夏休み勇者特論


第十二話 祭司の来場


健が魔王の首を落としてから10日ほど経ったある日,国境地帯から軍隊が王都へと帰ってきた.
魔王を倒した軍と周囲から褒め称えられながら,である.

周囲の浮かれっぷりに軍を率いる将軍イオンは辟易していた.
いくら魔王はまだ生きているといっても,街の者たちは耳を貸さない.
すっかり平和が訪れたと思い込んでいるのだ.

城まで辿り着くと,リルカと健が仲良く並んで彼らを迎えた.
道中のことをイオンがリルカに報告すると,リルカは困ったように微笑む.
「城の者にはちゃんと説明できたのですが,なかなか城下町の人々は信じてくれなくて……,」

6年という長い年月に渡る戦争に誰もが膿んでいる.
魔王を倒したのだと信じたがっているのだ.

「姫様ぁ!」
亜麻色の髪のアリアが走ってきて,すぐさまリルカの腕を取る.
「すごくすごく会いたかったですよ! タケルに何もされていませんよね?」
途端にリルカの顔がぼっと赤くなる.
アリアはリルカの隣に立つ健の顔を睨みつけた.
「タケル,あんたという奴は……,」
すると健は慌てて弁解する.
「いや,マジで何もやってないってば!」

ごほんと咳払いをしてイオンまでもが健を責める.
「タケル,そうゆうことはちゃんと形式を整えてから……,」
「信じてくれよ! キスまでしかしてない! 本当に!」
すると傍にいたファンとユーティが呆れた声を出した.
「語るに落ちたね,タケル…….」
「まぁ,今更何を言っても信用されないよなぁ.」
いきなり押し倒すわ,人前で濃厚なキスをするわで,結構この少年はめちゃくちゃなことをするのだから…….

城の半地下にある図書室で,バキは顎の白髭をしごきながら目当ての本を探し出した.
少し背伸びをして,教会法辞典を本棚から取り出す.
そしてぱらぱらと結婚に関する項目のページを開いた.

異世界から来た健などは簡単に離婚しろというが,この世界ではよほどの場合でなくては離婚などできない.
ましてや王族同士の結婚である.
もはや個人の感情の問題ではなく,外交上の問題だ.

バキはため息を吐いて,辞典をぱたんと閉じた.
途端に扉の外が,がやがやとにぎやかになる.
すぐに扉が開いてこげ茶色の髪の異世界の少年が友人たちとともに入ってきた.

「バキじいさん.」
戦場から戻ってから,すっかり健は図書室の常連だ.
「離婚できるいい案でも浮かんだ?」
バキは苦笑して首を振った.
「そっかぁ……,」
健は行儀悪く,図書室の机の上に腰掛けた.

「バキ様,」
ファンが健の隣に立って,老人に提案をする.
「駄目でもともとで,いっそのこと教会の方へ直接申し立てに行った方がよろしいのでは?」
バキは思案顔であごひげを撫でた.
「そうだね,何もしないよりはましかもしれない…….」
離婚を申し立てるなど外聞の悪い話だが,実際に離婚したいのだから仕方ない.

「それじゃ,さっさと行こうぜ.」
一人意味が分かっていない健をほったらかしにして,ユーティは扉を開けようとした.
するといきなりドアが外から勢いよく開く.
「うわっ!?」
ユーティは飛びのいて,うち開きのドアを避ける.
被害者になりかかった少年を押しのけて,城の侍従が部屋の中の一同に向かって叫んだ.

「た,大変です! 10祭司の一人,サンサシオン様が,」
侍従はごくりとつばを飲み込む.
「魔王を倒した勇者に会いたいって,今,この城に!」
「本当か!?」
バキは当惑して問い返した.
侍従がしっかりと頷くのを確認すると,バキは手に持っていた辞典を乱暴に机に置いて部屋からあわただしく出て行く.

「何? 誰?」
健だけがいまいち事態を飲み込めていない.
ユーティはいまだ,心臓がばくばくとなっている.
「これはある意味,好機かも.」
ファンはつぶやいた,そうして健に向かって言う.
「タケル,もしも祭司が褒美をやるとか言ったら,迷わずにリルカ姫が欲しいと言え!」

この世界において,絶対的な権力を持つ教会.
そのトップに君臨する法王,そして法王の補佐官である10人の祭司.
勇者ワーデルの末裔であるカストーニア王家のものとはまた違う,聖なる力を行使する一族である.

