「城壁によって,魔物たちを撃退する.」
イオンのテントの中で,サンサシオンはリルカとイオンに相談を持ちかけた.
「そのためには,どのような策が有効でしょうか?」
つい先日,全軍の指揮官に就任したばかりの青年である.
虫一匹も殺せないような優男の外見を持っているが,まったく戦いを恐れない.
城門を挟んで,魔物と人間たちの攻防は続いていた.
いずれもこぜりあい程度のものでしかないのだが,人間たちは城壁の中に完全に閉じ込められている.
「そうですね,例えば……,」
イオンがサンサシオンに向かって,戦術の定石ともいうべきいくつかの作戦について説明をはじめる.
リルカはぼんやりとイオンとサンサシオンの姿を眺めた.
自分もこうやってイオンから戦い方を教わった…….
”えぇ〜,そんなやり方,かったるいよ.”
……異世界から来た少年とともに.
”そんなことよりさ,なんかかっこいい必殺技でも考えようよ!”
健を異世界から連れてきたときと同じように,皆が期待するような目でリルカを見ていた.
”だって俺が勇者なんだろ? 決め台詞は何がいいかなぁ?”
サンサシオンとの間にできる子供こそが,次代の勇者になるかもしれないと…….
リルカはそっとテントから抜け出た.
その小さな後ろ姿をサンサシオンが視線で追いかける.
リルカの姿が消えて,充分経ってからイオンは口を開いた.
「そんな目で姫様を見ないで下さい.」
自分の想いを見透かされて,サンサシオンはぎくっとしてイオンの顔を見返した.
「それから姫様があなたの想いに応えようとしても,何もしないでください.」
イオンの瞳には確固とした力が宿っていた.
主君を守るだけの,肉親の情にも似た力が…….
「姫様は無理をなさっているだけですから.」
本人には子供を作れと言ったが,イオンの願いはただ彼女の身の安全のみである.
リルカを戦場に出さないために,あぁは言ったものの,主君に望まぬ結婚を強いるつもりは全くない.
そしてそれはカストーニア王国軍に属する者すべての気持ちでもあった.
しかし健のことを知らない他国の者は違う.
完全にリルカとサンサシオンのことを誤解している.
リルカがテントから出るとカッティが空からやって来て,まるでボディガードのように肩に止まった.
カッティの羽を一つ撫でてやり,リルカは城門付近まで歩いていく.
するとその場にいた兵士たちが彼女の歩みを止める.
「姫様,戦場には出ないで下さい.」
リルカはやんわりと微笑んだ.
「城門の上から眺めるだけです.心配しないで.」
そうして彼らを押しのけて進みだす.
「それに今は戦闘中ではないでしょう?」
石造りの階段を上り,リルカは城門の上へと出た.
カッティが心配そうにリルカの長い髪を嘴で引っ張る.
戦場から離れろと,主人に告げているのだ.
見張り役の兵士たちが驚いた視線をリルカに向ける.
カストーニア王国の兵士ならとにかく,他国の者にとって女性のくせに戦場に出るリルカは確かに奇異な存在だ.
リルカ自身も今まで,自国の王族以外で女性の軍人に会ったことなど無い.
その瞳は永遠,
彼は永遠を旅する者.
聖都が魔物たちによって封鎖されてから5日,聖都へやってくる商隊や旅人たちも絶えて久しい.
城壁の中,聖都に居れば安全だというが,果たしてそうなのだろうか.
眼下に広がる平原を見つめて,リルカは思う.
魔物たちは自分を狙って,カストーニア王国の王城にさえ出現したのだ.
自分がここにいることによって聖都の住民すべての身を危険にさらしている,そんな気がしてならない.
「姫様,どうか中へ戻ってください.」
振り返ると,幼い少年兵が心配そうな顔つきでリルカの後ろに立っていた.
「タケルが帰ってきたときに姫様が怪我でもなさっていたら,俺たち,……我々が怒られます.」
健が帰ってくると信じて疑わないラウティである.
「心配してくれてありがとう.」
リルカはにっこりと笑顔を作った.
ラウティのように,ただ無心に信じることができるのならば…….
「姫様,降りましょう.ここは,」
ふと鼻をくすぐる花の香り.
リルカはぎくっとして己の体を抱いた.
「姫様……?」
リルカの足元の影が,瞬く間に膨張してゆく.
