「うちの宿に泊まっているお客様なのですけど,……なんか理由有りですか?」
健とリルカを家へと案内しつつ,少年は聞いた.
「正直,厄介ごとは困るのですが.」
怪訝な顔をして,正体不明の健らを見やる.
「いや,別に.」
健はにこっと微笑んだが,漆黒の瞳の鋭い眼光は隠しようがない.
珍しい銀に輝く鳥を肩に乗せて,なにやら高貴の出らしい女性の手を握る.
腰に帯びた剣は,いかにも由緒正しそうだ.
少年はこの青年の前で,客についてしゃべってしまったことを心から後悔した.
「あえて言うなら,兄を訪ねて三千里なだけだよ.」
冗談めかして,少年には意味のわからないことを言う.
たどり着いてしまった自分の家の前で,少年はこの青年たちを宿に上げるのを躊躇した.
しかし漆黒の髪の青年は,そんな少年には構わずにドアを開けて入ってゆく.
「あの,……待って,」
青年は女性を連れて,勝手に宿に入り,件のお客の居る部屋へと向かう.
部屋の場所など自分は教えただろうか,慌てて青年らを追いつつ,少年は首をかしげた.
「ここだ.」
一つつぶやいて,健は乱暴に部屋の扉を開く!
「我,貝塚健の名において命じる,」
リルカを後ろに追いやり,すばやく呪文を唱える.
部屋の中では,健と同じ顔の男が驚いてベッドから立ち上がる.
「浄化の炎よ,清めの風よ!」
ガシャーン!
炎が襲う前に,ガイエンは窓を割って部屋から逃げ出した.
「待て!」
健はガイエンの後を追いかける.
窓を飛び越え,あっという間に町の中へと.
少し遅れて銀に輝く鳥が,薄桃色の髪の女性が駆け抜ける.
宿屋の少年は呆然と,ただ一人部屋の中へと残された…….
「ガイエン! 待て!」
町の大通り,人ごみの中をガイエンはすり抜けてゆく.
幾人もの人にぶつかりながら,健は魔王を,自分の体を追う.
これだけ人がいっぱいいると,魔法など使えない.
飛ぶように走る健の背中に,リルカは必死になってついていった.
町を歩く人の多さに,健の姿を見失いそうになる.
カッティがリルカを励ますように,彼女の少し前をゆく.
ふとリルカは花の匂いを感じた.
ぎくっとして下を向くと,自分の作る影がどんどんと膨張してゆく.
「みんな,逃げて!」
リルカの影から翼を持つ魔物たちが次々と飛び出してくる.
突然現れた魔族の集団に人々は我が目を疑い,次の瞬間にはわれ先にと逃げはじめる.
「に,逃げろぉ!」
「魔族だ! 魔物たちが攻めてきたぞ!」
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
人間たちを嘲弄するように空を飛ぶ怪鳥に,リルカは聖なる魔法を発動させる.
「風の刃!」
かまいたちが巨大な怪鳥たちを捕らえ,緑の血を噴き出させる.
そのまま2,3羽の化け物たちは力なく地上へと落ちてゆく.
落下地点にいた人々は一斉に逃げ出す,ただ一人を除いて……!
「危ない!」
親からはぐれたらしい子供が泣いている.
リルカは駆け出した.
「リルカ! どこだ!?」
逃げ惑う人々,その人々の無防備な背中に牙を剥く魔族たち.
健は一瞬にして混乱の渦に落とし入れられた街の中を走った.
「我,貝塚健の名において命じる,」
魔王を追うのに夢中になって,守るべきもののことを疎かにしてしまった.
「光よ,我に道を示したまえ!」
聖なる光が魔を打ち砕く.
大事なのは,リルカの方なのに……!
右手に剣を捧げ持ち,左手で泣き叫ぶ子を抱く.
襲い掛かる魔物たちをカッティの援護を受けて切り殺す.
ぜいぜいとあえぎながら,リルカは気持ちがくじけそうになる自身を叱咤した.
子供の重みで左手が痺れそうだ,無秩序に逃げ回る街の住民たちに,思うように剣も魔法も振るえない.
「リルカ!」
するとすぐ真後ろから声がかかる.
リルカは振り向きざまに剣を振るった.
こげ茶色の髪,漆黒の瞳.
青年は危うげなく,リルカの剣を持つ方の細い手首を掴んだ.
「魔王ガイエン!」
憎しみを込めて,リルカはその名を呼ぶ.
「魔物たちを静めなさい! 今,この街で人々を害してあなたに何の益があるというの!」
琥珀色の瞳が敵意にきらきらと輝く.
「ガイエン!」
リルカを捕まえるガイエンのもとへ健がやってくる.
すぐさま激突する刃と刃.
リルカの手首を掴んだままで,魔王は勇者と打ち合った.
「その手を離しやがれ!」
ぎっとにらみつけて,健は怒鳴った.
見知らぬ子供を抱いたままで,リルカはガイエンの拘束から逃れようとする.
つとリルカの腕を放して,ガイエンは呪文の詠唱に入った.
「我,ワーデル・カストーニアの名において命じる,」
健も慌てて魔法を繰り出す.
「我,貝塚健の名において命じる,」
「光よ!」
「風よ!」
リルカの目の前で光が炸裂し,健とガイエンの体は反発するかのように互いに逆方向へと吹き飛ばされた.
漆黒の髪の方の青年は建物の壁に激突し,こげ茶色の髪の方の青年は通りに据えられている屋台の方へと倒れこむ.
壁に背中を強打され,一瞬青年は息を詰まらせた.
果物の屋台に突っ込んだ方の青年は立ち上がり,驚いて自分の持つ剣を見つめる.
リルカは子供を別の人間に預け,恋人の名を呼んだ.
「タケル!」
リルカの声に応えて,振り返った青年の髪の色はこげ茶,瞳の色は漆黒.
果物の果汁で両肩を汚し,
「ガイエン! 覚悟!」
自分の身体を取り戻した健は,一直線にガイエンに向かってゆく.
応戦するべく魔王は剣を,勇者の剣を取ろうとした.
しかし,熱せられたものでも触ってしまったかのように剣を落としてしまう.
「死ねぇ!」
健が躊躇無く剣を振るう.
リルカは予測される光景に思わず目をそむけた.
剣を真横に滑らせて,健は自分と同じ顔を持つ頭部を胴体から切断した.
瞬間,魔王の身体はまるで幻のように消えゆく.
「……またかよ.」
舌打ちして健は,ガイエンの消えた跡を睨んだ.
魔王には実体がないのか?
魔王が倒されたのを察知して,怪鳥たちの群れは空へと逃げさってゆく.
現れたときと同じく何も前触れもなく,そしていっせいに居なくなる.
去りゆく魔物たちを見やってから,健はリルカに向かって微笑んだ.
「体を取り戻したよ.」
リルカは悲しげな顔で微笑み返す.
ほんの一時の魔物の襲撃に,街は散々な有様だ.
血を流して倒れこむ男,はぐれた子を探す母親の声,怪鳥の炎のブレスを浴びて焦げた建物の壁.
「リルカのせいじゃない.」
恋人の白い頬を両手で包み込み,健はしっかりと言った.
「悪いのは,魔物たちの方だ.」
琥珀色の瞳に光るものを見つけて,健はリルカの華奢な身体をきつく抱きしめた.