夏休み勇者特論


第六話 初夜の喧騒


リルカからの鋭い裏拳を,健はひょいと身体を沈めて避けた.
そしてぐいとリルカの前に出る.
「きゃぁ!」
いきなりぎゅっと抱きしめられて,リルカは悲鳴を上げた.
「離してよ,タケル!」

「うわっ,暴れるなって!」
腕の中で抵抗するリルカを健は強く抱きしめた.
「じゃ,タケル,がんばれよ.」
「絶対に姫様を離すなよ!」
わらわらと健たちを囲んでいた兵士たちが去ってゆく.
「待ってよ! なぜみんな居なくなるのよ!?」
慌てるリルカを無視して,健はリルカを抱いたままでひらひらと手を振った.
「はいはーい,がんばって口説きますんで,」
「何を言っているの!? タケル!」

しかし兵士たちが去って二人きりになってしまうと,リルカは途端に元気を無くしたようにおとなしくなってしまった.
そう神妙にされるとこちらこそが照れてしまう.
しかしこの柔らかで暖かな身体を手放したくは無い.

「タケル,離しなさい.」
硬質の声でリルカが言う.
「ラーラ王国の兵が来たらどうするのよ?」
健はぐいっと腕の中のリルカの顔を持ち上げた.
泣きそうな顔で,しかし強気に健の方を睨みつける.
「別にいいじゃん,」
そうして,健はリルカと唇を合わせようとする.
「見せつけてやろうぜ.」

「止めなさい!」
ごつんと音がして,健はリルカから頭突きを受けた.
思わずくらっとして,リルカの体を離してしまう.
しかしリルカの方でもくらくらときているらしく,反対に健の方へと寄りかかってきた.

「と,とにかく,私はもう結婚してしまったのよ!」
痛むでこをおさえつつ,リルカは言った.
「じゃ,離婚しろよ.」
健が言い返すと,リルカはぐっと口をつぐんだ.

「その瞳は永遠……,」
そして俯いて小さな声で詩を吟じる.
「彼は永遠を旅する者.」
「え?」
健は慌てて聞き返した,しかしリルカはさっと身を翻して健のもとから走り去ってしまった.

砦の外のカイザック王子のテントまで辿り着くと,リルカはテントの入り口に立った兵士に手を差し出された.
一瞬意味が分からなかったが,自分が帯剣したままであることに思い至って,リルカは兵士に剣を預けた.

テントの入り口をくぐるときに,リルカの頭の中で健の言葉が響いた.
“じゃ,離婚しろよ.”
贅沢な家具が置かれたテントの中はまるで城の中のようだ.
“別にいいじゃん,見せつけてやろうぜ.”
リルカの足が震えた.

どうしよう,やっぱり怖い…….
入り口近くで立ちすくんでいるリルカに気付いて,カイザックがやって来た.
「リルカ姫,まだ日も落ちていませんよ.」
リルカは子供みたいに泣きそうな表情でカイザックの顔を見上げた.
「怖いですか?」
やさしくリルカの肩を抱き寄せる.
「大丈夫,怖いのは最初だけですよ.」
そっと男に抱きしめられながら,リルカはぎゅっと身体を固くした…….

リルカに去られて,所在無く砦の中を歩いていると,健はリルカの部屋の前に人だかりができていることに気付いた.
「ひどい,なんて横暴な……,」
「俺たちが戦場に出ている間に……,」
兵士たちの切れ端の言葉を耳にして,健は部屋の中を覗き込んだ.

中はからっぽだった…….
「なんだぁ!?」
健は驚いて素っ頓狂な声を上げた.
すると部屋の中にいた,亜麻色の髪の女性が驚いてこちらを見る.
「タケル!?」
アリアは真っ青になって問いただした.
「姫様は? 一緒じゃないの!?」

「だいぶ前に別れたけど…….」
アリアの剣幕にきょとんとして健は答えた.
「本当かよ!?」
アリアの傍に立っていた黒髪の青年が慌てて問い返す.
「しまったな,タケルなんかに任せるんじゃなかった…….」
心から後悔してファンはうめいた.

