夏休み勇者特論


第三十話  破邪の祭司


魔族たちは平原の中心部に陣を球形に固めていた.
それを半包囲する形で,人間たちは陣を敷く.
この平原に戻ってから4日間,ひたすらにらみ合いだけが続いていた.

ザミリー平原の詳細な地図を,リルカは思案顔で見つめる.
基本的に平坦な土地であり,特筆すべき点は無い.
リルカに後ろから抱きつくようにして,健もリルカの手元の地図を眺める.
恋人の左肩に顎を乗せて,こちらは考えているというよりただ眺めているだけという風情だ.

そんな二人の前で,少し居心地悪そうにイオンは頭を掻いた.
イオンの背の矢傷はまだまだ完治しておらず,カストーニア王国軍の指揮はリルカ一人がとっている.
「トラップになりそうな断崖も沼も何もないのですね,ここには.」
へばりつく健をべりっと引き剥がしながら,リルカはイオンに向かって確認した.
「そうですね,姫様.」
恋人たちの様子に呆れながら,イオンは同意する.

再会を果たしてからというもの,健はリルカの傍から離れようとしない.
離れるときには必ず,傍にいる誰かにリルカを一人にするなと命令する.
そしていつの間にか黒くなっている健の髪…….

兵士たちは彼らはついに一夜を共にしたのだと噂するし,他国の兵士たちは突然現れたリルカの恋人の健に非友好的な視線を送るしで,イオンにはいまいち事態の推移が見えてこない.
それに加えて,
「なぜ魔族は攻撃を仕掛けてこないのでしょう?」
イオンは独り言のように聞いた.
するとリルカが思った以上に反応する.
「それは……,」

“リルカ,俺はやっと永遠という名の楔から解放されたよ.”
魔王ガイエンの望みは達成されたのだ.
もはや人間を,勇者の末裔を襲う意味などない.
「理由は分かりませんが,今のところ魔王が魔族を率いて私たちを襲うことはないと思います.」
いったいどうすれば,健の身体を取り戻すことができるのだろうか?

不思議そうな顔をするイオンの前で,リルカは一人で考えこんだ.
入れ替わってしまった健と魔王の体と心.
このことがばれてしまったらどうなるのだろうか?
カストーニア王国のものならともかく,他国の人間やましてや教会の人間に…….

リルカはいまいち事態の深刻さを理解していない健の顔をむっとねめつけた.
「すみません,姫様.」
そのとき,テントの戸口から赤毛の少年ユーティがリルカのことを呼ぶ.
「サンサシオン様が諸国の指揮官らを集めていますが,」
「分かりました,すぐに向かいます.」
リルカは立ち上がって返事をした.

テントから出てゆくリルカの後を,当然のように健が追いかけてゆく.
「タケル,ついてこないでよ.」
リルカはできるだけ強い調子で命じた.
サンサシオンの前で,健と一緒に居たくない.
そんな風にずうずうしく自分は振舞えない.

すると健は真剣な顔で怒ってきた.
「リルカさぁ,自分が狙われているという自覚あるの?」
なんのことだろう? リルカは怪訝な顔をした.
「今度,ガイエンが襲ってきたときにはすぐに俺のことを呼べよ.」
本気で怒る健にリルカは少し怯える.
健はリルカの逃げようとする両肩をしっかりと掴んだ.
「絶対に助けてやる,リルカに指一本触れさせるものか……!」

「タケル,……怖い.」
視線を逸らして,リルカは小さく告げた.
すると健はさっとリルカの肩から手を離す.
「……ごめん.」
しかしリルカの傍から離れるつもりはないらしい.

リルカは視線を戻して,妥協案を口にした.
「じゃぁ,テントの傍で待っていてくれる? 何かあったらすぐに呼ぶから.」
いつものちょっとおどけた調子で,健は微笑む.
「おっけい,リルカ.」
しかし漆黒の瞳は真剣そのものだった.
「約束な.」

サンサシオンのテントの前まで来ると,健は空をゆくカッティを呼びつけた.
そしてリルカの傍につけると,安心したように笑んでリルカと別れる.
肩に止まる銀の鳥を優しく撫でてやりながら,リルカはサンサシオンのテントの中へと足を踏み入れた.

中にはすでに,ラーラ王国指揮官スール王子,ボルツ王国指揮官カール将軍,オールディス共和国指揮官アーベルとその副官ジンツァー,バーンズ王国指揮官ディルク王弟,ハインベルグ帝国指揮官ヤン将軍が居た.
リルカが挨拶をし,用意された席に座ると,サンサシオンはさっそく本題に入る.

