夏休み勇者特論


第十五話 鮮血の再会


これは昔,健から聞いたりんごダイエットというものだろうか.
リルカは魔王に捕らわれながら,ただひたすらりんごばかりを食料として与えられた.
逃げ出そうとさえしなかったら,ガイエンはいたって紳士的にリルカを扱う.

終始無言で,まったくの無表情.
健にはそんなことはできまい,年下のくせに生意気な口をきいたり,軽口を叩いてリルカを笑わせる.

そしてここは魔王の住処なのだろうか,この洞窟にはリルカと魔王ガイエンの2者しか居ない.
「……タケルに逢いたいな.」
リルカがため息を吐くと,魔王は微笑んだように見えた.

荒れ野に砂塵が舞う.
魔族が森の方から出てきたのだ.
健は見張り台に立って,いっそ嬉々としてそれを眺めた.
「よっしゃぁ! 出陣だ!」
ばっと台から飛び降りて,健はカッティとともに階段を駆け降りてゆく.

後に残された見張り番の兵士たちは,頼もしいというより呆れたように健を見やった.
まさか本当に健の声が聞こえたのだろうか…….
「魔王がいるな.」
遠くを眺めながら,一人の兵士が言う.
「姫様は?」
魔族の陣の中で薄桃色の髪の姫君の姿を探す.
「……分からない.」

たった19歳の少女.
カストーニア王国王家ただ一人の生き残り.
その細い肩にこの国の命脈を,この世界の命運を背負っている…….

「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
自軍の陣が整わないうちから,健は敵に向かって突っ込む.
「炎よ,舞い踊れ!」
健の周囲で怒りの炎が燃え上がる.
踊る炎の中心で剣を振るう少年.

「タケル!」
ファンとユーティが健の後を必死に追いかける.
「一人で突っ込むな!」
健まで魔族の手に落ちたら,もはや人間の方に救いは無い.
この世界で唯一,魔族に対抗できる勇者ワーデルの末裔.
考えたくはないことだが,もしもリルカに万が一のことがあれば,この少年を決して失うわけにはいかないのだ.

熟練の将イオンが軍を整えて,組織的に魔族に対し応戦する.
「弓矢隊,前へ!」
前面に突出してきた不気味な色彩の怪鳥に矢を浴びせる.
健やリルカほどの戦闘能力がある者ならともかく,たいてい人間は集団で魔族に対するのだ.

「我,リルカ・カストーニアの名を借りて命じる,」
健は空を征くカッティに向かって命令した.
「炎の風!」
銀に輝く聖獣が小さな嘴から,巨大な業火を吐き出す.
炎が健の前に立ちふさがっていた魔物たちを焼き尽くす.

カッティの炎の洗礼を受けてもいまだ立っているのは,炎の属性を持つ魔物たちだけだ.
我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,
「凍える水よ!」
炎を身に纏ったままで,火球のような魔物が,火竜が,火トカゲが凍りつく.
「ガイエン! どこだ!?」
いらただしげに健は叫んだ.

「タケル,右だ!」
ファンの声に,健は視線を右方に転じた.
その先に,銀の甲冑を着込んだまるで人間のような魔物が立っている.
腕に薄桃色の髪の女性を抱いて…….

「リルカーーーー!」
健は一直線に魔王に向かった.
魔王の腕の中でリルカはぴくとも動かない.
リルカの青い顔色が健に最悪の想像をさせる.

ガイエンはすらりと腰の剣を抜いた.
そして剣先を,腕の中の女性の首筋に向ける.
「カッティ!」
健は叫んだ,銀に輝く鳥がするどい爪先で魔王の兜の少しの隙間をつつく.
ガイエンはうるさげに手を振るい,カッティを追いやろうとした.

ガキィーン!
その合間にガイエンの元へ辿り着いた健が剣を振るう.
「リルカを離せ!」
しかし健の剣先は魔王の鎧に阻まれた.
「……の名において命じる,」
魔王ガイエンの兜からかすかに漏れる声に健はぎょっとした.
「炎よ,舞い踊れ!」

「うわぁぁ!?」
健の体が炎に包まれる.
剣を投げ出して地面に転がり,必死に炎を消そうとする.
砂にまみれる健の視線の先で,魔王がリルカの胸元に剣を落とす.
「リルカぁ!」
何も考えられずに健は走った.

走りつき,腕の中に愛しい女性を抱いた瞬間,健は背中に,左肩の下あたりに激痛を感じた.
視界が赤に染まる.
健の好きな淡い桃色の髪が真紅に汚れる.

「タケル!?」
やっと魔王の傍までたどりついたファンとユーティは,リルカを抱きガイエンの剣に背を刺された健の姿を見た.
リルカの身体を支えていた魔王が手を離すと,健とリルカはそのまま地面に崩れ落ちる.
魔王ガイエンが健の背から剣を抜く.
大量の血液が少年の体から溢れ出し,ユーティは小さく悲鳴を上げた.

そして魔王は人間の赤い血を滴らせた剣で,打ち込んできたファンの斧を受ける.
不意に左手を上げて,飛来してきた矢を素手で受け止める.
弓を放ったユーティは絶望的な顔で,魔族の長を見つめた.

ガイィン!
第2撃目で,ファンの斧が弾け飛ぶ.
彼らでは魔王には到底敵わない.
「タケル! 姫様!」
ファンは声の限りに叫んだ.

ふいにリルカは意識を取り戻す.
「タケル!?」
自分の上に倒れ伏している血だらけの健に気付いて悲鳴を上げる.
ゆっくりと彼らのそばに魔王がやって来た.

健の身体をしっかりと抱き,リルカはガイエンを睨みつける.
「止めなさい! タケルを殺せば,私も死ぬわ!」
どんどんと血が流れ出てゆく健の背中の傷口を両手で押さえつけて,リルカは叫んだ.
「そうしたらこの世界から勇者の末裔は絶えて,あなたを倒すものは未来永劫居なくなるのよ!」

「未来永劫……,それはいつまでだ?」
魔王の兜からもれる健の声,しかし健ではありえない深い苦悩に満ちた暗い声だ.
「千年か,一万年か? 私はいつまで生きればいい!?」
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う,」
きっと強い光を放つ琥珀の瞳.
「光よ,我に道を示したまえ!」

光が彼らを包む.
次の瞬間,リルカの前から魔王は消えていた.
「タケル! 姫様!」
真っ青な顔でファンとユーティが二人の傍まで駆け寄って来た…….

「タケル! タケル!」
魔の森へ去りゆく魔族たちにはわき目も振らず,リルカは健に呼びかける.
ファンが迅速に健に応急手当を施し,
「少しでも意識があるのなら,異世界へ帰りたいと願いなさい!」
ユーティがリルカに替わって,健の傷を手で抑え少しでも止血を試みる.
「タケルの世界の方が医療技術は上なのでしょう!? さぁ,はやく帰って!」
ほとんど泣き声でリルカは命じた.

どんどんと暗くなる視界の中で健は答えようとした.
しかし実際にはほんの少し唇が動いただけである.

帰れるわけがないじゃないか.
だって地球に帰ったら,もう二度とこの世界へは行けない.
リルカには逢えない.
世界を渡る水晶は割れてしまった.

夏休みが終わる.
そろそろ学校が始まる.
夏休み限定ヒーローはもうおしまいだ…….

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