夏休み勇者特論


第十一話 草原の恋人


5年前のことだ,ただ一人の生き残りになってしまったリルカは,一縷の望みをかけて異世界へと旅立った.
血が呼び合ったのか,意外にあっけなく見つかった勇者ワーデルの末裔.
それは14歳であったリルカよりも,さらに幼い12歳の少年だった…….

空を征くカッティの背の上で,リルカは無言だった.
何も言わずに,健の背に抱きついている.
もしかして泣いているのだろうか…….
健は柄にもなく不安になってしまった.

後ろではなく,自分の前に乗せればよかった.
そうすればリルカの顔が見られたのに.
「リルカさぁ……,」
一生懸命に頭を巡らせて,話題を探す.
「……胸でかいね.」
途端に遠慮なく拳で頭を叩かれた.

「なんだよ,誉めたのに.」
「誉めてないわよ!」
いつもと同じやり取りに健はほっと微笑んだ.
広い空の下で,ただ二人きり.
背中から回される細い腕が,背中に感じる体温が心地よい.

一つの澄んだ川と,一つのにごった川が足元を行き過ぎる.
またリルカと一緒に釣りに行きたいな,と健はぼんやりと思った.
そうこうするうちに,白亜の王城が見えてくる.
勇者ワーデルの末裔が治めるカストーニア王国.
この世界で唯一,魔族に対抗できる力を持つワーデルの末裔たち.

王城の中庭へと降り立つと,すでに地上から見えていたのだろう,数人の子供たちがすぐに健とリルカを迎えに来た.
「姫様!」
「姫様,おかえり!」
カッティから降りたリルカをあっという間に囲いだす.
「あ,ついでにタケルもおかえり.」

「なんだよ,それ.」
健はできるだけ怖い顔を作って言った.
「誰もタケルのことは心配してないよなぁ!」
一人の子供がおどけて言う.
「そうそう! タケルは勇者だもんな!」
その子供たちの瞳に映る絶対的な信頼.

健は一つ肩を竦めた.
彼はこの信頼に応えなくてはならない.
この子供たちの親や家族は魔族によって殺された…….

「姫様,タケル,よくぞご無事で……,」
白髭の老人が子供たちに囲まれているリルカと健に向かって話しかけてきた.
「バキ.ただいま帰りました.」
リルカはこの国の執政官代理である老人に向かって微笑んだ.
「城の留守を守ってくれて,ありがとうございました.」

「いいのですよ,姫様.」
バキはリルカの細い背中を撫でてやった.
並ぶと主君と部下というより,祖父と孫にしか見えない.
「戦場は落ち着いたのですね?」
リルカは複雑な顔をして頷いた.

バキに魔王の首を落としたこと,駐留部隊だけを残して兵士たちが帰ってくることなどを告げると,リルカは久しぶりに城の中の自分の部屋へと戻った.
一人きり,部屋の壁にかかっている肖像画を見上げる.
そこには幼い自分と兄,父母と前王であった叔父,その妻,そしていとこたちが描かれていた.

魔王が復活するという未来を知らずに,幸せそうに微笑んでいる…….
「その瞳は永遠……,」
リルカはつぶやいた.
「……彼は永遠を旅する者.」

彼の孤独な魂を救うために,私たちカストーニア王家のものは存在する…….

ふと外から聞こえてくる笑い声に,リルカは窓に寄った.
中庭では楽しそうに健が子供たちと一緒になって遊んでいる.
面倒を見てやっているというよりは,単に一緒に遊んでいるといった具合だ.
すると健はリルカに気付いて大きく手を振った.
思わず微笑んで,リルカも軽く手を振り返す.

6年前の戦争開始からどんどんと増えてゆく孤児.
私も孤児のようなものなのかもしれない…….

元気の無いリルカの笑顔に,健は眉をひそめた.
「なぁ,お前ら,」
自分の周りにいる子供たちに向かって言う.
「明日,ちょっと協力してくれないか?」

次の日から,リルカは本来の王女としての業務に戻った.
大臣たちと協議し,国の政を行うのだ.
とは言ってもリルカには分からないことだらけだ,周りに助けられながらなんとかこなしているに過ぎない.

リルカが書類にサインを入れていると,執務室に子供たちが入ってきた.
「姫様,」
楽しそうに呼びかける.
「眉間にしわができているよ.」
「え!?」
リルカは慌てて,自分の額を隠した.
そんなにも険しい顔つきを自分はしているのだろうか?

「気分転換!」
「遊びに行こう!」
ぐいぐいと腕を引っ張られてリルカは困ったように傍に控えるバキの方を見た.
するとバキは笑って答えた.
「いってらっしゃい.昨日までは戦場にいたのでしょう.」
戸惑うリルカに対してウインクしてみせる.
「ちょっとくらいさぼっても誰も何も言いませんよ.」

子供たちに連れられて城から出て,城下町ではなく裏手の草原の方へ行く.
遠くに見える川の流れ,子供の頃はよくあそこで家族一緒に釣りをした…….
草原ではこげ茶色の髪の少年がリルカを待っていた.
健の強い眼差しにリルカは思わず顔を赤らめた.

「お姫様の連れ出し,ご苦労様!」
いたずらっぽく笑って,健はリルカの手を取った.
「じゃぁね.」と手を振って,子供たちは城の方へと戻ってゆく.
健はひらひらと手を振った後で,リルカにまっすぐに向き直った.

「リルカ,デートしよう.」
健の視線を浴びて,リルカは一生懸命にむっとした顔を作った.
「……やだ.」
すると肩を強く捕まれて,すとんと草の上に座らされる.
「じゅぁ,キスさせて.」
リルカは健から予告付きの口付けを受けた.

しまった,抵抗するのを忘れた!
リルカは慌てたが,健はそれには構わずにリルカの背に腕をまわした.
そうして容易く草の上に押し倒す.
「タ,タケル!?」
「しまったな……,」
すると健はのんきそうにつぶやいた.
「セオリーどおりにやろうと思っていたのに.」

「セオリー?」
何をされるのか,不安そうな顔でリルカが問い返す.
「まぁ,いいや.」
健はにこっと笑って,草の上に広がるリルカの髪を撫でた.
「邪魔者アリアの居ないうちにやっちゃおう.」

強く抱きしめられて,リルカは叫んだ.
「何を言っているのよ!?」
足をばたばたとむなしく動かす.
「馬鹿馬鹿馬鹿! 止めなさいよ!」
すると健はまっすぐにリルカの琥珀色の瞳を覗きこんできた.

「俺,リルカのことが好きだよ.」
途端にリルカはその桃色の髪と同じ色に顔を染める.
「リルカは俺のことをどう思っている?」
2歳年下の少年,もう少年という呼称は相応しくないのかもしれない.
「それってこの体勢で聞くことなの?」
半分以上泣き声でリルカは訊ねた.

「多分,違うかも…….」
情けなさそうに健は答える.
「でもさ……,」
健はリルカの柔らかい頬を撫でた.
「聞かなくても,その顔を見たら分かるよ.」
健の腕の中でリルカはさっと顔をそむけた.
触れられている頬が,燃えるように熱い.

「離婚する方法を二人で考えよう.」
そう言って,しっかりと口付ける.
「リルカが頷くまで,離さないから.」
健はリルカの細い身体をぎゅっと抱きしめた…….

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