城の裏手の人気のない場所で,健はリルカと口付けを交し合った.
10祭司の一人であるサンサシオンがこの国へ来てから3日目のことである.
そして今日,健はサンサシオンとともに聖都へ向かうのだ.
「タケル,」
口付けの合間を縫ってリルカが囁いた.
「私……,」
真っ赤になって俯く.
「分かっているよ.」
健は俯くリルカの唇に,器用に口付けた.
「必ず離婚させてやるから…….」
リルカは泣きそうな顔で健を見つめ,そうして両手で顔を覆い隠した.
「私,今すごくほっとしている,」
震えそうなリルカの身体を健は優しく抱きとめる.
「情けない……,一国を背負う王女なのに.」
健はぽんぽんとリルカの頭を叩いてやった.
「リルカはこの国のためによくやっているさ.」
ふと髪を銀に輝く鳥につつかれて,健は名残惜しげにリルカの身体を離す.
「じゃ,そろそろ出発の時間だから.」
リルカは自らの恋人に向かって微笑んだ.
「いってらっしゃい.……気を付けてね,タケル.」
城門の前で健はサンサシオンと落ち合った.
大仰な見送りは要らないとサンサシオンが言ったので,ただ一人バキだけが見送りに立っている.
健は地球から持ってきたリュックを背負って,二人の前に現れた.
不思議そうな顔をするサンサシオンに向かって健は笑って説明をする.
「俺,異世界から来たんですよ.」
そして今年の夏は学校に間に合うように地球に帰るつもりはない.
聖都までは片道,馬で急いでも50日以上はかかる.
心配するであろう家族には悪いが,今はこっちの方が大切だ.
まだ地球には帰れない…….
健は身軽に馬に飛び乗る.
カッティが肩に留まるのを確認すると,健はバキに向かってリルカを頼むと告げた.
そしてサンサシオンと馬を並べて,健は城門から出発した.
健が家に帰るつもりはないと言うと,リルカは悲しそうな顔を見せた.
そうしてこの3日間,健に聖都行きを止めるように説得をした.
しかし健とて折れるつもりはない,なんせ地球に戻ればまた1年間もこの世界へ来ることができないのだ.
結局リルカの方が根負けして,健はサンサシオンと二人で聖都へ行くことになったのである.
「異世界とはどのような世界なのですか?」
好奇心で瞳を輝かせて,サンサシオンは健に聞いた.
柔らかな物腰の,少しもえらぶったところのない男である.
「そうですね,こことはまったく違う世界ですよ.」
健は馬をまだまだ不器用に操りながら答えた.
堅苦しい男だと思いきや,健が地球から持ってきたライターや懐中電灯などに興味津々である.
初対面だというのに,サンサシオンとの旅は健にとって楽しいものだった.
健は今までカストーニア王国王都と戦場しか行ったことはない.
初めて歩く道,初めて見る街.
旅慣れたサンサシオンは,しかも話題豊富で旅の同行者としては最高級の青年だった.
サンサシオンにしても,自分に対して余り畏まらない健に好感を抱いたようだ.
よく考えれば,二人は17歳と20歳で歳も近い.
カストーニア王国の国境を越える頃には,すっかり健とサンサシオンは打ち解けて,同性,同世代の友人が初めてできたと,サンサシオンは無邪気に笑った.
「タケル,ここから先がボルツ王国だよ.」
国境といっても何もない,単なる街道に日本の県境のように小さな看板が立っているだけだ.
「これじゃ,国境線が分からないじゃん.」
馬を歩ませながら,健は首を竦めた.
空は晴天,二人ゆったりと馬を進ませる.
「領土争いって無いの? サニー.」
サンサシオンと本名ではなく,愛称で呼びかける.
雲ひとつない大空の空高く,銀に輝く鳥が飛んでいる.
するとサンサシオンは柔らかく微笑んで答えた.
「国の領土は教会が定めた聖なるものだから,誰も異議を唱えることができないのだよ.」
「すげーな.」
健は心底感心した,本当に教会というものは権力を持っているらしい.