「何,どうゆうこと?」
一人だけ意味が分からずに健は聞いた.
「タケル,姫様は……,」
言いにくそうに赤毛の少年が言う.
「今夜は,……その,あの,」
純情なユーティの顔が真っ赤になる.

「ばかぁ! 姫様の結婚を阻止するって言ったくせに!」
アリアが泣き顔で叫ぶ.
「姫様はカイザック殿下の所へ行ったのだわ!」
「あ……,」
健は立ちすくんだ,目の前が真っ暗になる.

「助けに,」
健はすぐさま部屋から出てゆこうとした,しかしその腕をファンに捕まれる.
「馬鹿! 今更,行ってどうするんだよ!?」
「でも,」
どうしよう,さっきまで自分の腕の中に居たのに…….
結婚するということはそうゆうことだ.

瞳に耳元に,そして首筋にリルカは黙って男からの口付けを受けた.
どんどんと体が冷たくなってくる.
両肩に置かれたカイザックの大きな手が怖い.
「や……,」
リルカはぶるっと震えた.
「姫?」
意外に優しく問うてくるカイザックの声.

「やっぱり,やだぁ!」
どすんとカイザックはしりもちをついた.
リルカの拳がカイザックの左眼にクリーンヒットしたのだ.
まさに会心の一撃というべきか,カイザックは左眼を押さえてあっけに取られたようにリルカの顔を見つめた.

「ご,ごめんなさっ……い.」
はっと我に返って,リルカは謝った.
倒れているカイザックを起こそうとする.
「すみません,本当にごめんなさい!」
自分の不覚悟さが情けない.
王女だというのに,なんて子供なのだろう!

するとカイザックは優しく微笑んだ.
「いいですよ,リルカ姫.」
おろおろするリルカをなだめるように言う.
「当分,夜は来なくて結構ですから.」
すると自覚はしていないのだろうが,安心したようにリルカの顔が緩む.
カイザックは妻になったばかりの少女の表情を観察するように見つめた.

そう,慌てる必要などないのだ.
どのみち夏が終われば,この少女の想い人は故郷へと帰るのだから…….

服をちゃんと整えて,リルカは何事もなかったかのように振舞いながら砦の中へと戻った.
思わずほっとため息が出る.
自分の部屋へ戻ろうとしたが,ふと部屋には何も無いことを思い出して,リルカは乳姉妹であるアリアの部屋へと戻った.

部屋は無人だった.
リルカは勝手に入り,勝手にアリアのベッドへ自分の身を投げ出した.
怖かった…….
あれほどまでに怖いものだとは思わなかった.
うつぶせに倒れこみ,枕をぎゅっと掴む.

するとばたばたと廊下を走る音がする.
アリアが帰って来たのだろう,リルカはのろのろと顔を上げた.
「リルカ!?」
扉を開けたのは,健だった.
リルカは驚きに声も無い.
健は怒った顔でベッドに座り込んでいるリルカの方へと大またに近づいてきた.

「姫様!?」
健の手がリルカを抱こうとすると,本来の部屋の主がやって来て,健からリルカの身体を奪いとる.
「大丈夫ですか? 姫様.」
ぎゅっと抱きしめて,アリアは聞いた.

リルカは大丈夫だと答えようとしたが,唇が震えてうまくしゃべれない.
アリアは傍に立つ健と,戸口に立ったままのファンとユーティに向かって命令した.
「悪いけど,出てって.」
特に健の方をきっと睨みつける.
「姫様が泣けないから,部屋から出て行ってちょうだい.」

その役目は,自分がやりたい…….
「分かった…….」
俯いて健はくるりと回れ右した.
ファンとユーティとともに部屋から出る.

扉を閉めるとリルカの泣き声が聞こえるような気がした…….

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