夏休み勇者特論


第二十八話  聖魔の交替


5日間,健と恵はありとあらゆる方法を試してみた.
親からは呆れられ,周囲からは笑われたが,彼ら姉弟は真剣そのものだった.

「よくあるパターンとしては,階段から落ちたら異世界だった,ベランダから落ちたら異世界だった,かしら?」
少し幼い仕草で,恵は首を傾げる.
「まじかよ…….」
姉の意外に真面目な表情に,健はひやりとする.
うららかな平日の午後の公園,恵は健のために大学をさぼってつきあってやっているのだ.

「よし! とりあえず,やってみよう!」
恵はどんと弟の身体を階段へと突き落とした.
「うわぁぁぁ!?」
ごろごろと階段下まで健は転がり落ちる.

「いってぇ!」
擦り傷や痣をたくさんこしらえて,健はうめいた.
「根性無いわねぇ,健.」
階段から降りてきて,恵は平然としてうそぶく.
「次のパターンとしては,車に轢かれかけて気がつけば異世界だったかしら?」
「ちょっと待て,姉貴!」

姉のめちゃくちゃなやり方に健はまったをかけた.
このままではリルカと再会する前に,この姉に殺されてしまう.
「だって眠っていたらいつの間にか異世界だった,目覚めたらなぜか異世界だったというパターンは駄目だったじゃない?」
恵は思案顔で腕を組む.
「あと定石なのは,いったい何があるのかしら?」
一番楽なのは気がつけばなぜか異世界だったというパターンなのだが…….

昨日,健と恵は近所の図書館でファンタジー小説を読み漁った.
当然,異世界へ渡る方法など記していなかったが…….
「ねぇ,リルカちゃんは召喚魔法は使えないの?」
「使えたら,こんな苦労はしねぇよ!」
健は乱れた髪を撫で付ける.
階段から落ちたにしては,幸いにも頭も打っていないし骨も折れていない.
「くっそぉ,こんなことになるんだったら,誰とでもいいから結婚しておけばよかった.」

不道徳なことだとは思うが,そうすれば世界から弾き飛ばされることなどなかったのだ.
魔王ガイエンの顔から母親を連想しただけで,健はリルカの世界から拒絶されてしまった.
健がリルカの世界の住民ではないから…….

「ん,ちょっと待てよ.」
つと立ち上がって,健は止まる.
健はリルカの世界の住民ではないが,勇者の剣は……,
「そうだ! 帰れる,帰れるぞ!」
怪訝な顔をする姉の前で,健は喜び叫んで家へと駆け出した.

自分の部屋へ戻り,勇者の剣を手に取る.
健はあの世界の住民ではないが,こいつは違う.
1300年前の勇者ワーデルの剣,カストーニア王国の国宝.
「どうやって行くの?」
遅れてついてきた恵が訊ねた.

健は恵に向かってにっこりと微笑んで見せる.
「姉貴,母さんと父さんを頼むよ.」
立ち上がってすらりと剣を抜く.
そのしぐさが驚くほど様になっていた.
「……帰るのね?」
真剣を持つ姿がしっくりとくる,この弟はもう日本人じゃない.

健は頷いた.
そしていくつもの戦いをともにした剣に向かって呼びかける.
さぁ,一緒に帰ろう…….
恵の目の前で,剣の刀身がほのかに輝き始める.

お前は勇者の剣,魔王を倒すための剣.
“初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….”
淡く微笑んで,健の手を引いた,
ヒーローの条件,それは,
「我,貝塚健の名において命じる,」
光り輝く剣が健に教えてくれる,自分の世界へ帰る方法を!
「開け,異界の門!」
それはお姫様を守ること!

「健……!」
溢れんばかりの光に恵は目を覆う.
しかし次の瞬間には何事もなかったように光は収まる.
恵はぺたんと座り込んだ.
「信じられない……,」
弟の姿は影も形も無い.
「弟のくせに先にお婿にいってしまったわ.」
落ちた言葉に,別れの涙がひとつだけ添えられた…….

