やっと家族の質問攻めから解放されて,健は約4ヶ月ぶりに自分の部屋へ戻った.
健の話に家族は半信半疑だった…….
まぁ,当たり前だよなぁ.
日本の服装に着替えた健は,どかっとベッドに腰を降ろす.
そうして異世界から持ってきてしまった勇者の剣を手に取った.
いったいどうすれば,またあちらの世界へ行けるのだろうか……?
すらっと健は剣を抜く.
刃こぼれ一つ無い,健の異世界での相棒だ.
初めてこれをリルカから渡されたのは去年の夏.
カストーニア王国の国宝,勇者ワーデルの剣.
“私よりタケルが持つ方がふさわしいから…….”
遠慮する健に向かって,リルカは微笑んだのだった.
物思いにふけっていると,がちゃっとドアのノブがまわされる.
健は慌てて剣を鞘に収めた,と同時に姉が部屋の中へと入ってくる.
恵は無言で机のキャスターつきの椅子に座った.
「父さんと母さん,今,あちこちに電話している.」
きぃきぃと椅子を鳴らしながら,恵は言う.
「息子が帰ってきたって…….」
健はなんとも言えずに,姉の次の言葉を待った.
「でも,あんた,また行ってしまうつもりでしょ?」
まっすぐに瞳を見つめて,姉は弟に聞いた.
健は俯いて正直に答える.
「今,戻る方法を考えていた…….」
「やっぱりね.」
恵ははぁとため息を吐いた.
「どうやったら異世界へ行けるの?」
椅子の上で膝を抱き,恵は真面目な顔で問いかける.
「それが,……分からない.世界を渡る水晶は割れてしまったし.」
この姉は夢物語のような自分の話を信じてくれたのだろうか?
少しだけ心強くなって,健は宣言した.
「でも,必ず戻ってみせる.リル……,俺は勇者だから.」
恵はじっと健の顔を見つめた.
しばらく見なかった間にずいぶんと男らしい顔つきになっている.
これは守るものを見つけた人間の顔だ.
「まぁ,とにかく……,それが分かるまでは家に居なよ.」
何かを振り切るように,恵は立ち上がる.
「そんで行くときには声を掛けて,見送ってやるからさ.」
部屋から立ち去る姉に,健は微笑んだ.
「ありがとう,姉貴.」
「……どういたしまして.」
少し寂しげに笑んで,恵はドアから出て行く.
弟は家族よりも大切なものを見つけてしまったのだ.
今度はもう決して帰ってこないのだろう…….
「タケルのやつ,本当に異世界へ帰ってしまったのかよ…….」
黒髪をぼりぼりと掻きながら,ファンはうめいた.
「どうやら,そうみたいだね.」
背の低い赤毛の少年ユーティが面白くなさそうに答える.
「信じられねぇ……,なんて無責任なんだ.」
にがにがしげにファンはひとりごちた.
あれほどまでに周りから勇者として期待されておきながら…….
「なぜ,帰っちゃったんだろう…….」
悲しげにユーティはしゃがみこんだ.
なぜ彼らの友人は居なくなってしまったのだろうか…….
「カンティオーネ!」
彼らの視線の先で,テントから出てきた薄桃色の髪の女性が空に向かって呼びかける.
すぐに銀色に輝く美しい鳥が降りてきて,リルカの腕に留まった.
「あなたはここに居て,皆を守ってね.」
もとは自分自身の守護聖獣であるカッティに言い聞かす.
「ついてきちゃ駄目よ.」
優しげに微笑む,たとえその瞳は涙で腫れ上がっていたとしても.
「姫様,どこへ行くんですか?」
ファンが聞くと,リルカは複雑な顔をして答えた.
「ごめんなさい……,私は戦場を離脱します.」
「え?」
ユーティとファンは驚いて聞き返す.
「今,私がやるべきなのは戦場で戦うことじゃなくて,勇者の血を途切れさせないことだから.」
一瞬,リルカの言っている意味が分からずにユーティは怪訝な顔をした.
しかし次の瞬間,
「え? タケルは,」
友人の失言にファンが慌てて,ユーティの口を塞ぐ.
「姫様,余りご無理をなさらないで下さい.」
労わるように,ファンはリルカに向かって言った.
そんな泣きはらした顔で,違う男との間に子供を作るつもりだなどと言わないで下さい…….
「心配してくれてありがとう.」
柔らかくリルカは微笑む.
この微笑みはラーラ王国の王子と結婚すると言ったときにも見せたものだ.
リルカは二人に何も言わせずに,自分のテントの方へと向かった.
