夏休み勇者特論


第二十三話  勇者の失踪


「魔族だ!」
「本陣の守りを固めろ!」
魔物たちの来襲に,人間たちはざわめき立つ.

緑色の血液を持つ異形の怪物たち.
前線の兵士たちは死に物狂いで戦わなくてはならない.
かかっているのは世界の命運などではない,自分自身の命だ!

大きな棍棒を振り回す2足立ちの化け物,風を切る素早い空の生き物,地を這いつくばる腐った匂いのもの.
「応戦しろ! 応戦するんだ!」
ただ大声でわめき散らすだけの上官にうんざりしながら,兵士たちは剣を振るった.

ミッシィ大陸諸国連合軍,人類最大規模の軍といっても単なる烏合の衆である.
しかも彼らは魔物との戦いに慣れてはいない.
そして彼らを統率する教会の人間などは偉そうに指示を下すだけで,一度たりとも戦場に足を運ばないのだ.

これでは勝てるはずなどない!
勇者ワーデルの末裔というカストーニア王国軍はいつになったら到着するのだ!?

ふと一人の兵士が空を見上げて,驚いた声を上げる.
「なんだ,あれは?」
銀に輝く大きな鳥が戦場の上を大きく旋回している.
太陽の光を背負ったかと思うと,いきなり魔族たちの群れの中心に向かって一直線に降下する.
鳥の背には一人の少年が乗っていた.

「我,リルカ・カストーニアの名を借りて命じる,」
カッティの背から飛び降りて,健はカストーニア王国の神獣に命令を発する.
「凍れる息吹よ!」
カッティの嘴から絶対零度に近い温度の猛風が吹き荒れる.
意思のある力で周囲の魔物たちをなぎ倒し,その身を凍らせる.

「魔王ガイエン!」
拔剣して健は叫んだ.
「お前を倒しに来たぞ!」
そうして魔物たちの数の多い方へ向かって突進してゆく.

聖なる魔法を操り,まるで草を刈るように魔物たちを切り倒してゆく.
「カストーニア王家だ…….」
一人の兵士がつぶやくと,すぐに興奮が軍全体に広がる.
「勇者ワーデルの末裔!」
「破魔の一族だ!」
魔王を倒すべき勇者の少年,予想以上の強さだ.

少年の勇姿に励まされたように,兵たちの士気が上がる.
そして彼らはさらに喜ぶべきものを聖都の方角に見いだした.

「ひさびさに本隊とお目見えね.」
琥珀の瞳を好戦的に光らせて,リルカはつぶやいた.
「みんな,腕はなまってないかしら?」
彼女の周囲に立つ精悍な男たちが「まさか.」と笑う.
「そう,よかったわ…….」
一度瞳を伏せてから,リルカは彼女の倒すべき敵の軍隊をきっと睨みつけた.

「カストーニア王国軍,全軍出撃!」
男たちがおぉと歓声を上げて,魔族に向かって突撃を開始する.
諸国軍との間に戦闘を繰り広げる魔物たちの軍の横っ面に突入してゆく.
突入部隊の後ろの方で兵士たちに指示を下しながら,リルカは孤軍奮闘しているであろう健の姿を探した.

「タケルは見つかりましたか? 姫様.」
イオンに訊ねられて,リルカはさっと顔を赤くする.
「ごめんなさい,将軍.」
軍の指揮を預かるものがただ一人のことを気にかけるなど,とんでもない怠慢だ.
「いいのですよ,姫様.ここは私どもにお任せを.」
リルカに向かって優しく微笑んでから,イオンは戦場の方へ視線を向けた.
「タケルはあそこです.」

イオンの視線を追いかけると,健がまっすぐに魔王ガイエンに向かって走っているところだった.
呼び合うように,両者の距離がどんどんと近くなる.
「ファンとユーティを連れて,タケルのサポートに向かってください.」
「ありがとう! 将軍!」
最後まで聞かずにリルカは走り出した.
リルカの後をファンとユーティが追いかける.

