夏休み勇者特論


第七話 永遠の旅人


「その瞳に映る永遠を見つめて,……彼は永遠を旅する者.」
リルカの歌声に僕は目を覚ました.
「あら,タケル.ごめんなさい,起こしてしまったわね.」
リルカの見せる笑顔に僕はうっとりとする.

するとひやっとする手をおでこに当てられた.
「よかった.だいぶ熱が下がったみたい.」
僕は起き上がろうとした.
「駄目よ,まだ寝ていなさい.」
しかし簡単にリルカにベッドに押し戻される.

「ガキ扱いすんなよ.」
風邪で声ががらがらだった.
「眠りなさい,小さな勇者さん.」
優しく髪を撫でられて,僕はうとうとと再び眠りに落ちてしまった.

あれは13歳の夏…….

「敵襲だ!」
「魔族がやってきたぞ!」
あわただしく砦の中を走り回る兵士たちの声で健は目覚めた.
ベッドから跳ね起きて,大きく窓を開く.
外は暗く,まだ日も昇りきっていない.

おとといも昨日も来たのに,今日も攻めて来たのか……?
健は器用にもおおあくびをしながら首をかしげた,今年の夏はいつもとは違うことだらけだ.
服を着替え,剣を腰に佩く.
窓から部屋に入ってきたカッティが,美しい銀の羽を散らしながら健の頭上を旋回した.

砦から出て,城門付近で健はリルカの姿を見つけた.
昨夜の悲愴な泣き顔の人物と同じ女性には思えない,てきぱきと兵士たちに指示を与え,迎撃の準備に忙しい.

「では,出陣しましょう!」
おぉと兵士たちがときの声を上げる.
城門から兵士たちとともに出てゆくリルカを健は慌てて追いかけた.

「タケル,おはよう!」
すると後ろから声を掛けられる.
赤毛の小柄な少年,ユーティである.
「おはよう,ユーティ.あのさぁ,」
健は自らの疑問をさっそく聞いてみた.
「えらい頻繁に来ないか? 去年まではせいぜい5日に1回程度だっただろ?」

するとユーティは複雑な顔をした.
「ごめん,後で説明する.」
そしてさっと弓に矢を番える,この少年は遠矢の名人だ.
健も近づいてくる魔族たちに向かって剣をすらりと抜いた.

今日も魔王自らが軍を率いている.
去年までは余り前線まで出てこなかったのに,今年は妙に積極的だ.
なぜだろう,このわくわくするような気持ちは.
あいつが居る,あいつと戦えるということだけで……!

……なぜならあいつは俺の目の前で俺の恋人を殺したからだ.

しかしいきなり魔族の群れは逃げ出した.
人間たちがまだ何もしていないのに,唐突に魔の森へと逃げ帰ってゆく.
「あれ? どうして?」
健はきょとんとした.
「さぁ……?」
隣では同じようにユーティが顔にいっぱい疑問符をつけている.

「何なのかしら?」
リルカは去りゆく魔物たちを眉をひそめて見つめた.
「ねぇ,ファン.」
傍に立つ黒髪の青年に聞く.
「あなた魔王の素顔を見たって言ったわよね?」
するとぎくっとファンは顔をこわばらせた.

しかしリルカの視線の強さに観念したように口を開く.
「姫様,あれはタケルの顔でした……,髪の色が黒かっただけで,それ以外はまったく同じでした.」
ファンは困惑して聞いた.
「タケルはそのことに気付いていないようですけど,なぜなのですか?」

リルカは琥珀色の瞳でまっすぐにファンを見つめた.
「それは,……タケルが勇者だからよ.」
死んだ父でもなく,兄でもいとこ達でもなく…….
「タケルこそが魔王を倒す勇者だから…….」
誰よりも強く勇者ワーデルの血を引く少年.