「逃げなさい! ラウティ.」
命令を発し,リルカは我が身を城門の上から投げ出した!
「姫様!?」
こんなところから落ちたらただではすまない!
ラウティはリルカの身体を掴もうとして,しかしすんでのところで果たせない.
重力によって落ちてゆく姫君の体.
銀に輝く大きな鳥が,一直線にリルカの体を追いかけるが間に合わない.
落下地点の地面に染みのような闇が出現し,どんどんとその面積を広げる.
「姫様!」
ラウティが,城門にいる兵士たちが見守る中で,闇から魔物たちが顕現する.
地をはいずるもの,駆けるもの,空へと舞い上がるもの.
不気味なうめき声を上げる魔族たち,その中心に立つ銀の甲冑の魔物.
それは危うげなく上から落ちてきたリルカの身体を抱きとめた.
「魔族だ!」
「攻めて来たぞ! 魔王率いる本隊だ!」
兵士たちが一斉にざわめき立つ.
一気に城門付近はあわただしくなった.
上官に報告に向かう兵士,弓に矢を番え応戦する兵士.
その中でラウティは絶望的な思いで,魔族の長に捕らわれた姫を見た.
「……姫様.」
銀に輝く鳥がリルカをしっかりと抱きしめる魔王ガイエンの兜を突く.
魔族が大挙攻めて来たという知らせを受けて,サンサシオンは城門までやってきた.
すぐに諸国の将軍たちを集めて,作戦指示を出す.
ふと思いついてサンサシオンはリルカの姿を探した.
あの姫なら私も戦場へ出ると,この場に来そうものなのに.
城門が開いて,人間たちが反撃を開始する.
まずは魔物との戦いに手馴れたカストーニア王国軍が門から飛び出してくる,続いてラーラ王国軍,バーンズ王国軍と次々と戦場に展開してゆく.
左右から二人の兵士に抱きかかえられたままで,将軍イオンは軍の指揮をとる.
ラウティからリルカが魔王に捕らわれたと報告を受けた.
イオンは歯軋りしつつ,魔族たちの群れをにらみつける.
「離して!」
腕に抱かれたままで器用に腰の剣を抜き,リルカは魔王の首筋を狙った.
途端に拘束がはずされて,リルカはどすんと地面に尻から落ちる.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
琥珀色の瞳が敵意にきらきらと輝く.
「雷の槌よ!」
幾条もの雷が魔王の銀の甲冑に落ちかかった!
互いに連携を保って人間たちは,魔物たちに対した.
少しずつだが確実に,怪物たちを聖都の城門からおいやってゆく.
細かな動きはそれぞれの国の将軍たちに任せて,サンサシオンは戦場にリルカの姿を求めた.
「姫! どこです!?」
先ほど兵士たちから魔王に捕まったと聞いたばかりだ.
がぎぃ…… ん!
嫌な音を立てて,リルカと魔王の剣が交差する.
一合,二合と打ち合うごとにリルカはどんどんと押されてゆく.
カッティがリルカを援護し,魔王の兜に鋭い爪で攻撃を仕掛ける.
「リルカ姫!」
魔王を剣を交し合うリルカの姿を見つけて,サンサシオンは叫んだ.
そのとき,戦場に風が吹き荒れた.
風がある一点を中心として吹いているのだ.
大きな風のうねりは卑小な魔物たちをなぎ倒してゆく.
これは……,健が世界を渡るときに吹く風だ!
と思うや否や,リルカは風の中心に向かって駆け出した.
「タケル!」
風の中心に立つ,こげ茶色の髪の青年に向かって.
「リルカ.」
漆黒の瞳,異国の顔立ち.
柔らかく微笑んで,抱きついてきたリルカの体を健は受け止めた.
「泣かさないって誓ったのにな.」
泣きじゃくるリルカの身体を抱いて,健はつぶやいた.
ふと顔を上げると健の視線の先では,銀の甲冑を着込んだ魔王ガイエンが戸惑ったように抱き合う二人の姿を見つめている.
健がガイエンに向かって意味深に笑むと,ガイエンはまるで負け犬のように逃げ出した.
人間たちの統率された攻撃に,魔物たちの群れが逃げてゆく.
彼らは完璧な勝利を治めたのだ!
勝利に喜ぶ兵士たちの前で,健とリルカはいつまでも抱き合っていた…….