薄桃色の髪,琥珀色の瞳.
「リルカ姫!」
サンサシオンの声がして,健は気がついたらリルカと打ち合っていた.
なんだ? なんなのだ!?
戸惑いながら,リルカの憎しみのこもった剣を健は受ける.

口を開こうとした瞬間,リルカは健を置いて剣すらも投げ出して走り出す.
「タケル!」
その先には,自分自身が居た.
「リルカ.」
戸惑う健の前で,リルカと健の姿をした何者かは抱き合った.
「泣かさないって誓ったのにな.」
偽の健は愛しげに漆黒の瞳を細める.

そして健は健に向かってにこっと微笑んだ.
……ガイエンだ!
理屈ではなく直感で分かる.
健と魔王の身体は,心が入れ替わってしまったのだ!

抱きしめあう二人を前に,健は逃げ出した…….

戦闘が終わり,健がリルカとともに帰ってくるとカストーニア王国の兵士たちは大喜びで健を迎えた.
「いきなり居なくなりやがって!」
「帰ってくるのが遅いよ!」
健のこげ茶色に染めた髪を拳骨で殴りながらも歓迎する.
「姫様がどれだけ悲しんだと思っているんだ!?」
途端に健もリルカも顔を真っ赤にする.
「ごめんごめん,」
健は手に持った勇者の剣を指して笑った.
「でも,こいつのおかげでこの世界へ帰ってこられたんだ.」

皆が健を囲み談笑する中で,ただサンサシオンだけが複雑な顔をしていた.
ふと空を見上げると,銀に輝く鳥が健を避けるように飛んでいる.
少し奇異に感じたが,サンサシオンはその場を立ち去った…….

戦闘は勝利を治めて,魔族はひとまず平原の方まで退却していった.
明日の朝,リルカら諸国連合軍は平原へ陣を戻すつもりだ.
夜,自分のテントの中で,リルカは笑みを零す.
……そして何よりも,健が戻ってきてくれたのだ!

隣のテントのアリアに「おやすみ.」と告げてから,リルカはいそいそに寝床にもぐりこんだ.
明日からは自分も戦場に出られる,……健とともに.

寝床でぬくぬくとまどろんでいると,リルカは人の気配を感じた.
「誰……?」
目を開けると,漆黒の瞳,こげ茶色の髪の青年がそこには居た.
リルカを優しく切なげに見つめて,口付けを交わす.
口付けから解放されると,リルカは隣のテントで眠るアリアを憚って小さな声で叱った.
「辞めてよ,タケル!」

「リルカ,俺はやっと永遠という名の永い楔から解放されたよ.」
健は不可思議な笑みを浮かべて,リルカの上に覆い被さり再び口付ける.
何を,何を言っているのだ……?
リルカは瞳を開いたままでキスを受けた.

すると健の手が自分の首筋を探り出し,服を脱がそうとする.
「や,やめなさい!?」
抵抗をすると,健は嫌がるリルカの口を片手で覆った.
信じられない健の行動にリルカは驚く.

「んー! んーー!」
これは本当に健なのか? リルカは必死に逃れようと健の胸を押す.
残った方の手で直接素肌に触れられて,リルカは恐ろしさの余りがくがくと震えた.
残酷に自分を見下ろす漆黒の瞳,悲鳴を上げようとする自分の口を塞ぐこの青年が健のはずがない!

……魔王ガイエン!
リルカは手を伸ばし,枕の脇に置いてあるはずの剣を探った.
すると今度は両腕を両手で拘束される,自由になった口でリルカは助けを呼ぼうと,
「助……,」
いや,呼んではいけない,今ここで叫べば一番最初にやってくるのはアリアだ!
”姫様は私が必ず…….”
アリアがガイエンに害されてしまう!

躊躇しているうちに三度目の口付けを受けて,リルカは恐怖に涙を流した.
怖い,助けて……,
完全に体の自由を奪われて,リルカはぼろぼろと涙を零す.
タケル,タケル…….

「何をやっているんだよ!?」
半分以上朦朧とする意識の中で,リルカは健の声を聞いた.
途端に真っ赤な血が降り注ぐ.
「タケ……,」
漆黒の髪の健が,リルカの上におおかぶさる健の背をリルカの剣で刺していた…….

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