夏休み勇者特論


第三十七話  勇者の失墜


「我,貝塚健の名において命じる,」
勇者の剣を振るいつつ,ある一定以上周囲に敵が増えたら呪文を唱える.
「蹴散らせ!」
雹風が吹き荒れて,健を囲む魔物たちをなぎ倒す.
もはや聖魔法でもなんでもない,健にしか使えない魔法を操る.

健のすぐそばでは,薄桃色の髪の女性が剣を優美に振るう.
力強さこそは青年に劣るものの,素早さと手数の多さでカバーする.

“隠せないことだから言っておく,”
昨夜,再会を果たしたばかりの将軍イオンが,健とリルカに告げた.
“サンサシオン様が魔王に取り付かれた…….”
苦渋に満ちた,その声.

「大地の恵を約束せし神よ,今こそその力を示したまえ!」
聖なる力が満ちる,闇の属性の魔物たちは光に崩れ落ちた.
健とリルカはぎょっとして,光を放った女性の方に顔を向ける.
サンサシオンの母親,豊穣を司る祭司フェルミ.
二人はフェルミと戦場を共にするのは初めてだ.

“私は夫に先立たれました,”
フェルミの顔は母親のものだった.
“今ではサニーだけが私の家族です.”
だから戦うのだと…….

シュパッシュパッと小気味のいい音を立てて,ユーティが矢を打ち放つ.
正確無比に,一矢ごとに空の眷属の魔物たちを地へ落としてゆく.

“魔王は戦場には出て来ない.”
とユーティは言った.
ならば自分から倒しに行くまでだと健は答えた.

「タケル,聖都の城門はもうすぐだぞ!」
大きな斧を振るいつつ,ファンが怒鳴る.
斧の刃と柄で,同時に魔物二匹を押し倒した.

魔王は聖都の中に居る.
聖都の中心,壊れた教会のそばだ.
理屈ではなく感覚で,健にはそれが分かる.
戦場を駆け抜け,仲間たちとともに聖都の城門を目指す.

軍を指揮しながら,イオンは特攻をかける健らの姿を見送った.
イオンのすぐ傍では,スールが兵士たちに叱咤激励を飛ばしている.
魔王を倒す,ただそれだけでいいのだ.
それだけでこの戦いは終わる.
しかし今,魔王は健の友人でもあるサンサシオンなのだ.

「我,リルカ・カストーニアの名において命じる,」
リルカの傍で飛行していたカッティが,空中で停止する.
勇者の翼,カストーニア王国の守護聖獣.
「炎の風!」
主人であるリルカの命を受けて,カッティはごぉと業火を吐き出した.
一気に城門までの道が開く!

「リルカ,行こう!」
健はリルカの手を取り,駆け出した.
走る二人の後を,ファンとユーティがフェルミを守りつつ追いかける.

魔王は首を落としても死なない.
永遠の生を生きる,実体の無いもの.
魔王をひと時の眠りにつかせることができるのは,恋人を目の前で失った勇者の怒りと悲しみだけ…….

城門を守るべく,2頭の大きなドラゴンが健の前に立ちはだかる.
漆黒の瞳で,きっとにらみつけて,
「邪魔くせぇ!」
呪文など要らない,大地が盛り上がり,ドラゴンたちを地底へとひきずり込む.
健とリルカは一気に城門をくぐった.

聖都へと侵入した瞬間,リルカは花の匂いに気付いた.
「タケル,逃げて!」
慌てて健の手を振り解こうとするのだが,健は手を離さない.
リルカの影が膨張し,闇の濃度を濃くする.
健は「手を離して!」と言うリルカの体を抱き上げた.
「リルカ,俺はお前を失ったら勇者じゃなくなるよ.」
闇から這い出してくる魔物たち,健はリルカを抱き上げたまま走った.

倒せども倒せども,際限なく出てくる魔物たちは健の足を止めることができない.
草を刈るように健は彼らを切り倒して行く,走る速度はまったくゆるまない.
しかし,ファンとユーティとフェルミの3人は完璧に足止めをくらった.
「タケル!」
ユーティが叫ぶ.
どんどんと見えなくなってゆく青年の背中,……必ず生きて帰ってきてくれよ,ユーティは祈った.

