!」
剣も弓も投げ捨てて,兵士たちは狂喜乱舞する.

「終わった,終わったのか……?」
呆然とスールはつぶやいた.
何の前触れもなかった勝利に,うまく喜ぶことができない.
スールの横で,イオンが魔物の緑色の血のついた剣をぶんと振り,血を落とす.

6年間,ずっと戦いつづけてきた.
勇者の末裔であったカストーニア王家がリルカ一人を残して,魔物たちに殺された後も…….
ただ一人の生き残りになってしまったリルカを守り,そして城の図書室の文献から異世界へ行った王子の存在を知った.

やってきたのは,リルカよりもさらに幼い少年…….
“分かったよ.”
少年は呆れたように,イオンとリルカに向かって笑った.
“ただし夏が終わったら日本へ帰してくれよ.”

イオンは静かに剣を鞘に戻した…….

「リルカ……,リルカ!」
自分の背から回された腕を取って,健は振り向いてリルカに抱きついた.
「よかった! 無事なんだな!?」
背を掻き抱いて,恋人の柔らかな髪に触れる.
「タケル,待って!」
健の腕の中で,リルカがもがいた.
「サ,サンサシオン様が……,」

抱きしめたリルカの頭越しに,健は血だらけの身体で母親に抱かれるサンサシオンの姿を認めた.
「サニー!?」
慌てて駆け寄る,そこでやっと健はファンとユーティの存在にも気づいた.
「これは……?」
健の問いに,ファンがつらそうな顔で答える.
「姫様の傷を神官の力で肩代わりなさったんだ.」

健は驚いて,サンサシオンの血の気を失った青い顔を見つめた.
そして悲しげなリルカの顔を……,
「リルカ,俺,奇跡を起こすよ.」
驚くリルカたちに,健はにこっと微笑む.
「だたしこれで最後だ.もう二度と勇者の力は使えない.」
琥珀色の瞳がただまっすぐに健だけを見つめていた.
「また魔王が復活しても,もう倒せない.」
もうヒーローではなくなる,剣も魔法も使えなくなるだろう.

「大丈夫よ,タケル.」
するとリルカは無理にでも笑って見せた.
「そのときは勇者ワーデルの末裔でもない,勇者タケルの末裔でもない,また別の勇者がきっとでてくるから.」
「……かもね.」
健はくすっと笑った.
血筋なんかじゃない,もちろん強さや賢さでもない.

「我が聖なる力の代償に,」
勇者の条件,それは……,
「かの者に救いを与えたまえ!」
ぱぁっと柔らかな光が健たちを包む.
先ほどの封印の光とはまったく別種のものだ.

サンサシオンが澄んだ青の瞳を開き,そして照れたように細める.
「敵わないな,タケルには……,」
愛する姫のために死んでゆくことも許してくれないらしい.
「……本当に.」
笑い顔を作ると,少しだけ涙がにじむ.

「サニーは真面目に考えすぎだってば!」
健が怒ったような調子で笑う.
「俺みたいにいい加減に適当にしてりゃぁいいんだよ.」
そしていきなりサンサシオンの頬をぐいっとつねる.
軽くウインクして,
「これ,あのときの仕返しな!」

サンサシオンは一瞬きょとんとした後,思わず吹き出した.
魔王扱いして,殺そうとしたことの仕返しがこれ……?
「なんか城壁の外,騒がしくない?」
サンサシオンの頬から手を離して,健は不思議そうに問いかけた.
人々の騒ぐ音,……笑い声?

するとファンが楽しげに健に向かって聞いた.
「世界を救った感想はどうだい? 勇者様?」
健は意外そうに漆黒の瞳を瞬かせてから,いたずらっぽく笑った.
「惚れ直しましたか? お姫様.」
健がぐるんと顔を向けると,リルカはむっとして赤い顔でそっぽ向く.

しかし気を取り直したように,リルカは一同に向かって微笑んだ.
「帰りましょう.」
そしてさっさと立ち上がる.
「今日はきっと一日中,お祭よ.」
長い戦いに終止符が打たれ,聖都の外ではすでに人々の浮かれさわぐ喧騒が聞こえる.

「そうですね.」
ユーティが眩しげに頷き,いまだ倒れこんでいるサンサシオンに肩を貸して立ち上がらせる.
フェルミがもう片方の肩を愛しそうに抱く.
リルカは一人まだ座り込んでいる健に手を差し伸べた.
「行きましょう,タケル.」
「おっけい,リルカ.」
リルカの手をぐいっと引っ張って,健は勢いよく立ち上がる.

皆が聖都の城門に向かって歩いてゆくのを確認した後で,健はぎゅっと恋人の身体を抱きしめた.
「……ありがとう,タケル.」
抱きしめられた腕の中で,リルカは言った.
「この世界のために,戦ってくれて,」

初めて出会ったときは,生意気な弟ができたようだった.
いつからだろう,この青年が勇者だと思うようになったのは…….

「リルカさぁ,俺,別にそんなもののためにがんばったわけじゃないぜ.」
健は照れくさそうにぽりぽりと頭を掻いた.
すると「それなら,何なのだ?」とリルカが顔を上げて首を傾げる.
「お姫様のために決まっているじゃん!」
驚くリルカの唇に無理やりにキスをして,健は笑った.

もちろん呆れ顔で振り返ったファンとユーティに,ピースサインを送ることも忘れずに.

「あ〜あ,アリアが怒るぜ,また.」
サンサシオンの肩を担ぎながらユーティがぼやくと,ファンが楽しそうに受ける.
「まぁ,そのときは俺がアリアをなぐさめてやるよ.」
友人の意外な恋心に,ユーティはかなり本気で驚いた.
「おいおい,まじかよ…….」

城門をくぐると,人々の笑い声のシャワーだ.
多くのものが死んだ,怪我をし,倒れ傷ついた.
この6年間でいったいどれだけの人が魔物たちのせいで泣いたのだろう…….
泣きながら笑うもの,純粋に今生きていることを喜ぶもの.

「ファン! ユーティ! 姫様とタケルは?」
傷だらけの身体をし,しかし顔をほころばせて,イオンがやって来て問う.
「まだ,城門の中ですよ.」
ユーティが答えると,最後まで聞かずにイオンは走り出す.

“初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….”
お姫様だと思った,まさに物語に出てくるような.
抱きしめて独り占めして,何度もキスを贈る.
そろそろみんなのところへ帰ろうと言う恋人の唇を強引にふさぐ.

血筋なんかじゃない,もちろん強さや賢さでもない.
勇者の条件,ヒーローであるために大切なもの.
口付けに夢中になっているといきなり,健は肩をとんとんと叩かれた.

「タケル,何度も言うようだが,そうゆうことはちゃんと形式を整えてから……,」
渋い顔をしていつの間にか隣に立っていたイオンに,健は驚いて間抜けな叫び声を上げた…….

決め台詞があって,決めポーズがあって,必殺技がある.
この世界で僕はヒーローになる!
……ただし世界のためじゃなくて,お姫様のためにね.

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