拍子抜けした態で健は兵士たちとともに砦へと帰ってきた.
「せっかく早起きをしたってのに……,」
こげ茶色に染めた髪,これは高校に進学したときに染めたのだが,をぼりぼりと掻く.
「まぁ,いいじゃん.楽だし.」
隣でユーティが笑った.

会えると思ったのに…….
“タケル,会いたかった…….”
思わず健は目を瞠る.
なんだ,今の思考は!?
なぜ自分は魔王になど会いたがるのだ?

「タケル.」
いきなり話し掛けられて,健はびくっとした.
胸まで届く薄桃色の髪,琥珀の瞳.
「リルカ.」

「朝起きてから,ちゃんと顔を洗った?」
リルカはまるで世話焼きの母親のように聞いた.
「え? よだれでもついている?」
健は慌てて口を拭う.
「そういや,今日リルカの夢を見たよ.」
出会ったばかりの頃の少女の柔らかな微笑み.
「俺が昔,風邪をひいたときの……,」
健は眠そうに大きな口をあけてあくびをした.

健の何気ないセリフに思わずリルカは顔を赤くしてしまう.
「姫様,タケルの天然たらしなセリフにあまり反応しちゃ駄目ですよ!」
2回目のあくびを噛み殺す健に代わって,ユーティが呆れたように忠告した.
リルカは何かを言い返そうとしたが,結局赤い顔のまま口をつぐんだ.
「姫様!」
するとリルカは後ろから腕を捕まれた.

「イオン将軍.」
リルカにとっては親代わりでもあるいかつい体格をした男である.
イオンはリルカがいつもどおりに微笑むのを見て,安心をしたようにため息を吐いた.
「昨夜はアリアの部屋に居たのですね?」
情けなさそうにリルカはこっくりと頷いた.

「あぁ,もう,心配させないで下さい.」
イオンはリルカの細い身体をぎゅっと抱きしめた.
朝,砦の中から出てきたリルカを見て,自分がどれだけ驚いたか…….
「土下座してでもいいですから,離婚させてもらいましょう.」
素直で無垢なこの少女に,望まぬ男との結婚など到底無理なのだ.

健は思わず昨夜のことを思い出した.
アリアの部屋で青ざめた顔で泣いていたリルカ.
あの男に何をされたのだろう.
どこまで触れられたのだろう…….

健の顔がかぁっと赤くなった.
「リルカ,今日は離さないからな!」
戸惑うリルカの手首を乱暴に取る.
「絶対にあいつのところへは行かさない.」
激情を吐き出すように,強く言う.

「タ,タケル……,何を言って,」
イオンに抱かれたままでリルカは真っ赤になって健の顔を見つめた.
「だからといってタケルみたいに助平なヤツについて行っても駄目ですよ,姫様.」
からかうようにユーティが言い,楽しそうに笑った.

すると「そうですよ.」とイオンも笑う.
「ちぇっ,どうせ俺はすけべですよ.」
ふてくされた顔で,しかし昨日までと変わらないリルカの反応に安心して健は言った.

しかし次の瞬間にはぎくりと顔をこわばらせる.
彼の恋敵が近づいてきたからだ.
「リルカ姫.」
同じように顔をこわばらせて,リルカは自らの夫の顔を見た.
「カイザック様,ごめんなさい,昨日は……,」
慌ててイオンの腕の中から抜け出る.
「いいのですよ.」
年長者の余裕を見せつけるようにカイザックは微笑んだ.

「少し,タケル君を借りてもいいですか?」
「え?」
意外な申し出にリルカは戸惑った.
すると健が表面は軽口を装って答える.
「何? 結婚でも申し込んでくれるの?」
しかし漆黒の瞳には嫉妬の炎が燃えていた.
「俺の方がリルカより,勇者の血は濃いよ.」
リルカよりも健の方が直系に近いのだ.

カイザックは苦笑して訊ねた.
「話したいことがあるのだけど,いいかな?」
「もちろん.」
心配そうに見つめるリルカを無視して,健はせいぜい強気に答えた.

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