テントに入り,自分の荷物を取る.
子孫を残す……,リルカが天涯孤独の身の上になったのは14歳のときだった.
そのときはリルカ自身が幼いせいもあり,健という存在がすぐに見つかったせいもあって,誰も何も言わなかった.
しかし今は……,もう19歳,立派な成熟した女性だ.
つらくない,つらくなんか無い…….
自分に言い聞かせて,リルカはテントから出ようとした.
途端に中へ入ろうとしていた男とぶつかりかける.
「ごめんなさい,サンサシオン様.」
男性だとは思えないほど美しい青の瞳にリルカは慌てて謝った.
そしてそのまますれ違おうとすると,右の手首をリルカは取られた.
「あの……,」
掴まれた手が痛い.
青の瞳が真剣な色を映して,リルカを怯えさせる.
ふっと柔和に微笑んで,サンサシオンはリルカの手首を離した.
「私では駄目ですか? 姫君.」
「……なんのことですか?」
不安そうに微笑んでリルカは訊ねた.
その本当に困りきった怯えてさえいる表情が,何よりもサンサシオンの気持ちを拒絶している.
「なんでもありません,」
サンサシオンはにこっと微笑んだ.
「戦場を出られるのですね?」
「はい.」
まだ少し怯えた顔をしてリルカは頷いた.
「私があなたを守りますよ,タケルの代わりに…….」
琥珀色の瞳が失った恋人の名に悲しげに揺らめく.
「だからあなたは気持ちの整理がつくまでここにいればいいと,」
「気持ちの整理なんかつくわけが無いでしょう!?」
いつの間にかそばに来ていたらしいアリアが叫んだ.
「イオン将軍もあなたも,何を考えているのですか!?」
そうしてサンサシオンから守るようにリルカの体をぎゅっと抱きしめる.
「姫様の気持ちなんかこれっぽっちも考えていない!」
「ア,アリア……,」
幼馴染の剣幕にリルカは戸惑った.
これではまるでサンサシオンとイオンが悪者みたいだ.
「あ,あの!」
すると見知らぬ少年がいきなり3人に声をかけてくる.
「ご,ごめんなさい,突然,声をかけてしまって,……で,でも,」
カストーニア王国の兵士の格好をした少年だ.
まだ佩き慣れていない腰の剣がいかにも新兵らしい.
「俺,絶対にタケルは戻ってくると思います!」
自分を見つめる3人のそれぞれに異なった色彩の瞳にたじろぎながらも,少年は声を張り上げた.
「タケルとしゃべったことがあるわけじゃないけど……,でも,タケルは世界の法則とか決まりとかを無視してでも,きっと,」
必ずこの姫を守る.
そのためには自分の剣も,きっと命さえも投げ出して…….
アリアに抱きしめられたまま,リルカはどこかあやふやな顔をした.
しかし次の瞬間には優しく笑ってみせる.
「ありがとう,ラウティ.」
リルカが自分の名を知っていたことに,ラウティは思わず顔を赤くした.
「だけど私は唯一の生き残りとして使命を果たさなきゃいけないの.」
「でも姫様,せめてもう少しだけでも待って,」
思ったよりも頑固なリルカにラウティは思わず詰め寄った.
そのとき,
「敵襲だ!」
いきなり周囲が騒がしくなる.
「魔族が来たぞ!」
リルカは自分を抱くアリアの腕をそっと離して,すばやく周囲を見回した.
「姫様! ボルツ王国軍が魔族の集中攻撃を受けています!」
一人の兵士がリルカのもとへ駆け寄ってきて報告をし,主君の指示を待つ.
「分かりました,すぐに助けに向かいましょう.」
一瞬の迷いもなく,リルカは断を下した.
兵士たちを集め,すぐに戦闘に向かおうとするリルカの元へ壮年の男がやって来る.
「姫様! いけません!」
顔を蒼白にさせて,イオンはリルカの両肩を抱いた.
「辞めてください! あなたまで失ったら,我々は,」
「見過ごすことはできません,」
動揺するイオンに対して,リルカはきっぱりと言う.
「決して無理はしませんから,」
琥珀色の瞳に映る決して譲らない決意の光.
しかし言い終えることなく,リルカはそのままイオンの腕の中へ崩れ落ちる.
イオンがリルカの下っ腹に思い切り拳を送り込んだのだ.
沈痛な顔でイオンはリルカの華奢な身体を抱いた.
「分かって下さい,姫様…….」
あなたをみすみす死なせるわけにはいかないことを…….