夏休み勇者特論


第二十二話  親子の情愛


ザミリー平原,1300年前に魔族と人間の戦いの終着点となった戦場である.
この戦場で勇者ワーデルは魔王ガイエンを封印した.
しかしそれには大きな代償があったのだ.

恋人の死,ワーデルは目の前で魔王に愛する女性を殺された.
それ以来,この平原は悲しみの平原と呼ばれる…….

教会の中,通された応接室のソファーに腰掛けてリルカは無言だった.
隣に座る健が豪華な調度品にいちいち感動している.
「すげー,教会って儲かっているんだなぁ.」
健の突拍子も無い発言に,イオンは口をつけていたお茶をぶっと噴き出した.
「タ,タケル,なんてことを言うんだ!?」
そして苦笑するサンサシオンに向かって,健の無礼を詫びる.

魔王ガイエンの狙いは1300年前の再現.
だから舞台をこの平原へと移したのだ.
リルカはのんきそうにへらへらと笑っている健の横顔を盗み見た.

しかしこの少年の前で自分を害せるものなどいるのだろうか.
“俺が傍にいて……,”
真っ赤に血で染まった健の体.
“リルカに指一本でも触れられると思うなよ!”
そのようなことを健が許すはずもない,リルカをかばってきっと健の方が殺されてしまうだろう…….

ぞくっと身震いしてリルカは自身の身体を抱いた.
控えめなノックの音が響いて,ドアが開く.
「初めまして,カストーニア王国のリルカ姫.」
白い長衣に身を包んだ優しげな中年の女性だ.
にっこりとまろやかな笑みを,部屋の中の一同に向かって見せる.
「私は10祭司が一人,豊穣を司るフェルミと申します.」
リルカは慌てて席を立った.

「お初にお目にかかります,私は,」
緊張気味のリルカの挨拶に,フェルミはおかしそうにころころと微笑んだ.
「噂は聞いていますよ,リルカ姫.あなたがカストーニア王国の戦女神なのですね.」
フェルミの柔らかな微笑みに恐縮して,リルカは顔を赤くした.
「それでどちらの男性が魔王の首を落としたという勇者なのかしら?」

健はひょいと手を挙げた.
「俺です,フェルミ様.」
どうやら自分はリルカほど有名人ではないらしい.
「貝塚(かいづか)健,17歳です.よろしく.」
健の名乗りに,フェルミは驚いたように瞳を瞬かせた.

「まぁ,あなたのような子供が……,」
するとサンサシオンが立ち上がって柔らかく微笑む.
「タケルは誰よりも強いですよ,フェルミ様.」
誉められて健は照れくさそうに自分の頬を掻く.
しかしフェルミはむっとしてサンサシオンの顔をねめつけた.

「サンサシオン,……いいえ,サニー.」
体ごとまっすぐにサンサシオンに向き直る.
「あなたは私に一番最初に言わなくてはならないことがあるでしょう?」
サンサシオンは軽く肩を竦めた.
「ご心配をおかけして申し訳ございません,母上.」

サンサシオンの台詞に驚いて,健とリルカは二人の顔を見比べる.
言われてみればそっくりだ.
「さらにご心配をおかけしますが,私は戦場に出ます.いえ,もうすでに何度も魔族と戦いました.」
フェルミは母親の顔で,長いため息を吐く.
「あなたからの手紙に書いてあったとおりね,祭司ともあろう者が何をやっているのです.」

「母上,私は破邪を司る者です.私こそが先頭に立って戦わなくては,」
するとフェルミは息子の言葉を強引に遮って,話を変えた.
「それと,あなたはリルカ姫の離婚も要求してきたわね.」
いきなり自分の話になってリルカはどきっとする.
「はい,母上.姫も王子も婚姻の解約を望んでいますから.」

フェルミは複雑な顔をして,少し間をおいてから口を開いた.
「祭司サンサシオン.あなたのこの二つの望みを叶える代償に,教会はあなたに祭司の地位の返上を要求します.」
フェルミの通達にサンサシオンではなくリルカの方がショックを受ける.
「分かりました.もともと祭司の地位は分不相当なものでしたし,喜んでお返ししましょう.」
対して,サンサシオンは簡単に答える.

