夏休み勇者特論


第二十六話  教会の腐敗


昼頃近くから魔族による攻撃が始まった.
徹底して,ボルツ王国軍だけを攻め立てる.
他国の軍は助けようと足を踏み出しかけるが,彼らには諸国軍全軍を統率すべき存在が欠けていた.
オールディス共和国軍が援軍を差し向ければ,その進路を同じく助けに向かおうとするハインベルグ帝国軍が邪魔してしまう.

「ファン,ユーティ!」
イオンは意識のないリルカを抱いて,部下の名を呼んだ.
「姫様を聖都へ連れて行ってくれ! それからアリアもだ.」
主君の身体を長身の青年に預けると,イオンはすぐに軍を指揮するべく前線へと走っていく.
「ユーティ,アリアを連れて来い.」
ファンはひょいとリルカを抱き上げた.
「魔王が来る前に逃げるぞ!」
決してこの姫を渡さない.

戦場は混乱を極めた.
すぐにカストーニア王国軍が戦線に加わり,組織的な反撃を開始するのだが,全体の無秩序はどうしようもない.
「全軍の統率者が不在で,同格の指揮官が多数……,」
兵士たちを叱咤しながら,イオンは苦々しげにつぶやいた.
道中でサンサシオンが嘆いていた教会の腐敗と堕落が,この混乱を招いているのだ.

アリアを連れてきたユーティと合流して,ファンはリルカをおぶって戦場の中を駆ける.
まさに乱戦だ,こんな無様な戦場は初めて見る.
ふとファンは異常に気付いた.
背中に背負うリルカの体から,むせ返るような花の匂いがするのだ.
「なんだ?」
答えを告げるように,リルカとファンが作る影が膨張する!

「うわぁ!?」
闇がファンの立つ地面を覆い尽くす.
そしてそのまったき闇の中から,魔物たちが這い出してきた.
1匹,2匹などという数ではない,何十,何百と次々と出てくる.
「逃げるぞ!」
このままでは囲まれてしまう!
ファンはできるだけ密度の薄いところを狙って突破を図った.

その後をアリアとユーティが追いかける.
ユーティは近矢を連射して,突破口を開く.
逃げるアリアの背に毒を吹きかけようとした魔物が,カッティの嘴によって胸の悪くなるような悲鳴を上げる.
振り返ろうとするアリアの手を,ユーティは引いて走った.

突如,陣の中心に出現した魔物たちの群れに,カストーニア王国軍さえも混乱の渦に巻き込まれる.
ボルツ王国軍に攻撃を仕掛けていた魔物たちも示し合わせたように,こちらに矛を変える.
どこの敵にどう攻撃をしていいのか分からない,どう助けに向かえば分からない他国軍の兵士たちもなだれ込んでくる.

崩れ落ちてしまいそうになる戦線で,将軍イオンが必死の形相で叫ぶ.
「浮き足立つな!」
そのとき,イオンは見た.
魔物たちの群れの中心に立つ,カストーニア王国建国以来の敵.
「魔王ガイエン!」
どれだけ憎んでも憎みきれない,カストーニア王国王族たちの敵.
イオンの本来の主君であった前王の敵.

タケル,なぜ居なくなってしまったのだ!?
瞬間,イオンはどんと背中に衝撃を感じた.
イオンの逞しい背に味方の流れ矢が刺さっていた.
「将軍……!」
狼狽する兵士たちの目の前で,イオンは倒れこんだ…….

魔物たちの攻撃に人間たちは敗退した.
燦々たる有様で聖都まで逃げ帰ってくる.
聖都の堅固な城壁の中で,兵士たちはやっと自分たちの身の安全を確保したのであった…….

逃げ帰ってきた軍人たちに,聖都の住民たちは同情的というよりむしろ批判的でさえいた.
聖都を守るべき軍隊が,魔物たちを引き連れて都まで戻ってくるなど……!
住民たちの白い目に彼らは耐えなくてはならなかった.

「姫様……,」
聖都の城壁の内側に張ったテントの中に横たわりながら,イオンはリルカを迎えた.
彼らが敗退してから,3日が経っていた.
立ち上がろうとするイオンをリルカは慌てて制す.
「イオン将軍,そのままで.」

しかし背中の矢傷の痛みに顔をゆがめながら,イオンは起き上がった.
「姫様,どうか戦場にはお出にならないよう.」
城壁の内と外ではいまだ小競り合いが続いているのだ.
「お願いします……,どうか.」
リルカは何も答えられずに,ただただ俯く.