「こちらから仕掛けようと思う.」
サンサシオンの台詞は諸国の指揮官らにとっては予測されたものだった.
しかし彼らの顔に緊張が走る.
今までは防戦一方だったからだ.
「このまま,まんじりとにらみ合いを続けていても何もならないだろう.」
サンサシオンの意外に好戦的な言葉に一同は頷いた.

「それで,リルカ姫,」
真剣なサンサシオンの眼差しにリルカはどきっとする.
「あなたは私に魔王は首を落とされても死なないと教えてくれましたよね?」
「はい.」
リルカは不安げな顔で頷いた.
「ではどうすれば魔王を倒すことができるのですか? 勇者ワーデルは1300年前にどのようにして魔王を封印したのですか?」

どこか厳しい調子の質問に,リルカは逃げるように俯いて視線を逸らす.
魔王を封印できるのは,恋人を目の前で殺された勇者の怒りと悲しみだけ…….
しかし今,勇者が魔王であり魔王が勇者なのだ.
「……すみません,分かりません.」
どうすればいいのか分からない,それがリルカの今の正直な気持ちだった.

「……そうですか.」
特に残念そうでもなく,サンサシオンは言った.
「でも,魔王のことは勇者が,タケルがどうにかしてくれるでしょう.」
にこっと微笑むのだが,サンサシオンの言葉には刺が含まれているようにリルカには感じられた.
「それで,作戦なのですが……,」
卓の上に広げられた地図に視線を落として,サンサシオンは軍隊行動について説明を始める.
リルカは軽くひじを抱いて,将軍らとともに説明に聞き入った.

ぼんやりとテントの前で健が待っていると,会議を終えたらしい将軍たちがテントから出てくる.
バーンズ王国の何々将軍だのハインベルグ帝国の何々将軍だの,健にはいちいち憶えきれない.
彼らのもの珍しいものでも見る視線に,なんとはなく「リルカは?」と聞きづらい.
迎えにでも行こうか,健は腕を組んで考える.
中に居るのがリルカとサンサシオンのみならば気軽に入れるはずだ.

テントから出ようとするところを,リルカはサンサシオンに呼び止められた.
「姫,あなたから魔の移り香が……,」
「え?」
腕をつかまれ,リルカはサンサシオンに抱きしめられた.
「聖者の名よ,神の慈愛よ,」
カッティが驚いてリルカの肩から飛び立つ.

サンサシオンの唱える呪文にリルカはぎくっとし,身体を離そうとする.
「や,やめて……!」
それは穢れたものを振り払う,
「彼女の身に落ちかかった呪いを払いたまえ!」
聖なる言葉を受けて,リルカの左肩から黒い暗い靄が噴き出す.
「離してください,サンサシオン様.」
靄は一瞬で消えたが,サンサシオンの心に疑いが芽吹くのを止められなかった.

「姫,教えてください.なぜタケルから魔の気配が,」
カッティに非難するように嘴で髪を引っ張られながらも,サンサシオンは問い詰める.
「タケルは勇者の末裔に相応しい清涼な空気を持っていたはずなのに!」
「何をやっているんだよ? サニー!」
テントの入り口で健が叫ぶ.
その姿を信じられない思いで,リルカとサンサシオンは見た.

「来ないで! タケル!」
リルカが叫ぶと,サンサシオンはリルカの身体をぎゅっと抱きしめて光を放つ.
「光よ! 秘められた闇を暴け!」
「うわぁあああああ!?」
耐え難い光の洪水の中で,健は頭を抱え込み地に膝をつく.
「タケル!」
熱いのか,痛いのか分からないほどの痛み,体中を突き抜ける.
健の肉体が光を拒絶しているのだ!

騒ぎに兵士たちが,将軍たちが周りに駆けつける.
人々の輪の中心で,聖なる光に苛まれながら健は苦悶の声を上げた.
「辞めて! サンサシオン様!」
サンサシオンの腕の中で,リルカはもがく.
「ま,魔物だ!」
兵士たちは驚いた顔で光に苦しむ健の姿を指差す.

「違うわ! これはタケルよ!」
リルカとサンサシオンの間にカッティが割り込み,身体を無理やりに巨大化させる.
サンサシオンの腕から転がり落ちながら,リルカは周りの人々に向かって叫んだ.
「身体は魔王のものだけど,心はタケルなのよ!」

「そんな,ばかな……,」
「なぜそのようなことが…….」
疑い,怖れ,囁きあう人々.
リルカは光の中で苦しむ健の元へと向かおうとした.
しかしサンサシオンに後ろから羽交い絞めされる.
「姫,魔王を倒す方法が分かりましたよ.」
サンサシオンの残酷な声音にリルカはぞっとした…….

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