実体の無い魔王.
瓦礫の山を背に,サンサシオンは美しい青の瞳を見開いた.
しかし健は魔王の真実の名を掴んだ.
もう逃がさない……!
そのままずるずるとサンサシオンは座り込む.
健はそれには構わずに,ただまっすぐに視線を固定している.
目の前にいる本当の敵に向かって.
肩にカッティを乗せたリルカは驚きに言葉も無く,その光景を見つめた.
赤い髪,金の瞳の青年が半透明に透けて,倒れこむサンサシオンと重なって立っている.
勇者ワーデル・カストーニア,伝承の通りのその姿.
「はじめまして,ご先祖様.」
健が笑うと,青年はいきなり実体を取り戻した.
そして簡単に首に当てられた剣を払いのけ,健の身体を押し倒す.
「タケル!」
リルカの叫びを受けて,健は必死になってもがいた.
ものすごい力で首を締められている.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
意識が霞みそうだ,リルカの呪文を唱える声だけが健を現実に繋ぎとめる.
「炎よ,舞い踊れ!」
健の上に乗っていたワーデルは燃え上がった.
健の首を締める手が緩む,健は地面をごろごろと転がって逃げ出した.
「タケル,大丈夫!?」
ごほっごほっと咳き込みながらも,健は新鮮な空気を取り込んだ.
駆け寄ってきたリルカの腕を掴んで,健はなんとか立ち上がる.
カッティがリルカの肩から飛び立ち,警戒の鳴き声をあげる.
見ると,ワーデルは聖なる炎に焼かれて,しかし平然としていた.
「へへっ,ご先祖様.」
当たり前だ,ワーデルの聖魔法がワーデルに対して効くわけがない.
「こう見えても,俺も勇者なんだぜ.」
健はリルカを背にかばって,ワーデルに向き直った.
「成仏させてやる!」
剣を握りなおし,健はワーデルに向かって襲い掛かった.
「……その剣は私のものだ.」
赤髪,金目の青年が静かに口を開く.
「なっ……,」
すると剣は健の右手から,するっとすべり落ちた.
そしてそのまま,土の地面をするするとすべり,ワーデルのもとまでたどり着く.
健は呆然とした.
幾多の戦場をともにしてきた相棒が,初めて健を裏切ったのだ.
「タケル!」
呆ける健に向かって,リルカが自分の剣を差し出す.
リルカの剣を掴んで,健は気持ちを引き締めた.
ワーデルなのだ,今,目の前にいる敵は勇者ワーデルなのだ!
勇者の剣で倒せる相手ではない…….
「我,貝塚健の名において命じる,」
健は自分の先祖の青年をきっと睨みつける.
今まで彼の名の下,戦い続けてきた.
「我,ワーデル・カストーニアの名において命じる,」
自分自身の剣を取り戻したワーデルも呪文を唱える.
「光よ!」
「聖なる光よ!」
同種の魔法がぶつかり合う!
力に押し出されるようにして,ワーデルはよろめいた.
それに対して,健は一気にワーデルに向かって距離を詰める.
先手必勝!
繰り出した剣は,だが,危うげなく受け止められる.
そして第2撃目はワーデルの方からだ,健は両手で剣を持ち,かろうじてそれを受けた.
じりじりと刃が合わさる.
同等以上の剣の使い手に,健は歯を食いしばって耐えた.
カッティがワーデルの周りを飛び回り,ワーデルが敵かどうか判断しかねて攻撃できないでいる.
勇者ワーデルは目の前で恋人を殺されて,その怒りと悲しみで魔王を殺した.
「1300年前に何があったかなんて知らない.」
健はうめくようにしゃべった.
「お前らの実際の関係なんて興味ない.」
そして自分自身が封印されて次の魔王となったのだ.
健にとって大事なことは,リルカが笑顔でいてくれること,喜んでくれることだけだ.
そのためには……,
「俺が,俺こそが勇者だ!」
健はぐいっと力任せに剣を押し返した!
しかし,ワーデルは器用にその力を横へと受け流す.
「うわっ.」
健は前のめりにバランスを崩した.
健のあいた背中にワーデルが剣を振り落とす.
「カンティオーネ!」
リルカの命を受けたカッティが二人の間に割り込んで威嚇の声を上げる.
健はさっと身体を返し,ワーデルの足元を思い切り蹴った.
今度はワーデルの方が地に手をつく.
立ち上がり,剣を振り上げて,健はしかし,一瞬躊躇した.
“初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….”
薄桃色の髪,琥珀色の瞳.
“お願い,タケル君.封印から復活した魔王を倒すのに協力して欲しいの.”
「リルカを手に入れても,失った恋人の代わりにはならないぜ…….」
健が言うと,ワーデルはかすかに笑ったような気がした.
右手には勇者の剣を持ち,ワーデルはただ剣が振り下ろされるのを待っている.
“あなたを殺した罪を私は一生背負うので,”
「俺,ちゃんと人殺しの罪は背負っていくから……,」
健はリルカの剣を振り下ろした.
肉を切ったという感触はしない,ワーデルはそのまま空気に溶けて消えていった.
……すまなかった,ありがとう.
ワーデルの声が微かに聞こえたような気がした.
健はついに魔王を倒したのだ!
「リルカ!」
健は振り向いた,勝ったのだ,ついに魔族との戦いが終わったのだ.
途端に目に入る,信じられない光景.
地面に真っ赤な華が咲いていた…….
胸から剣をはやして,リルカはサンサシオンの腕に抱かれていた.
「あ,あ……,」
なんだ? これは!?
健は愕然とする.
リルカの胸からサンサシオンは剣を引き抜く.
端整な青年の顔には,何の表情も映ってはいない.
どばっと大量の血液がリルカの体から流れ出す.
それは命の雫,健の大切な人の.
「ワーデル,私たちを裏切った彼女は殺したよ.」
暗い瞳で告げると,サンサシオンは健に向かって手を差し出す.
「再び私と共に眠ろう…….」
サンサシオンの足元に倒れ伏すリルカの右手がぴくと動く.
健は勘違いをしていたのだ.
ワーデルはガイエンを殺したのではない.
健の足はがくがくと震えた,震える手でリルカの剣を落としそうになる.
封印されていたのは勇者ワーデルではなかった,ワーデルとガイエンの融合した魔物.
「魔王,ガイエン.」
健は剣を握り,構えなおした.
カッティが悲しそうにリルカの上を飛び回る.
主人に絡まった死へと続く鎖を,断ち切ろうとするかのように.
サンサシオンの体からガイエンが浮き出てきた.
赤い髪,金茶の瞳の青年.
もちろん,健とは似ていない.
あえていうなら,ワーデルやリルカに似ている.
こいつが正真正銘の魔王だ!
「我,貝塚健の名において命じる,」
「我,ガイエン・カストーニアの名において命じる,」
がきぃ ぃん! 大きな音を立てて剣と剣がぶつかり合う.
刃が折れるほどの衝撃,その響きは憎しみという名を持つ.
「風の刃!」
「大地の響き!」
交差する魔力と魔力,しかしどちらも一歩も引かない.
ガイエンと打ち合いながら,健は横目でリルカの状態を確認する.
まだ,まだ生きているよな……!?
このままリルカを失えば,俺は……,
……1300年前の再現,それが魔王の狙い.
恋人を失った勇者によって,安息の死を得ること……!