ザミリー平原にいた軍はすべて聖都の城壁のすぐ内側に陣を張った.
肩身狭く,都の隅に追いやられている.
そこへやっと彼らの総指揮官とでもいうべき教会の人間がやってきたのだ.
10祭司が一人,知恵を司る神官ガズーである.

陰険な目つきをした,実際の歳よりも老けてみえる男.
聖職者というより,役人のような雰囲気を持っている.
「いつになったら,魔族たちを聖都から追い返してくれるのですか?」
ガズーの他人事のような台詞に,リルカら諸国軍の将たちは耳を疑った.
「戦闘なら平原の方でやってほしいのですがね.」
誰だって好き好んで逃げてきたわけではない,すでに蓄積されていた教会への怒りが一気に爆発する.

「我々はあなた方の要請を受けて,」
一人の若者がいきり立つと,それを止めるべき他の年配の将軍たちも口々にしゃべりだす.
「自分勝手な命令ばかり与えて,戦場にさえ出て来ない指揮官がどこにいるのですか?」
「せめて全軍の指揮権をこちらに渡してくれませんか?」
「そもそも聖都を見捨てて,我々は逃げてもいいのですよ!」
次々と噴出する不満,非難の声.

周りから責めたてられて,ガズーの顔色がどす黒く変色する.
「我々を,教会を侮るつもりですか!?」
そしてただ黙って事態を見守っているサンサシオンの方へ顔を向ける.
「あなたは彼らの味方のおつもりなのですか? サンサシオン様.」

皮肉気なガズーの言葉にサンサシオンは戸惑った.
「いい気なものですな,法王様のお孫殿は!」
サンサシオンに向かって周りの視線が集中する.
現法王の孫,……純血を尊ぶ教会においてまさに良血というべき青年だ.

「ガズー様,彼らの言い分はもっともです.」
サンサシオンはできるだけ柔らかく答えたが,彼の努力は実らなかった.
「そんなにもカストーニア王国の姫がいいのですか?」
いきなり出てきた自分の名にリルカはびっくりする.
「自らのわがままを通して離婚させて,まさかあなた様が人妻に手をお出しになるとは思いませんでしたよ.」

ガズーの言っていること,誤解していることに気付いてサンサシオンは顔の色を変えた.
「ご,誤解ですよ,ガズー様.」
母親の複雑そうな顔の意味が分かった,まさかこんな誤解をされていたとは.
「ならばあなたが魔族を撃退なさればよろしい.」
ガズーは見下すように,サンサシオンと諸国の指揮官たちに宣告した.
「魔族討伐諸国連合軍の全軍指揮官に,あなたを任命します.」

「祭司の地位を嫌って諸国をふらふらと渡り歩いていたあなたには,野蛮な戦場とその不貞節な女性がお似合いですよ.」
嫌らしい笑みをリルカに向かって投げかけて,ガズーは立ち去る.
後に残されたリルカやサンサシオンたちはただ呆然とするのみだ.

人類の聖なる指導者,人々を慈しみ災いから守る教会という名の集団.
1300年前の戦いでは確かにそうだった.
……しかし,今は.

「……どうなさいますか? サンサシオン様.」
くすんだ金の髪の青年が訊ねる.
ラーラ王国第2王子スール,リルカにとっては元義兄にあたる男である.
「私は……,」
サンサシオンは迷った顔を見せ,しかし次の瞬間には微笑んで見せた.
「若輩者ですが,どうぞよろしく.」

スールは人好きのする笑顔を見せて,握手を求めた.
「こちらこそよろしく,総指揮官殿.」
それを切り口に次々と将軍たちが名乗りを挙げる.
彼らにとってサンサシオンの指揮官拝命はむしろ好都合だ.
何もせずに文句ばかりのガズーに比べて,なんとこの青年は好印象を抱けるのだろう.

カストーニア王国の姫と恋仲だというが,二人並ぶ様は肖像画のようにお似合いだし,それに教会の聖なる血を引くサンサシオンと勇者の血を引くリルカでは,産まれてくる子供にいくらでも期待が持てる.
成長したあかつきには魔王を倒す勇者になるのかもしれない.

多大なる誤解を伴ったままで,サンサシオンは全軍の指揮官の地位を受け取ったのだった…….

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