まさか自分が世界にたった10人しかない祭司に会うことになろうとは…….
なかなかに見目麗しい青年を,この城で一番上等な部屋に案内しながらリルカは驚きを隠せない.
「リルカ姫.」
「はい!?」
詠うような調子で名を呼ばれて,リルカの声は思わず裏返った.
「あなたがカストーニア王国の戦女神なのですね.」
男の世離れした微笑みに,リルカはうっとりとしてしまう.

「あなたにも会いたかった,これほどまでに美しい方とは思いませんでしたが.」
「あ,ありがとうございます.」
お世辞だと分かりきっていても,顔を真っ赤にしてリルカは答えた.
そうして辿り着いた部屋のドアを開けて,サンサシオンを部屋の中へと招き入れる.

「サンサシオン様,街の者がなんと言っているのか分かりませんが,」
琥珀色の瞳でまっすぐにサンサシオンを見つめる.
「タケルは魔王の首を落としただけで,倒したわけではないのです.」
するとサンサシオンは軽く青の瞳を瞠った.
「しかし首を落としたのでしょう,ラーラ王国軍も故国へ帰ったと伺いましたが…….」
リルカは悲しげに首を振った.
「魔王とはそのような存在では無いのです.」

豪奢な部屋の中で,リルカは祭司サンサシオンと向き合った.
大陸の中心に位置する聖都から,こんな辺境の地までやってきた青年…….
「それはカストーニア王国王家に伝わる伝承ですか?」
「はい…….」
琥珀色の瞳を伏せてリルカは答えた.
「幾万の夜を越えて愛に哭く,彼は永遠を旅する者…….」

そのとき,ノックの音が響いた.
リルカが扉を開けると,バキと健が廊下に立っている.
健はリルカに向かってにこっと微笑みかけた.

きょとんとするリルカの前を通って,健はサンサシオンの方へと向かった.
「初めまして,俺が健です.」
するとサンサシオンは驚いた顔をする.
「君が? 驚いた,まだまだ子供じゃないか.」
「17歳です,サンサシオン様.」
噛みそうな名前だ,しかし健は愛想良く微笑んだ.

「タケル殿,今回の君の活躍を法皇様は高く評価なさっている.」
リルカとバキの前で,健はにこにこと上機嫌だ.
「まだ倒したわけではないと今,聞いたが,君ならいつか必ず魔王を倒してくれるのだろう.」
「はい,そのとおりです.」
ずうずうしくも断言する健にリルカはぎょっとした.

「法皇様がぜひとも君に会いたいとおっしゃっているのだが……,」
「サンサシオン様,俺,名誉よりも欲しいものがあるんです!」
性急にサンサシオンの言葉を遮って,健は言った.
「リルカをください,このカストーニア王国の王女を!」
サンサシオンは今度こそ本当に驚いた顔をした.

「魔王は必ず倒します.先に褒美をもらうのは気が引けますが,リルカとラーラ王国の王子カイザックとの離婚を認めてください!」
健はがばっとサンサシオンの前で頭を下げた.
当のリルカは驚きに声も出ない.
バキが慌ててサンサシオンに向かって言い繕う.
「サンサシオン様,そのぉ,タケルと姫様は昔から恋仲でして,愛し合っているのです.」
バキの臆面の無いセリフに健とリルカは真っ赤になった.
「だから,どうぞ離婚の調停をお願いします.」

サンサシオンはしばらく澄んだ青の瞳をただただ見開いて驚いていたが,やがて優しく微笑んで答えた.
「分かりました.」
がばっと健が顔を上げる.
「ただし私の一存では決めかねますから,聖都までお越し願えますか?」
「も,もちろんです!」
健は一二も無く了承した.

そして傍でただ呆然と立っているリルカを抱き上げて,体いっぱいで喜びを表す.
「やったぁ!」
「タ,タケル…….」
戸惑うリルカを無視して,健はリルカの身体をしっかりと抱きしめた.

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