「サンサシオン様!?」
リルカは心底申し訳無さそう顔をサンサシオンに向けた.
「いいのですよ,リルカ姫.」
サンサシオンはリルカに向かって優しく微笑む.
そしてその柔らかな髪に触れようとして思いとどまった.

「あなたを変えたのはこの姫君なのですね.」
諦めたようにフェルミはため息を吐いた.
「えぇ,まぁ…….それとタケルの影響ですね.」
母親の微妙な言い方に,サンサシオンはあいまいに頷く.
「戦場ではくれぐれも無理はせずに…….」
息子の硬くなった腕をなでて,フェルミは少し泣きそうな顔で微笑んだ.

「ありがとうございます,母上.」
そっと母の身体を抱いて,サンサシオンは感謝の意を表す.
健はその光景を複雑な気持ちで眺めた.
彼の故郷の母親は今ごろ,どうしているのだろうか…….
きっと心配しているに違いない.

フェルミが部屋から立ち去ると,サンサシオンは健に向かって訊ねた.
「どうする? 法皇様に謁見を申し込むかい? ……その場合は2,3日待つことになるだろうけど.」
健はふるふると首を振る.
どうやらリルカの離婚も成立しそうだし,そうなると法王に用などない.
「それでは,戦場へ向かいましょう.」
リルカが琥珀色の瞳を伏せて促すと,世代の違う3人の男性は頷いた.

「ザミリー平原では,すでに何度か戦闘が行われたようです.」
教会から出ると,サンサシオンは母から聞いたことをリルカに教えた.
「ラーラ王国,オールディス共和国,ボルツ王国,バーンズ王国,……などから軍隊の派遣があったそうですよ.」
王女の顔でリルカは了承する.
戦いが始まるのだ,魔族と人間との総力戦が.

すると横を歩く健が甘えるようにリルカの手を握ってくる.
リルカはむっとして健の顔を見たが,健の笑顔が寂しそうなのに驚いた.
「ザミリー平原のどこに陣を張っているのですか?」
健の手をきゅっと握り返して,リルカはサンサシオンに聞いた.
「この聖都のすぐ近くですよ,いえ,もっと正確に言うと,」
サンサシオンの青の瞳が自嘲するように濁る.
「平原中心部からここまで押されてきたのです.」

「我々が追い返してみせますよ.」
静かな自信を持って,イオンが宣言した.
「この世界で魔族に対抗できるのは,魔王を倒すことができるのは我々だけですから.」
勇者ワーデルの末裔,魔の森の監視役を任ぜられた一族.

リルカも覚悟を決めた顔で頷いた.
ふと健の横顔を見上げると,どこかぼんやりした様子で遠くを見つめている.

「……呼んでいる.」
茫洋とつぶやくと,健はリルカの手を離し駆け出した.
「タケル!?」
リルカの驚く声には構わずに,健は空に向かって叫んだ.
「カッティ!」
銀に輝く大きな鳥が舞い降りて,聖都の人々を驚かす.

「タケル,どこへ行くの!?」
慌てて追いかけてリルカは問うた.
「戦場へ,ガイエンが俺を呼んでいる.」
健は身軽にカッティの背に飛び乗る.
そしてリルカを置いてあっという間に飛び立ってゆく.

「タケル…….」
自分の手を離れていってしまった恋人の名をリルカは口にした.
「タケルなら大丈夫ですよ,姫様.」
イオンは自分の娘ほどに年齢の離れた主君に向かって微笑んだ.
「さぁ,我々もすぐに軍を率いて,タケルの後を追いましょう.」
不安を拭いきれない顔でリルカは頷いた.

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