突く,払う,薙ぐ.
久々の打ち合いだ.
空を舞うカッティさえも彼らの剣戟の間に入り込めない.
健の剣の切っ先が掠めて,ガイエンの兜が頭から外れる.
あらわになる人間の男の,いや少年の顔だ.
健は眉をひそめた.

こいつはこんなにも幼い顔だっただろうか……?
疑念に心とらわれそうになりつつも,健はガイエンと激しい打ち合いを演じる.
いや,それよりもこいつは,誰か自分にとってとても身近な人に顔が似ているような気がしないか?

「タケル!」
駆け寄ってきたリルカがすぐに健とガイエンの打ち合いに加わる.
「リルカ,来るな!」
健は叫んだ,案の定,魔王はリルカの方を集中的に狙いだす.
「くそ!」
剣を持つ手に汗がにじむ,背筋がぞっとする.
自分にとって油断のならない敵がリルカを狙っているというだけで……!

“健,あなたいつも夏はどこへ行っているの?”
そのとき,健は唐突に気付いた.
“駄目よ,母さん.健のやつ,きっと旅先に恋人が居るのよ.”
こいつの顔は母さんにそっくりだ!

途端に感じる無重力感.
健は世界から飛ばされた.

「タケル!?」
リルカの目の前で健の姿が消えた.
まるで最初から誰も居なかったように,空気すら乱さずに…….
「嘘…….……きゃぁ!?」
リルカの剣は魔王の剣先によって弾き飛ばされた.
ぼんやりしている暇などないのだ,衝撃でじんじんする両手を握りしめて,リルカはガイエンと向き直る.

「我,ワーデル・カストーニアの名……,」
呪文を唱えきる前に,リルカは乱暴に右腕を取られた.
そして長い髪を,もう片方の手で捕まれる.
「姫様を放せ!」
やっとそこまで辿り着いたファンが斧で魔王の背中を切りつけた.

魔族特有の緑色の血液が噴き出す.
しかしガイエンはリルカの身体をまったく解放しない.
「離して!」
リルカの叫びと同時に,ひゅんと矢が飛んできて健の姿をした魔王の首筋に突き刺さった.

「なぜ倒れないんだよ!?」
矢を放ったユーティは困惑した声を上げる.
「我が偉大にして不可侵なる神よ……,」
ユーティの隣でサンサシオンが神に仕える者の力を行使する.
「光を以って闇を払いたまえ!」

リルカとガイエンの立つ地面が白く輝きだす.
聖なる光の中でリルカは眩しさに目を細め,魔王は苦悶の叫び声を上げた.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
魔王の拘束から逃れて,リルカは勇者の末裔である証を示す.
「地底に眠る力よ!」
大地が盛り上がり,魔王ガイエンの身体を包み込むようにして襲い掛かる.

聖魔法による局地的な地響きが収まったとき,魔王の姿はすでになかった.
魔物たちが聖都とは逆の方向へと逃げてゆく.
今回の戦闘は終わったのだ…….

「姫様,タケルはどこへ行ったのです?」
大量に浴びてしまった魔王の返り血に顔をしかめつつ,ファンがリルカに訊ねる.
なぜリルカがただ一人で魔王と戦っていたのか,ファンたちには分からない.
「タケルは,」
答えようとすると涙が込み上げそうになり,リルカはぐっと奥歯を噛み締めた.

「姫様?」
傍までやって来たユーティが心配そうな顔で問いかける.
リルカは笑顔を見せようとし,しかし成功せずに俯いた.

健は異世界へと帰ったのだ.
“俺が少しでも地球に帰りたいと思ったら,速攻でこの世界から追い出されるじゃん.”
健は帰りたいと思ってしまったのだ.
“もう世界を渡ることはできないんだから.”
健とはもう二度と逢えない……!

心配するファン,ユーティ,サンサシオンの前でリルカはただただ立ち尽くした.
“俺,ずっとリルカのそばに居る,永遠に…….”
永遠に…….

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