「じゃ,法王がリルカの離婚を認めたら,ラーラ王国の方ではもう何もできないんだ.」
健と隣り合って馬を進めながら,サンサシオンは「もちろん.」と頷いた.
「リルカ姫の離婚がうまくいくように,私もできるだけ口添えをするよ.」
「サンキューな!」
健は嬉しそうに笑った.
薄桃色の髪,琥珀色の瞳.
リルカと別れてから,16日が経っていた.
早く彼女を結婚の縛りから解放して,自分だけのものにしたい.
それにそろそろリルカの夫であるカイザック王子が彼女を迎えに来るはずだ.
今日は日本の日付に直すと8月20日,健の夏休みは終わろうとしていた.
「すごいね,タケルは.」
サンサシオンは感動したように言った.
「愛する女性のために何でもするんだね.」
健の顔は赤くなった,そんなふうに言われると照れるしかない.
「別にそうゆうわけじゃねぇよ.」
無動作に身体を動かすと,健は胸にちくんとした痛みを感じた.
「ん?」
針かとげでも刺さった感じだ.
ふと思いついて,首からかけているペンダントを取り出す.
するとペンダントのトップについている水晶が割れていた.
「なっ!?」
異世界へ渡る唯一のアイテム,カストーニア王国の国宝の一種.
「な,なぜ!?」
確かこの水晶は城にある大水晶と連動していたはず.
この小さな水晶を介して,城の大水晶の力で健は世界を渡るのだ.
「カッティ!」
声まで青ざめさせて,健は叫んだ.
城に何かがあったのだ! リルカは,皆は無事だろうか!?
巨大化したカッティに健は勇者の剣だけを持って飛び乗った.
「リルカが危ないんだ! 俺,城に戻る!」
するとサンサシオンは驚いた表情のままで訊ねた.
「タケル,私も行こうか?」
祭司であるサンサシオンには聖魔法とはまた違う不思議な能力があるのだ.
しかし青い顔で健は首を振る.
「ごめん,二人乗ったらスピードが落ちる.」
「分かった.」
サンサシオンはすぐさま承諾した.
「馬で追いかけるよ.」
「ありがとう!」
言い終えないうちに,健を乗せた銀の聖獣は飛び立つ.
それを見送ってから,サンサシオンは残された健の馬を引いて,もと来た道を戻り始めた.
サンサシオンとのんびりと旅した道のりを,ものすごいスピードで戻ってゆく.
「カッティ,急いでくれ…….」
カッティの首にしがみつき,健は心が絶望に染まりそうになるのを必死で堪えた.
リルカ,ファン,ユーティ,アリア……,
イオン将軍,バキじいさん…….
皆,無事なのか?
何があったんだ?
夕暮れ近くになってやっと健の眼前に,見慣れた白亜の王宮が見えてきた.
王城からは何条もの煙がたゆたっている.
「うそ,だろ…….」
近づくに連れて,城の惨状が明らかになってくる.
焦げた城壁,崩れている城門,中庭では魔物たちの屍骸と兵士たちの死体.
「リルカ!?」
中庭に降り立って,健は叫んだ.
「どこだ!?」
足ががくがくと震える,目の前が真っ暗闇に閉ざされそうだ.
城の中に入ると,そこは凄惨な情況だった.
山のように折り重なる魔族の抜け殻,勇戦し力尽きたであろう兵士たち.
死体の放つ腐臭に,健は膝から崩れ落ちた.
「……リルカ.」
もう立っていられない.
お前を失ったかもしれないと思うだけで…….
そして勇者の聖なる力は闇に染まるのだ…….
「タケル!?」
名を呼ばれて振り向くと,傷だらけの赤毛の少年が居た.
「リルカは!?」
健はユーティに詰め寄った.
ユーティはごくりとつばを飲み込んでから答える.
「……姫様は魔王に攫われた.」
健はそのまま,疲労の末に倒れこんだ…….