「タケル,いいかげん降ろして!」
抱きかかえられたまま,リルカは叫んだ.
健のスピードについてゆけず,二人を追う魔物たちの数が減少してくる.
街の中心部へと近づいてゆく.

すると,唐突に目の前が開ける.
大広場へ出たのだ,そして真正面に見える瓦礫の山.
これは教会の残骸だ,そして,
「タケル,リルカ姫…….」
瓦礫の前に立つ男性が淡く微笑んだ.

破邪を司る祭司サンサシオン.
しかし今は,邪そのものとなってしまった青年.
健はリルカをそっと降ろした.
「おひさしぶり,サニー.」
健が言うと,サンサシオンは自嘲するように笑った.
「タケル.今,魔王ガイエンはこの中にいるよ.」
「神官の力で追い出せないの?」
健は顔をしかめながら,かろうじて笑い顔を作る.
「俺はサニーと戦うのは嫌なんだけど.」

まさにこれが1300年前の再現なのかもしれない.
健の傍で,リルカは悲しげにサンサシオンの顔を見つめた.

「もう無理だよ,タケル.」
諦めたように,サンサシオンは笑う.
「私を魔王ごと殺してくれ.」
健はむっとして言い返した.
「やだよ.なぁ,サニー,サニーの母さ,」
「私の魂にかけて,二度と魔王は復活させないから.」
サンサシオンはもはや健の説得に耳を貸したくないようだ.
ただ戦いだけを,破滅だけを望んでいる.

「分かりました.なら,私が……,」
リルカが健を押しのけて前に出る.
「私は王女ですから.……この世界の平和のためなら,人殺しだってやります.」
覚悟を決めた固い声,琥珀色の瞳に炎が揺れる.
「サンサシオン様,あなたを殺した罪を私は一生背負うので,」
サンサシオンの顔が奇妙に歪む.
「あなたも約束をたがえぬよう…….」
心を映す瞳を伏せて,リルカは剣を抜いた.

「駄目だよ,リルカ.」
健はリルカの肩を掴んで,ぐいと自分の後ろへとやった.
「魔王を倒すのは勇者の役目だ.」
サンサシオンは苦笑した.
「すごいね,タケルは.」
恋人の心のほんの一部でさえも,サンサシオンにはくれないらしい.
「愛する女性のために何でもするんだね.」

前にも言われたことのある言葉に,健は今度は照れもせずに肯定する.
「そうだよ,サニー.」
そうして健は勇者の剣を正眼に構える.
「……剣は?」
健が問うと,サンサシオンは手を中空にさまよわせた.
幻のように剣が出現し,サンサシオンの手に収まる.

サンサシオン自身は,剣はほとんど扱えないはずだ.
聖都への行軍中,健やイオンがどれだけ熱心に教えても,なかなか上達できなかった.
しかし,今は,
「手加減無しで,」
健は土を蹴った.
「行くぜぇ!」

ガンっと耳に痛い音が鳴る.
健の剣はサンサシオンの剣によって受け止められた.
魔王ガイエンをその身に住まわせるサンサシオンは健と互角に打ち合う.

人殺しの咎を健一人に負わせるわけにはいかない.
リルカは剣を交し合う二人をきっと睨みつけた.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
「リルカ,止めろ!」
健が怒鳴ると,途端にリルカの身のうちから魔力が霧散する.
リルカはびっくりして,倒すべき敵に対して剣を操る恋人の横顔を見つめた.
健がリルカの聖魔法を無効化したのだ.

「タケルは,魔法を使わなくていいのかい?」
額に汗をにじませながら,サンサシオンは聞いた.
「そっちこそ.」
軽く笑んで,健は試すように聞き返す.
「なぜ,使わない? ……いや,使えるはずないよな.」
少しずつだが確実に健の方が押し出す.

「でも,お前は俺の前で二度も呪文を唱えた.」
一歩ずつ健は前進し,サンサシオンは一歩ずつ後退する.
「おかげでお前の正体が分かったよ.」
ついにサンサシオンは崩れた教会の瓦礫の山を背負った.
「正体を現せ!」
ぴたっと首筋に剣をあてて,健は叫んだ.
「勇者ワーデル・カストーニア!」

恋人を失った勇者は自らの身を魔に落とした……!

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